初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

音楽というと,ポピュラー音楽や,ジャズ,ヒップホップなど,さまざまなジャンルを思いうかべることと思います。

しかしながら,そのなかで,クラシック音楽に興味を持たれる方は,あまり多くないと思います。

JPOP,KPOP,ジャズ,ブルース,歌謡曲など,さまざまなジャンルと「比較」をすると,どうしても,クラシック音楽は,距離を置かれるような存在です。

皆さんなりの,「クラシック音楽にたいするイメージ」とは,どのようなものでしょうか?

1.お金がかかる

・ほかのジャンルと比較をすると,CDの値段,1曲あたりのDL料金が高いと思う

・音大の学費が,ほかの大学と比較すると高いと思う

2.親しみがあまりない

・クラシック音楽が,オリコンのチャートにランクインしたことはあまりないと思う

・クラシック音楽を聴く機会があまりない

・クラシック音楽に使う楽器のことをあまり知らない

・クラシック音楽を演奏することは,ほかのジャンルの音楽を演奏することよりも難しいと思う

・クラシック音楽は,堅苦しいイメージがある

・クラシック音楽は,閉鎖的な,あるいは,排他的なイメージがある

わたし自身は,クラシック音楽が大好きですが,あまりそういったものを好まない人々が多いので,質問をしてみました。おそらくは,「分布」という点において,クラシック音楽を好む人々は,「分散」しているだけなのかもしれません。

A 回答 (19件中1~10件)

>いきなり「春の祭典」を紹介するのではなく,「タイプライター」を紹介して,といった「やり方」が良い,ということだと思います



そうですね、やり方、は重要だと思います。

すみません再々度で。

他人に音楽を薦めるのは難しいのですが
音楽は金持ちの道楽!という感じだった夫がクラシックを聴くきっかけになったのは
ゲームが好きだったので

「ドラクエのお城の音楽みたいでしょ」と
バッハの曲を聞かせてみました。

あとは、「劇的」「美しいメロディが分かりやすい」「感傷的な音楽」など
いわゆるクラシックファン以外にもウケのいい音楽を集めたMDを作ったり。

そのような音楽はCMや映画でも聞き覚えがあるんです。

ホルストの惑星のジュピターだったり
カルミナブラーナのおお!運命の女神、を「ラスボスとの対戦みたいでしょ」
とか
韃靼人の踊りを聞かせて「RPGのフィールド音楽みたいだ」といわれたり。

しみじみした寂しげな音楽が好きだと分かったので
ブラームスの3番3楽章を聞かせたら携帯の着メロにしてました。
そこからスラブ舞曲10番を聞かせたら、それがまた次の着メロに。

カヴァレリア・ルスティカーナ、パッヘルベルのカノン、短いorリフレインで
どこかで聞き覚えのある曲を集めたり。

最近は「現代曲や電子音は聞き飽きるけどオケの音の厚みは心地よい」というまでに。
でも自分でCDを求めて聴いたりはしませんが
BGMとしてはとても楽しむようになりました。

おっしゃる「春の祭典」は「新世界より」と一緒に聞かせて
「ジョーズのテーマに似てるでしょ?」など
気に入って聴いている映画音楽やゲーム音楽のモチーフやベースが
クラシックにあるということに感動していました。

2001年宇宙の旅、太田胃酸の曲、黄金伝説…という形でみんなクラシックには親しんでるはずなんですよね


うるさいマニアがいるという意味ではロックもそうかもしれません。
あんなのロックじゃねぇ
あんなの聴いてるなんてただの流行歌だ
本物を知らない洋楽通ぶってるだけだ

といった…なんともツマラナイことになってしまいます。
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この回答へのお礼

再度の回答,コメント,ありがとうございます。

また,クラシック音楽に親しみを持つことができるようにした,「具体的な例」を,ご家族の経験をまじえて紹介してくださったことは,非常に重要なことです。

クラシック音楽を聴きたいという人々にとっては,回答者さんのレスは,非常に良い参考になるとおもいます。

また,「うるさいマニア」という指摘については,ほかのジャンルにおいても,そういった人々がいることは,よく知られたことだと思います。とくに,「鉄道」においては,そういった人々がいることで,いろいろな「問題」,「トラブル」が起きています。

回答者さんのコメントを拝見したとき,「ああ,こういう表現(曲・作品)もあった!」と,「アハ!」という気持ちになりました。クラシック音楽は非常に「柔軟」なものであることは知っていましたが,それと同時に,ピアノのことばかり考えていた,わたし自身の「範囲の狭さ」にも気づかされました。

