ソシュールの《言語記号の恣意性》については まだ或る程度の《定説性》が残っていますが これが ただの神話であることを次のように証明します。当否・成否を問います。
まづ先にその例証となる言語現象をかかげます。
/ nVgV /という形態素を取り上げます。( V は母音のことです。アイウエオなどが入ります)。これは 子音の / n / や / g / が同じというようにシニフィアン(≒音素)が同じなら その意味すなわちシニフィエ(≒意味)も同じだという語例になります。
すなわり この / nVgV /という語の形態においては いづれの場合も《障害や邪魔の除去》という意味を帯びて 共通であるという例です。
(1) / nagi / なぎ =薙ぎ・凪ぎ・和ぎ
すなわち 《 nagi=薙ぎ》は 伐り払うべきものが障害・邪魔と見なされている。
《 nagi=凪ぎ》は 波風が同じくそう見なされている。
《 nagi=和ぎ》は 心の動揺などがそう見なされている。
そうして その障害ないし邪魔と見做されたものを 除去する。またはそれらが除去される・消滅する というシニフィエとなっている。
ちなみにここで例証の中身を示すならば ソシュール(ないし丸山圭三郎)の仮説では ここで言えば子音の / n / や / g / は それとしての意味はまったく無く 恣意的に / nagi / なぎ =薙ぎ・凪ぎ・和ぎといった語として成ったと言っています。
/ nagi / なぎ =薙ぎ・凪ぎ・和ぎ といった語例において 子音の n や g といったシニフィアンと 語義の《薙ぎ・凪ぎ・和ぎ》とのあいだに 何ら自然でかつ論理的なきづなは無いという説なのです。
(2) 《投げる nage-ru 》と《流す naga-su ・流れる naga-reru 》と《長い naga-i 》の三語は すでに互いに同じ語根から発生していると説かれています。けれども ここでも / nVgV / というシニフィアンには いづれの語でも同じシニフィエ(≒意味)が見られます。《障害の除去・邪魔の消滅》というシニフィエが共通です。ソシュールの説では そんなことはあり得ないというものです。
nage-ru 投げる (障害なく 延びて行かせる)
naga-su 流す (障害を避けて 延びて行かせる)
naga-reru 流れる (障害を避けて 延びて行く)
naga-i 長い (障害なく延びた状態にある)
さらに語例を伸ばします。
(3) 《和ぎ nagi 》関連で 母音の交替をも加えて この / nVgV / なる音素には 共通の意義素が潜んでいるという語例です。
nago-ya-ka 和やか (障害が消滅した状態)
nago-mu 和む (障害が消滅していく)
nagu-sa-mu 慰む (障害を除去させる)
negi 祈ぎ・労ぎ・禰宜 (障害の消滅を希求)
nega-u 願う (障害の消滅を希求)
*
どうでしょう。言語記号の恣意性なる仮説によれば こんな現象はあり得ないことになります。
ちなみにその仮説によれば 例外なる事態は 次のようだと言います。
オノマトペつまり擬音語や擬態語では 音素(シニフィアン)と意義素(シニフィエ)とのあいだにつながり(きづな)があると言います。
郭公は その / k / の音素を鳴き声に合わせてどの言語でもというほどに同じ音素から成る語として持たれているようです。
日本語で 光がピカッとかがやくという様態に合わせて ひかり・光るという語が得られています。
あるいは例外としては いわゆる派生語の場合が挙げられます。これは 同じひとつの語根から派生するのであるからには 当然だと考えられます。
つまり
nagi 和ぎ
nago-ya-ka 和やか
nago-mu 和む
これらは じつは派生語として / nVgV / なるシニフィアンに同じ共通のシニフィエがあっても 恣意性の説の反証にはなりません。という考察は すでに成されています。
(ナグサメ=慰めも 派生語であるかも知れませんね)。
例外を別とすれば じんるいが言語を獲得したのは その語彙の全体を――その時点で―― 一気に得たのだと言います。個々の語は互いにその語としての差異によってのみ 関係しあいつつ 使い分けされているというものです。(語としてというのは 《シニフィアン(音韻)∽シニフィエ(意義)》とが一体となったそれぞれの語としてです)。
あとで造語される語を別として 或る時点で語彙の全体を ひとつの体系として 得ることになったのだと説いています。
そうであるにせよ無いにせよ 《シニフィアン(音韻)∽シニフィエ(意義)》として成る語には その関係性(つまり ∽ として示したそのつながり方)が 自然で論理的なきづなを持つと例証によれば考えられます。
