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 地方の高校から都会に進学・就職し帰省すると、都会で流行りの服を身にまとったかつてのクラスメートが別人のようだった、なんて経験だれしもありますよね。
もちろん都会育ちの皆さんなら最初から粋な服装で地方から来た人に差をつけていたのかもしれません。
 さて、お洒落心が芽生え、かつそれなりに分別?もできてくる20歳前後の頃、巷にはどんなファッションが流行っていて、あなたはどんな服がお好きだったか教えてください。

 私は、70年代ヒッピー文化が残っている時代。ベルボトムの極みのようなチューリップ状のジーンズに大胆な横縞のタンクトップ。そのうえに襟先が乳首までとどくようなシャツを着ていました。それを着て、ウッドストックに行ったような気分になっていました。

A 回答 (12件中1~10件)

ex さん、こんにちは。



>二十歳前後の頃のファッションとあなたのいで立ち

20歳の頃通ってた大学は、都内女子大生の選り抜きを集めたような学校でしたからねぇ、それはもうお洒落で可愛い子はその辺に転がってました。

当時私の股間を最も刺激したのが、レイヤード・カットに独特のアイシャドーを施したその一方で、誰でも綺麗に見える魔法のパンツと称された エンジェルズ・フライト に セリーヌ 辺りのベルトを巻き、デザイナー・ブランドのブラウスを身に纏ったファッション、そう!女子大生から OL までをも席巻した ニュートラ のお姉ちゃん達でした。

これはもう一言で言えば、神戸発祥のお嬢様風女性版トラッドですね、そこにブランド物を組み合わせた或る種のコンビネーションでして、アン・アンや JJ が盛んに煽っておりましたが、後に流行ったコンサバの源流という事でしょう。

その一方でフェリス女学院発祥と言われた、ハマトラのビッグ・ウエーブなんてのも一瞬来ましたが、これは後年のぶりっ子・ファッションの先駆けでしょう、こう言っては怒られちゃうかも知れませんがブスが好むとの印象が強く、廃るの早かった気がします。

さて当時は GNP 1万ドルを超えた辺りでしょうか、そんな時代を背景にしたプチブランド・ブーム、普通の女子大生がエルメスやヴィトンなんてのを持ち出したのも、その一方でテニス・ブランドと言ってもいい、エレッセやフィラが蔓延したのもこの頃でしょう。

他にはサーファー系・ニュー・ウエイブ ( テクノ ) 、そして一時的なサイケの復権もありましたが、まあ時代の主流にはなりませんでした。

ところで ex さんが御指摘の通り、1970年代後半から始まった第2次ディスコ・ブームですが、私こそは当時の詳細を知る数少ない生き字引、・・とまあ勝手にそう自惚れております。

何しろ 溜池 ~ 乃木坂 ~ スクエアー・ビル ~ 芋洗坂 ~ 霞町方面 、つまり六本木方面のほぼ全域にアンテナを張り巡らし、週4日はディスコに通ってた大馬鹿者ですから。

さて肝心のいで立ちと言えば、通学時は学校のロゴが入ったスタジャンか Gジャン、バークレーや SHIPS ・ OP のトレーナー、フィラやラコステのポロシャツに、プレーンなジーンズそんな感じのコンビネーション。

そのままディスコに直行となれば、当時の超定番 ファーラ か ジョーダッシュ と いう NY デザイナー・ブランドのブーツカット・ジーンズ。
上はどうだろう、サーフ・シャツなんかが多かったんじゃないでしょうか。

・・というのも、20歳の夏休みに道路工事 ( つまり土方 ) のバイトを1ヶ月しましたら、 黒人並みの光沢に仕上がっちゃった。
「 あれっ! 俺ってサーファーじゃん 」 で養殖物の岡サーファーの一丁あがり、以降それで通した私です。

以上失礼しました。

この回答への補足

サーファーディスコというものがうわさには聞いたことがあっても、それがどのようなものなのか
今まで知りませんでした。
湘南サウンドのかかる海の家を改造したディスコで、サザンはそこを舞台に人気が出た・・・
くらいに思っていました。