お礼日時:2013/03/02 23:05

いや~、盛り上がってますね!チャットみたいな割り込みをしてすみません。

(^^;
すべての回答を拝見しましたが、それぞれの回答がとても興味深く、「あ~、本当に音楽が好きなんだなぁ~」と思えたもので・・・
アップされた時は「吐き捨てるようなコメントが集中するのでは?」とヒヤヒヤしておりましたが、こうして思案されたご意見が多く、自分が質問したわけでもないのに嬉しくなってしまいました(^-^)

自分も主はクラシック音楽ですが、「おっ、これおもしろいなぁ!」と思うものはどんなジャンルでも聴きます。
本音としてはもう~ちょっとクラシック音楽も聴いてくる人が増えたら・・・ とは思います。
( なぜそうならないかはすでに回答された方々のコメントに含まれていますが。)
「こんな曲もあるよ~。聴いてみない?」と気軽にすすめられたらイイですよね。クラシック音楽ファンである我々がもっと柔軟で広い視野を持つ必要があると思います。(上から目線ではなくて)

 その例としてちょっと挙げさせてもらいました。
  
  http://www.youtube.com/watch?v=8M66GwhA2EU


どんなことでもそうだと思いますが、視野や了見が狭いのはもったいないですよね。
おじゃましてスミマセンでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おかげさまで,さまざまな「意見」を持つ皆様からの,「有意義なレス」をいただいています。非常に嬉しいことです。

クラシック音楽にたいする「思い」,「愛情」を,分かちあってくださるので,非常に有意義な議論ができるので,ひとつひとつのコメントを楽しみにしています。

さて,回答者さんの出してくださったリンクですが,拝見しました。良いと思います。クラシック音楽は,「幅の広い音楽」ですから,こういった「表現」を紹介してくださると,ほんとうにありがたいです。

面白いパフォーマンスのなかには,たとえば,大砲を使うもの,ヘリコプターに乗って演奏するもの,さまざまな「表現」があります。ひとつひとつに,アーティストの「思い」,「意図」があるので,それを理解することも,面白いです。

そして,ほかの回答者さんも指摘されましたが,「視野の狭い人々」のプリゼンスが,「問題」になることについては,ひとつの問題意識であると思います。たとえば,「わたしは〇〇の作品は,〇〇の演奏したものしか認めない!」といった「考え方」です。そういった「考え方」,それは回答者さんの指摘された,いわゆる「上から目線」ですが,そういったものがあることは,とても遺憾なことですし,非常に残念なことでもあります。そういう人々が,クラシック音楽の「魅力」を台無しにしているという指摘は,的を得たものです。

お礼日時:2013/03/02 22:47

音楽は本来自由なもの、楽しむものと私も思います。



私はたまたま恵まれていたのかもしれませんが、両親が大の音楽好きだったので、
子供の頃から、クラシックもポピュラーも分け隔てなく聴いて育ちました。
高校生のころは、プログレッシブロックと同時にワーグナーにハマったり。。

なので、クラシックを特別なものと敬遠するとしたら、本当に勿体無いと思います。
逆に、クラシック以外は全く知らないなんて人もいますが、それも不思議です。

最近は、CMなんかでハッとするくらい美しい曲が流れたり、ポップスに編曲されて
ヒットしたりしてますから、きっと抵抗なくなってきてるのではないかと思います。

但し、ピアノやヴァイオリンなどは、練習の積み重ねが必要で、10年20年と
途方もない時間がかかります。そこが、やはり「芸術」なんだと思います。

ロックバンドでギターは大人になってからもできるけど、オーケストラでヴァイオリンを
弾くのは、やはり限界があります。もちろん、アマで楽しむことはできますが。

同じく、ヒップホップは大人になってからでもできるけど、クラシックバレエを踊るのは、
大人から始めても限界があります。もちろん、楽しむことはできますが。

でも、そうやって学ぶことによって、聴く耳、観る目を持つことができますし、
より深く、楽しむことが出来ると思います。

必要なのは、好きという情熱、楽しみたいという欲求だと思います。
人の心を動かすのは、技術ではなく、知識・教養ではなく、やはり、その人の心です。
それが、人の魂を揺さぶる感動になるのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「家庭の環境」がクラシック音楽にたいする「関心」につながるという指摘は,良い指摘だと思います。たとえば,音大に進学する学生さんのなかには,家族がクラシック音楽が好きである人々,あるいは,物心がつくときからクラシック音楽に親しみを持っていた人々が多いと思います。

