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ドラマを見ていたら「赤毛のアン」でbosom friend (心から理解しあえる友達)を「腹心の友」と訳すという場面が出てきて、言葉のニュアンスがよくわからなかったので教えてください。
「腹心の友」というのは、どういう友人関係を指すのでしょうか?

私のイメージでは「腹心」という言葉は、普通、その人より立場が下だったり、受け身な性格だったりして、何でも思い通りに動いてくれる人という意味に使うイメージです。
調べてみても、語源らしい「詩経」の「兔罝」でも「有能な部下」という意味で使われていたし、青空文庫でも「腹心」は部下や使用人をさす用例がほとんどでした。

なので「AはBの腹心の友だ」という場合は、非常に仲のいい友人同士だが対等ではなく、親分・子分の関係というか、常にAがBの気持ちをくみ取って喜ばそうとしてくれる友達関係というニュアンスで理解していいのでしょうか?

ドラマでは、アンがダイアナに「腹心の友になってくれてありがとう」というシーンが出て来たんですけど、この意味だとするとアンってとっても嫌なやつですよね?
でも昭和前半の翻訳なら、時代的にそういう発言はOKなのかもしれないし…。
話の中で、ダイアナはアンに振り回されて、迷惑かけられても笑って許してくれる子だった気がするので、それなら子分っぽいと言えば子分っぽいし…。

「腹心」という言葉に詳しい方、そのあたりの言葉のニュアンスを解説していただけるとうれしいです。

A 回答 (7件)

こんにちは。



日本語のニュアンスとしては回答できませんが、翻訳のほうで少し書かせていただきます。ただし、文学翻訳は不得意です。

「赤毛のアン」は翻訳の本を昔読んだだけで、未だ英文は完全には読んでいません。ただ、本来のアンの言葉自体、登場人物の中で唯一、空想と現実をごっちゃにしたような詩的な表現がつきまとうような気がします。アンにとって、ダイアナは、孤児院から連れられてきた後、アンにとっては、心を許せる友だちであるというか、ダイアナしかいなかったと思います。

マリラとマシューの兄妹の関係も不思議ですが、マリラの考え方などは、よく理解できます。私としては、登場人物の中で、なぜか、アンだけが、はっきりイメージできません。それは、彼女の発する言葉のせいです。ストーリーでも、学校の成績が抜群のアンのそうした表現を、ダイアナはだんだんついていけなくなり、寂しい気持ちになるというような気がしました。

「AはBの腹心の友だ」の「腹心」は、"bosom" からの訳を当てたというのは、村岡氏の腐心の跡が残されているそうですが、これは、斎藤秀三郎氏の辞書にも出てくることから、当時はそういう言葉が使われていたのではないかと思います。もちろん、現代になると、意味的には少しズレがありますし、"bosom friend" は、現代(ドラえもんのジャイアン)風?に言えば、「心の友」だと思います。

現代の翻訳者は、"bosom friend"は、おそらく「腹心の友」とは訳さないですね。

A bosom friend--an intimate friend, you know--a really kindred spirit to whom I can confide my inmost soul.

「『心の友』とは、いつも一緒にいる友達、ほら、内に秘めた魂の奥底を打ち明けられる、本当に気心が知れた人。」まあ、こんな表現方法は、大げさですが、『赤毛のアン』のアン自身は、そうした口調がずっと続きます。

A bosom friend is a friend who you know very well and like very much indeed. [CoBuild]
「bosom friend]とは、よく知っていて、実際に大好きな友人のことである。
英英辞典には、この程度の表現でしかありません。

ただ、村岡花子氏は、今、現代の翻訳者には彼女のレベルに匹敵するような人はいません。彼女は、佐佐木信綱氏を短歌の師と仰いでいることからみても、私たち現代が失ってしまった歴史的な翻訳文学というものを、かろうじて引き継いだ一人だと思います。
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1.「詩経 国風 周南一之一 兔罝三章章四句」


ここでは「兔罝(としゃ/としょ)」を例に上げて、三段階に二句と二句の対照を行っています。
「干城」 → 「好仇」 → 「腹心」の三段階になっています。
(武者)  (よい相手)  (一心同体)
粛粛兔罝。椓之丁丁。赳赳武夫。公候干城。
粛粛兔罝。施于中逵。赳赳武夫。公候好仇。
粛粛兔罝。施于中林。赳赳武夫。公候腹心。
後藤[芝山] 点「改訂音訓五経. 詩経 上」(1889.6)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/995212

ですから、ここでの「腹心」は「好仇」を越えて、「心を同じくする、親しい間柄」「己の腹とも心胸とも恃(たの)める人」を表しています。

2.政治においての腹心の相手
1)腹心之友…「故事成語考・朋友賓主」
「肝胆相照らす、斯れを腹心の友と為す」
http://kotowaza-allguide.com/ka/kantanaiterasu.h …

2)腹心之臣…「春秋左史伝」
「己(おのれ)の腹心、股肱、爪牙(そうが)と為(な)す」

「漢書」の書中でも、「翟方進」では「腹心之友」とあり、一方「張湯伝」では「腹心之臣」ともあって、戦乱の治国・政治においては両雄は並び立たずで、腹心の友たりても結局は君主と腹心の臣の関係に落ち着くということでしょうか。