そもそも、私のディスコの楽しみ方は、みちのくの達人(文中参照)の尻馬にのってコバンザメ
作戦ですから不純です。

タネをあかせば当時購読していた『商店建築』が情報源でした。ですからヒット曲も因果
関係もよくわからず、トゥーリアの照明器具が落ちて、六本木のディスコはみなカフェバー
に客を奪われた・・くらいに思っていました。
ムゲンのあとに周富徳が離宮をだしたなんてニッチなネタは知っていても
78年から83年にかけてのサーファーディスコの実態はアクロスにも出ていないし
雑誌東京人にもでていない。

ホイチョイプロダクションに出てくるのは80年代後半ですから、isokenさんのおかげで
ポケモンカードが全部そろった気分です。

さて古いチークダンスのテーマでしたが、古すぎましたか?

ということでこんかいは養殖ものの岡サーファーに拍手。BAお受け取りください。

補足日時:2015/01/26 17:59
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この回答へのお礼

isokenさん。おかげで完璧に記憶の糸がつながりました。私のナンパ時代
72年 ・・・77年
おそらくisokenさんのご活躍の時代
78年 ・・・83年
見事にすれ違ってます。多分
ディスコのかかった曲も、私はVAN McCOYの時代
https://www.youtube.com/watch?v=wj23_nDFSfE
isokenさんの時代の曲はほとんど存じ上げない

>20歳の頃通ってた大学は、都内女子大生の選り抜きを集めたような学校
でしたからねぇ、それはもうお洒落で可愛い子はその辺に転がってました。

いいですねぇ

>当時私の股間を最も刺激したのが、レイヤード・カットに独特のアイシャドー
を施したその一方で、誰でも綺麗に見える魔法のパンツと称された エンジェルズ・
フライト に セリーヌ 辺りのベルトを巻き、

思わず画像検索しました。
>ニュートラ のお姉ちゃん達でした。
頭の中には浅野ゆう子の姿がうかびましたが、年齢層は合ってます?

さて当時は GNP 1万ドルを超えた辺りでしょうか、そんな時代を背景
にしたプチブランド・ブーム、普通の女子大生がエルメスやヴィトン
なんてのを持ち出したのも、その一方でテニス・ブランドと言っても
いい、エレッセやフィラが蔓延したのもこの頃でしょう。

他にはサーファー系・ニュー・ウエイブ ( テクノ ) 、そして一時的な
サイケの復権もありましたが、まあ時代の主流にはなりませんでした。

>1970年代後半から始まった第2次ディスコ・ブームですが、私こそ
は当時の詳細を知る数少ない生き字引、・・とまあ勝手にそう自惚れて
おります。

いや驚愕の細密描写に感動し驚嘆の一語です。私の中の80年代といえば、
町田の借家に居を構えそののち世田谷に引っ越してからも六本木は行動範囲
からはずれていました。学生時代の同級生で東北のトラボルタみたいな男が、
「お前、スクエアー・ビルって知ってるか?」というので覗きにいったこと
があります。

そもそも私の守備範囲はフォークダンス。

そもそも立って口説くのは上背のある男に向いているのであってみすみす弱点
をさらすダンスは苦手でした。
チークも自分の彼女としか踊ったことがないという、ディスコ奥手。

さて、1980年といえばたしか、BEAMSができて骨董通りにはメンズビギ
のショップができてましたよね。表参道から根津美術館にかけてフロムファースト
ビルにアルマーニを扱うバルバスができ、ヨウジヤマモトや川久保玲の路面店が
できました。青山通りにブルックスブラザーズの路面店も80年には旗艦店を出店
しています。

>さて肝心のいで立ちと言えば、通学時は学校のロゴが入ったスタジャンか Gジャン、
バークレーや SHIPS ・ OP のトレーナー、フィラやラコステのポロシャツに、
プレーンなジーンズ