さらにくわしい議論をおぎなわなければならないのですが こういった問題が ソシュール≒丸山圭三郎の理論にはあると言ってよいと考えます。
* おぎなうべき議論の一端として:
音素・・・・=・・・・意義素
_______________
/ n / = 同定相・否定相
/ g / = 反出相;反定相・疑問相・変化相
といった仮説を前提としています。
いま
/ n /=否定相 + / g / =変化相(変化ゆえ 過程相・移行相)
といった複合によって
/ nVgV /なる音韻(シニフィアン)
=《障害の除去・邪魔の消滅》なる意義(シニフィエ)
といったじっさいの語例が作られているという見方を 例証(反証)として提出しました。
ただしここで 否定相の子音 / n / が 薙ぎにおいてはなぜ《伐採すべき草や木》を内容とする《障害・邪魔》として認定したか? それは 分かりません。恣意的に決められたとしか言いようがありません。
つまり 凪ぎや和ぎにおいてはそれぞれ《波風》や《心の不安》を 何故ほかにも数ある障害や邪魔の中からえらんだのか? それは 分かりません。
* すでに問うたことがあります。けれども ジョウシキが間違っているなら 何度でも問うべきかと考えます。
【Q:《言語記号の恣意性》は 神話である。】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5664705.html
No.5
- 回答日時:
こんにちは。
私はソシュールも丸山も知りませんが、概ね良いと思います。ところで私は、赤ん坊の態度からnの音と意味は現れたと推測します。
んーん、ようするにイヤイヤです。
ご飯などを食べたからない時に、口を閉じてんーんをする。食べる時には、やー。口を開けて笑う。ここら辺からnoとかyeahが発生しているのではないかと。ちなみに、イヤイヤはやーやーの反対みたいな。
素人見解ですがどうぞ。
この回答への補足
日本語はおもしろいというおまけです。どうぞ。
/ nVk(g)V / という複合した形態素を取り上げます。
《否定したもの( nV )の変化・移行( k(g)V )の相》として成り立っています。
《否定 の 移行》ゆえに 《消滅・除去》の意味が出る。
まづ nagi 和ぎ の仲間として:
niko にこ(和・柔) (障害の消滅した状態)
niko-niko にこにこ(微笑む状態) (同上)
niko-ya-ka にこやか(同上) (同上)
やはり《障害の除去・邪魔の消滅》です。
nuku/nuke-ru 抜く/抜ける (障害・邪魔の除去・離脱)
noku/noke-ru 退く/除ける (障害・邪魔の離脱。除去)
nugu/nuge-ru 脱ぐ/脱げる (同上)
nugu-u/nogo-u 拭う (同上)
nige-ru/niga-su 逃げる/逃がす (同上)
noga-su/noga-reru 逃す/逃れる (同上)
(ただし ここまで来ると 障害や邪魔は 離脱する者のほう
ではなく対立する相手の側に 設定されている。)
noko-ru/noko-su 残る/残す (同上)
(ただし 上の補注と同じように 視点の移動が見られる。
消滅したもの・除去されたもの〔Aとする〕のほうではなく
以前の状態のままに留まったもの〔Aの否定=非A〕のほうに
焦点が移ってしまった。)
ご回答をありがとうございます。
こういった観点ないし分野は おもしろさがあったり やる人がいたりすれば 開けて行くことでしょう。
わたしは あまりたずさわって来ていません。
ひとつ知っていることがあります。
赤ん坊の発音は おおむね最初は / m / が主要なものだそうです。(そういう説です)。
つまり万国共通で うまうま まんま ままあ などだと言います。
そしてそこから ひとつには 食べ物(まんま)の意の語と もうひとつには 母親(まま)の意の語とが現われたのだとか。
★ ご飯などを食べたからない時に、口を閉じてんーんをする。食べる時には、やー。口を開けて笑う。
☆ わたしはいま判定することなど その学びとしての用意がありませんから 出来ませんが ちょっと考えたところでは この んーん や やー は うまうまという / m / の発出からの第二次の発音段階であるかも分かりません。
ちょっと よく分かりません。
★ ここら辺からnoとかyeahが発生しているのではないかと。
☆ という大胆な推測は この向こう見ずなわたしですが ようしません。
No.4
- 回答日時:
ご回答をありがとうございます。
◇ 助詞「に」+ラ変動詞「あり」 → 断定の助動詞「なり」
☆ ひとつの解釈だと捉えますが もしそうであっても 《助詞「に」》の子音 / n / が 同定相⇒断定相をになうという見方です。
No.3
- 回答日時:
#1です。
まず、「行かへん」に/n/ が消えるというのは誤りでした。
お詫びして訂正いたします。
さてそれはそれとして、恣意性の恣意性たるゆえんは、
・言語によって形式が異なる。
・時代によって変化する。
という二点が中心です。
ですから、
>言語どうしのあいだでの比較対照は あまりやっていませんが
といわれると困るのです。
たとえば、
断定の「ナリ」。英語の be 動詞の活用に /n/ は出てきません。
ラテン語のコピュラもです。
「なる」「なす」も do や become は /n/ とは無縁です。
「似る」は類似相といわれるかもしれませんが、英語の resemble には似ていません。
「犬」はイヌでも dog でも hund でも chien でも狗でもいい。
何でもいいんです。
言語記号は恣意的ですから。
ついでに、一言。
英語などヨーロッパの多くの言語で、コピュラは存在も表します。
He is Japanese.
He is in Japan.
しかし、しかしそうでない言語もあります。
イタリア語やスペイン語にはコピュラが二つあって、区別が付かない学習者を悩ませます。
日本語の「なり」「だ」「です」に存在を表す用法はありません。
「彼はアメリカだ」は存在を表すように見えますが、述語の代用であって、混同してはいけません。
実にむちゃくちゃで、恣意的ではありませんか。
それから、
>ここに出された語例は みな / n / が主役です。見えなくなっているだけだと思います。
見えなくなっても構わない、というところが恣意的ですね。
聞こえてもいいけど、聞こえなくてもいいというのだから。
> / m /=認定相と捉える子音が さらには
>ぎゃくに(対義として)推定相をもおびるごとく
>したがって推定は 未定でありついには否定の相にもつながる
というのは、もし恣意性がなければ非常に困ることになります。
こんな風に意味が逆転してしまうのは、恣意的だからです。
これは恣意性の証拠なのです。
>息の音の / h / が順出相;順定相です。
>その息の音の流れをのどの奥に緊張点をもってさえぎるのが
> / k / でありこれが 反出相;反定相をになうようです。
はて、日本語のハは
パ>ファ>ハ
と変化してきたようですが、/p/ では唇で息の流れを止めてしまいますね。
それから助詞の「ハ」は /wa/ です。
/ha/ ではありません。
発音を共感覚的に意味とつなげるというのは、それほど珍しい考え方ではありませんが、それで困るのは、
第一に主観的すぎること、第二に音声言語しか考えていないことです。
たとえば、
> / n / はいささかねちっこくくっつけたあとで放します。
といわれますが、私には鼻濁音の方がよほど「ねちっこく」感じます。
それに比べれば、/n/ なんかさっぱりしたもんです。
古語では「つ」も「ぬ」も完了の助動詞ですしね。
それから音声言語しか考慮しないのでは、手話が困ります。
手話も自然言語なのに。
この回答への補足
おまけです。
お礼欄の(た)についてさらに次をつけ添えます。
すなわち 日本語における完了相をあらわす子音として
人為的な行為の完了相: / t / :助動詞の つ
自然現象のごとき行為の完了相:/ n / :助動詞の ぬ
これが 英語系にも見られるようです。
go went gone
do did done
すなわち 人為的と自然的との使い分けこそ もう見られませんが 完了相に 二つの子音が用いられているのを捉えることができます。無声音と有声音とは 同じ意義素だと見てください。 / t /≒/ d /
ご回答をありがとうございます。
★ ~~~~~~~~~~~~
恣意性の恣意性たるゆえんは、
・言語によって形式が異なる。
・時代によって変化する。
という二点が中心です。
~~~~~~~~~~~~
☆ これは 異なことをおっしゃる。音素がそのままで意義素であること ここに一定の自然で論理的な法則性がはたらいているということ このことで すでに言語記号の恣意性なる仮説は イチコロです。それを認めないというのは フェアではないですね。
上のような二つの論点は 付け足しです。
それでも考えてまいりますが:
★ ~~~~~~~~~~~~~
たとえば、
断定の「ナリ」。英語の be 動詞の活用に /n/ は出てきません。
ラテン語のコピュラもです。
