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 コンビニや、24時間の食べるところがなかった時代、一人暮らしの社会人は、どうやって、朝晩の食事をしていたのでしょうか?。
 私の父親は10年くらい一人暮らしだったようですが、一応自炊らしき事はしていたようですが、はっきりと物言わない性格ですので、よくわかりません。昔は土曜は午前出勤でしたが、1週間の買出しをしたとしても、大型冷蔵庫がある時代ではありませんでしたから大量買い込みはできるはずもなく、作り置きで電子レンジでチンもできないはずです。
 
 ふと思ったのですが、日本企業の特色?で退勤後の飲み会があります。
 高度成長期、皆で金を出し合って、酒や食事、社員旅行をしたのが、慣習として残っていると聞いたことがあります。帰りがけ、先輩や上司のおごりで、飲み屋で夕食というのもあったのでしょう。そうやって食事を済ませていたのかなあと。
 ですが、今やコンビニや24時間の牛丼屋もあり、自炊せずともよく、早くに結婚して専業主婦当たり前の家庭を築く必要もありません。食事には事欠かない状況です。
 コンビニや24時間営業が先か、晩婚非婚率や繁忙体質が先かはわかりませんが、外食産業が、今の結婚観にも関係しているのかなあと感じております。
 子供に関しても、共働きが影響で、家庭という物に縁を感じてなかったので、成長しても結婚しないものが出てきたのかなあと。

A 回答 (13件中1~10件)

カップラーメンとかサッポロ一番、うどんやそば、ご飯を炊いてふりかけなど冷蔵庫がなくてもガスがあればいくらでも食べるものは有りましたが。

この回答への補足

 カップラーメン、サッポロ一番は1960年中期~1970年頃の発売のようなので、父の若い頃には発売されてません。ふりかけは食べてなかったような。お新香は食べていたようですが、毎日飯を炊く余裕はなかったようなので、時代が違うのかと。

補足日時:2013/10/21 10:23
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当時は、今より町の安い食堂や中華料理屋の営業時間が長区、結構遅い時間にめしが食えたんです。


私の実家は水道橋で食堂をやっていましたが、昭和40年代は10時くらいまで営業していました。それがいつの間にか夜の客が減り営業時間を短縮、結局貸しビルを建てることになりました。

コンビニが登場した1970年代以降、こういった生活基盤の変動が起こったんです。
後は、出前文化の衰退でしょう。出前要員の確保が明らかに困難になっています。デリバリーピザのように店食を無くして高コストの出前なら別ですが、ラーメンやそばを店食のコストで出前することが出来にくくなっています。
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この回答へのお礼

 私が学生の頃、都内でしたが、安く食べられる定食屋は、それなりにあった気がしますが、遅くまでやっているところは無かった記憶しかなく、結局ファーストフードやすかいらーくのような所で過ごすものでした。
 水道橋というと後楽園だから、ナイター後でもやっている店は多かったのでは?とも推測できますね。父は上京者でしたが、先に兄である叔父が上京もしていたようでありますが、一緒に住む事はなかったようです。市ヶ谷~新宿の間くらいとか乃木坂近くが大学・職場だったようなので、その辺りに住んでいたようです。
 昔は、遅くまでやっている定食屋があったわけですね。

お礼日時:2013/10/21 10:08



喫茶店 モーニングサービス
駅 食パンと牛乳
家 トースト 目玉焼き とか?




ファミリーレストランができる前は、夜23時ぐらいまで喫茶店やラーメン屋などの飲食店は開いていました

のきなみ潰れましたけどね


書かれているコンビニや24時間の飲食店もそうですが、貸しビデオ店(今はDVD)が増えたことで、休日の映画デートも外食デートも少なく無くなり、家でDVDを見ながらコンビニのお菓子とかを食べるのがもう、普通とされていたのが10年ほど前ですね


仕事が終わって家に帰ってもヒマだった時代

でも今は、簡単にDVDもテレビ録画もインターネットもゲームもあるので、ヒマは潰せますし、ひとりでも平気な時代ですかね
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この回答へのお礼

そういえば、子供の頃、大抵の駅で、パンと牛乳を売っているドリンクスタンドを見かけなくなりました。秋葉原にあるくらい?。昔はほとんどの駅にあったのでしょうね。それとラーメン屋台も言われてみれば、あるわけで。
 でも、栄養偏る感じですが、親の世代と私の世代では、何か体質がやっぱり違うものなのですかね?。
 ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/21 10:02