カッコいいですね。隙がない。

>そのままディスコに直行となれば、当時の超定番 ファーラ か ジョーダッシュ と
いう NY デザイナー・ブランドのブーツカット・ジーンズ。

いや、驚きました。ジーンズもこの時代のブランドが全くわからない
のです。セブン・フォア オールマンカインドもヌーディジーンズも
知らないブランドはないと自負していたのが全くの大笑い。そうですか
知らなかったです(汗)


>上はどうだろう、サーフ・シャツなんかが多かったんじゃないでしょうか。
そうですよね。サーファーディスコですものね。
だんだんわかってきました。ディスコは生身の男で勝負なんですね。どこま
で甘い言葉と生身の身体の発するフェロモン。

>道路工事 ( つまり土方 ) のバイトを1ヶ月しましたら、 黒人並みの
光沢に仕上がっちゃった。
「 あれっ! 俺ってサーファーじゃん 」 で養殖物の岡サーファー

それ、すごいですね。当然サザンのファンであるわけでどこにも破綻のない
一貫性。うーん明快な生き方なさってますね。
読んで面白くためになりました。自分の知らない世界を読んでも普通は興味
をもたないのですが、ディスコもファッションも街の話も自分の知識の空白を
埋めてくれる話でジグソーパズルのピースがはまるような快感を感じました。

お礼にお贈りする曲はこれです。
https://www.youtube.com/watch?v=p8jJ1ORIOes

貴重な体験と回顧録をありがとうございました。

お礼日時:2015/01/26 05:58

こんにちはEXさん。



二十歳前後の頃?
私も「IVY」のトラッドは好んで着ていたようの思います・・・
今の60齢過ぎの年配の方は多かれ少なかれそうではないでしょうか?
ですから、くろすとしゆきさんなどと聞くととても懐かしい。
以前、「平凡パンチ」を小脇に挟むことが彼ら、彼女らのお洒落でもあった、
そう言いましたがあの「VAN」のレンガ色の袋もまたそうでした。

当時、今の新宿中央口の向かいの中通りに「JUN」がありましたね・・・
私など節操がないからそちらも覗いてた。(笑)

何時頃から止めたのでしょうねぇ・・・
ジーンズかパンツ、それにシャツそしてジャンパー、このスタイルが好きになって、
多分にあの頃のフランス映画、イタリア映画の影響が大きかったように思いますね。
少し崩したトラッドのような感じで・・・
まあ、自分は本来田舎者だと言うことを自覚したのでしょう。

少し別の話しをしますが、
先日、日本酒の回答を眺めていて、なるほど「上善如水」、
EXさんのようにワインの好きな人には口に合うでしょう・・・
フルーティで日本酒が苦手な人でも美味しく呑めますものね。

あまり日本酒が得意でないEXさんに日本酒を紹介しておきます。
山口県は岩国、「旭酒造」と言う会社の酒で、
獺(かわうそ)の祭りと書いて「獺祭」(ざっさい)
日本酒の奇跡とも言われているようですがなるほど美味しい!
最近はとんと酒もいけなくなっておりますが、これは美味しい・・・
ただ、あまり何処にも置いていないようでこれが難!
価格も手頃ですから頭のどこかにでも・・・

お礼を忘れたのが原因かな?
少々気にしておりましたので何より・・・

この回答への補足

お酒のご紹介もありがとうございました。
入手できたらご報告します。

補足日時:2015/01/26 02:20
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この回答へのお礼

kamejroさん こんばんは ご心配をおかけしました。
>私も「IVY」のトラッドは好んで着ていたようの思います・・・
>今の60齢過ぎの年配の方は多かれ少なかれそうではないでしょうか?
>ですから、くろすとしゆきさんなどと聞くととても懐かしい。

なんだか、ほっとしますね。くろすさんが書いてものは雑誌のあと単行本
になって私はみつけたら買っていたのですが、引っ越しのたびに捨てたり
して、それがアマゾンで古い本がてにはいるので懐かしくて買い集めたり
しています。

>当時、今の新宿中央口の向かいの中通りに「JUN」がありましたね・・・
実は、学生時代最初に自分で買った服がJUNのコットンサージのブレザー
だったもので、JUNはいまでも好きです服も買っています。家の近くに
JUNのアウトレットがあってたまに普段の遊びの服を買ってました。