3.英訳の腹心
明治20年刊の英訳辞書では「腹心之臣」の用例と思われます。
「御腹心の御家従に御もたせ Send a trustworthy servant with it.」
井上十吉「英和尺牘書法」(吉岡商店)7頁(#46)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/870512/10

昭和3年刊の齎藤秀三郎「和英大辞典」では次のように載っています。
「腹心の臣 a confidential servant.」
「腹心の友 a bosom friend--a confidant--(女なら)--a confidante.」

もともと親友は一般的には「one's breast friend./one's close friend.」と表すところを、米語の口語調「buddy」のニュアンスで限定的な言い回し(胸わくわく+抱擁する+親しく迎える+人目から隠す)という意味で「take...to one's bosom ~ …を妻〔腹心の友〕にする」の用例のように、青い時代の同性同士が夫婦のようなどこか秘められたワクワクする関係としての「one's bosom friend.」を訳すのに「腹心の友」とするのは、それなりにぴったりなのではないでしょうか。
参照:「ランダムハウス英和大辞典」小学館
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No.3ですが、No.4の方の回答を見て、腑に落ちる感が有ります。



というのは、「腹心の部下」という言葉は、私が社会人のこの30年あまりの間にも、ずいぶんと安っぽい言葉になってしまった、ということです。

具体例で言うと、大河ドラマ「軍師官兵衛」の現時点で、秀吉から見た半兵衛と官兵衛です。
今の見方なら、この段階の官兵衛でも、「腹心の部下」です。
このドラマの描き方も、まさにそうですよね。

しかし、かつてなら、半兵衛だけが「腹心の部下」です。
三顧の礼で迎え、秀吉の意思を実現する手段を、本人の意識していない深さで洞察し提案し続けた半兵衛こそが、本来の意味での「腹心の部下」なのです。
官兵衛は、とてもその域には達していません。
(これからの成長が楽しみですよね。)

そう考えると、アンとダイアナの「腹心の友」という訳語も、納得のいくものかと思います。

(そういえば、30年前に読んだときは、この訳語には違和感は持ちませんでした。)
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明の丘濬の『故事必読成語考』には、



肝胆相照 斯為腹心之友 意氣不孚 謂之口頭之交
肝胆相照らす、斯れを腹心の友と為し、意気孚(まこと)ならざる、之を口頭の交りと謂う

とあり、上下関係はありません。

また、『孟子』には、

君之視臣如手足 則臣視君如腹心
君の臣を視ること手足の如くならば、則ち臣の君を視ること腹心の如し

とあり、ここでは逆に家臣が主君を腹心のように見ると表現されています。
ここでの「腹心」は、上から下へではなく、むしろ下から上へといったイメージです。

かつては日本でも漢学が重視されていましたので、少なくとも知識層においては、
腹心=部下や使用人という感覚は無かったのではないかと思います。
「腹心」が部下や使用人という感覚は、一般に腹心の部下位しか使用例が無くなってしまった
日本における、比較的新しいものではないでしょうか。
『赤毛のアン』の訳者も、お嬢様学校であれば、古典的教養は重視されていた可能性が
高いので、漢学の素養があれば、現代的感覚とは無縁だったのではないかと想像します。
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私もあの場面は違和感を感じました。



村岡花子訳の「赤毛のアン」は、キンドルの無料サンプルで、かなりのページ数読めるのですが、かなり古い訳語が、何箇所も目に入りました。

おそらく、「腹心の友」という言葉も、訳されたころは、今とは異なる印象の言葉だったのではないかと思います。

以下、全くの推測ですが、その当時(戦中)は、「腹心の部下」という言い方は、軍の中では有ったかも知れませんが、民間では、あまり無かったのではないでしょうか。
戦後、旧軍人が、民間企業の要職を努めるようになり、高度成長に伴い、「腹心の部下」が、広く一般化したのではないかと思います。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ1―-モンゴメリ-ebook/dp/B00DOT518A/ref=sr_1_4?s=books&ie=UTF8&qid=1398125635&sr=1-4
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腹心と云う言葉に詳しいわけではありませんが、もう、うん十年昔赤毛のアンを読み、


腹心の友と云う言葉は大人っぽい大げさなところが気に入りました。
特別な関係、なくてはならない人、全面的に信頼できる人、でもそれは一方的だったようで、
アンはダイアナにとってどうだったのかまで、思い出せません。
辞書では腹心の部下とか自分に忠実な人という解釈です。
同義語に股肱という言葉があります。ももとひじ手足最も頼みとする部下の事。
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    下記では対等の定義が出ています。


    http://gogen-allguide.com/hu/fukushin.html
    下記では、どんなことでも打ち明けて話の出来る人、と言う定義のあとに「~の部下」という例が出ています。
    http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E8%85%B9%E5 …

    僕も質問者さんと同じに「腹心の友」っておかしいな、と首をかしげました。昭和の前半でも結構誤訳(またはそれに限りなく近い訳)ってある証拠では無いでしょうか。
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