一回も披露したことのない豆知識

今、質問中のネットに関する質問に対し、「あなたは自分の考えを押し付けすぎです。」との回答が散見されるようですが、私は、年を重ねるに従い、自分の考えをしっかり持つようになった反面、意に沿わない意見に強く反発したり、自分の考えを押しつける性向が強まった気がします。

そこで質問ですが、あなたは、どんな場合でも、自分の考えを相手に押し付けないでやっていける自信がありますか?

例えば、私は以前以下の質問をしました。
自分の子供が、孫にDQNネームを付けると言ったら?http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8461539.html
この中で、私は、もしそのようなことになったら、孫たちの将来を守るため、たとえ子供やその配偶者と敵対して、ドロドロに関係が悪化しても、断固反対すると書きました。

あなたは、少なくても相手が「いい大人」だったら(場合によっては子供もに対しても)、意見が対立した場合に、自分の考えを押し付けない自信がおありですか?

A 回答 (15件中1~10件)

いいじゃん頑固親父…自分は好きですよ。


大人の誰もが物分かり良くなったら面白くないですよ。

自分も自分の主張は通します。
ただ、相手の主張も尊重はしますよ。
でも受け入れる事は無いです。
それが長い時間かけて築いた自分と言うアイデンティティだから…。
価値観が違うのですから人と考えが違って当然です。
自分は自分で良いのだと思います。

この回答への補足

私も含め、多くの回答者が「押し付けない」ことを良しとすることを前提に話を進めて来たことと思います。
確かに、それは、民主主義の基本であり、多くの人間関係の常道として、正解だと思います。

しかし、例えば、(1)生命や基本的存立のために譲れない場合、(2)そのコミュニティーの長としてメンバーのことを思ってする決断に基づく命令、(3)知識・経験・見識などからして圧倒的に優位な者が、多数決を覆してでも、正しいと信じること・・・などは、民主主義によらず、たとえ押しつけに見えたとしても、十分「誠意を以て説明」の後、決行すべき場面があると思います。(但し、独裁的にならぬよう、十分な説明と長い目で見た民意への問いかけは必須)

それが適用できるのは、政治家の場合だと思います。(以下、私の過去問より)
  私は脱原発反対・消費増税/TPP賛成ですが・・・
  http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7822227.html
  (質問文後半をご覧下さい。)

補足日時:2014/09/25 19:54
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この回答へのお礼

そう!大人の誰もが物分かり良くなるのも問題だと思います。
そして相手のことも尊重する。
理想的なお答えだと思います。
簡潔明瞭・・・お待たせしました。B.Aを差し上げます。

お礼日時:2014/09/25 19:34

こんにちは




自信があるかないかと言ったら、ないですね


でも、
ただ、ひとつ


自分が尽くしてもダメなら、相手の考えを受け入れます
自分が相手を切らない限り。
それが自分の人生なんで。



その逆も同じ


自分が相手と逆でも、自分が折れると決めたら、折れます。
以後蒸し返しは一切しません。
それが自分の人生なんで。



押し付ける 押し付けられた

って、なんか現実からの自分が逃げてるニュアンスがあって、苦手なんです。


名前の問題は、いま時間がないのですいません、コメントできませんが

これから数十年後に、改名ブームなんていうのがあるのかも。。。って、
密かに思っています。
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この回答へのお礼

確かに、「押し付ける」というのではなく、「誠意を尽くして説明」してもダメなら、相手の考えを受け入れ/折れるしかないですね。

それと、今のDQNネームの赤ちゃんたちが良い年の大人になったころに、改名が自由になって、大改名ブームが起こるかもしれませんね。

お礼日時:2014/09/25 19:28

それは、相手と自分の関係性によって変わるし状況や立場によって変わるので、100%押し付けないとは言えません。



私の職場では私の考えを押し付けること度々です(笑)。
仕入が60円のものを加工して包装して150円程の金額で出したい私と、いや高すぎる、こんなの100円でしか売れないと言うパートさん。
パートさんはお客様目線。私は経営側の目線。
加工に使った光熱費・人件費・包装費は?
夕方…半額になったら仕入代さえ割るし!
でもパートさんの意見を聞いて売値を変えることもあるし、私の上司の指示で売値を変更することもありますが(立場上私の考え押し付けることは出来ません)。
組織で働いていれば立場によって変わりますよね。
プライベートでも同じではないでしょうか。
名付けの件は、お孫さんのことを思ってのことでしょう。
でも黙って見守るしかないでしょう。
それこそ立場の違いで。
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この回答へのお礼

確かに立場の違いで変わってきますし、その事柄の決定権限者ないしは上席者の意見が最後に通るのは当然ですね。まあ、それは押し付けというよりも、物事の決定システムではないでしょうか?