>多分にあの頃のフランス映画、イタリア映画の影響が大きかったように
思いますね。
>少し崩したトラッドのような感じで・・・
私は、一時期映画を見たら服ばかりまいている時期がありました。
映画から受ける服装の影響というのは、結構大きいですよね。ロバートレッド
フォードの「グレート・ギャッツビー」あの映画の衣装をラルフローレンが
担当していました。真っ白いスーツがやけにかっこよかったです。またギャッツ
ビーが衣裳部屋の引き出しに真新しいシャツがびっしり入ってるのを恋人に見せる
のも子供っぽいなあと思いながら記憶に残っています。
>何時頃から止めたのでしょうねぇ・・・
>ジーンズかパンツ、それにシャツそしてジャンパー、このスタイルが好きに
>なって、

B級ですけど、「ペーパーチェイス」という映画をご覧になりました?
その中ではティモシー・ボトムズとリンゼイワグナーがハーバード大学の学生を
演じてました。教授がやる気のない学生に容赦なく「荷物をまとめて田舎に帰れ
」という場面があったり恋と勉学の両立に悩む姿が印象的な映画でした。リンゼイ・
ワグナーは教授の娘だったと思います。
問題は、映画の中で誰もアイビールックじゃない・・・へんじゃないかとおもいつつも、
私はシャツの先のボタンばかり探していました。
それこそハーバードの学生からして
「ジーンズかパンツ、それにシャツそしてジャンパー」だったりします。

>獺(かわうそ)の祭りと書いて「獺祭」
じつは、うちのカミさんが宇部で、寿司屋で山口の酒ということで
獺祭を飲んだことがあります。カミさんだけ飲んで私は飲んでいないと
思います。大変な人気みたいで以前おいてあった高級スーパーの店頭からも
消えていました。
飯島内閣官房参与そっくりの大将のいる近所の寿司屋で飲んだのですが
たぶんもう置いてないかもしれません。
美味い具合にカミさんがいま母の介護で山口に帰っているので見つけたら
買ってこいと頼んであります。旭酒造にネットで頼むと2か月まちだそうです。

価格も手頃ですから頭のどこかにでも・・・

>お礼を忘れたのが原因かな?
いつもお礼を楽しみにしていました。
いや嫌われたかなと思ってヤケ酒のんでました

って嘘ですw
溜まった仕事に集中するのにやむなく
>少々気にしておりましたので何より・・・
すみません。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/26 02:18

#2



お礼ありがとうございます

【おまけ画像】

フィッチェのハンケチです

¥2000ぐらいだったかなー?

これを高校生の分際で使っていました、生意気ですね

(費用はバイト代です、タニマチサン居らず)

でも、割り算をすると年間使用料¥100以下

当時、アイスバーグの靴下が¥9000でした

さすがに無理ぃー( ´゜д゜`)アチャー

いま見てもポップな色使いがイイ感じです
「二十歳前後の頃のファッションとあなたのい」の回答画像10
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この回答へのお礼

michiyoさんいらっしゃいませ
フィッチェって小西良幸のブランドだったんですね。
ドン小西は私より3歳年上ですけど、この人90年代
大活躍していたんですね。
フランクミューラーっぽい時計のデザインはさておき
ニットはすばらしいですね。

ベルサーチ、ジャンフランコフェレ一時期カラフルなニット
があったけど
これだけのオリジナリティのある絵画的なニットデザインは
誰にもマネできませんね。
ドン小西は呉服屋さんのお坊ちゃんみたいで生来色に対する
感覚はするどいものがあったのでしょう。

このハンカチの柄 いいですね。

小西さんは、京都の老舗小田章と提携し着物の柄のデザイン
をはじめたみたいですね。
小田章のご主人はまだご健在なのでしょうか。電通の人にむかし
引き合わせていただいたことがあります。
祇園祭を仕切る京の粋人でした。