「なる」「なす」も do や become は /n/ とは無縁です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ (あ) 音素 / n / が同定相として じんるいの言語にとって普遍的であると仮説したからと言って 断定法の補充用言(助動詞)が どの言語でも この子音を使ってたとえば na-ri 也り のような語をつくるかと言えば とうぜんそれは そうではないでしょう。
(い) いろんな選択肢がありましょうし またそこからどれをえらぶかは まさに恣意性のもとにあります。
(う) / n / は同定相ですが 何が何でもに同定するかと言えば そうではないということです。一般対象( na 名)のほかには 聴覚対象( ne 音)や自然環界( na 大地)までであって それ以上は 同定しなかったようです。そのことは 勝手なものであるようです。
(え) ですから 言語ごとにさらにまた このときの選択は 自由勝手だということが 大前提です。
(お) 不本意ですが 少し触れます。
つまり 英語の be 動詞は future の fu- や ひょっとして ブッダの bodha-ti の bo- をも同じく 子音群としての / h, f, p, b / のまとまりの中に捉えるなら 日本語の hu = heru (経る)の仲間でさえあるかも知れない。
(か) / h / :順出相;順定相;中心主題相
◦〔対極相〕副次主題取り立て相;周縁部分相(ha 端; he 辺・ヘ)
◦ 順出→頻出→反復・習慣相(hu 経; -hu(-bu) 倣‐フ・学‐ブ)
(き) ボダ(ブダ)=目覚める という語があるわけですが あたらずとも遠からずであるかも分かりません。つまりまた fu- は 未来( futurus )にも過去( fui )にも用いますから 《存在する》という中心主題を表わす語として その子音は 役不足ではないでしょう。
▲ (OnlineEtymologyDictionary: be )
http://www.etymonline.com/index.php?term=be&allo …
(く)★ 「似る」は類似相といわれるかもしれませんが、英語の resemble には似ていません。
☆ すでに述べたところから言って 構いません。
(け) ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
「犬」はイヌでも dog でも hund でも chien でも狗でもいい。
何でもいいんです。
言語記号は恣意的ですから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ そういう内容の仮説をソシュールは言ったということは認めます。
(こ)★ 英語などヨーロッパの多くの言語で、コピュラは存在も表します。
☆ ぢゃあ ロシア語では ヤー チャイカ( I 〔 am 〕 seagull. )とか ヤー ズデースィ( I 〔am〕 here. )とかというふうに 動詞無しで表わしていますが どうなのでしょう。
いろんな選択があってよいのです。そういう意味での恣意性は わたしのこの仮説も認めるところです。
(さ)★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
> / m /=認定相と捉える子音が さらには
>ぎゃくに(対義として)推定相をもおびるごとく
>したがって推定は 未定でありついには否定の相にもつながる
というのは、もし恣意性がなければ非常に困ることになります。・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これは 恣意性の問題が違います。(か)でも 音素 / h / をめぐってその意義素の内容が 基本として 順定相=中心主題相でありつつ 他方では 周縁・部分相( ha 端;he 辺)をも表わすことを見ました。これと 言語記号の恣意性とは 問題が違います。
(し)★ ~~~~~~~~~~~~~~
はて、日本語のハは
パ>ファ>ハ
と変化してきたようですが、/p/ では唇で息の流れを止めてしまいますね。
それから助詞の「ハ」は /wa/ です。
/ha/ ではありません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 基本は 《息の音》だと言っていることにあります。ですから ここでは 仮説ではありますが
*h > *F > p > F > h 〔> w/φ/b〕