お礼日時:2014/09/25 19:21

正直言って、難しいと思います。


 私が、鉄道のカテゴリーで質問を立ち上げた「連絡改札口」に関することが、その良い例です。
 これまで私は、連絡改札口のことを「利用者の利便性を全く考えない、不便この上ない改札口」と酷評して来ました。
 しかし、多くの方々から「連絡改札口は便利だ」「連絡改札口を無くするほうが、利用者の利便性を無視したこと」などといった、私にとっては、いわば「想定外」の回答を、多くいただきました。
 これは、私が関西人であり、関西の鉄道では、連絡改札口は、ごく一部の、利用頻度の極めて少ない路線でしか採用されていないこと、よって、異なる鉄道会社の切符を、2枚同時に改札機に通すなどといった利用の仕方を全く知らなかったこと、そのため、横浜や名古屋で、連絡改札口を利用するたびに、不快な目に遭わされてきたことなどから、連絡改札口は不便という意見になったわけです。
 同じ鉄道のカテゴリーで、首都圏にお住まいの方から、今度、大阪に行く用事が出来たというご質問があり「なぜ大阪難波、近鉄上本町など、大阪とか、鉄道会社名の付いた駅名が多いの」というご質問があり、これも、関西では当たり前のことが、関西以外では、理解されないということの、良い例です。また「大阪の鉄道はバラバラで、わかりにくい」というご意見もありました。これも、大阪人には、他府県人にはわかりにくいと不評な「バラバラ改札口」のほうがわかりやすく、異なる鉄道の改札口を共通化した「連絡改札口」は、わかりにくいということになるのです。
 このように、鉄道の利便性一つをとっても、地方により、大きな差があるということです。
 特に、このサイトを利用していると「私の常識は、他人の非常識、他人の常識は、私の非常識」といったことが多々有り、どうしても、「私の常識」だけが正しいという錯覚に陥ってしまいます。
 以前、このサイトでのご質問で、「卵焼きをどうしてもおかずに出来ない」というものがありました。
私はすぐに「何故、卵焼きほどいいおかずは無いのに」と反論しようと思いましたが、待て、そう言えば、関東では、卵焼きといえば、砂糖を加えて甘く味付けする場合が多い、対して関西では、卵焼きは、塩か醤油の味付けで、甘く味付けすることなどありえない。それを考えないで反論していたら、危うく恥をかくところでした。
 鉄道の件しかり、卵焼きの味付けの件しかり、地方により、随分違いがある。しかし私を含めた、大半の方は、自分が現在住んでいるか、住んだことのある地方のことしか知らない。そのために、自分の地方では、一般的、恒常的に行われている習慣を、押し付けがちになってしまいます。
 このサイトでもなるべく「私はこう思います」「私は反対です」と、あくまで私個人の意見であることを、強調した回答の仕方をしなければいけないとは思いますが、なかなかそうは行かないものです。
 余談ですが、関西にお住まいの方が、もし何らかの用事で、関東や東海地方の鉄道をご利用になられる場合は、「連絡改札口」のことを、事前に充分に「勉強」されることをおすすめします。
 さもなければ、私のように、連絡改札口で「泣く」結果になります。
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この回答へのお礼

神様でない限り、世の中に「絶対」というものは先ずなく、好みや生活習慣や価値観も、その人の生きてきた環境によりまちまちです。
こうしたサイトでも、そうした色んな価値観などが論争の種になることがありますが、節度を以て、そうした論争に加わりたいと思います。

お礼日時:2014/09/24 21:21

質問の意図が良く分かってないのかもしれませんが、



若いとき、中年であったとき、

または、責任ある地位につく前に比べてですが、

「少しづつ回避できるようになった」

と自信がついてきました。


しかし、気がつくと、自分を見失い、失敗している場合も多いですね。


「自分の考えを押し付ける」

と言うのはある種の批判だと思います。

意見を述べている相手から出た場合もありますし、

当事者じゃない誰かが観察して、

(何かしら思うところがあって)

