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2ヶ月前に突然夫がくも膜下出血で倒れ、入院しました。主治医からは、かなりの重症で、覚悟を要する様に言われました。が、夫は奇跡的な回復によって、退院も出来ました。しかし、一つ大きな問題があり、動脈瘤が破裂した時に、眼球の裏へ出血が付き、硝子体出血になり、両目が見えません。正確に言うと、目に映る物が錯覚的で、幻覚の様に見えます。手術という手もありますが、本人はもう、手術はしなたくないし、入院も懲り懲りしており、内服薬で、長期に渡り治す選択をしています。が、やはり、見えない毎日を送るのは、精神的にとても辛い事だと思います。少しでも、大切な夫を癒す為に、共感や励まし、不安や孤独感等のメンタル的な事をどう乗り越えて行けば良いのか、毎日色々と思案しております。私も実は鬱病の重症者ではありますが、妻であるからこそ何か出来る事があると思います。
参考にしたいと思いますので、良き提案等教えて頂ければ幸いです。

A 回答 (2件)

とても辛い状況ですね・・・。


私も血圧が高い人間であり、脳の血管系で肉親を亡くしているので他人事ではないなと思っています。

質問者様の旦那様の状況は、本人も現状を受け入れるまで非常に大変であり時間を要すると思います。
そういう中で家族である質問者様としては、出来る限りの身の回りのお世話をするしかないのかなと思います。

ただ、それだけではお互い気晴らしも出来ないでしょうから
視覚にとらわれない共通の趣味を持つというのはどうでしょうか。

うち夫婦はジャズの演奏をよく聴きにいくんですが、非常に心を癒やされる想いがします。
音楽を聴く事でしたら目に関係なく行く事も出来るでしょうし
少しでもお互いの現状から一旦離れて別世界の感覚を感じる事が良い気晴らしになると思うんです。

非常に大変な状況だとは思いますが、応援しています。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ございません。音楽は、夫、娘(17)、私共にラルクが大好きで、よく聴きます。が、やはり、それだけだと目が見えない現実に不安や孤独感を埋められないのだと思います。突然見えた筈の視力を失ったので、たとえ回復の見込みがあるとしても、ショックと絶望感は大きいと思います。ご丁寧な提案をして頂き、とても有り難く思っておりますが、もし、他に思案があれば、宜しくお願い致します。図々しい様で、誠に申し訳ございません。

お礼日時:2013/05/07 08:40

マザー・テレサって方がいらっしゃいましてね。

まあ名前くらいはご存知だと思います。

この方、インドの最下層や貧しい人たちが病気などでも道端に捨てられるようにみすぼらしく死んでいくのに心を痛めて、いわゆるホスピスを作ったのです。だけどそういうところに運ばれてくる人たちはお金もないし治療なんか受けていないからもう運ばれてきたところでどうしようもない。ただただ、死ぬのを待つばかりです。
マザー・テレサはただひたすらにそんな人たちの手を握りそばにいて、「あなたは見捨てられてはいない」と語り続けていたのです。聖書に「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という一文があるのですが、それを実践し続けたのです。

だけど彼女の人生はバッシングの人生でもありました。なにしろ彼女の活動拠点はインド。キリスト教国ではありません。キリスト教国の人々からは「なぜ異教徒にする。キリスト教徒でも同じ境遇の人たちはいっぱいいるのに」といわれ、インドの人たちからは「そうやってキリスト教を普及させようと目論んでいるのだろう」といわれました。
特に、なんだかんだでただ死ぬ人たちのそばにいるだけなので、「結局助からない」「無力」「自己満足の偽善者」とありとあらゆる罵声を浴びせられ、ときに命の危険にもさらされました。
でも、マザー・テレサさんの信念は死ぬまでゆらぐことはありませんでした。彼女は自身が亡くなるまで、貧しい人、見捨てられた人たちのそばに居続けたのです。

そうそう、そういえば同じくキリスト教徒だった遠藤周作さんのエッセイでこんな話がありました。
遠藤さんが手術が必要な病気にかかり入院したとき、同じ病院の別室にかなりの重症の患者さんがいたそうです。その人はもう末期に近い状態で、麻酔もあまり使いすぎてはいけないということで、夜中になるとその痛みからくるうなり声が遠藤さんの病室にも聞こえてきたそうです。
で、看護師さんに「麻酔も使えない患者が痛がっているときはどうするのか」と聞いたそうです。返ってきた答えは、「ただひたすらに手を握る」だったのだそうです。
それを聞いたとき、遠藤さんは「なんと無力な」とがっかりしたそうです。だけど、自分がいざ手術をして麻酔しているにも関わらず痛くて痛くてしょうがなかったときに、看護師さんが手を握ってくれたら、すーっと楽になったそうです。
実は私も若い頃にちょいと病気をこじらして手術をしたことがあり、その日の夜は40度の高熱と手術と麻酔で朦朧となっていたのですが、そのとき看護師さんが手を握ってくれましてね。思わず握り返した記憶があります。

私たちはマザー・テレサさんのように万人を愛することはできませんが、自分にとって大切な人のそばに居続けることくらいはできそうです。ご主人の手を握り、ご主人が喜ぶときには共に喜び、ご主人が泣くときは共に泣けばそれでいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

とても感動的なお話を有難うございます。私は、個人的には、マザーテレサさんのような活動をされる方を尊敬します。実は今日、退院後の初めての通院でしたが、術後に脳梗塞が発見され、現在は傷として脳内に残り、左側手足が痺れている状態です。夫はその先生の告知にショックを受け、生きる気力も以前より失っている様です。夫婦とは、楽しみ2倍、悲しみ1/2と私は思っております。が、それは私の思考であり、夫の思考ではないのでしょう。手を握る事は、数知れず致して来ました。ですが、気持ちは落ち着かない様です。私を信頼は凄くしてくれていますが、多分今は自分自身のマイナスな思考回路に勝てないのだと思います。良いお話をして頂きましたが、今は見守るだけなのかもしれません…。有難うございました。

お礼日時:2013/05/08 15:01

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