という音韻の変遷を前提としています。
(す) 母は 中世に いちど hawa はわ と発音されていた時期があります。kaha > kawa 川・皮 や mahi > mawi > mai 舞ひ(舞い) のごとくでしたが これだけは ハ行の子音を残そうということで haha はは(母)としていまに受け継がれています。息の音であるという基本内容は 潜在的にも存続していることでしょう。
(せ)★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
発音を共感覚的に意味とつなげるというのは、それほど珍しい考え方ではありませんが、それで困るのは、
第一に主観的すぎること、第二に音声言語しか考えていないことです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これは 言語学としては考えられない発言ですね。
どこが 主観的すぎるのか?
ことばを まづは 音声として・音韻として捉えない言語学はないでしょう。
(そ) ★ ~~~~~~~~~~~~~
たとえば、
> / n / はいささかねちっこくくっつけたあとで放します。
といわれますが、私には鼻濁音の方がよほど「ねちっこく」感じます。
それに比べれば、/n/ なんかさっぱりしたもんです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ですから その《さっぱりしたもんです》という評価もありうる子音の / n / が 同定相にえらばれた。というだけのことです。その恣意性は 決して《主観的すぎる》という批判になじむものではありません。
(た)★ 古語では「つ」も「ぬ」も完了の助動詞ですしね。
☆ ですから / t / を用いた完了相というのは 不定指示相;隔定・放出相であるという想定のもとにあって 一般に人為的な行動についての完了をあつかう。その動作をうっちゃったというような感じで。
それに対して / n / を用いた完了相は 否定一般の相ですから・つまりは 或る種の仕方で観念として否定してしまった状態にあることを示すかのように 自然の生成や出来事についての完了を示す。といった区別があるようです。(人為的な動作もそれを自然のままに成ったことと見なせば ヌなる助動詞を使うということでしょう)。
(ち)★ それから音声言語しか考慮しないのでは、手話が困ります。/ 手話も自然言語なのに。
☆ 論点から離れないようにしましょう。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
わたしの知る言語論は、コンピュータ言語などに代表される数学的で人工的な言語の方───文法や構文規則系の方───なもので、人間様が日常使用する言語の言語学の知識は皆無に等しい。なので、まったくトンチンカンなことを言うに違いない!!
と前置きをしておきます。
C言語系のプログラミング言語では、「Aは1ではない」を
A != 1
と書きます。この場合の否定辞に相当するのは、
ビックリマーク・!
です。
この!の選択はまったく恣意的とも言えますが、コンピュータのキーボードで使用できる記号の範囲内でという制約があります。C言語の開発者がなぜ「!」を選択したのかは知りませんが、この選択には何か理由があったのでしょう。そして、万人がこの選択を受け入れ、使用するようになった。#や$でも別に良かった。この選択の背景には、何か理由があるのでしょう。他人には恣意的に見えますが・・・。そして、「!でいいでいいんじゃない」と他人に思わせる説得力が・・・。
☆☆☆☆☆☆
英語の「not」や「no」をはじめに、nichit、ロシア語の「ニエット」、・・・、
印欧語では、否定辞に「n」を使う言語が多いですよね。おそらく最も印欧祖語の原型をとどめているであろうサンスクリットでは「na」など。
この場合、
コンピュータ言語とは異なり、印欧祖語を使っていた誰か一人のものがnで始まる何かを使い、それを誰もが採用するようになった、とは考えられない。自然発生的に発生したに違いない。nで始まらなければならない何らかの理由があるのでしょう。
でなければ、母音ではなく、子音のnが音韻変化をしても構わない。なのに音韻変化できない理由が・・・。それはどちらかというと、統語論や発声的な制約なのかもしれませんが・・・。
その理由はわかりませんが、恣意性の一言で片付けることが可能かというと、疑問に思えます。
☆☆☆☆☆☆
日本語ですと、
「あり」の対義語は「なし」ですか。
でも、これは、なんで、「なり」じゃないんだろうか?