批判する場合もあるのでしょう。


本当に、使われるべきシーンとしては、

例えば私に人と接するときに悩みなどがあり、

これを信頼している方に相談したとき、

「自分の意見を押し付けても、うまくいかないぞ」

と諭されるときじゃないかと。


そのときに、少し頭が冷えて、

色々と思い当たり、言い方を変えてみたり、

相手の事情を考え、自分の意見を変えてみたりします。



質問者さんがこの質問をする切っ掛けとして挙げている記事を読みました。

深く読み解いているわけではないですが、

とくに大きく取り上げるような問題や展開は見つけられませんでした。

大変活発に意見を交換しており、珍しいというのが正直な感想です。

DQNネームについては、私も質問者さんと同意見ですし、

それこそ「ドロドロ」になるまで断固反対するでしょう。

子供はペットじゃないと言う意見にも賛成です。


ですから何を考え、何をお答えすれば満足していただけるのか。

少し悩みました。

そこで、

「自分の意見を押し付ける」

と言うテーマに対して、私の意見を述べ、

その様な観点で捉えたとき、

「自分の意見を押し付けた」

と言うシーンが減ってきており、自信がついてきたとお答えします。

「押し付けない自信がありますか?」 と問われるならば、

今の時点では難しい(とても自信が持てない)と思います。



さて、

本テーマは、やはり、

ある種の批判に対しての考え方を述べよというモノに思えます。

もしくは、別の人が、本テーマをどのように解釈しているのかを知るものかと。


私が思うに、

誰もが納得し、幸せな気分になっているときに、

この言葉が出るとは思えませんし、

この言葉が出てないときに、

「自分の意見を押し付ける」

ということを気にするシーンはないと思います。


と言うことは、

話題とは別のストレスを、

「自分が誰かに対して与えた」

と言う事実を指すのではないでしょうか。


私の経験では、

相手の事情を理解したあとは、

相手の方は頑なになっており、

問題のテーマについて、お互いに考えられず、

感情的になっているように思えます。


それが故に、

相手の方の頭も冷静になって、

充分に私の意見を理解しているのに、

私を否定したくて、

「もう主張したくも無い、過去の自分の意見を頑なに守る」

姿勢に変じている場合があります。


良かれと思って意見しても、

相手の行動や考えが逆になるならば、

これはやはり、

「余計なことをした」「上手くできなかった」

と言う、自分のミスなのでしょう。


原因として常々思い当たるのは、互いに対する甘えです。

信頼できる対象ほど、互いに自分の事情を理解していると信じています。

これは錯覚ですから、

全くの他人に接するのと同じ様に、

「何かあったのですか?」

と先に聞き、

「それだったら、こうしたほうが良い」

と伝える習慣が必要なのでしょう。


私が自信を持てない理由は、

気心が知れた後で、必ずミスをするからです。

親しい仲にも礼儀ありといいますが、

互いに甘えないように関係を維持するのが

大事であると痛感しております。


多く人にも経験があると思いますが、

「何があったの?」

から入らずに、話題のテーマだけを聞いて考えてしまう。


しかし、一般論で解釈し、一般論で語ってしまうと、

本当に悩んでいる相手は、否定として解釈します。

ここから不和が始まるのだと思います。


一般論を互いに主張しあい、

自分や相手の事情を、

情報として交換するのではなく、

どちらの意見が、一般的に正しいかと、戦が続く場合もあります。

これは互いに、有益ではないですよね。

切っ掛けを考えれば、大人気ない。


また、

助けるべき相手を何時のまにか攻撃している自分。

さらに、味方をつけて、攻撃しようと意図している自分。

こうなる前に、

最初の些細なきっかけを思い出して、頭を冷やしたいものです。


草の根ネットと言う、インターネットの前のネット文化でもよくありました。

当時は、先進的な取り組みに対して、センスが高い人が沢山参加していました。

自分の人格にも自信があり、

自分が所属する組織でも一目置かれている人が参加していたんです。

そこで起きるのは、先ほど述べた不和です。


私もこうしたものに巻き込まれ、

精神的に参ってしまったことがあります。

当時は不思議だったのが、

「何故、楽しい場所であるはずなのに、このような

 (誰にも相談できない)

 ストレスでここまで落ち込むのだろうか?」

もうそういう争いは辞めたいと思っても、

いつの間にか相手は、

「懲らしめて、参りましたと言うまで、苛めないときがすまない」

そんな気持ちになっているのが分かります。

こんなときに救われたのが、

「大分荒れているようですが、いったい何があったんですか?」

と聞かれたときです。

この人に事情を説明し、

やっとわかったのが、

「皆が自分を憎んでいるのではなく、

 荒れているので不思議に思っている程度?

