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このサイトに限らず、リアルでも、「ガラケー」を「スマートフォンじゃない携帯電話」のような意味で使っている人が非常に多いようです。
賢明な人なら、それが間違い(半分)であることにすぐに気づくはずです。

なぜ、このような勘違いをしている人が非常に多いのでしょうか?
私は、「ガラケー」という言葉の響きが「ガラクタ」を連想させるのと、現代は情報が氾濫しすぎていて、ネット等における他人の言葉の用法を鵜呑みにしてしまうアホな人が多いからだと思いますが、いかがでしょうか。

A 回答 (10件)

「ガラケー」と聞いただけで調べるまもなく、何のことか判断を強いられる場面が多いですね。


私も、「柄ケータイ?」と思ったこともあります。デコレーションしている人が多かったですからね。

正しい意味は今ググりましたが、ぱっと聞いて、ぱっと判断して、次に使う。
そのうちそっちが多数派になって意味が変わっちゃうことってありますよね。
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この回答へのお礼

確かにそういう場面はありますね。
つい最近のバラエティー番組で、今時の若い女の子なら知ってるであろうファッション用語を微妙な年頃の男性タレントが当てるというのがありましたが、身近な現実社会も似たようなものなのかも。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/04/09 22:05

ガラクタ携帯(スマホユーザーが卑下して言う)



と、ガラパゴス携帯の両方の説があります

本当は高機能で多機能すぎて特殊な例なんですけどね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/04/09 22:08

意味は時代と共に変化しますから..そんな例は一杯有ります



ご参考に
http://www.jyumpu.co.jp/club/hitorigoto200810.html
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この回答へのお礼

長い時間をかけて時代とともに変化した言葉ならばそれも納得なんですけどね。
ただ、ガラケーに関してはちょっと早とちりしすぎかな~と思いました。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/04/09 22:17

言いたいことはNo.3の方と同じですが、それは置いとくとしても。




別にいいんじゃないですか。日本で出回ってる海外メーカーの携帯と言えばスマートフォンばかりですし、それ以外の「日本メーカーの携帯」って言うと、どうしても「(高機能なものも含めて)スマートフォンではない携帯」のイメージが強い。日本メーカーのスマートフォンも「スマートフォン」って呼べばいいから、結局それを「ガラケー」なんて呼ぶ機会は無い。・・・世の中の流れに合わてなるべくしてなった、言葉の用法の自然な変化だと思いますけど。

 >「ガラケー」という言葉の響きが「ガラクタ」を連想させる
少なくとも自分はそう思ったこと一度もありませんでしたが。「ガラパゴス」って言葉の意味を考えていれば、おそらくそんな風には思わないです。mr_beefsteakさんはそこはあんまり考えていないようですね。


あなたは全ての言葉の本来の意味を完璧に使っている自信がありますか? あるとしたら、それは言語の本質を完全に無視した、「勘違い」です。
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この回答へのお礼

もちろん「ガラパゴス」については知っていますが、私は、言葉の意味を間違える原因として一番大きいのは、やはり言葉の響きではないかと推察したわけです。
全ての言葉を正確に使っている自信は無いです…。ただ、新しい言葉に関しては慎重に意味をや確かめてから使うようにしています。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/04/09 22:40

それを言ったら、スマートに使えない、スマートフォンはスマートフォンじゃないでしょう。


もともとスティーブジョブズがi Phoneをスマートに使える携帯として、Appleのスマートフォンi Phoneと打ち出したのを、操作性や形状をコピーした携帯をスマートフォンと通り名を付けてしまったもので、全然スマートで無いスマートフォンも数多くあります(やたらボタンが付いている)、本来はタブレット形状の携帯電話でタブレット携帯なのですが、そう考えればガラケーもいにがあるようなないような、Auのショップでガラケーの事を「パカパカ」と言う店員が居ました、一瞬「バカバカ」で聞こえたので何言っているだこいつは!!馬鹿にしているのかと思ったほどです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そう言えば、「スマートフォン」も定義がかなり曖昧ですね。

お礼日時:2013/04/14 22:41

そもそも「間違い(半分)である」というのが間違いです。



「ガラケー」の本来の意味は「ガラパゴス諸島における生態系のように、限定範囲(=日本国内)で独自の進化を遂げた携帯電話」です。
そしてそれは、ほぼ100%で「日本国内のフィーチャーフォン(スマートフォンでない高機能携帯電話)」と重なります。
フィーチャーフォンにもスマートフォンにも属さない、基本機能しか持たない携帯電話を「ベーシックフォン」などと言うようですが、日本にはこの分類に属する携帯電話機がほとんどありませんので、「フィーチャーフォン」=「ガラケー」と言って間違いはありません。