お礼日時:2015/01/26 00:30

こんにちわw



私は酷かったです・・・ファッションセンスなんてありゃしませんでした。
母ちゃんがセシールで注文するとき「欲しい服ある?」って聞かれてカタログ見て選んだり、衝動で高い革ジャン買ってサイズが合ってなかったり、中学生が着るような安っぽい服買ったり、靴が口開いてたり・・・まあ今もセンスありませんけど、あの頃はほんと酷かったと思います。お金の配分もまったく考えてませんでした。

二十歳過ぎた頃は「ユニクロって安くて色々あって便利だなぁ」と思いユニクロばっかり着てましたが、当時はまだユニクロ着てると笑われる時代でしたね。

でもなぜかGパンだけはEDWINに拘ってました。今はユニクロですw

当時はスマートだったから、色んな着こなしでデートとかもっと楽しめたのになぁと後悔します・・・
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この回答へのお礼

mikasaさん、こんばんは

>私は酷かったです・・・ファッションセンスなんてありゃしませんでした。
私も酷かったですよ。母親がニチイでそろえてくれた、アクリル・ポリエステルのカーディガン
とか、ポプリン(薄手の平織)の綿パンとか抱えて電車で14時間も離れたみちのくに一人旅。

最初は4人部屋の寮生活。そこの住人がまたすごくて朝起きて寝るまで丹前を着ている。
学校に行くのもみんなで電力会館に映画をみにいくときも丹前。

母親が選ぶものってなんであそこまで古臭いのでしょう。別に普通でいいのに
トレーナーとか丸首のセーターとかでいいのに、カーデガンとか白いタートルネックのセーター
とかになっちゃうんだろう。

>衝動で高い革ジャン買ってサイズが合ってなかったり、

革ジャンって絶対サイズ合わないですよね。寸法直せないですし。持ってる革ジャン
みな腕が長いです。60歳の還暦祝いでカミさんが買ってくれたブランド
ものだけ、ショップで直してくれてこれはぴったり。高かったです。

服に気をつかうというのは、先にも書きましたが一種のプロテクターなんだと
思います。ヘッドギアつけずにスパーリングに臨んだ私は近くの佐々木希ちゃん
似の女の子からカウンターパンチをくらった話は何度もお話いたしました。

しかしその後、ダサい恰好をしているとすごくふさわしい冴えない子がよって
くるのですね。これは困るなぁと思い、少しは自分の恋愛コンセプトを表現する
身繕いをしなくてはいけないと思いました。

東京でいう三峰みたいな路面ショップものぞいて、高くて買えないので夏の
バーゲンセールでJUNのコットンジャケットを半額で買いました。
それが一張羅で活躍しました。そのあと実家に帰るたびに着る服かないといって
買ってもらうのは田舎の洋品店の奇妙なデザインのものばかり。

長野からきた同級生もひどいもので、俺は童貞じゃないぞ威張っていた彼も
お洒落に関してはこどもそのもの。桃太郎の羽織みたいなチョッキを着てました。
あとは生協で売っていたサファリジャケットとかそんなものです。
東京の私大に行った高校時代の友達が遊びにきて、スーツを着ているんですごい
なぁと褒めたら、たまたまよく似た上着とズボンがあったから買ったのだと。
よくみると微妙に色が違う。そういうことやっていた時代でした。
彼女ができてはじめて服装がまともになった同級生がやまほどいました。

>中学生が着るような安っぽい服買ったり、靴が口開いてたり・・・

そういうのを見て母性本能をくすぐられるという聖母のような女の子がかならず
いたりするのですね。
>お金の配分もまったく考えてませんでした。
このグレード配分というのが結構お洒落では大事なんだというのがわかったのは
40歳過ぎてからですね。ベッカムの真似だと言ってつい最近までイタリアンジーンズに
黒いジャケット、シャツにヘインズをあわせて何かちがうなぁと・・・
雑誌にでてくるベッカムさんの着てるTシャツは3万円くらいする海島綿なんですね。
あれだからカッコいい。