また,クラシック音楽のなかには,「アレンジされた音楽」というものもありますので,それらをとおして,多くの人々がクラシック音楽に興味をもつことは可能だと思います。

その一方で,回答者さんが指摘されたように,クラシック音楽(さらには,ほかの回答者さんが指摘された,日舞など)には,「長い年月を要する修行」が課されます。ピアノであれば,最初の数年はバイエルからはじめ,バーナム,チェルニー(100番台→30番→40番,など),ハノン,それを終えたら,こんどはソナチネ(クレメンティなど),そして,ようやく,ソナタ・アルバムにたどり着くことができます。ここまでたどりついて,ショパンのワルツ,シューベルトの即興曲,ドビュッシーのベルガマス組曲を弾くことができます。しかしながら,ショパンの即興曲や,一部のベートーベンのソナタは,まだ難しいレベルとされます。

そういった,考え方によっては「ネガティブなアスペクト」はありますが,回答者さんが指摘されたように,音楽にたいする「愛」(「愛」と表現すると,すこし「重たい」と思われるかもしれません,「情熱」,「好意」,「関心」,などが良いでしょう)があることが大切であるという考え方は,良い考え方だと思います。

そして,回答者さんは非常に良い指摘をされました。

音楽において大切なことは,知識・教養以上に,「心」であるという「指摘」です。このことについて,わたしがいつも思うことですが,1日に10時間もピアノに向かって練習している人々がいますが,そういうものは,せいぜい5時間くらいにすべきです。残りの5時間は,演劇を見るとか,おいしいものをたべるとか,美しいものを見るとか,旅行に行くとか,「心の修行」をしてもらいたいと,わたしは思います。ピアノに向かって練習することで得るものは「テクニック」です。しかしながら,それだけでは「芸術」にはならないと思います。いわゆる「音楽性」,「音楽をつくるための“心”」とは,ピアノに向かう練習によって得るものではなく,ひとつの「人間理解」をとおして得るものだと,わたしは考えます。それは,ピアノだけではなく,さまざまなジャンルにおいても,当てはまるものでしょう。

お礼日時:2013/03/02 22:33

NO4です。


お返事ありがとうございます。

内容まで関心を持つって・・・。
それ音楽じゃなくて音学ではないでしょうか・・・。
そんなクラシック演奏は私は聴きたくありません。

私の書いた知る機会とゆうのは、
曲の意味を知るとゆう意味ではなく、
どうゆう物をクラシックと呼ぶのかとゆう意味です。
聖歌はクラシックになるの?とゆうような事。、

知る機会には他にも、、
せっかく曲名も出ているので、
ジュピター等のようにアレンジされた物もクラシックになるの?
とゆうような。
クラシックとゆうジャンルの幅とゆうべきなのか、
定義とゆうべきなのか・・・。
そうゆう意味のつもりでした。

演奏側が込めた想いを正解とは私は思いません。
それは正論でしかないと思ってます。
私はむしろ聴く側の聴こえた事を重要視したいです。

音って聴く人によっては色々な風に聴こえるのだからこそ面白いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

クラシック音楽の「範囲」という指摘は,良い指摘だと思います。

基本的には,「西洋で発展した音楽,そして,それに習った音楽」という一定の理解がされているものと,わたしは考えます。回答者さんの指摘された,「インスパイアーされたもの」も,クラシックのひとつとして認識する人々もいると思います。

そして,これは多くの音楽家が考えねばならないことだと,わたしは思うのですが,「聴衆の解釈・リアクション・求めているもの」ということについても,考えなければなりません。

たとえば,数年前に,あるマスコミが都内に住む女流ピアニストを紹介したところ,彼女の評判が急激に上がったという出来事がありました。そして,さまざまなマスコミが彼女を紹介するなか,彼女のピアノの演奏を聴くと,「癒される」という評判がでるようになりました。「聴衆」という点においては,彼女は非常に魅力的なピアニストであり,非常に面白い音楽家であるといえます。聴いて「癒される」ということであれば,ひとりでも多くの人々が,彼女の「聴衆」になると思います。

