「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

知行国制が始まった「背景」について、 山川の教科書の欄外には「貴族の俸禄支給が有名無実化」とある のですが、どういうことでしょうか?貴族が俸禄をもらうってのがどういう意味をもつのかがわかりません。

似たような質問があったのですがそれではいまいち理解できなかったので教えてください!

A 回答 (4件)

 夜分遅くに失礼します。

No.2です。前回の補足並びに新たに書き込まれた俗説に対する全面反論を行います。
先ずは補足からです。
 前回は「律令制的土地支配(国家的土地所有)」から「私的土地所有としての『荘園公領制』」への移行と展開に関して少しばかりのお話しをしましたが、この中世的土地所有の背景にあるのが「職の体系」と呼ばれるヒエラルヒッシュな権力構造ともう一つ、それを支えるための中世的秩序の構築の関係があります。
 「職の体系」とはザックリといえば、荘園支配における職務上の権力およびそれに対する見返りといえます。荘園にも「本家職」「在家職」「預所職」など様々な職権が発生します。
 そして、こうした在地の経済力および組織編成能力を背景とし、武士なる存在が登場する。いってみれば新興勢力ですが、当初の律令的構造からすれば、国家による人民の直接支配が基本構造ですから、その様な存在は「ありえない存在」ともなるはずです。
 そして本題の「俸禄」の問題ですが、これは古代律令制下における口分田の意味を考える時、「輸租田」と「不輸租田」があったことを思い出して下さい。
 この「不輸租田」には「位田」「神田」「寺田」「職田」等々が含まれ、国家による俸禄とはこうした田地の給付を意味します。
 そして昨日の種明かしをしますと、律令に基づく「貴族の定義」とは位階制に基づく「五位以上の身分の者」を一般的には指しますが、このうち「純然たる貴族」と呼ばれる之は「三位以上」のみであり、それ以下の四位および五位の者を「通貴」と呼びます。そして先程の職田が支給されるのはこの貴族(上級官人)であり、先程の不輸租田としての「職田」輸祖田としての「位田」「功田」「賜田」と封戸(ふこ)食封(じきふ)などと呼ばれる使用人と彼等に給付される田畑です。給付されるのは口分田ですから、そこからは祖・庸・調を納めねばなりませんが、この食封に関しては「租に関しては納税額の半分」「調・庸に関しては全て」を「給付された貴族」が「権利として受け取ってもよい」ことになっています。
 ここでポイントとなるのは「官位としての貴族の意味」です。もちろん武家は最初から想定外の存在でしたから、その実力はあるものの彼等の地位を保証するバックボーンはどこにもありません。実権はあっても「それを裏付けるだけの根拠」も必要です。そのため、彼等も「朝廷内での地位」を求める必要があった。そうでなければ、関東御教書などの文書を発給することもできないことになります。権力装置を権力装置たらしめるために、裏付けとなる「権威」が必要だった、との結論になります。
 こうした武家と公家のもたれ合いを公武の相克関係などと呼ぶ研究者もいます。長くなりましたので、続きはまた後日にします。
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荘園を一生懸命で守ってた地侍が武士政権を打ち立てた≒公家.神社.寺の今迄贅沢に生活出来たその荘園制度が崩れたが本質じゃナイカな。



今で言う拠徳権益が天皇.公家の下で用心棒扱い階級の武装集団が政権打ち立てたんですから、現代用語では革命です鎌倉武士政権は公家と言う貴族階級が喰いプチ消滅の危機に有ったが妥当かと、それから天皇.公家の地位が相対的に低下して行って又返って来たのは明治維新と言う構図です、南朝北朝天皇すり替え説が今はもう定説かと思いますが、要するに江戸末期の天皇と明治天皇は何百年も遡らなければ血の繫がりが無いというオチです、この工作をしたのが今で言う山口県人です、伊藤博文等一味が大事にその日の為に大事にして来た一家の長男に白羽の矢を立てたそのお方が誰有ろう後の明治天皇です、高橋五郎著で、天皇の金塊-暗号名百合の花で書いてます。
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 この問題には二つの支配構造が関わっています。

前提として「公家」と「武家」を先ずは識別します。
「公家」の地位及び身分を保障する規定は「律令」であることは明白ですが、「武家」に関する規定は律令にはありません。何となれば「彼等は律令からすれば想定外の存在」だからといえます。
 律令に基づく全国統治システムが崩壊し始めるのは既に8世紀であり、それが顕著な形になるのは9世紀から10世紀の話になります。この段階で登場するのが、例の「荘園公領制」であり、当初の国家的土地所有から私的土地所有への移行も明確になります。
 律令に基づき、地方の土地所有および権利に関する管理を職務として中央から派遣されるのが国司ですが、実際には彼等は遙任の形で在地の土豪や地侍に全てを委ね、直接に手出しをすることなど稀です。それほどに原則自体が揺らいでいたことを先ず思い出してみて下さい。
 「貴族」を律令に基づいて規定するなら、その条件および特権に関して何がありましたか?。データとして憶えるあなた方なら得意なはずです。
 けれども僕ら大学で歴史学に携わる者の立場からすれば、それはストライク・アウトとなります。何となれば「意味を理解できていないから」との説明に行き着くからでもある。
 「貴族とは何であるか」はテキストにも記されているはずです。それを見落としているから、この様な基本的な問題に引っかかってしまう。答えを示すことは簡単ですが、もう一度「よ~く教科書や参考書・用語集」の街頭ページをめくってみてください。自分でわからない事を質問する前に、自分で調べてみてから質問する事が大切です。
 もし、お訊きになりたいことがありましたら補足してください。
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俸禄は国家公務員の給料といったほどの意味。

もう税金が集まらなくなっていて給料を払えないから、自分で知行国から徴収してきてくださいねってこと。それが知行国制。この時代には公式に制度が変更されたというのでなくて、なし崩し的に新しい形態が既成事実化していくといったことです。

貴族だって霞を食べて生きてきた訳じゃないから、どうやって収入を確保してきたかに関心を持ってもらいたいのです。

その知行国制も武士の時代になると段々と有名無実化していくのですがね。時代の流れに乗って、新しい仕組みを編み出して収入を確保しないと没落してしまうわけです。その新しい仕組みを現代の歴史家が勝手に命名しているだけなんです。
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この回答へのお礼

あーなるほど!点と点が繋がった気がします。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/07/15 15:24

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