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中国の楚漢戦争時代の剣の材料は鉄でしょうか。

A 回答 (4件)

概ね全ての武器が青銅から鉄に置き換わるのが前漢の武帝の頃だそうなので、楚漢戦争の頃はたぶん鉄製だけではなく青銅製の剣も使われていたんじゃないかな。


漢の高祖の頃のものと思われる墓でも副葬品で銅剣も出てきたりしているらしい。
とはいえ、かなりの比率で鉄剣が用いられていたと思う。
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この回答へのお礼

0_asuka さん、ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/02 06:14

他の方と全く同じ答えになりますが、既にご指摘がある様に「悪金」と呼ばれた鉄は


既に戦国時代城や砦の門扉にまで使われて居ました、もちろん表面に張付けただけで
全体が鉄の門など秦の始皇帝でさえ多分使用しなかったでしょう、だって重過ぎる。

なお普通「金」と呼ばれたのは青銅で既に周はこれを軸受けに使用した「戦車」で殷を
容易に駆逐してしまいました。では本当の金は一体何と呼ばれていたのでしょう。
さっぱり分りません。

私の知識は完全に宮城谷昌光先生の受け売りで、文庫になったものは幾つか例外がありますが
ほとんど全部読みました、だがその中に上記の疑問の答えは無かったのです。

ですから#2のお答え通り青銅の武器もあった可能性は否定不可能ですが、楚漢戦争は
中国の人口を半分にしたのは御存知の通りで、莫大な数居た雑兵の武器には青銅のものが
無かったらそちらの方が不思議です。鉄は剣には向いているが槍や矛は青銅で充分で、
鉄を使うのはオーバースペックです。

既に「名剣」も存在し、安価な鉄製の剣など一撃で簡単に折られたと思われます。

最近の中国映画は「やり過ぎ」で普通の家屋に軍団が弩を打ち込む「アホ」な描写があります。
画像としては魅力的だが「正史」を完全に無視しており、安くは無い弩の矢を防御さえ無い
家屋に打ち込むのは全く意味が無い。さすがに中国の観客はアホくさくて見るに堪えなかった
でしょうが、米国など「派手なら良い」観客に「正史」は無駄、大体普通の家屋なら、歩兵を従えた
小隊長が難なく無血で占領できたでしょう。弩なんかまるで用無しだ。

蛇足ですが、信長が武田の騎馬軍団を退けたのは中国史を理解していれば当然で、三段の鉄砲隊も
既に中国の戦国時代「常識」弩兵は三段に別れ射撃、弩を引く、矢をつがえる、分担に
なっていました。別に織田右府をバカにする積もりはありませんが、中華の戦史を真面目に読めば
全く独創性は無い、優秀な真田の忍びを抱えていたのに織田の布陣が戦史通りだと見抜けなかった
のは武田勝頼がアホだったのかご親戚衆がアホだったのか、騎馬軍団の実績を過信したのか、
いずれにせよバカバカしくてあきれ果ててしまいます。
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この回答へのお礼

doc_somdayさん、ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/02 06:09

秦王朝では、鉄精製の専門部署が設けられていたようですので、当然に鉄器が主流の時代ですね。



青銅製の武具が無かったかと言われれば、答えは判りませんが、矛等の近接武具は間違いなく鉄器に変わっていたでしょう。
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この回答へのお礼

0fool0 さん、ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/02 06:13

まぁそうでしょうね



前漢の時代、製鉄所は国家が管理していたようですし
紀元前5~7世紀ごろには、基礎的な製鉄法は確立されていたとのことですし
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この回答へのお礼

trajaa さん、ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/17 16:32

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