インスタントラーメン(袋状のもの)ばかりを食べるのは一般的だったようです。

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この回答へのお礼

 カップラーメンは1970年頃発売とWikiにありましたので、それ以前での質問になりますので、これはありえないかと。
 袋面は、結構前からあったのでしょうか?。チキンラーメンは昔からあったそうで、最近はCMでよく流れてますが、私の子供の頃(30・40年前)は、チキンラーメンは、私は見かけた事がありませんでした。そのためか、10年くらい前にチキンラーメンを買って食べて、まずいと感じ、それを見た父も珍しく思って食べた記憶があります。

お礼日時:2013/10/21 10:14

外食の場合、朝は駅蕎麦も多かったと思いますよ。


昼は喫茶店のランチや、蕎麦屋、ラーメン屋、職場への出前も多かったでしょう。
夕食は、ラーメン屋や蕎麦屋でも飯物、定食屋もたくさん有りました。
家では、独り者の定番と言えば袋ラーメンです。
たまにご飯を炊いた時も、おかずは肉屋の揚げ物でコロッケ、ハムカツ、ちょっと奮発してメンチカツ、たまには贅沢でトンカツ。
家ではあんまり野菜は食べなかったような。
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この回答へのお礼

 昼に出前を取ったという話をそう言えば聞いた記憶がありました。30年くらい前の刑事ドラマだと、そういうシーンあったなあ。
 今では、職場に出前したら怪訝な顔されるし。
 ただ、喫茶店は利用した事がないようで、私が学生の頃、喫茶店の話をしても、ピンと来なかったようです。なので、喫茶店の類は近くになかったのか、嫌いだったのか・・・。

お礼日時:2013/10/21 10:11

コンビニが無かった時代とはいつ頃を想定しているのでしょう。


コンビニなんてまだまだ歴史の浅い業種なので、私の若い頃には当然そんなものは存在していません。
コンビニという言葉も、パソコンという言葉もありませんし、携帯とは手帳を携帯するとかという意味でしかありません。
コンビニができたのは高度成長期以後です。カクエイセンセが逮捕されてからじゃないのかな?
スーパーもまだでき始めぐらいで、普通に1軒の八百屋、魚屋が並んで軒を連ねているような感じです。果物屋というのもありましたが、普段は入りません。高くて買えないから。八百屋でみかんを買うのがやっと。もちろん暗くなれば店は閉まり、街灯がぽつんぽつんと灯るほとんど人も歩いていないような駅前商店街になります。
しかし、親の時代はさらに違い、そもそも電車なんてものはほとんどなく、駅まで歩いて何時間もかかるのが普通。
もちろん、自動車はごく一部にしか存在せず、自転車が高級品だった時代です。駅そばなんて、、、さあ?聞いた事はないので。
電気もろくになく、たいていの家は石油ランプです。
電気が無いんだから冷蔵庫なんてものは・・
1週間の買出しなんてしないでしょう。米、麦、みそ、しょうゆ。あとはたまにめざしが付くぐらい。
卵も高級品ですから、病気の時ぐらいしか食べられません。だいたいは、自宅で栽培している菜っ葉の味噌汁とごはんだけです。冷蔵庫はいりませんね、w
めざしが付いたら、あれ?今日は何の日~てな感じで。
もっとさかのぼれば、平均寿命も短いので、10代で子供を生まなければ子供が一人前になるまで自分が生きていられません。当然、結婚も早いです。
食事の支度などが結婚観に影響を与えてはいるでしょうけど、それがさほど重要な要因とは思えません。

この回答への補足

時代としては、1950年~1960年頃を想定して質問しております。場所は、都内山手線内側(父の大学、職場が内側であり、住まいもその辺と聞いてます)。

補足日時:2013/10/21 10:17
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江戸の頃より「夜泣きそば」をはじめとする深夜営業の屋台がありました。


その後ラーメンならチャルメラ吹いて、駅前にはたこ焼き、移動しながら調理できる石焼き芋は、夕方から夜にかけて町中を回ってました。銭湯帰りにおでんで一杯なんて姿もよく見かけられましたね。

その後、インスタントラーメンができカップラーメンが発売され、コンビニがとってかわりスーパーも24時間に。
嗜好や食文化も変り、とにかく「食べられたら満足」の時代から「飽食の時代」に変化していくなか、屋台は消え去りつつあります。
今ではほぼ観光名所として「屋台」しか生き残れません。

縄張りの話、道交法、衛生管理、色々としがらみを乗り越えてまで続けられる人は少ないと思います。
コンビニが24時間365日、物流を切らさず営業していることはある意味異常な光景だと思ってますが。
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この回答へのお礼

 言われてみれば、屋台は幼少の頃見かけた記憶がありますが、屋台が道路に連ねているような場所で無い限り、今ではほとんど見かけないですね。
 ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/21 19:52

