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40代後半の男です。

この年齢になると体の衰えを強く感じますし、同世代では病気で亡くなる人もいますし、両親も余り長く生きることが出来ないだろうし、死に関して身近に感じる年齢になりました。

正直に言って今が一番、死に対して恐怖心が有ります。

死に対する恐怖心を和らげることは出来ないでしょうか?

死が近くなる高齢者は、年齢を重ねる毎に死の恐怖心が薄くなっていくのでしょうか?

A 回答 (9件)

66歳、男子。

死を意識しながらも、日常的には元気に暮らしている者です。

他の回答者の方々の意見を拝読しながら、この一義的な出来事にこれほどいろんな考え方があるのに、驚いています。

自分が思うには、「死への恐怖=忌避すべき最大のもの」という意識は本能の一部だと思っています。この本能があるために人類は種(しゅ)として存在しているのは明白です。種の存続のため、個は死を回避する最大の努力を強いられ、苦しみながらも存続しなければならないという宿命を背負っているものだと思っています。

死を回避する個の努力がなかったら、とうの昔に人類は地球上から消滅していまっているでしょう。

誰にとっても死への恐怖はあるものだし、恐怖心があってこそ人間として正常だと思います。死への恐怖心をなくす現象として「ボケる」という生理現象がありますが、そのような死に準ずる状態も忌避するのも本能的なものだと思います。

並行して自殺という行為に就いて考えます。これは個が種に対しての主張だと思っています。個にとって生きることが余りに苦痛である場合、種の意志に対して個が主張し、反抗できる唯一の手段であるのです。多分、他の種にはない行為だと思います。人間に与えられた最終的な「権利」ということになります。

老齢化すると、肉体的に衰え、生きていることに苦痛を覚えるようになった時、生への執着心が薄れれば、死への恐怖も多少相殺されるかも知れません。 それでも人間としての理性がある限り、死への恐怖心はなくならないものだと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/23 05:10

人間、金持ちも貧しい人も、全員、いつかは亡くなるんです。


あなたもこの半生、身近な人、若くして亡くなられた方、
見てきたんでしょ。

いつか来るエンディング、まだまだ先かも知れませんし、
いきなり明日訪れるかもしれません。

いつ来るかわからないものに怯えるよりも、
いつ来てもいいように今を生きてください。
一日一日、悔いのないように過ごしてください。
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頓智で有名な一休和尚も死の間際に発した言葉は「死にとうない」だったそうですよ。


私も40代後半の女ですが、進行性の病に罹患し、今は車椅子生活です。
私の場合、先に脳みそが正常に働かなくなるので「死」そのものを実感することなく旅立ちそうです。
勿論怖いですよ、自分を失ってしまう日が死より先に訪れるのですから。
死の間際まで意識があるのとどっちが良いかと尋ねられたら、絶対に間際まで意識がある方が良いと答えます。
最後まで意識があることは自分にとっては残酷でしょうが、残された者の気持ちを考慮すれば切実だと思うからです。
私は既に両親を見送っています。
残った家族が後悔の念に苛まれる姿を嫌というほど見てきました。
なので私は自分の余命が分った時に考えたのです。
死ぬのは私だけど、自分の死を家族に引きずらせないようにしておこうと。
遺言書も作成し終え、戒名も頂いています。
エンディングノートに重要なことは記載済みです。
だからもういつ最後が訪れても怖くないんです。
本当ですよ。
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お早う御座います。



>死に対する恐怖心を和らげることは出来ないでしょうか?

「死は、絶対に避ける事が出来ないもの」。
こう考えて、
★「どこまで死と向き合って行けるか」
★「どこまで死を受け入れる覚悟を作れるか」
の2点。
★印の2点は、どちらも「心構え」ですよね?。
この「心構え」を築いて行けるか、行けないか、だと思います。
でも、いずれ「崖から落ちる」と解っていたのなら、崖の高さを見たり、落ちる時期を計ったり、落ちる覚悟を決める、なんて事も「不可能」では無いと思います。
自ら崖に飛び込むって意味では有りません。

「死を恐怖する」。
その一因は、「死に対しての無知」が有ると思います。
「死ねば、全てが無に帰してしまう」
「死んでしまえば、どうなるか解らない・・・」
不安要素が多くて恐怖を覚えるのだと思います。
どう足掻いてみたって「決して避けられない」事も恐怖の元ですしねえ・・・。

>死が近くなる高齢者は、年齢を重ねる毎に死の恐怖心が薄くなっていくのでしょうか?