ところが,そのような彼女の「評判」の一方で,別の女流ピアニストが「あまり実力がないにもかかわらず,マスコミに紹介されたくらいで,飛ぶように売れているピアニストがいるので,実力があるにもかかわらず,売れるチャンスに恵まれない人が可愛そうだ」という意図の発言をしました。この女流ピアニストにとっては,「音楽」というものは,おそらくは,回答者さんの指摘された「音学」に近いものがあるのだと思います。

非常に良い指摘だと思います。わたし自身も,ピアノを弾くときには,「聴衆」についてさらに考えるようにします。

お礼日時:2013/03/02 22:21

    #3です。



    丁寧なコメントをありがとうございました。 補足です。

>>「知りません」,「聴くのが全世界で僕一人でも別にかまわない」という回答内容に
つきましては,なぜ,「知りません」なのか,

1。  クラシック音楽に使う楽器のことをあまり知らない。

    楽器の種類は各年代で鍵盤楽器にも多種あり、弦楽器も「ダモーレ」のつくややこしいもの、管楽器も現代物に慣れた名演奏家をして「バルブの無いホーンもう沢山」と捨て台詞を言わせる時代物など、 これ本当に僕は「知らない」のです。

2。  クラシック音楽を演奏することは,ほかのジャンルの音楽を演奏することよりも難しいと思う
      
    クラシックも、他にジャンルも演奏したことが無いので「知りません」。

3。 クラシック音楽は,堅苦しいイメージがある

    僕にはそう言うイメージがありません。

4。  クラシック音楽は,閉鎖的な,あるいは,排他的なイメージがある

     僕にはそう言うイメージもありません。

>>「聴くのが全世界で僕一人でも別にかまわない」なのか,その点についても触れてほしかったです。

    他の人がみんなクラシック以外のものだけを聴いていても、別にどうってことは無い、それは他の人の損失だ、僕の損失ではない、と言うことです。

    例えば同じリバプールの出身でも、ビートルズを聴く人もいれば、ポール•ルーイスを聴く人もある。全世界の人が前者を聴いていても、僕は後者で沢山、と言うことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

あなた自身の「価値観」のことについて,説明してくださり,ありがとうございます。

あなた自身が持っている「価値観」を大切にしてください。

すこしだけ,クラシック音楽の話題から離れますが,「あなただけの価値観」を持つことは,社会正義をまもる点においても,有益であるとされます。なぜならば,「流されない価値観」を持つことによって,社会のなかにある「リスキー・シフト」を「阻止」することが出来るからです。

音楽の話題に戻りますが,あなたなりの「価値観」を大切にして,「こだわり」を大切にすると良いと思います。あとは,このことは回答者さんはコメントのなかにおいて言及されてはいませんでしたが,あなたの持つ「価値観」を分かちあうことのできる人々がいると,さらに「良いこと」であると思います。

お礼日時:2013/03/02 22:09

>学術的な部分も,たしかに重要ではありますが,「純粋に音楽を楽しみたい」という,「アスペクト」があることを,見失ってしまった人々が多いことは,残念なことです。



純粋に音楽を楽しむことと、学術的(語弊があるか・・)にクラシックを理解することはまったく相反することではないと思います。
自分もクラシックを体系的に学んでいませんが楽しめます。要はアプローチする側の姿勢の問題だと思います。ジャズはフィーリングでも聴けますが、確かにクラシックは知識がないと楽しみにくいですね。
「フィーリング」が音楽を純粋に楽しむことだと言われればそれまでですが。
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この回答へのお礼

再度のコメント,ありがとうございます。

「ものは言いよう」という「教訓」がありますが,そういったことを「忘れた」人々がクラシック音楽には多くいるのだと,そのように思いました。そして,痛感しました。

それは,まるで,「大きな,上から目線の態度」でもって,「これがクラシック音楽だ! 静かにして聴かないと,タダじゃおかないゾ!」といったような感じでしょう。

そうではなくて,「この曲の,こういうところを聴いてみませんか」という「柔和な態度」をとることが大切なのだと思います。そういった「態度」で,「ラヴェルのピアノ協奏曲の3楽章のところを聴いてみませんか,そして,そのあとにゴジラのテーマを聴いてください。」といったほうが良いのだと思います。

お礼日時:2013/03/02 00:54

1ですが、クラシックCDは1000円程度で出てるものが多くて安い印象があります。


通常より高音質のものは高かったりしますが。

クラシック音楽は、100年、200年、ものによっては300年以上前の音楽なので、現代人の心を掴むのはちょっと難しいと思います。
というのも、音楽は主に気分作り出すためのもので、多くのクラシックはそのための刺激が弱いうえに作り出される気分が現代人向けではないと感じるからです。
そのため、クラシック=退屈と感じるのだと思います。

