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こんにちは。とても疑問に思ったことがあり、その理由を知りたくて投稿しました。

下記のURLに、明治32年~平成12年までの、月別に見た出生率をまとめたグラフがあるのですが、
これを見ると、昔(特に昭和25年くらいまで)は、1-3月に生まれた方が圧倒的に多いです。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/to …

なぜだろうと調べてみるのですが、なかなか見つからず・・・
でもこれだけはっきり出ているので、何か理由があるんだと思いました。

平成になってからは、月ごとで日数が違うので、1日あたりに換算すると、
どの月もほぼ同じくらいだそうです。

なぜここまで違うのか、
ご存知の方、また「こうじゃないか」という仮説のある方がいましたら、教えていただけますか??

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A 回答 (6件)

人間にも発情期があるという指摘があり、それが初夏と冬だそうです。

ですから、初夏に仕込めば生まれるのは2-3月と言うことになります。

また、自然に従って冷暖房を使わずに育てる場合、これから気温が上がっていく時期に生んだ方が安善というのもあります。最近はわかりませんが、昭和40年代くらいだと、暑くて死ぬより寒くて死ぬ方が多いでしょうからね。
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農業国のパラグアイ月別の出生データが、戦前の日本と同じで、1月から3月の出生率が高い状態であるという報告があります。



http://www.tamatele.ne.jp/~yoshi_takeda/seto-rei …
http://www.tamatele.ne.jp/~yoshi_takeda/para.htm

農繁期と月別出生数に因果関係があるのは確かだとは思います。
妊婦でも嫁は農家の働き手ですから、農繁期時期の流早死産も多かったという事実もあります。
田んぼで子供を産み落とすなんてことも、今の年配者っでも経験している人もいるでしょう。
戦前は産院で子供を産むのではなく自宅出産が当たり前でしたし、妊産婦死亡率、乳児死亡率も高かったというもの関係があるかと思います。

ましてや産めよ増やせよの時代に、計画妊娠、計画出産はないでしょうし、避妊に関する知識も低かったでしょうし、妊娠していなければ、妊娠するのが嫁の務めの時代だったはずです。
早生まれが良いから調整するというのは12月終わりに生まれた子供の出生届を、1月生まれとして出すということは行われてはいましたが、それだけで極端に出生率に差が出るとは思えません。
丙午生まれを避ける為に、計画妊娠ではなく、昔は生まれたて来た子供を殺すことまでしていたのですから、やはり時代は多死多産だったということだと思います。

昭和40年代は農業の機械化が進んだ時期とも重なりますし、高度成長期という時期にも重なります。
家族計画という言葉が出始めたのも、この頃からです。
その時代の流早死産率が分かれば、その辺りがはっきりしてくる気がします。
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 おそらく、昔は、1月~3月生まれ(正確には4月1日生まれまで)の、いわゆる早生まれのほうがよいという、誤った認識があったからです。


 その理由は、No2の方の回答にあるように、「数え年」の考え方。
 数え年だと、元旦を迎えるたびに、1歳年を取ります。
 この考え方だと、12月31日生まれの方は、生まれた日の翌日、すなわち元旦には、数え年で2歳になります。すなわち、12月生まれの方は、数え年=満年齢+2の期間が、長いということになります。
 反対に、1月生まれだと、数え年=満年齢+1の期間が長いため、若いほうが喜ばれたわけです。
 昔は、早生まれの別名を、数え年7歳で小学校に入学するため「7つ行き」とも言いました。
 4月2日~12月31日生まれの「遅生まれ」だと、小学校入学時には、数え年で8歳になります。
 また、昔は、平均寿命も、今のように長くなかったので、少しでも若いほうがよいという考え方もあったものと思われます。
 しかし今は、昔と全く時代が異なります。
 先日は、参議院選挙がありましたが、選挙権は満20歳以上、飲酒が許されるのも満20歳以上、運転免許は満18歳以上と、年齢制限がある事項が、実に多くあります。
 私も早生まれのため、同級生の大半が選挙権を得ているのに、私はまだ得られず、大変悔しい思いをした記憶があります。
 そのため、私は、選挙権が与えられた後の選挙で、一度も棄権したことがありません。
 やっと得ることができた選挙権という思いが強いためです。
 今の制度だと、どうしても、4月5月生まれが得、早生まれは損ということが否めません。
 これから母親となられる方は、ぜひとも4月5月に出産していただきたいと願います。
 早生まれだと、子供さんから恨まれることになりかねません。
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夏に発情する人が多かったのです。



盆と正月に集中しているので、1月と3月に集中する傾向だと思います。
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昔は人の年齢は数え年で数えていました。


1月1日が来ると一つ年をとるので、年の後半に生まれた子はすぐに年をとりますが、1月から3月生まれの子は早生まれと言って、同じ学年の同級生と比べて1つ若いのです。
多分この辺から来ているのではないのでしょうか。
ちなみに昔は年末に生まれた子は誕生日を1月1日に適当に変えて登録した人はかなりいました。
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農村の一大イベントである田植えと収穫をこなしながら出産できるのは1月~3月までしかありません。


それ以外の時期に出産する場合は、田植えや収穫に参加できないのでかなり責められたようです。
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Q1月1日生まれの人が一番多いって本当?

20年ほど前、僕がまだ小学生だったころ、日本では1月1日生まれの人が一番多いって話を聞きました。

理由は、「縁起が良いので、前後の近い日に生まれた家の人が1月1日生まれってことで届け出たから」ということでした。

特に高年齢の人たちは自宅で出産しているのがほとんどだし、そんな調整も出来たかもしれないかなと思いますが・・・

本当なんでしょうか?

