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葛藤をふっきる方法、またはそれができたという方の経験談を教えてください。

たとえばAとBの選択で悩んでいる場合。どちらも自分にとってはよくないことだとします。
いずれかを選択すると、いずれかに依存している自分も捨てなければならない。
こういう状況におかれたとき、どのような思考や思想、方法論でAもBも捨てることができるのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

自分の内部のバランスを取っていけば、


自分が選びたい選択は、分かるようになると思います。

バランスが悪い状態で、厳しい選択をする時
判断基準が明確にならず、迷いが出ることは
結構あると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>内部のバランスを取っていけば

まさにそのバランスがとれている状態…でもそれが「同質のネガティブなふたつもの」なんです。

これは、どちらも負の選択をしなければならないコンフリクトのタイプです。それでも基準となるもの、が必要なのでしょうか…。

お礼日時:2014/10/17 14:39

逆に言えば、迷うぐらいならAでもBでも大差ないの


だから、さっさと(少しでもベターと思える方を
選んで)次に進む。
迷って時間を無駄にする方が、AかBかの違いより
大きいものだ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>さっさと

これができれば苦労してないです。

>迷って時間を無駄にする

いったん迷わなければ、衝動によって失敗を招くと思います(経験済)。

お礼日時:2014/10/17 14:42

私は悪いことであっても一気に捨てません。

時間をかけて一つづつ捨てます。二つからの選択は一つを捨てるのではなく、一つを拾うのです。そして次のもの捨てるためには別のものを拾えば良いのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>時間をかけて一つづつ捨てます。

私も同感です。

ものごとを達成するときには、「いきなり」「多くのものやことを」「一度に」やるよりも、「ベビーステップ」といって赤ちゃんの歩みのように、階段を一段階ずつあがるほうが、三日坊主にならないそうです。

選択肢がいずれも捨てるしかないという場合も同じかもしれません。

>次のもの捨てるためには別のものを拾えば良いのです。

うーん…実践する際には難しいですね。

お礼日時:2014/10/17 14:45

お礼ありがとうございます。



自己内部のバランスが本質的に取れていれば、葛藤は起きないと思います。
選択は、あくまでも条件の精査だけですから。
明確な根拠が構築されていれば、精査の時間が葛藤にはならないですよね。

後は、より具体的な話しでなければ何とも言いようがありません。
やりたい仕事で給料安いのと、やりたくない仕事で給料そこそこで悩んですとか。
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この回答へのお礼

>条件の精査

そうです。これです。もし「悪い条件」であっても精査が必要です。
でなければ感情論となってしましますし。

>明確な根拠が構築されていれば、精査の時間が葛藤にはならないですよね。

ただそれは葛藤の深さや長さが大きさによると思います。
それが大きいほど精査する根拠の明確さは「ない」に等しいことが前提になると思います。「葛藤にならない」ということは明確な強い根拠が「ある」ということになりますから…

でも葛藤は自分を知るということにもなりますよね。
葛藤を招かない根拠が確立されていても、それもまた「勘違い」「思い込み」「幻」かもしれません。

お礼日時:2014/10/18 19:15

(未完成の)ピラミッドがあって、


出来れば上を積みたいが、下を疎かにも出来ない。

・・・下を、確固たるものにすることでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>出来れば上を積みたいが、下を疎かにも出来ない。

まさに「負と負のコンフリクト」とはこのようなイメージです。

>下を、確固たるものにすることでしょう。

それが「アイデンティティの確立」ということですね。

お礼日時:2014/10/18 19:17

質問者様のお悩みが分かりませんが、


私は最近、人間関係で自分の取るべき行動を
選択しなければなりませんでした。


私にはAとBというオプションが与えられていました。
でも、自分の悩みやこだわりを手放せば、Cという
新たな選択肢が生まれるということも分かりました。


ちなみに、私は、熟慮の末、Aを選ぶことにしました。
わずかでしたが、自分にとって良い結果を得る可能性が
あったからです。


Bはとても辛いもので、我慢することができませんでした。
Cは自分にとっては、いちばん負担の少ないものでしたが、
いつも自分の目で確かめるというのが私のポリシーで、
Cは、そのポリシーに反していました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

具体的な悩みを述べてしまえば、こうした葛藤の形における共通項というものが探れなくなってしまうと思い、あえて書きませんでした。哲学として考えてみました。

ご回答者様はCが負担が少なかったということですね。私の場合はCが確実に自分にとってとるべき道だということは分かっているのですが、なかなか葛藤のもとが捨てられないのです。

私も熟慮してみることは「道」を歩む時の前提だと思うのです。>自分の目

>Cは、そのポリシーに反していました。

ということはCも選択肢のうち、ということだったのですね。
このような選択の道筋というのあるのだと、参考になりました。

また、A、Bそれぞれ自身が変わるのであれば、葛藤も生じませんし消えると思いますが、今のところ、やはりどうしてもA、Bを捨てざるをえません。

お礼日時:2014/10/19 10:35

>でも葛藤は自分を知るということにもなりますよね。



確かにそうです。
手放せば、その後はずっと楽なんですけどね。

日本では、手放し方が広まっていないのが残念です。
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この回答へのお礼

