準・究極の選択

音楽でも小説でもなんでもいいのですが、趣味のうちは楽しく集中して出来るのですが、これに人の期待とか自らが化したプレッシャーなどが付くと、怖くなり何も手に付かなくなってしまいます

文科系の事は得意なので小説で賞を取ったり、絵本が出版されたり、素人の漫才のコンクールで優勝して芸能事務所への所属を持ち掛けられたりしたこともあるのですが、その後が続きません

一気に「やらされている」という感じになり、やるコト自体が辛くなり机に向かうのすら嫌になってしまいます

私の中にいつも思い浮かんでくる言い訳としては「汗水たらさないでお金を稼ぐのは格好悪いこと」「これで本当に人気が爆発したら後戻りできない、一生大変」「社会的成功と幸せは繋がっていない」「いつもぶつかる壁があり、挑戦するの事自体がすでにトラウマ」「

こんな感じです

このアイデアが上手く現せれたら新しいものになるだろうなぁ・・・と思いを馳せたりすることもあるので未練があり、正直まだやりたいという気持ちもあります

でも、情けない話し・・・本当に怖くて手につかないのです

やろうと思うと先の見えない不安と今まで行った事のある道のりにあった障害を思い出し足がすくみ手が止まるのです

「やれると思ったものだけがやれる」という言葉が突き刺さります

今の私は試験の前に勉強が手に付かず部屋の掃除ばかりして、なかなか本分に進めない状態にあると思います

この質問を読んでくださった方で答えでなくても良いので何か思うことがありましたら回答頂けると嬉しいです

宜しくお願いします

A 回答 (3件)

再投稿失礼いたします。


お礼コメントありがとうございました。
いくらかお役に立てたようで良かったです。

すみません、少し気になってしまったので他の方へのお礼コメントについてなのですが

>その通りなんですが、そこをなんとかする方法はないですか?
あれば私だけではなく世の色んな人も救える大発明になると思うのですが・・・

この部分なのですが、少なくとも今回ご質問されているようなことの一発解決法については、ネットや書籍などで散々言われていることなんですよね。
あとはそれをやるかやらないかだけで、やるなら前進するしやらないなら停滞するし、それだけのことなんです。
それは良い悪いではなく「個人の選択」なので、それを他人に何とかしてもらおうとするのは危険なことです。

別に自分を少し甘やかすくらい良いと思います。きちんと生きるための最低限のことをやっていれば、誰もあなたを責めはしないし、自分を恥ずかしく思う必要はないんですから。
今だって誰もあなたにわざわざ「●●に挑戦しろ」とは言っていないはずです。
自分がやりたいだけのことを、自分から「やらない」と選択したことについて、自分が辛くなっている。
これがどういうことなのかはご自身の心に聞かないとわからないと思いますが、
ただひとつ言えるのは、音楽も小説も漫才も、誰も「あなたにやってほしい」とは思っていないということです。
(少し言われたことがあるにしても、あなただけに依存している人はいません。他にあなたのような人がいれば興味はそっちへ移ります)

他の誰のためでもなく自分だけのため、と考えると、少し見方が変わるかも…と思って蛇足を長々とすみません。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます

自分の為ですか・・・
それだけを突き詰めると、私の場合本当の怠け者なのでホームレスに落ちてしまうんじゃないかと思って怖いのです。今まで付き合った彼女に、将来ホームレスになるかも、と打ち明け2人の女性にフラれたこともあります
かろうじて親兄弟含め人の為と考えてみてなんとか社会生活を保っていられる。しかしそうなると今度はプレッシャーに押しつぶされる・・・これはもしかしたら今の状況が最善なのかもしれませんね
本当にやりたいか?と、言われて人が驚いたり喜んだりするコトはやりたいのですが、それに付属してついてくる期待や尊敬の眼差しなんかは迷惑だと感じている
こう書いてみると答えがまとまってきました
要は覚悟が足りない、ということですね

やっぱり甘えているんですね

お恥ずかしいです

私の為を思い回答してくださり大変嬉しかったです

幸せになってください
応援しています

ありがとうございました

お礼日時:2013/10/18 20:15

趣味だったことが仕事になった者です。



質問者さんのお気持ちはちょっとわかります。
私も趣味時代にこれを仕事にしようと思ったことが幾度となくありましたが、その時の自分への言い訳がまさにご質問文にあるものと同一でした。

その後何年かして、成り行きで仕事になったのですが、いざ仕事にしてみると今度は趣味に戻せなくなりました。
これは対価を得られないならできないとか、そういった問題ではなく…言葉で言うのは難しく、プロになった人にしかわからないものだと思うので、ちょっと割愛させて頂きます;すみません。

ただ、ご質問文を拝読して何となく思うのは、質問者さんは器用だけれどその能力を使って他者へ何かを伝えたりとか世の中の役に立ったりとか、そういうことに対して興味がないのではないかと思いました。

>一気に「やらされている」という感じになり、やるコト自体が辛くなり机に向かうのすら嫌になってしまいます

この部分ですね。
確かに仕事になれば「やらされている」部分は少なからずあるのですが、自分の中に「これをやらなければならない」理由があれば、「やらされている」こと以上の意義があるので迷いはないと思うんです。
もちろん、完全にお金のためだけにやるっていうのもアリですが、それならそれでプロになる事への迷いはなくなるでしょうし。
多分質問者さんにはまだどこか自己保身があるのだと思いますよ。
失敗するのが怖いとか。

>いつもぶつかる壁があり、挑戦するの事自体がすでにトラウマ

これとか。

自分がやり遂げるものの大きさや意義より失敗した後のことが怖いなら、やめておいた方がいいんじゃないかと思います。
失敗したって何だっていい!と、身投げするくらいの勢いがないと無理かなと。
(しかし実際、失敗したってそこで人生が終わるわけじゃないし、その後普通に就職したって別にいいじゃないかとは思いますが、そういうのってプライドが邪魔するんですよね。
余計なプライドは捨てちゃった方がいいと思います)

本当にプロになればプレッシャーとか期待とかその逆とか、色々あります。それはその通りです。
それが怖いならプロへの扉は開かない方がいいかもしれないですよ。
正直、私はこの道に入って後悔はしていないものの、プロにならなくても幸せに一生を終えられるのであればそっちのほうが一般的な幸せは手に入ると思っています。
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この回答へのお礼

丁寧にありがとうございます

プロになるかは置いておいても人間が幸せになるのには
、プライドを捨て、恥は成功の元、とくらい思っていたほうが良い、とは日ごろから思っているので、そういう気持ちだけでも持っていたいとは思います

覚悟が足りないのかも知れません
要は甘えているんですよね、、、

自分で情けなくなります

回答ありがとうございます

大変参考になりました

お礼日時:2013/10/18 09:42

問題というか物事は、小難しく考えればおのずとそちらのほうに進むものです。



逆に単純にシンプル化すれば対応がしやすくなるものです。

>好きな事ほどやるのが怖い
とおっしゃるけれど第三者から言わせれば、
それは単なる思い込みでしょうとも言えます。

いきさつはどうあれ、結果的にそのようになることは
本当に超マジに好きではないのですよ・・と言わざるを得ない

努力することが苦痛なんでしょうね
そういうことは=才能なし と結論付けて割り切りましょう
悩むだけ限られた人生の時間の無駄使いです

人は信念で行動するものですから信念が欠けているようなことは
どうにもならんでしょう
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この回答へのお礼

その通りなんですが、そこをなんとかする方法はないですか?
あれば私だけではなく世の色んな人も救える大発明になると思うのですが・・・

回答ありがとうございます

お礼日時:2013/10/18 09:38

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