誕生日別の人口統計資料(ホームページ上で)を探してます。
ご存知の方教えてください。

ちなみに、何月生まれの人が一番多いのでしょうか?

Aベストアンサー

以前、ある会社での人事の仕事に携わる機会があったのですが、
その会社の社員1万人を誕生日別に集計してみたら
確かに1月1日生まれが一番多かったです。
具体的に何人だったかは忘れましたが…
狭い範囲内でのことなので、偶然かもしれませんけれどもね。
あまり参考にならなくてすみません。

Qなぜ中国は人口が多いのですか?

数千年前に急激に増えたのでしょうか?
SEXの好きな民族だったのでしょうか?

Aベストアンサー

 
  基本的に幾つかの理由が輻輳しています。
 
  1)まず、中国は、黄河・揚子江を擁し、肥沃な大平野があり、古来より、麦・米の栽培による灌漑農耕があり、「四大文明」の一つだともされています。二千年乃至三千年以前から、肥沃な土地にあって農業を営み、養える人口が、他の地域よりも多く、結果的に、古代から人口過剰になっており、農耕地をどんどん拡大し、揚子江南岸の三国志時代の呉などの地域は、あまり農業生産性が高くなかったのですが、ここも農耕地に変え、食料生産能力を高度に上昇させました。そのため、古代、二千年とか辺りからすでに人口問題があり、周期的な大戦争や天災で、死んだり、餓死したりで、人口調整がなされていたとも云えます。つまり、昔から、中国は人口が多かったのです。人口密度も高かったのです。
 
  2)上の周期的な人口減少があるということは、それを回復するための努力や、また自然に回復する理由があったとも云えます。その理由の一つは、中国の社会が、農業文明であって、農業文明では、人口調整は自分たちでは行わないのです。つまり、生まれる数だけの子どもを育成しようという文化慣習があります。この結果、戦争・天災などで、減った人口はすぐに回復するということが繰り返され、また、このような経験を蓄積した文化として、「子どもはできるだけ多数造る」というのが、歴史を越えて、文化の基底習慣にもなってしまいました。
 
  3)もう一つの理由として、中国の社会の構造があります。中国は、大家族制社会で、もう一つ大結社的社会でもあるのですが、中国の歴史上の争い、戦争や政争などは、大家族・大結社の規模や、どれだけ、それらを糾合できるかで決まりました。従って、大家族は、人数が多いほどよいというので、農業文化の基本である、子どもは造れるだけ造るという原理以外にも、社会的競争の結果、大家族集団では、育てることのできない子どもは、力ある、大家族の別の家族が引き取り養うという形で、単に、農民家族が多くの子どもを育てるというだけではなく(これだと、個人家族の限界が出てきます)、大家族共同体が、そのなかで、多数の子どもを再生産するという、大共同体レベルで、多産多育成を可能とする社会機構があったので、そういう機構がない農業社会に較べ、多数の子どもが、成長し得たということで、人口増大がすぐ起こったのです。
 
  4)あまり説明が長くなるのも困りますから、もう少し簡単にしますが、次に、社会の「近代化」という問題があります。農業生産を基盤とする社会は、可能な上限まで人口を増やします。国連が食料を援助すると、その援助分だけ、人口が増えて行ったりします。しかし、先進近代国家は、人口減少へと現実的に向かっています。この理由は、高度文化社会となると、餓死の心配などはなくなり、国家の国民支援も、制度的に保証され、子どもをたくさん造って、家族や自分たちの「保険=保証」にしようという必要がなくなることがあります。また、高度文化においえ、義務教育他高等教育も普通となり、生活費用も高くなり、一人の子ども成人させるのにかかる費用が大きくなって行き、多くの子ども育てるということが、合理的でなくなってきます。不可能になるとも云えます。国民全体が、餓死などない、相応に豊かな生活水準になり、義務教育の普及が90%を越えて来ると、こういうことになり、人口増加は逆転して人口減少になります。これが先進国の実状です。
 
  5)現在の先進国も、1世紀前には、実は、人口増大していました。先進国はどこもかも、産業化の時点から較べて、数倍から十倍ぐらいの人口に増え、その後、増加は停止し、減少へと転じます。このパターンからすると、現在世界の後発国は、産業化をすすめ、教育の普及などを進めていますが、この結果としての人口増大があります。衛生思想や技術の普及で乳児死亡率が低下し、人口増大へと転化した国も多数あります。中国もそうであり、1世紀前に較べ、第二次世界大戦などを経過したにも拘わらず、産業化・先進化の歩みの途上の人口増加を経験していると云えます。
 
  インドやバングラデシュや、アフリカなどの人口増加はどうなるのかは、主に第五の理由が共通しています。その他には、インドには、また固有の事情があります。とまれ、中国は、先進国化してしまえば、人口増加は停止するはずですが、「先進国化」というのは、文明の展開で、最初に突破した少数の国々・地域だけに可能で、後発諸国は、そういう可能性はないのではないかという可能性もあります。つまり、中国が近代化・先進化する見込みはないという可能性が高いです。先進化への開始から、実現までのあいだに、日本・欧米で、数倍から十倍ぐらいの人口増加と言いましたが、その数字からすると、中国が近代化を進めて行く過程で、いまから、農業国であった理由での人口増大とは別の要因の人口増大が加わって、まだまだ、増えて行くと考えられます。
 

 
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