よく「手放す」と言われますが、これが難しい…

感情を手放すことなのか?そうではなく、感情はそのままでも、それを作る考え方を手放せばよいのか?そうではないのか。

>日本では、手放し方が広まっていないのが残念です。

ということは、他の国の文化や宗教では手放す考えや方法を示唆しているのでしょうか。気になります。

お礼日時:2014/10/19 10:38

追加請求ありがとうございます。



>よく「手放す」と言われますが、これが難しい…
>感情を手放すことなのか?そうではなく、感情はそのままでも、それを作る考え方を手放せばよいのか?そうではないのか。

拘りや過剰もしくは歪んだ欲求を手放せば、苦しくないと思います。


>ということは、他の国の文化や宗教では手放す考えや方法を示唆しているのでしょうか。気になります。

心理学に手法として数多く存在しますが、日本ではほとんど知られていないし
使われるてるのもごく一部の間だけに思えます。


たとえば、人を許すと言うことを手に入れれば
固執していた恨みも憎しみも手放せます。

手に入れるものから手放すことは始まりますが
それさえも日本人のほとんどの人が知らないように思います。
ちょろっと書いて、ちょろっとできるようになるものではないですけどね。

ゆっくりでも手に入れていけば、内部バランスは徐々に取れるようになります。
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この回答へのお礼

>使われるてるのもごく一部の間

それの理論、できればぜひぜひ教えてください。実践してみたいです。

お礼日時:2014/10/20 09:44

補足請求ありがとうございます。



>それの理論、できればぜひぜひ教えてください。実践してみたいです。

お伝えしましたように
>ちょろっと書いて、ちょろっとできるようになるものではないですけどね。
と言うことです。

ご自身で対応出来るよになりたいと思えば、然るべき所を探し
系統的に学んでください。
ご自身で困っている所だけなた、系統的に学んでやれるようになった方から
フォローを受けてください。

人の心を扱うので、残念ながら簡単に説明出来るものでは無いのですよ。
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この回答へのお礼

理論の名前だけでも…と思ったのですが…
わかりました。系統的に学ぶのは望むところですのでやってみます。

お礼日時:2014/10/20 19:48

私の場合の『Cの選択肢』について、


今日、新たな気づきがありました。

自分が追い求める幸せだけが、唯一の幸せではない、
ということに気が付くことが大切なのかもしれません。

私のポリシーに反していたため、
Cを選ばなかったというのも嘘ではないのですが、やはり、
それを捨てきれなかった自分がいたような気がします。


自分自身を深く探っていくと、
自分の顕在意識が求めているものは、
潜在意識に潜む不安が原因かもしれないと考えています。


つまり、本当に求めているものではない、
不安から逃げるために、仮想の幸せ(≒辛い現実)を
選んでいるかもしれない、ということです。


私のようにAかBを選択して、痛みを伴いながら
『自分の知らなかった自分』に気が付くこともありますし、
素直にCを選んで、ゆっくりと長い人生の中で、
悟りの境地に辿り着くということもあるのかもしれません。
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この回答へのお礼

>今日、新たな気づきがありました。

おお…!ぜひ伺いたいです。

>自分の顕在意識が求めているものは、潜在意識に潜む不安が原因かもしれない

私は少々心理学をかじってますが、すべての心の病はこれだと思うのです。
不安。それに対する抑圧。
(だから心の病は薬はごまかしであって、根本的な治療にならない。というよりも身体にとって有害にしかならないと思ってます)

それに気づき、不安に対処し、そして意識化して行動に移し、自分の意識を変えるとさらに潜在意識にフィードバックされる。
だから私は思考が人生活動においてもっとも大切なことだと思っております。
考えを尽くし、行動を尽くせば潜在意識に隠されていたことの気づきが生じる。
思考停止状態は、欺瞞につながり、世界をだめにします(欺瞞こそ不幸の源だと私は人生経験から悟りましたが)。

>不安から逃げるために、仮想の幸せ(≒辛い現実)を選んでいるかもしれない

まったくそのとおりだと思います。それが欺瞞です。
つまり自分に嘘をつくこと。嘘をついていることにさえも気がつかなければそれは不安となって自分の無意識に訴えかける。それを無視していれば、気がつかないふりをしてれば必ず支障がきます。それは他者への投影となり他者を傷つけ不幸にする。それって選択した結果がたとえ間違っていたということよりも罪深いことです。

だから常に自分と対峙ですね。自分は人の、人は自分の鏡(投影)ですからね。自分を発見することは人のことも発見できるということです。
だからその「>痛み」って人への思いやりだと思うのですね。

お礼日時:2014/10/23 17:38

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