前から、「あり」と「なし」の関係を不思議に思っているんですよ。
文法的に言えば、「あり」は動詞で、「なし」は形容詞。
(古典)文法的に「あり」は動詞として異端児的な扱いを受けていますしね~。
実は、「あり」は、元々は形容詞だったりして(笑い)。
☆☆☆☆☆☆
日本語の活用語の場合、否定の意味をあらわすのは、活用の方ですよね。その後ろに続く「ず」や「ない」はおまけ的な色彩が濃いと思います。
「未然形」と呼ばれ語形。
これもまた不思議に思うのですが、
古典文法では
「あら」+「ず」 → あらず
ですけれども、現代語(東京の一地域の訛り・方言です)では
「あら」+「ない」 → あらない
とはならない。大阪弁(?)ですと、
「あら」+「へん」 → あらへん。
東京弁には、日本語の文法という点からすると、構造的な欠陥があるのかもしれない(笑い)。
この場合、未然形「あら」のあとにつく語は音韻的に不自然さを感じさせない範囲であれば、ある意味、ど~でもいいと言えば、どうでもいい。条件などをあらわす「ば」はマズいですけれど、活用の後ろにつく言葉を知らなくても、その時はじめて耳にした人でも意味は通じる。
ほら、わたし、理系ですし、それに構文規則系の方なので・・・。
ポリポリ。
☆☆☆☆☆☆
/ nVgV /については、
日本と遠く離れた地にあり、しかも、言語系統の異なる言語で、日本語の単語の発音と類似し、しかも、似たような意味の単語などがあったりしますので、
それと同様に、
単なる偶然、他人の空似と片付けることもできるのでしょうね。
~~~~~~
《投げる nage-ru 》と《流す naga-su ・流れる naga-reru 》と《長い naga-i 》の三語は すでに互いに同じ語根から発生していると説かれています。
~~~~~~
これは「こじつけ」だといわれれば、そうなのかもしれない。
しかし、音韻や単語のもつ響きなどに無縁かといえば、無縁かといえば、そうとも言えないのでしょうか。人は音の持つ音色や響きなどに影響を受け、そこにイメージを持ったりしますので。
またそうでなければ、音楽は成立しえません。
「言葉は音楽から始まった」みたいなことを言う人もいますし。鳥の鳴き声、鳴き声のパターンをもとに───これには一種の規則性、人間の文法に似たような構造がある、らしい───人間の言語発生に迫ろうとする研究もあるらしい。鳥と猫の一族を魅力を感じます。
で、
人間の言葉は、異性・同性にたいする「愛の歌」から始まったに違いない!!
ど~せ言語の発生などについては分からないのだから、
こちらの方がロマンがあっていい!!
ご回答をありがとうございます。
◇ ~~~~~~~~~~~~~~
C言語の開発者がなぜ「!」を選択したのかは知りませんが、・・・この選択の背景には、何か理由があるのでしょう。他人には恣意的に見えますが・・・。そして、「!でいいでいいんじゃない」と他人に思わせる説得力が・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これは 言語学では ダメですね。例証がなければ 漠然とした感覚だけではダメでしょうね。
*
◇ 印欧語では、否定辞に「n」を使う言語が多いですよね。
☆ / n / が 〔同定相および〕否定相であるようです。
▲ (OnlineEtymologyDictionary:no ) ~~~~~
http://www.etymonline.com/index.php?allowed_in_f …
no : "negative reply,"
early 13c., from Old English na (adv.) "no, never, not at all,"
from ne "not, no" + a "ever."