全員が全員、そうでは無いと思いますけど、「死を受け入れる覚悟は、幾分出来てくる」。
そう思います。
先ほどの「崖の例え」じゃ有りませんけど、「体力」の有る若い人は、「避けられない」と解っていても、
「いや、俺の体力なら、崖に落ちない方法がある」
と、死への抵抗を試みるかも知れません。
高齢者は、体力も気力も衰える。
「恐怖が薄れる」のでは無くて、「諦めの境地」に移行して来るのでは?。

私の親父は、今年でちょうど「90歳」の高齢者ですが、以前に口にした事があります。
『もう、90近くまで生きたんだから、いつ【お迎え】が来てもいいだろ・・・。
しかし、婆さん(妻)よりは、先に逝きたいな・・・。
もう少し【焼酎】を飲んでから死にたいな・・・』

つまり、90歳まで生きても「生きる意欲」が十二分に有る訳です。
裏を返せば、
「まだ、死にたくない」
と言ってるようなモノですね。
口にこそ出さないダケで、高齢者と言えども「死の恐怖」は「有る」と、自分は推察致します。
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”死に対する恐怖心を和らげることは出来ないでしょうか”


    ↑
これは無理だと思います。
昔の武士は、恐怖心を麻痺させる訓練をしていました。
子供の頃から、真夜中の刑場に出向き、さらしてある首を
持ってかえるとか、墓から刑死した死体を掘り起こして
刀で斬りつけるとか、の訓練をして麻痺させていました。
現代でもCIAなどでは、残酷なビデオを見せて麻痺させる
訓練をしているそうです。
こんなこと、普通の人間には無理です。

”死が近くなる高齢者は、年齢を重ねる毎に死の恐怖心が薄くなっていくのでしょうか”
    ↑
逆ではないでしょうか。
それだけ死を身近に感じるようになるので、
恐怖心が濃くなって行くと思います。
若いときは死は遠い彼方の問題です。
それになにより、若いときは血気盛んです。
怖い物などありません。

新選組最強の剣客の一人である「永倉新八」も
次のように言っています。
若くいけいけの時は、怖い物なんか無かった。
斬り合いも怖くなかった。
しかし、戦争に負けて逃げ回っているときは
怖かった。
あれほど修羅場をくぐり抜けてきたのに、人間なんて
弱いものだ。
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じじいです。



>この年齢になると体の衰えを強く感じますし、

それは、あなたが若い頃のように体を使わなくなったせいで筋肉が衰えたので

年のせいではありません。

>正直に言って今が一番、死に対して恐怖心が有ります。

それは、あなたがまだ充分若いが、その割には日頃から筋肉を使っていないので

体が衰えているからでしょう。

>死が近くなる高齢者は、年齢を重ねる毎に死の恐怖心が薄くなっていくのでしょうか?

恐怖心が薄くなっていく訳ではありませんが、死を受け入れる準備が出来てきます。

>死に対する恐怖心を和らげることは出来ないでしょうか?

提案1: 宗教にのめり込み狂信する。

提案2: 人間の肉体は、そう簡単には死なないけれど、いとも呆気なく死んでしまう。

その臨界線を知れば、死の恐怖は乗り越えられますね。

そこは、死のギリギリの瀬戸際ですからね。

生きて死の淵を覗く訳です。

提案3: 体を鍛える。
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「死の恐怖の克服」というのは、人間として生まれてきた者の、「最大の課題」であり、かつ「永遠の課題」かも知れませんね。

人間以外の高等動物の「死の恐怖」というのは、おそらく「本能」だろうと思います。本能的に「死」を察知できないと生きていけないからです。下等動物には「死」を意識するまでの能力が備わっていないと想像します。植物にも、生息環境が悪化すると、「繁殖反応」が現れますが、これは「死の恐怖」ではない……植物は思考しないということが前提……と推察します。人間だけが、「本能」ではなく、「意識」として、持つもののような気がします。つらいですね。

 「死に関して身近に感じる年齢になりました。」……私も60代ですが、まったくそのとおりですね。(*^_^*)最も四六時中考えていたら、ノイローゼになり、それこそ生きていけませんが。(*^_^*)