>>10年くらい前にチキンラーメンを買って食べて、まずいと感じ、それを見た父も珍しく思って食べた記憶があります。



1955年にインスタントラーメンが発売されましたが、当時はベビースターのようなもので、お湯を入れすぎると不味くて食えませんでした。
そのまま食べるか、コップ一杯のお湯でふやかして、フライパンで炒める、焼そば風がスタイルでした。

1858年に日清からチキンラーメンが開発され、どんぶりに麺と生卵を入れてお湯を注ぐスタイルが確立し、その後のサッポロ一番みそラーメンで、季節の野菜を入れた本格ラーメンへと進化しました。

この頃には日本は高度成長期で、街のあちこちに
・缶ジュース販売機
・カップスター販売機
・エロ本販売機

がセットで置いてありました。
よく「お湯切れ」や「割り箸切れ」で泣きましたけど。

親からの仕送りに、カップめん一箱なんてのもよくありました。
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この回答へのお礼

>「お湯切れ」や「割り箸切れ」
>
 言われてみれば、子供の頃、そういう自販機を見かけた事あります。でも、いつも切れてたような。
 
 仕送りもあったのでしょね。
 そういえば、私が幼稚園くらいの時、親が実家に荷物を送る場合は、駅まで荷物を運んで鉄道郵送してもらっていました。そういう時代でもあったのですね。

お礼日時:2013/10/21 19:58

朝はトーストに牛乳だった。


夜は外食、数軒の店を使ってました。
同じ店で食べることが多かった。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/21 19:59

 普通にご飯食べてましたよ。



 私も60年代ですからね。コンビニもなかったし、ファミレスもないし。ご飯は家で食べるものでした。
 昼は弁当。
 夜は残りのご飯をおじやにしたり、もう一度ふかして食べたりしてましたね。

 飲み屋でも最後お茶漬けなど食べて終わりだったような気がしてます。

 冷蔵庫に入れるものって案外少ないんですよ。野菜は常温で大丈夫だし。豆腐は水に入れておけばいいし。
 卵なんかも常温で大丈夫だしね。避難生活の時に実感しました。冷蔵庫が小さかったので工夫しました。炊飯器も無かったのでなべて焚いて、よけて、おかずを作ってと・・・・・。

 ご飯もおひつに入れれば持ちます。

 ど田舎はどうするよ^^;何もないよ。ご飯は家で食べるものです。基本的にそうじゃないのかしら?

 人工の多い場所だとお惣菜屋さんがあって、肉屋でも八百屋でもちょっとしたおかずって売っていたから、仕事帰りに酒の肴を買っていけばよかったっていうこともありますからね。焼き鳥なんかそうじゃないですか。
 
 今でも台風と聞くと何故かおにぎりを作らなきゃ!って思う自分がいます。
 昔はともかくはご飯を炊いて・・・・だったもんなあ。お湯沸かして。水筒に入れてって。

 大学に入るまでコンビニを知らなかったので・・・・・。そういう惣菜とかお弁当を食べたことがなかったんです。
 よって今でも買いませんね。作ったほうが早いし安いし美味しい。
 でも、冷凍食品は便利だとは思います。食材としてはね。
 
 そういえば、じいちゃんはうどん作るの上手だったなあ。人が来ると作るんだよね。で、生醤油だけで食べる。うまいんだなこれが・・・・・。酒の最後に良いみたい。

 今の方が実質は貧しいのかしら・・・・・・・。う~ん。懐かしいなあ。
 
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この回答へのお礼

 昼の弁当は、弁当売りが来てたのでしょうか?。
 父は、社員食堂でも食べてたようですので、昼食は困った話を聞いたことがありません。
 
 飲み屋でお茶漬けというのが、しっくりこないです。
 私、酒が嫌いで、飲み屋の雰囲気も嫌いなので、上司の強制で一緒に数回いかされましたが(当時は地方勤務でした)、スナックといった所だったのかな?。小料理屋というのが、これまたわからず、なんか敷居が高い割烹料理の小さい版か、酒は普通に安いけど、食事は、定食屋より割高のイメージしかないので。なので、スナックなのか小料理屋だったのか、わからず、上司達(今50,60代で父よりずっと若い)が若い頃からの行き着けらしく、メニューにない物頼んでいた光景を見た事はありました。
 
 冷食はなかったように聞いてますし、当時の冷蔵庫って小さくて、冷凍庫がやっと分離して売られた時代とも聞いてはおりますが、使い道あんまりなかったとも。その分、冷蔵室大きい方がよっぽどうれしかったとか聞いた事もあったような。

お礼日時:2013/10/21 20:09

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