電子書籍の厳選無料作品が豊富!

こんにちは。質問をご覧くださり、ありがとうございます。大学2年の女子です。

私は、近年優しさとは何かについて考えたとき、ある結論に至りました。私の結論は、「優しさとは、他人へ気を配ることで自己満足を得る、一見利他的に見えて実は利己的なことだ。だから誰かのためになにかをする、というのは、誰かのためになにかをするという自分の中の理想像を叶えるための手段に過ぎず、それは結局自分のためにしている。だから、これは他人に対して優しいことだという時には、常に自分のためにしているから、相手に恩着せがましく優しくしようなどと考えてはいけない。そもそも優しいということ自体が利己的なので真に思いやりのある行為は絶対にできない」というものでした。
これに気づいた時から、私はいままで他人に優しくしようと思っていたことは全て偽善であり、結局は自分の自己満足だったのだと思いました。なので、決して自分は他人のためなどと考えず、他人が嬉しくなるようなことも、自分がよく見られるためだとか、その笑顔が嬉しいんだとか考えながら暮らしてきました。
しかし、本当に最近になって、他人に優しくすることは本当にエネルギーを使うことなのだと知りました。そう考えていたうちに、私は人に優しくできなくなっていたみたいで、配慮ができないことも増えました。(優しいということ言われることも多々ありますが、配慮が無いと言われることも多々あります。)
誰かに優しくするということは、例えそれが他人からよく見られたいとか他人の笑顔がみたいとかそういった利他的なものであれ、他人にエネルギーを使うだけの心の余裕がある器の大きい人ではないかと思いました。
それで、その考えに沿って考えると、最近私は器の非常に小さな人間だと思ってしまいます。しかし、優しさは利己的なものだ、という考えが抜けず、自己嫌悪に陥っています。

どなたか、この「優しさとは利己的だ」という考え方のおかしな点を指摘してくださらないでしょうか。

長文失礼いたしました。最後までお読みくださり、ありがとうございます。

A 回答 (25件中21~25件)

こんにちは。



「情けは人のためならず。」

この解釈を、困っている人がいても、安直に同情なんかすれば、その人のためにならない。
とする人が多いようです。

正しくは、困っている人に、力をかしたり相談に乗ったりと情けをかけることをしていれば、
その行いは巡り巡って自分に返ってくる。自分を救うことにつながっていく、です。

質問者さんは、「優しさとは利己的だ」という考え方から自己嫌悪に陥るとのことですが、
「利己的なこと」は別段わるいことじゃないと思うんです。
ボランチィアで被災地の救援活動に参加しているひとが、それが自分の中の理想像を叶えるためであっても
全然かまわないんじゃないですか。

また、質問者さんが気づいているように、「優しくすることは本当にエネルギーを使うこと」です。
安易な自己満足を得るために、人にやさしくしようと思っても、うまくいくものではありません。
こんな大変で面倒なことやーめた、でおわるでしょう。

利己的・利他的なんて二分法はやめましょうよ。そんなの自分にも他人にも判断できるものじゃないし、
リトマス試験紙はありません。
どちらであっても、ひとにやさしくするのは、善いことだし、かつたいへんなことです。

私は、質問者さんに、人にたいしてやさしい人であってほしいと願うばかりです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

利他的にすることが実は利己的なことであるとしても、そのこと自体が特に悪ではないというのは確かにそうだなぁと思いました。なんだか救われた気がします。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/17 19:01

人との関わりは、「ギブアンドテイク」だと思います。



「与え、与えられる。」この関係が築けなければ、良い関係にはなりません。

「偽善」というと、響きが悪いですが、お互いが、何かを与えあえる関係は、素敵だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですよね。結局、自分が偽善だと言って何もしなければ満足するのは自分の自尊心だけであり、他者は満足できないので、結果的に偽善であってもした方が気持ち良く感じる人が増えますよね。そちらの方が良いのはそうですよね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/17 16:33

優しさの本質は、あなたの考えているようなものではありません。

優しさとは、簡単に言うと他者に、心身の気持ちの良いことを率先してしてあげることです。気持ちの良いことというとエッチなことを想像されるかもしれませんがそうではなく、身体に直接気持ちの良いマッサージをするとか、気持ち良くなる言葉を言うとかのことです。

他者本位に考えるべきです。優しさの中に自分の気持ちとか自分を介入させてはいけません。そこから間違った結論を引き出してしまいます。優しさとは他者に差し出すものなのですから・・・。優しさに自分を介入させると人のためではなく自分のためになってしまいます。それでは、自分のために人が居て、自分のために社会がある、という考え方になってしまいます。

そうです。他者に優しくするということはエネルギーが必要です。だから他者に優しく出来る人は自分が確立できている人なのです。他者に自然に構ってあげられる心にゆとりがある人なのです。自分が居て人が居るのではなく、大勢の人が居てその中に自分も参加している。こう言うように考えると楽になります。周りが見えるようになります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

他者がこうされると嬉しいのだろうなと想像して、それに対して働きかけるその一連の流れに自分の利益が関わってないということですか?
たとえその人自身がそう考えていなくても、無意識に気持ちいいと感じていなければ余計な行動はしないと思います。しかしながら、皆の中の1人である、という考え方がとても素敵だなと思いました!

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/17 16:29

そうですよ。

とどのつまり、人は「そんな素敵な自分」を感じて、自分を好きになりたいのです。でも結果的に相手に喜ばれるのなら、それはそれで良いのではないでしょうか。それを win win situation と言います。皆が幸せ、それが一番ですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私もそう思いました。しかし、そこでエネルギーを使う余裕がない自分に気づいて、自己嫌悪になったのです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/17 16:05

あなたの文を見て言いたいことはただひとつ。



そんなあたりまえすぎることを何熱く語ってるんだ

です。

ぼくには、

1+1は2なんだよ

みたいに聞こえます。

もっとも自分がエゴイストだという自覚がない偽善者もいっぱいいるけどね。
そういう人が使うのが「せっかく」。
ぼくがもっとも嫌う言葉です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

確かにそうですね笑
言われてみれば当たり前なのに、なんでこんな熱く語っているのか自分でもわかりません。苦笑

せっかく、は見返りを求めている優しさですよね。偽善を隠せずそのまま表に出してしまったのだと思います。私も良くないと思います。

お礼日時:2014/06/05 21:14

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!