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スピーチコンテストの原稿なのですが、なにかおかしいところはないでしょうか?なにかアドバイスや添削、補充などをしていただければ幸いです。


タイトル:日本人と欧米人

私は昔から 日本人が持つ欧米、欧米人のイメージや、逆に、外国人が持つ日本、日本人のイメージなどに 興味がありました。なぜなら、日本人は欧米諸国に対して 良いイメージを持っていることが多いと 思うからです。身長が高くて 足が長く 鼻の高い アメリカ人、紳士的な男の人が多い イギリス人 など。しかし、欧米人から見た日本、日本人も私たちが欧米人たちに良いイメージを持つように 彼らも私たちに対して良いイメージをもっていることが多いと思います。今から、これらふたつのことについて お話します。

まずひとつめです。日本では、食の欧米化が進んでいることは みなさんご存知だと思います。しかし、その一方で、欧米諸国では、今 日本食はとても流行っていることは 知っていますか?外国には 寿司バーなどの 日本料理店がたくさんあります。日本で食の欧米化が進む一方、外国では日本食が愛されているのです。
このように人間は 他の文化の物がとても良く見えるのです。「隣の芝は青い」ということわざがありますが、ぴったりです。
食の欧米化に関連して、日本人はなんでも欧米諸国の真似をしたがります。例えば、髪の毛を染める行為です。日本人は生まれつき みんな髪の毛の色は黒です。しかし、欧米人の真似をしようと 日本人は髪の毛を茶色のような色に 染めたがります。
なぜそんなことをしたがるのでしょうか?私は やはり日本人は欧米人に対して とても憧れを抱いているからだと思います。そうすれば、食の欧米化が進むことも、髪の毛の色を変えたがるのも、すべて理屈が合います。
私たちは、私たち日本人の文化、生活を守っていく必要があると私は思います。

次にふたつめです。外国人が日本語を話すときに、発音やアクセント、イントネーションなどが英語のようになります。
日本人が英語をしゃべるときのように、本来はネイティブが話しているようにしゃべるべきだと思います。なぜなら、日本人が英語を話すときは、もちろん英語を母国語とする人たちと同じ発音、アクセント、イントネーションで話そうとしているので、外国人が日本語をしゃべるときは、私たち日本人に合わせるべきだと思うからです。
また、日本人が英語を話すときで、文の中に日本語を入れる場合、たとえば、「日本人までもが発音やアクセント、イントネーションが英語のようになります。
英文の中に日本語を入れる時も日本語の発音、アクセント、イントネーションで話すべきだと思います。
例えば、「こんにちは」という日本語、私たち日本人は「こ」にアクセントを置きますが、アメリカ人の中には、「こんにちは」と、「に」にアクセントを置く人が多いでしょう。
この点に関しては、日本人は英語を話す人たちに合わせて話しているが、アメリカ人は自分達を基準に日本語を話していると、思います。
よく、日本人で名前を英語のような読み方で言ったりしている人がいますが、あれは欧米人に対して「かっこいい」などの憧れを持っているからかっこよく聞こえるのでしょう。ここでつながりました。

このどちらにも言えるのは、人間は自分たちのものが1番良いと思ったり、他の文化のものがよく見えたりというふたつの感情が入り乱れているということです。
しかし、これらのことが決して悪いというわけではありません。なぜなら、これらふたつの感情があってこその今の彼ら彼女らの文化であるからです。
アメリカには体に良くない食べ物が多いですが、そんな中で日本食のようなヘルシーな食べ物が入ってくると、体に気をつける人が増えてくるのではないでしょうか。

A 回答 (5件)