 なのか??」

ということです。

意識はしていなかったんですが、

自分で無い誰かに批判されると言うことは、

多くの人に批判されていると言う恐怖を感じるらしいのです。


こんなときに、

「私は間違っていませんよね?」

と聞きたくなるのは当たり前です。

しかし、これは先ほど述べた、戦いを拡大するだけであり、実は苦しいのです。


自分と対象となる相手が、局地戦をしているだけであり、

他の人は不思議に思っている。

こういう認知が得られると、冷静に戻れるようです。


若かりし頃に、年上の方に、人との接し方の見本を見せられ、

これが今でも心に残っています。


同時に、

自信を持った大人ですら、

ここに差があり、自分も注意しないといけないと思いました。


しばらくして会社などの研修で習いましたが。

こうした不和を防ぐ力をEQ力というそうです。

以下はWikipediaのURLです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE% …

質問者さんも含め、ご存知の方も多いかと思います。

昨今では、これらについて検査をし、測定することが出来ます。


実際に測定して見ると、

人の上にたつ管理者であっても、甚だしい差が個人間にあります。

また、

コミュニケーションとは、自分と相手が同格であって初めて成立します。

ですので、どちらかが劣っていると、どちらも悪く見えるものです。

それがために、優劣がはっきりせず、自分を保てると言うものなのでしょう。


こうした知識の補足もあり、

どちらの意見が正しいのか?

一般論で、どちらが素晴らしい人間なのか?

などと言う比較は、あまりに益が無いように思えるのです。

昨今では、人物の成長度合いも測定し、偏差値が出ます。

そういうものがある中で、

正しい意見や考え方をしているかどうかを、主張しあうのは、原始的でしょう。


「何があったのか?」


これを聞かない。

さらに、すでにそれを聞くシーンでは、問題が手遅れかもしれない。

相手も生きておりますから、

別の悩みなどで、相談したかった時間があったのかもしれません。

それに気付かず、恨まれているのかもしれません。


しかし、

意見を述べるときと言うのは、

「今から初めて話を聞く」

と、意見をする人が勝手に決めます。


私が思うに、何故DQNネームなどつけたくなったんでしょう。

これは遡って、

過去にお子さんと密に接して、

細やかに情報を得ていないとわかりません。


意見が相違すると言うことは、

「何故相手がそうしているのか?」

分からないからですよね。


こう考えれば、相違した時点で、

相手を放置しすぎて、自分にかまけてきた部分を、

失敗したと悟るべき。


これを今この時点で軌道修正しようとすれば、

確かに強いエネルギーが必要になります。


これにより対象と成る人がストレスを受けるのであれば、

あまり誠実な考え方ではないと思うのです。


ご質問のテーマに戻りますが。

意見が相違したときは、自分がサボっていたと、想起するようにしています。

「何があったのか聞く」

ことで緩和されれば良いと願っています。

その上で、時間を稼ぎます。

遡って、過去から清算しないといけないでしょう。


こう考えるようになって、前よりマシに成ったと自信がつきました。

しかし、原因が怠惰でありますから、難しい。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

大変お礼が遅くなり、失礼しました。
色々アドバイスを頂き、有難うございました。
いくつかに焦点を当てます。

>相手の方の頭も冷静になって、
>充分に私の意見を理解しているのに、
>私を否定したくて、
>「もう主張したくも無い、過去の自分の意見を頑なに守る」
>姿勢に変じている場合があります。
「その人に言われたくない」ということですね。特に親子の場合には、こういう反抗心理が沸くのは事実でしょう。

そしてその背景にあるのは「互いに対する甘え」でしょう。

一歩距離を置き、
>「何かあったのですか?」
>と先に聞き、
> 「それだったら、こうしたほうが良い」
>と伝える習慣が必要なのでしょう。
・・・同感です。

一般論をもっともらしく述べることではなく、相手の事情に寄り添う姿勢が必要ですね。

EQの心得はぜひ身につけたいですね。

いきなり、そんなはずではなかったと言い争いになるくらいだったら、早くからの教育なり合意形成が大事ですね。

お礼日時:2014/09/24 21:15

---どんな場合でも自分の考えを相手に押し付けない自信があるか?---


⇒ない・・!!!

---意見が対立した場合に自分の考えを押し付けない自信があるか?---
⇒場合による・・!
# 思想や主義主張など譲れないものに関しては、誰が何と言おうと譲ることは無い・・!!
出来ぬものは出来ぬ・・!!  ならぬものはならぬ・・!!
・・・のである!!!
# 真偽などの議論等で、自分のほうが訂正すべきであると自分自身で納得し、説得された場合には意見を覆すことはあり得る・・!
# 多数決によって決定されるような事柄では、やむを得ず決定には従う(フリをする・・!?)
・・・が、目の届かぬところで逆らい続ける・・!

