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京都は、どうしてこんな真っ直ぐな道になっているのですか?

最初、ナビで見た時、びっくりして興味が湧いてきました。

A 回答 (4件)

隋、唐など中国の都市計画を真似して作ったからです。


http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/mukashi/pdf …
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すでに答えは出ているのですが蛇足までに豆知識を。



室町時代後期の応仁の乱によって京都は焼き払われ、一条から三条までの間は田園と化していたようです。その後は一条より北を上京、三条より南を下京と呼び、南北につなぐのは室町通だけでした。

羽柴秀吉が天下を取って京都の街並みを現在に近い姿にし、江戸時代にも幾度かの大火で焼け野が原になって寺社が移転させられたりしながら現在の街並みになっています。

大きい道はともかく小さい道は途中で切れたりずれたりしているものが多いですが、新しい道が古い街並みを突っ切れなかったからだそうです。

もしご興味があれば、平安遷都1200年を記念して出版された「京都の大路小路」という本があるのでお読みください。今は古本屋でしか入手できませんが。
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藤原京以来?の条里制による遺構です。


北から何条通りと東西の道、朱雀通りを中心に南北へ○○通りと名付けられています。
奈良、舞鶴にも同様の遺構が見られますが、難波宮跡等はどうなんでしょうか?
元々は長安(西安)等、中国の城塞都市様式を真似て、風水に従った都城様式です。
碁盤の目配置・・・とも呼ばれ、中学校あたりでも教わります。
反面、地方の城下町などは、防御中心の曲がりくねった道路や、袋小路が沢山配置されています。
江戸は、武家支配の中央集権を目指したため、ローマなどのような放射状道路配置となったようで、不便解消のため環状線が必要になりました。
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平安時代から脈々と続いています。


平安の都、強いては奈良時代の奈良も基本的に道は真っ直ぐです。
そして、その後も街が壊滅的な被害を受ける天災や戦争の被害にも合わなかった為に当時の道のまま(当然道幅等は変わってますが)。
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