>二十歳過ぎた頃は「ユニクロって安くて色々あって便利だなぁ」と思いユニクロ
ばっかり着てましたが、当時はまだユニクロ着てると笑われる時代でしたね。

若い頃にユニクロがあってうらやましいです。
私はユニクロができたての頃路面店に長い時間いりびたっていました。これでもう色に関して
は悩まないでいい。
しかし、ジャケットの型紙が自分に合わないことがわかると興味が薄れました。
ユニクロは服を勉強する上で多くのことを教えてくれましたね。ニューヨークの5番街に店を
出しているだけのことはあります。


>でもなぜかGパンだけはEDWINに拘ってました。今はユニクロですw
日本の倉敷のデニムってすごいらしいです。桃太郎ジーンズとかいま話題ですけど私は、
ユニクロの「MADE IN JAPANのワンウォッシュ」のジーンズが大好きでこのコストパフォーマンス
は完璧です。

>当時はスマートだったから、色んな着こなしでデートとかもっと楽しめたのになぁと後悔します・・・

いやいや、服装は体型をカバーしてくれるから価値があるのですよ。ローライズのジーンズは腹が出ていても履けるように作ってあるし、シャツの裾だしも
出っ張った腹隠しに都合がいいんです。お楽しみはこれからですwモテる人にお洒落はいらない。

復帰一番の質問にご回答を賜りありがとうございます。

お礼日時:2015/01/25 23:27

ベルボトムのジーンズ(Levisの646や517)に、トニーラマのウエスタンブーツやチペワのロングブーツ、ボーリングシャツですかね。

冬はAVIREXのB-3やB-9で大学に通っている人が多かったです。それだけで熱いので、中はhanesとかcomme caのTシャツとか。今考えるとギャップが激しくて結構笑える。平成2~3年ころでした。髪型は、ロングで江口洋介風が良いと思っていました。

巷では、DCブランドが流行っていました。女子は、ワンレンボディコンが多く、目の保養になりました。
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この回答へのお礼

>ベルボトムのジーンズ(Levisの646や517)に、トニーラマの
ウエスタンブーツやチペワのロングブーツ、ボーリングシャツ
ですかね。

すごいです。
かっこいいです。
ボーリングシャツとくれば完璧ですね。なんだか色調まで目に
浮かびます。色落ちした明るいブルー、オイル仕上げのタンの
クレープソールのブーツ。臙脂か(黒もいいですね)のボーリング
シャツ。背中の鮮やかな刺繍がかっこいい。
お洒落ですね。
小林泰彦がイラストに描く世界。

>冬はAVIREXのB-3やB-9で
ボマージャケットってみるからにゴージャスな雰囲気ですよね。
あれで大学通っちゃうのですか。かっこよすぎです。
>中はhanesとかcomme caのTシャツとか。今考えるとギャップが激しく
たしかに。一点豪華主義ですね。
>結構笑える。
いやカッコいいです。Tシャツをスリードッツかサンローランあたり
にすれば今でもいけます。

ムートンの下にTシャツ。実はくろすとしゆき氏の『トラッド歳時記』
という本に出てくる着こなしだったりします。もっともトラッド歳時記はランチコート。
ランチコートの下にはTシャツ。5月の着こなしでサーキット観戦という
設定。
品川の駅前のホテルから冬でもTシャツ一枚の米国人がよく出てきますが
脇にボマージャケットを抱えていたらこういう格好になるのでしょう。

>平成2~3年ころでした。
そうですね。世の中お金もちがたくさんいました。サラリーマンだった私は
渋谷のレッドウィングのショップ前でブーツを買う買うかうまいか迷って
いた時代。女の人でもお洒落な人はAVIREXのボマージャケットを着てました。
ムートンの襟の下にエルメスのスカーフを巻いて女っぽくはしていました。

>髪型は、ロングで江口洋介風が良いと思っていました。
時代は東京ラブストーリーの時代、江口洋介も出ていましたね。

>巷では、DCブランドが流行っていました。
この時代はワイズ、コムデギャルソンオムが勢いがよかったのでしょうか。
>ワンレンボディコンが多く、目の保養になりました。
これ、水商売の服かとおもう格好で女の子が会社に着てくるのですから
ほんとうにいい時代でした。
ボマージャケットは本当に欲しかったけど、やわな身体では似合わない。
女の子が似合うのと華奢な男に似合わないというのには大きな違いが
ありますね。
バブル期の記憶がよみがえり楽しくてつい長く語ってしまいました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/25 21:56