> 日本で食の欧米化が進む一方、外国では日本食が愛されているのです。


どうも、ここに引っ掛かります。あなたのおっしゃる「日本食」は何を指しているのでしょうか。日本の日本食を指しているようですが、どうも外国は違うようですよ。
外国人が現地で気に入っている日本食が何かと詳細に調べてみるとわかります。あなたのおっしゃる日本食は外国では姿形も中身も違っていることがあります。回転寿司を例にあげると、ネタが総体的に魚介類では無いし、カリフォルニアロールのように何でも有りのスタイルに変形しています。当然、味も違います。それでも外国では、SUSHIと呼んでいます。現地の食材を積極的に採り入れることには内外にも賛否がありますが、偽物が本物として外国人の心を捉えているおそれがあるのです。逆に、日本の回転寿司は、こうした流れまで取り入れています。世界各地では日本国内と同等の食材を用意できなかったことと、同時多発的な寿司ブームでネタの価格が高騰し、日本国内の回転寿司まで変質しはじめているのです。日本食の雰囲気だけでも楽しもうという目的で食べる人、本物の日本食だと思い込んで食べる人、日本の正統的な寿司を食べた人では、スピーチの「寿司」を別々に思い浮かべることでしょう。情報から得られるイメージが人によって著しく乖離するおそれがあり、スピーチのテーマと寿司の関係すら疑問に感じてきます。

同じような疑問は、寿司だけではありません。
どういう人たちにスピーチを聞いていただくのか、そこをしっかり押さえておく必要があると思います。
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前置きを置いて「ひとつめに……」「ふたつめに……」と分けた構成は良いと思います。


言葉の聞き取りやすさとしての改善点はANo.1のご回答での指摘に同感です。

ところでこの草稿を拝見すると、質問者さんが臨むスピーチコンテストというのは、面白おかしく楽しいスピーチを競う、というものでは無くて、どちらかというと「青年の主張」や弁論大会的なもののようですね。

そうだとすると、その場合のスピーチの要点は、あなたの「主張」をいかにして聴衆に理解・同意してもらうかということになります。


質問者さんのスピーチ第一稿を読んでまず感じたのは、「要するに何が言いたいの?」と主張や結論がわかりにくい点でした。

文章中ではっきり主張になっている点を上げると
・「私たちは、私たち日本人の文化、生活を守っていく必要があると私は思います」
・「外国人が日本語をしゃべるときは、私たち日本人に合わせるべきだ」
・「英文の中に日本語を入れる時も日本語の発音、アクセント、イントネーションで話すべきだと思います」

のようです。
この部分は「外国かぶれは止めて日本の文化をもっと大事にしよう」と言う主旨に受け取れますが、
まとめで示される結論
・「人間は(中略)ふたつの感情が入り乱れているということです。(中略)これらふたつの感情があってこその今の彼ら彼女らの文化であるからです。」
にどうにも結びつきません。

さらに最後が
「アメリカには体に良くない食べ物が多いですが、(中略)体に気をつける人が増えてくるのではないでしょうか」
と、最初に掲げた主題「日本人と欧米人のお互いに持つイメージ」との関係がよく解らない言葉で結ばれているので、「結局、何が言いたかったの?」とわけが判らなくなるのです。

多分、主張や結論がよくまとまっていない状態でこの原稿を書き始め、書きながら思いついたことを付け足していったのではないでしょうか。
第一稿ではよくあることなので、気を取り直して悪いところを直していけば良いのです。


良いスピーチとは、「私は、○○するべきだと考えます」といった「主張」が一番印象に残るように組み立てられています。

その主張を幹にして、聴衆に理解・納得してもらうための枝葉として「なぜなら××だからです」と理由を述べたり「たとえば××があります」と例を並べたりして説得力を増す工夫をするわけです。

質問者さんの草稿は「主張」「結論」をもう少し整理して組み立て直した方が良いでしょう。

具体的には
1)一番言いたいこと=主張点を箇条書きしてまとめる:
2)主張を最初と最後にまず持ってくる:
→「私は○○と思います。……(中略)……以上に述べたような理由によって、私は○○と思うものです。」
3)上記の中略の部分に補足部分を付け足していく:
→「私がそう考えるようになったきっかけは……でした」「この考えを裏付けるものとして、例えば○○や○○などがあげられます。また○○については皆さんもよくご存じのことでしょう」……などなど

コンテスト、頑張って下さいね。
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意味不明。

何を言いたいのか分からない。結局、「これらふたつの感情があってこその今の彼ら彼女らの文化」と、多様性を認める結論になるのなら、前段は、全く不要。前段が、結論へ導く補強になっておらず、却って、結論を弱体化させている。