こんなところ・・!
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この回答へのお礼

ハハハ!胸がすくご回答ですね。
一応、私もどうでもよい、優先順位が低いものについては、「良きにはからへ」と任せると思うんです。
でも、あなたの言うような思想や主義主張については、自分は反対だ、とはっきり伝えます。
それに相手が従わない場合は、確かに仕方がないですね。
「押し付ける」と言う語感からは、相手に自分の意見を強制するというニュアンスがありますが、行動するのが相手であるならば、相手が従わなくても仕方がないのは事実・・・しかし、生命やそれに準じるものに関しては、最後まで、反対し続けると思います。そしていったん決まっても、ネチネチグズグズ、執念深く、徹底的に嫌味と意地悪をするような気がします。

お礼日時:2014/09/14 21:51

私はこのDQNネーム問題で「反対」と言いました



また、長男が名付けの先生で私が家族会議だったこともボヤいております

私はDQNネームではありませんが、生まれながらにしてのこの「差別」が腑に落ちないんです

兄は生まれたときの新聞の慶弔欄の切抜きまであります

第1子は育児も必死のパッチ、これが第2子となると手抜きのオンパレード

良く言えば「手のかからないおりこうさん」だったそうですが…

ある質問者に「ここで聞かずに先生に見てもらいなよ」って答えたら「一生ついてまわる名前だからアンケートで聞いている、その後先生に見てもらうかもしれない」「質問からずれている」と返事がきました

はぁ?

だったら名付けの先生のことも質問文に書けって!!

真面目半分、おちゃらけ半分の無料サイトなんだから

話が逸れましたが、押し付けと主張は紙一重なので何とも答えようがありません

私の「DQNネーム反対」意見も他人さんによれば「押し付け」に聞こえるかもしれません

かと言って黙っていれば「頭の中空っぽか?」と言われそうですし

最終的には「好きにすれば?」でしょうが、とりあえず言いたいことは言わせてもらいます
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この回答へのお礼

とりあえず言いたいことは言わせてもらうでいいんじゃあないでしょうか?
最近は、空気を読んだり、ものわかりがいいのが良しとされているみたいですが、そうは問屋が卸すものか!
昔「いじわるばあさん」というマンガがあったが、誰かが歯止めにならないといけないこともあるのでは?

お礼日時:2014/09/14 21:44

DQNネームの質問、よく覚えておりますw



あの時回答したように、そりゃちょっとは意見しますけど最終的には自分の子供への教育が悪かったとあきらめるしかないと思います。・・・それはつまり、自分(親)の考えを押しつけて、失敗をさせずに育ててきてしまったせいもあると思うのです。(まあ高い教育環境に置けばDQNネームを付ける親になる可能性は低いと思いますけど)

子供は自分とは別個の人格であり、自分が死んだ後も生きて行くわけですから、色んな事を体験させて導く事はあっても、親の考えを押しつけて育てるのはどうかと思います。自主性を育てなければ一人前になれません。

例えば、自分がお金を払って誰かに何かを依頼する場合とか、対等な立場で意見対立した場合とか、そんな時は自分の考えを押しつけない自信はありません。でも自分の子供に対してだけは押しつけないようにしたいです。

はっきりした自分の考えを持って、はっきり意見を言うのは大切な事だと思いますよ。でもそれをきちんと伝え、理解してもらった上で相手が意にそぐわない行動をする場合はもう仕方がないと思います。DQNネームの孫の場合だったら、名前でいじめられてもくじけないような子になるように孫の教育に関わります。
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この回答へのお礼

正論とは思いますが・・・。

お礼日時:2014/09/14 21:40

どんな場合でも自分の意見を押し付ける自信ならあります



その逆はありません(^^)v
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この回答へのお礼

それはそれは・・・大した自信ですね。

お礼日時:2014/09/14 21:39

他人(特に利害関係が無い)の自己主張に対して


反対意見の類を言わないのが私のモットーですから
自分の考えを押し付けない自信は100%あります
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この回答へのお礼

確かに・・・自分に利害が及ばないのなら、議論しないのが一番ですね。
それでも、西欧人には、人が何と思おうが、自分の考えを一言述べないと気が済まない人が多いとは聞いている所ですが・・・。(善し悪しは別として・・・)

お礼日時:2014/09/14 21:38

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