 しかし、すべての人間が死の恐怖を味わうわけでもないような気がします。不幸にして、1~3歳くらいで亡くなってしまう赤ちゃんや幼児は「死の恐怖」を味わうことはないのではないかと想像しています。それは「死」というものを知らないか、あるいは意識できないからです。抽象的なことを「意識」できるようになってから生まれる1種の感情だと推察します。

 「死に対する恐怖心を和らげることは出来ないでしょうか?」……私も、教えて欲しいくらいです。(*^_^*)普段は、忙しいので、「死」のことなんか考えませんが、夜、布団に入ると、ふっと、死ぬ時に「死にたくない」って叫んで、医者にしがみつくのではないか?という不安がよぎります。どうすれば良いのか???私は、やはり「悔い」の残らない、あるいは「悔い」を残しても、極力「悔い」を少なくするような人生を歩んでいくことが大切だろうなぁ、と考えるようになりました。そのためには、何をやっても良いということでもありませんし、また何でもできるということでもありませんが、自分に与えられた人生の条件の中で、最大限一生懸命生きていくということではないでしょうか?それと、自分だけでなく、自分のできる力で、家族を幸せにしてやるということではないでしょうか?今は、そのことにも心がけようと考えています。

 「死が近くなる高齢者は、年齢を重ねる毎に死の恐怖心が薄くなっていくのでしょうか?」……おおむね、そんな傾向はあるかも知れませんが、すべての人に当てはまるわけでもないような気がします。私も、いろいろな「死」を見てきましたが、いろいろですね。そんなに長くなくても、この人は「死の恐怖」というものをまったく感じていないのではないかというふうに……あくまでも、私の印象ですが……感じられる人もいました。その人なりに幸せだったのだろうと思います。だから、「克服は可能」と信じて、今は「悔い」の残らない人生を歩むこと、家族を幸せにすることに一生懸命です。(*^_^*)

 本当は、「死の恐怖」におびえながら「死」を迎えるよりも、いきなり、ぽっくりと逝くのが一番望ましいのですが。(*^_^*)
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こんにちは



わたしは死後の世界について興味がありいくつかの説を読みました。
臨死体験者の話もとても好きです。

人の言うことを鵜呑みにするのではなく、自分の心の奥で信じられそうなことを信じます。
なので、死後の人生について、こうではないかなと自分で信じるものがあります。

死後について、考えることすら避けていませんか。
ご自分で具体的なイメージをもたれると気持ちも変わるかも知れません。
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ご質問者様こんばんは。



死の恐怖を克服する方法は生きている限りは持ち得ません。死というよりも「恐怖」の克服ですね。人間にとっての死というものは常に他の誰かのものであって、自分自身が死を経験することは無いのです。自分の死であっても、自分で経験することは出来ませんね。死んでしまっているのですから。

また、「恐怖」というものは人間にとって生きる上で重要な本能であり、欲望であり、無くてはならないものです。恐怖は多様な欲望の一側面です。ジェットコースターにお金を出して乗るのは、恐怖という欲望を満たす為ですね。他の本能が無くならないのと同様に、恐怖は無くなりません。

死を語る時、よく例え話に出されるのが渚に打ち寄せる波のお話しですね。打ち寄せる波は一瞬に形を作りそして消えて行く。この波になった瞬間を人間の生命に例えているのです。そして瞬間、瞬間に波は作られまた消えて行く。しかし、「消えた」と見えるのは錯覚なんですね。波になったものは海に戻った「だけ」なのですから。

私たちも死んで消えるのでは無くて、死んで戻って行く存在なのかもしれません。死はその機会を私たちに与えてくれているのだと思えば、別に死は私たちの敵では無いのだと不思議と思えて来ますね。

戻るところが「ある」ということが、全ての生き物に平等に与えられているというのは、本当に素晴らしいことであるし、最大の救いではないでしょうか?

恐怖が無ければ、人間は直ぐに死を選ぶかもしれませんし、自然の法則に従えば恐怖無き者は淘汰されて行く運命にあると思います。恐怖は重要です。死は私には訪れない(経験することが無い)ものなので、そもそも克服する前提には無いのかもしれませんね(^-^)

ご参考になれたら幸いです。
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