最近ではスマートフォンもガラケー的機能を搭載し独自の進化をしているので、広義には「ガラケー」に含まれるかもしれませんが、これは別に「ガラスマ」という言葉が作られ「ガラケー」とは区別されています。
どっちが一般的かと言われれば、ガラケーにガラスマを含めないほうが一般的、ということになります。

ということで、勘違いしているのは残念ながら質問者さんの方ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、そうなると、画面にタッチパネル機能がついていて、Androidを搭載している従来型(パカパカ)の携帯電話や、一見スマホだけどモニタをスライドさせると従来型のボタンが出て来て、機能も従来型からかなり受継いでるタイプや、らくらくホンのスマホバージョンは「ガラケー」なのか「スマホ」なのか「ガラスマ」なのかわからなくなりますね。
また、他の回答者さんも言っているとおり、「スマートフォン」自体もなんだか曖昧な言葉だし、そもそも、「スマホ」も「携帯電話(ケー)」の一種ですよね。

なので、いろんな意味で「半分」間違いであると思うんですが。

お礼日時:2013/04/14 23:01

日本ではスマートフォンですらガラパゴス化しているんですよ



海外のスマートフォンの機能性の低さに我慢できないのでしょう。日本人の性だと思います。
ガラパゴス化が必ずしも悪いことではありません。何故、低いスキルやモラルに合わせる必要があるのですか

と言うようなこともわからない人間がガラパゴス化という言葉をつかっているのでしょうね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

良いか悪いかは置いといて、日本人の思想自体がガラパゴスと言えるのかも知れません。

お礼日時:2013/04/14 23:04

>賢明な人なら、それが間違い(半分)であることにすぐに気づくはずです。



「ガラケー」は他の回答にある通り「日本独自に進化した携帯電話」です。

日本では「スマートフォンじゃない携帯電話」は「事実上、ガラパゴス化した携帯のみ」なので、日本国内で「ガラケー」を「スマートフォンじゃない携帯電話」として使うのは、間違いではありません。

それに「言語は生きていて、常に変化する」ので、例え「語源は、スマートフォンじゃない携帯電話ではない」としても、過半数以上の日本人に通じるようになった時点で「正しい」と言えます。

「10000人中、質問者さん以外の9999人に通じる」のであれば、例え、語源が間違っているとしても「言葉として正しい」のです。

そして「数の暴力」により「間違いだ」と唱える質問者さんは「お前の方が間違っている」呼ばわりされます。恐ろしいですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、言葉の正否はともかく、多数派の意味が「正しい」とされることはありますね。そうやっていろいろな言葉が変化していくことは悪い事だとは思いません。ただ、あまりに安直に使ってるな~と感じた次第です。

お礼日時:2013/04/14 23:08

何でこんなつまらないことに目くじら立てる人が、本来なら「ガラパゴス携帯」=「ガラケイ」なのに「ガラケー」で納得していられるんでしょう?



ガラケーの意味が違ってきているのも、発音が「ガラケー」で浸透しているのも、同じレベルの話かと思いますが。

「現代は情報が氾濫しすぎていて、ネット等における他人の言葉の用法を鵜呑みにしてしまうアホな人が多い」中のお一人さん?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なぜかと言うと、それ言い出したらキリが無いからです。
「スマホ」じゃなくて「スマフォ」だろとか。和製英語なんてツッコミどころだらけですよね。

なので、今回はカタカナ表記のしかたではなく意味について質問したわけです。

お礼日時:2013/04/14 23:28

あほな人が多いからではなく、言葉の意味とは本来そういうものなのです。



あなたも自分の使っている言葉の意味をすべて辞書で調べて正しく使っているわけではないでしょう。周りの使い方から学んで適当に使っているはずです。

ですから、地域や時代によって、本来の意味から外れてまるっきり逆の意味になることもしばしばです。

たとえば『情けは人のためならず』などは、若い人のほとんどは、、、人に情けをかけると本人のためにならない、、、

と解釈していますが、本来は、、、他人に情けをかけておけば、周り回って自分によい事が回ってくる、、、という意味です。

また、、多少、、といえば、『少ない』ことになりますが、昔は『沢山』の意味でした。キサマという言い方も相手に対する丁寧な言葉でしたが、今では逆です。

このように言葉は、自然に変化して沢山の人が使っている意味が、もともとの意味とは違っていくものです。

あほが多いとかではありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

同様の回答が多いのには驚きました。

他のお礼にも書かせていただきましたが、もちろん、時代や伝播とともに言葉が変化するという例が多い事は存じ上げております。
そうした言葉は、人と人が文書と口頭で伝え合った結果、何十年、ものによっては何百年もかけて少しずつ変化していったわけです。
そこで、このような質問もしてみたわけですが、(→http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8035691.html)それらの歴史ある言葉と、つい最近できた言葉では位置づけがちょっと違うような気もします。

お礼日時:2013/04/14 23:40

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