世間はバブルのピークくらいだったと思うので、肩パットが入って腰が絞れたやつですかね。

ワンサイズ大き目くらいにダボっと着るんですよね。女の子は、ワンレン・ボディコン全盛期だったかなあ。
あんまり覚えていないのは、当時の私は実にイケてなかったんですよ。高校生くらいのとき、ロックバンドに憧れてブルース・スプリングスティーンみたいな「Gジャンにバンダナ」みたいな恰好をしたら親父に「なんだその渋谷のバカ者みたいな恰好は。近所の人に見られたら俺の評判に傷がつく」と正座させられて2時間くらい説教されてからオシャレが怖くなってしまいまして・笑。
当時例のあの宮崎のアレで世間の注目を集め始めたオタクっぽい感じでしたね。今アキバ系の人たちを見ても「十年一日という言葉があるが、なんで君らの業界は今もあんまり変わらないファッションスタイルなんだ」って思いますね。さすがに「ラムちゃんTシャツ」は着ませんでしたけれども。ワカゾーのくせにタックの入ったスラックスに、なぜかくるぶしが見えそうなくらいの短い丈。嗚呼、思い出すだけで恥ずかしい・・・

そのときの記憶があるので、未だにチェックのシャツに対してはアレルギー的反応をして決して袖を通しません・笑。
確実に、その頃より今のほうがイケてます。
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この回答へのお礼

>世間はバブルのピークくらいだったと思うので、
1989~1991年辺りですか。いい時代でしたね。

>肩パットが入って腰が絞れたやつですかね。ワンサイズ大き目くらいにダボっと着るんですよね。
ジャンニ・ベルサーチ、ジョルジュ・アルマーニ・・いまにして思えば
あれは洋服というより丹前と袴に近いですよね。何しろイタリアサイズの
36, 38, 40, 42, 44, 46が、当時輸入されていたのは40、42ばかり
で私は試着しては泣いていました。高いし買ったことないです。

>女の子は、ワンレン・ボディコン全盛期だったかなあ。
懐かしいですね。ピンキー&ダイアン 歩く水着とか呼ばれてましたね。

>当時の私は実にイケてなかったんですよ。

あらら。Bruce Springsteen アバンドにバンダナにジージャンがカッコいいのに。
スギちゃんのオリジナルのあの人ですよね。

>「十年一日という言葉があるが、なんで君らの業界は今もあんまり変わらない
ファッションスタイルなんだ」って思いますね。
あはは。なるほど。たしかにそうです。
よくみるとあれはアイテムというより、体型の問題かもしれませんね。
チェックのシャツは論外として、ジーンズにTャツにボタンダウンシャツの重ね着自体は
おかしくはないのに、タヌキのようなオタク腹とぽっちゃりオタク顔がいけないのでしょうね。


>さすがに「ラムちゃんTシャツ」は着ませんでしたけれども。
最近はみませんね。秋葉の美意識も進化したのでしょうか。

>ワカゾーのくせにタックの入ったスラックスに、なぜかくるぶしが
見えそうなくらいの短い丈。
彼女のお父さんでも、ちょっと不安になる。というかそれでモテたら
中身がいいのと見る目のある彼女ということですか。

>そのときの記憶があるので、未だにチェックのシャツに対しては
アレルギー的反応をして決して袖を通しません
よくわかります。うちのカミさんも私が買ってきたチェックのシャツを
捨てます。
テキサスのプロレスラーみたいな体系の人かパジャマか
ハンカチ以外でチェックは不要だと私も思います。
>確実に、その頃より今のほうがイケてます。
20歳前後の時代にライダースジャケットでも着なれていたら
ストリート系の達人になっていたかもしれないのに残念ですね。