導入にしても、海外での日本食ブームは、いまや、誰でも知っていることで、これを知らぬ者がいると考えることが不思議。

「隣の芝は青い」発言も、間違い。欧米は、距離的に遠いからこそ、憧れるということ。近隣の朝鮮半島とか、中国を嫌う日本人は未だに多い。あちらも、どうも日本を嫌っている様子。

近くではなく、遠いところにこそ真実はあるという言語学的学術書の大著もある。
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論法に飛躍した部分があり、筋がすっきり通らないので、寄せ集め的なツギハギあわせの印象があります。


時間があるならまだもう1揉みも2揉みもしたほうが良いと思います。

特に「なぜ」の部分が弱いです。
歴史的な背景や合理的な理由付けもなく、突然に「日本人は欧米人に対して とても憧れを抱いているから」と定義されていますが、聴者読者はそれでは納得できません。ですからそのまま「全て理屈に合う」や「ここでつながる」など言いきられても、「?」という感じがぬぐえず、共感できません。また、日本人のやりようを欧米人も真似しろ、というのも、理由付けが弱いと単に鼻につく態度になってしまいそうですね。


日本人や欧米人がそれぞれの感じ方、考え方を獲得してきた経緯についてもっと深く考えてみてはどうでしょうか。
例えば、他人が持っていて自分にない性質について、なぜかコンプレックスを抱いてしまうというのは、日本人の昔からの生活の中で獲得してきた考え方かもしれません。それは裏を返すと、他人を認め尊重するという日本人の美徳とする心にも通じるものがあるようにも思えます。
コンプレックスを内に留めて他人を軽んじない性根のままでいれば良いものを、髪を染めたり欧米人の真似をして、日本人の有り様は「遅れている、ダサイ」とバカにする気持ち。欧米の真似をすることで自分が他の日本人よりも優位な側に立っているような錯覚を起こしているわけですが、それがオカシイことに気付けない。それが問題のより深い所に埋まっているのではないでしょうか。

他人に先んじて事を成すことが良いとされるのは、商業が発達して顧客満足と利益を追求するようになってからの事と思います。日本古来の農業では、一族やムラで協力して田植えなどの作業に当たり、自然を相手に「無理のない、身の丈に合ったしなやかな生活」が普通でした。そこには我を通したり他人に先んじて事を成す必要などなく、むしろ皆で力を合わせた共存共栄が当たり前だったはずです。
それがわずか2~300年でこの様変わり。何故なのでしょうね。


~~~
学生さんでしょうから、ついでに暇がある時に一つ考えてみてください。

「それまで」を否定する所から自己主張を始めるのが、思春期の若者の特徴です。
家族という保護から自立するための道を探す過程で、今までの自分と決別して新たな自分を探す事にエネルギーを注ぐようになるからです。
30年前の学生は、男は長ラン・女は引きずるようなロングスカート、リーゼントやパーマ頭、音楽はロックが「最先端」でした。
20年前の学生は、男は短ラン・女は膝丈スカート、ピアス類、音楽なら美形の集団ソングが「最先端」でした。
10年前の学生は、男は腰パン・女は膝上丈のミニスカート、ヘソ出し、茶髪金髪、日焼け、音楽は平凡多人数ソングが「最先端」でした。
今の学生は、どうでしょうか? ネットという「最先端」を手に入れて満足し、服装はむしろ黒髪に戻るなど原点回帰してませんかね。次の流行は、恐らく本質を追った上質シンプルなものが増えていくのでは無いかと思いますね。

当時の流行(これも欧米の影響が色濃いですね)と、若者の「最先端」の繋がり、そして流行を生む社会的背景。
そういう繋がりから考察してみるのも、結構面白いと思います。
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>私は昔から 日本人が持つ欧米、欧米人のイメージや、逆に、外国人が持つ日本、日本人のイメージなどに 興味がありました



>欧米、欧米人
 記述なら読点で分けて意味が通じますが、口述だとオウベイオウベイと二度言ってるように聞こえるので「欧米」や「欧米人の」と接続する言葉を入れないと理解され難い。

>日本、日本人の
 同上

>イメージや、
「や」は要らない


他にもたくさんありますね。

その他
 あなたの年齢は?高校生ぐらいまでなら許される文章ですが、それ以上だと・・・(^_^;
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