あとは、クラシックは熱狂しにくいですね。
ポップスやロック、ヒップホップのライブ、クラブなどでは客が歌ったり叫んだり踊ったりしてますが、クラシックのコンサートは座って聴かなければなりません。
ファンが集まって一体感を得るというのが難しいと思います。

もちろん、クラシックに大きな感銘を受ける人はいると思いますが、クラシックがチャートに出てこない理由はこんなものではないでしょうか。

自分自身、大学でクラシックを演奏していたので色々とクラシックを聴きましたが、
入り口が無いとなかなか入りにくい音楽ではありますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

もしも,「熱狂的」なものをお聴きしたいということであれば,たとえば,ショスタコーヴィッチの交響曲4番などが良いでしょう。あるいは,プロコフィエフのピアノソナタ7番の3楽章などが良いとおもいます。スクリャービンのピアノソナタ5番とかは,いかがでしょうか?

さて,回答者さんは「入り口」について指摘されましたが,その問題意識は「最も大きな問題意識」だと思います。

ほかの音楽と比較すると,クラシック音楽は,「触れる機会」が少ないために,そういった「問題」をかかえていると思います。

お礼日時:2013/03/02 00:51

再度の投稿になりますが、内向的なファン以外での面について考えてみました。



曲の構成が大きい、複雑って言うのもあるかなと思います。

ポップスや流行歌のようなものの分かりやすさや一塊の短さを考えると。

コミックや短編集、薄いエッセイや小説。がJPOPだとすると
クラシック、特に交響曲や複数楽章による器楽曲、ピアノ曲は

壮大な分厚い、構成や伏線がたっぷりで哲学的な小説や
重いテーマを扱う三部作の入り組んだ映画みたいなところがあるんじゃないでしょうか。

新書や短編ぐらいなら読むけど、ドストエフスキーは疲れるからいやだ、っていうのに
ちょっと似てるかなと思います。

ハイライトや小曲集、テレビやドラマで使われるような曲の抜粋などは
楽しめる人もいるように
メロディそのものには魅力があるんじゃないかなぁと思います。
歌詞をつけてヒットさせる歌謡曲もありますし。

ただじっくりと聴くには長い。あちらからこちらからと音が掛け合い絡み合い…
というのが片手間に聴いたり、口ずさんだりするには向かないというか。

JPOPと違い、歌詞や背景も身近に手っ取り早くイメージしにくいというのもありますしね。
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この回答へのお礼

再度の回答,コメント,考察ありがとうございます。

クラシック音楽の,その「構成」については,いろいろと考えさせられるものがあると思います。「対位法」ひとつをとっても,その「構成」が非常に複雑なものになるときがあります。

それに拍車をかけるように,現代クラシック音楽においては,さらに,さまざまな「要素」を含ませるようになったので,それを理解することは,至難の業であると思われることもあるでしょう。

複雑な構成の音楽を聴くことも,それはそれで素晴らしいものだと思います。

しかしながら,「段階」が必要になると思います。つまり,これから初めてクラシック音楽を聴く人々のための「音楽」を紹介することです。それを「ステップ」に,クラシック音楽のもつさまざまな「可能性」について触れることができるようにすると良いと思います。

いきなり「春の祭典」を紹介するのではなく,「タイプライター」を紹介して,といった「やり方」が良い,ということだと思います。

お礼日時:2013/03/02 00:47

自分のイメージは大きく分けてこの二つでしょうか。




●中世ヨーロッパっぽさを味わいたいなら最高のジャンル。


クラシックは親から薦められたワケでもなく、小学生の頃たまたま『皇帝』第一楽章を聞いて、なんて魅力的なメロディなんだろうと電撃が走り、音楽にハマりました。
『予定調和』の最たるはクラシックであり、クラシックが一番分かりやすい音楽だと思ってました。
子供の頃は、巷に溢れてるJ-POPの方がメロディーも微妙だし、音もしょぼいし、歌声も全然凄くないものばかりで、J-POPのような全然凄くない音楽が何で人気が有るのか意味が分かりませんでした。
今思うと、自分が中世ヨーロッパの雰囲気が好きだから、クラシックの魅力が自然に理解出来、中世ヨーロッパっぽくないJ-POPに魅力を感じなかったのだと思います。
クラシックは中世ヨーロッパ風が好きにとって最高の音楽ですが、そうではない人にとって、クラシックはあまり価値の無い音楽ではないかと思います。