First element from Proto-Germanic *ne
(cf. Old Norse, Old Frisian, Old High German ne, Gothic ni "not"),
from PIE root *ne "no, not" (see un-).
Second element from PIE *aiw- "vital force, life, long life, eternity" (see aye (2)).
▼ ( ibid.: un- )~~~~~~~~~~~~~~
http://www.etymonline.com/index.php?allowed_in_f …
un- (1) :prefix of negation,
Old English un-,
from Proto-Germanic *un- (cf. Old Saxon, Old Frisian, Old High German, German un-, Gothic un-, Dutch on-),
from PIE *n- (cf. Sanskrit a-, an- "not," Greek a-, an-, Old Irish an-, Latin in-), comb. form of PIE root *ne "not" (cf. Avestan na, Old Church Slavonic and Lithuanian ne "not," Latin ne "that not," Greek ne- "not," Old Irish ni, Cornish ny "not"). Often euphemistic (e.g. untruth for "lie").
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*
◇ 「あり」の対義語は「なし」ですか。 / でも、これは、なんで、「なり」じゃないんだろうか?
☆ これは わたしの知る限り 次のようです。
1. ある という動詞のかたちは いまでは存続法(終止形)ですが 《あり》という概念法(連用形)が意味の上からそのまま存在とその持続を表わし得ます。したがって ラ行変格活用となっている。
2. 否定法の補充用言(助動詞)は ず ですが これは No.1でも触れたように に(否定法)-す(為)から来ていると説かれます。そうして いまひとつ別の否定法の補充用言を使おうという試みが成されたとか。
3. それは あら‐なふ という形態をとるもので なふ がそれです。な(否定法)+ ふ=へる(経る) から来ていると言われます。状態用言(形容詞)で な(否定相)‐し(指定相。言い切り)=無し というようにサマ(状態)を言い表わすのではなく 動態(つまり動詞)として その否定相に表現したいときに使おうとしました。
4. そうすると あら‐な‐ふ なる複合表現は 概念法(連用形)では あら‐な‐ひ となります。つまりハ行の子音が消えて あらない です。ある という動詞の否定形は もう あらない とは言いませんが ほかの動詞で す→し‐ない 行く→行か‐ない・・・のごとく用いると便利であった。
5. 大ざっぱな説明ですが。・・・
6. あら‐へん は あり‐は‐せ‐ぬ からだと思います。せ‐ぬ が へん に変わっています。ひちや∽しちや(質屋)のたぐいです。
*
◇ 「言葉は音楽から始まった」みたいなことを言う人もいますし
☆ こういう分野(発想法)は なかなか具体化して来ないようです。むつかしい。
No.1
- 回答日時:
そもそも誤解から始まっています。
言語記号の恣意性とは、
・音と意味の間に関連はある。
・しかしその関係は論理的なものではない。
・つまり、音と意味とは理由もなくつがっている。
ということです。
/ n / = 同定相・否定相
/ g / = 反出相;反定相・疑問相・変化相
結構ですよ。
でも / n / と「同定相・否定相」の間には論理的な関係はないというのが、恣意性なんです。
いったんできてしまった関係は、言語の使用者にとっては自然に思え、不可分のつながりであるように感じられ、他の語へ拡張されることもあるでしょう。
でもそもそも、/ n / と「同定相・否定相」を結びつける理由はないんです。
このそもそもというところが恣意性です。
(丸山圭三郎風にいえば、第二レベルの恣意性ですが)
論理的なつながりではない以上、言語によって、否定辞の発音が異なるのです。
日本語でも「行かない」の否定は /n/ のようですが、古文なら「行かず」、関西なら「行かへん」です。
/n/ は消えます。
ちなみにご質問者のかたと同じ疑問を持ち、深く考察した言語学者もいます。
フランスの バンヴェニスト Benveniste という人です。
ぱいどぱいぴんぐさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