●クラシックに偏ってる人は、頭でっかちでプライドが高い残念な人が目立つ。


成長するにつれて、クラシックに排他的なイメージがあるのは、クラシックそのものよりも、クラシックファンに残念な人が目立つせいなのだなと思うようになりました。
自分が成長して感性が多様化し、クラシックだけではない色々な音楽を聴くようになり、クラシックに偏った日本の音楽教育に意見した所、クラシック原理主義者が噛み付いて来た事件があったのです。

原理主義者は『クラシックは現代の音楽の基礎であり、ポピュラーミュージックを全て内包しているのだからクラシックを学ぶのは当然』と主張していました。
あまりに現実とかけ離れた極論なので、色々素性を掘り出してみると(クラシックを中心とした)権威のある音楽書籍を沢山読んでいるという理由で音楽知識に自信がある方みたいでした。
しかし実際に好んで聴いているのはクラシックだけなので、クラシック以外の音楽知識にあまりに乏しく、クラシックの権威のある音楽書籍に書かれている事がこの世の音楽の全てであり、本に書かれていない事は事実ではないという、この上無いほど頭でっかちな世界観でした。
ケルト音楽を下手糞な演奏の劣化版クラシックと表現するなど、色々と残念な感性だなと思いましたが、意図としてはクラシックを神格化するために、他の音楽はクラシックよりも下位の音楽だと位置づけたいような心理が見え隠れしていました。

最終的には、ミニマルミュージックはアフリカ音楽とかから影響を受けてるじゃん、ポピュラーミュージックであるクラブミュージックの基礎は、別にクラシック界が作ったワケじゃないじゃんと突っ込んだ所、アキレス腱だったようで大人しくなりましたけど…。

クラシック以外にも色々なジャンルを聴く人は、クラシックの現代の音楽への貢献は大きいけど、あくまでジャンルの一部くらいの感覚だと思います。
しかしクラシックしか聴かない、魅力が分からないという人は、クラシックが音楽の中心であるという原理主義的思想は多かれ少なかれ持っていると思います。
その証拠に【現代音楽】は現代の音楽の意味と思いきや、現代のクラシックの事を指しますよね。
クラシック界の本音では、未だに自分らが音楽の代表だと思っているからです。
原理主義を持っているにせよ、他人にぶつけるかどうかはその人の性格次第ですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

クラシック音楽が好きな人々のなかには,いわゆる【内向き】な人々がいるという指摘は,そのとおりだと思います。そのせいか,わたし自身は,クラシック音楽は好きですが,そういった人々と【かかわらない】ようにしています。まるで,【鉄道マニア】のようなものだと,そのように考えています。

さらには,ほんとうにクラシック音楽が好きな人々であれば,音楽の多様性に心を開くことができるはずです。クラシック音楽という,ひとつの社会のなかのアスペクトにまなざしを向けることによって,人間社会のさまざまな【側面】を垣間見ることができた,興味深い回答内容でした。

お礼日時:2013/02/28 23:58

質問者様の1.お金、2.親しみ、はそれほど問題じゃないと思います。

一般的にも親しみありますしCDは安いです。

そもそも日本においてクラシックはジャズよりややメジャーだと思います。モロッコやパキスタンの民族音楽よりかなりメジャーです。ブルースよりも。ブルースファンよりも悲観することはないです。
ジャズと共通するのはヴォーカルがなく、1曲が長いことが多い。曲の構成が複雑で楽しみ方がわからない。曲が凄く古い。
しかしジャズはリズムがはっきりしているぶん若者に人気ありますし、黒人音楽の流れで遡って聞く人は多いですよね。

一番大きいのは、クラシックは学術的な楽しみ方ができないと楽しめないってのが大きいのではないでしょうか。
自分もNHKでやってた番組とかで作曲家の背景や、曲の構成を説明してくれて初めて楽しめました。
その分、さすがに奥は深いですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

回答者さんがおっしゃっていた点については,いわゆる「スーパー・ピアノ・レッスンの“功罪”」のうちの,「罪」の部分だとおもいます。

学術的な部分も,たしかに重要ではありますが,「純粋に音楽を楽しみたい」という,「アスペクト」があることを,見失ってしまった人々が多いことは,残念なことです。

お礼日時:2013/03/01 00:01

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