★ でも / n / と「同定相・否定相」の間には論理的な関係はないというのが、恣意性なんです。
★ でもそもそも、/ n / と「同定相・否定相」を結びつける理由はないんです。
☆ ごもっともです。そして その説明を はぶいています。不当にも でした。(一ぺんで説明するには 無理と考えた結果ですが)。
説明します。
(あ) / n / =同定相かつ否定相
1. 一般対象の同定: na 名; na-ri(也=断定法);na-ru/na-su 成る・成す; no/na(の・な=属格); ni(に=与格); na/no/ne なあ・のお・ねえ(念押し法)
2. その類似相:ma-na-bi 真‐似‐び(学び);ma-ne(真・似); ni(荷)& no-ru/no-seru(乗る・載せる――類似相は AとB二つのものを比べて重ね合わせるごとくなので その様態が 荷・載るなどを連想させる)
3. 聴覚対象の同定:na/ne 音; na-ru 鳴る;na-ku 鳴く・泣く; na-ri(なり=《・・・だそうな》=伝聞法〔古語ですが〕);no-ri(宣り=法)
4. 自然環界を同定:no/no-ra(野・野良);na/na-ra(地・地ら=奈良); na/ne(寝=大地のごとく横になる);na-re/nara-su(慣れ・均す)
5. 否定相:na-si(無し); -na 否定命令法(勿来・来るな)
(これは A の同定が やがて非A の同定に入れ替わった。ゆえに A の否定相を表わすようになった)。
(い) なぜ / n / が同定相であるか?
この子音は 舌先を上の歯茎のところにおいたあと放すという調音の仕方としては / t / に似ています。ところが / t / は舌先を素早く突き放すのに対して / n / はいささかねちっこくくっつけたあとで放します。ここが子音という音素そのものが 同定相という意義素を帯びるという自然で論理的なきづなが見られるところです。 / t / は 不定指示相もしくは隔定相・放出相というべき意義素を帯びるようです。ta/da 誰; tu つ(完了相)
(う) / k / ないし / g / は 反出相;反定相です。
息の音の / h / が順出相;順定相です。その息の音の流れを のどの奥に緊張点をもってさえぎるのが / k / でありこれが 反出相;反定相をになうようです。
ha は(中心主題格)
ka か(疑問法); ga が(関係主題格)
ha-ka 果敢〔‐無し・‐取る・‐が行く〕(主題内容の変化・移行・過程の相)
(え) すなわち お尋ねの件は こういった子音の調音の仕方に秘密があった。と考えます。
(お)★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本語でも「行かない」の否定は /n/ のようですが、古文なら「行かず」、関西なら「行かへん」です。
/n/ は消えます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ここに出された語例は みな / n / が主役です。見えなくなっているだけだと思います。
‐zu ず < ni-su に(否定)‐す(為)
ika-hen 行か‐へん < iki-ha-se-nu 行き‐は‐せ‐ぬ(否定)
(se せ が he へ に変わるのは たとえば anata-sama あなたさま> anta-san > an-san > an-han/anta-han あんはん・あんたはん)
(か)★ 言語によって、否定辞の発音が異なるのです。
☆ 言語どうしのあいだでの比較対照は あまりやっていませんが こういうふうに説明できるかと考えます。
すなわち 英語系の no/ not のように同じく否定相が見られ しかも name (その / n / が 日本語の na 名と同じように 同定相);number (日本語で ne 値)といった語例も見られます。
ですが 問題は / n / =同定相;否定相といった仮説が すでに残っていない場合と そして / m /=認定相と捉える子音が さらには ぎゃくに(対義として)推定相をもおびるごとく したがって推定は 未定でありついには否定の相にもつながるといったこと このような場合も考えられます。
つまり 同じ否定相が 別の子音(/ n / と / m / )によって担われるといった語の生成です。
(き) ★ ちなみにご質問者のかたと同じ疑問を持ち、深く考察した言語学者もいます。 / フランスの バンヴェニスト Benveniste という人です。
☆ バンヱニストは religion の語源の説明でなるほどと思ったことがありますが その考察内容について残念ながらまだ承知していません。あたって見なければならないかも分かりません。
まだまだおぎなうべき議論はありましょうが ひとまづお応えする論点は こんな感じになるでしょうか。
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