お父様が気に入る服装は、アイビーかトラッドだったのでしょう。
バブルピークに渋谷でも原宿でもアイビー系の服など売っていませんね。
SHIPSとかBEAMS、UAとかあったけどロックテイストとは相容れません。
渋カジはまさにお好みのテイストなんですけど
まさに「なんだその渋谷のバカ者みたいな恰好」そのものですから。
いけません。
渋カジという当時のファッションのメインストリームから
反対側に押し流されてしまったのですね。そこからご自身のスタイルを
どうやって取り戻されたのか。その契機となったのはやはり
彼女の存在だったのでしょうか。またの機会に伺いたいです。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/01/25 18:15

おはようございます。



exさんが、わりと早めに戻って来られて、喜ばしいかぎりです。
初代exさんが帰還されたのですか?それともexなる由緒ある名跡を誰かが継承し、二代目exとなったのですか?
まぁ単にギャグですからお答えになる必要はありません。

さて

>私は、70年代ヒッピー文化が残っている時代

私も似たようなものです。60年代のパリ革命から続く、若者は手を携えて連帯しなくてはいけないんだ、という気風は辛うじて70年代にはまだ何となく残っていた。ところが80年代ともなると、学生も若者全般も個人主義になっていきましたね。人は人・自分は自分、互いに関係ないと。

exさんには分かって貰えるかも知れませんが、私が20歳前後の学生時代は、バスや電車で偶然隣り合わせた女の子が、口にガムや飴・チョコを放り込むついでに、私にも「どうぞ」とくれたり。ちょっと今の若い世代とは違う距離感の近さがありました。懐かしい思い出です。

>さて、お洒落心が芽生え、かつそれなりに分別?もできてくる20歳前後の頃

それがですねぇ・・・何事にもお金が掛かる、これは世の道理で・・・貧乏学生の私にはなかな出来ない。けれども救いがない訳ではなかった。
ジェームス・ディーンははるか昔に逝き、ブラッド・ピットはまだ現れてない、そういう時代でしたが、ジェームズ・ディーンの創始?したカジュアル=はやい話がよれよれのジーンズにコットンのシャツ姿で、女の子の前でも別に恥ずかしくない、とまぁこの風潮に助けられました。

ビート族の流れを受け継ぐヒッピー文化はいろいろな意味で有難かったですね。

>巷にはどんなファッションが

前述の如く、服飾ファッションには語るべき引き出しを持っていませんので
そのファッションなるものを拡大解釈してしまいます。

今の様にスマホで音楽を聴く時代じゃないですから、良い曲を音響効果よく聴きたければ、ジャズ喫茶とか名曲喫茶とか。ところがここが音楽限定じゃない。プラスアルファがあり、そちらの方が主眼かも。つまりナンパです。男も女もそれが目当てみたいな面もあり、結構楽しかった。

今の様に、皆が個別にスマホ覗いてるから、余計に孤独になるんですよ。

あとは、デモ行進もそうですね。学生デモ・学生集会。あれもナンパしたい・されたいグループがかなりいる。私に言わせるとジャズ喫茶も学生集会も皆ナンパになっちゃいます。
尤も、真面目に上記に参加したい人たちもいる訳で。それはその通りです。あくまで「私的には」という事で・・・

失礼しました。良い週末を。
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この回答へのお礼

sqさん、お騒がせいたしました。二代目ですw
>私も似たようなものです。60年代のパリ革命から続く、若者は手を携えて連帯しなくては
いけないんだ、という気風は辛うじて70年代にはまだ何となく残っていた。

新宿フォークゲリラまでいかずとも、どこにいっても若者の連帯意識はたしかにありましたよね。

>私が20歳前後の学生時代は、バスや電車で偶然隣り合わせた女の子が、口にガムや飴・チョコ
を放り込むついでに、私にも「どうぞ」とくれたり。

そうですよね。よく、もらいました。ガム。・・・・ってそれ保険のお姉さんの話ではないですよね。

え~っ。なかったですよ。いいなぁ

私は女子大との合同ハイキング以外でバスで隣り合わせた子からガムをもらった
記憶はないです。防水工事のバイトで青森からきた出稼ぎのオジサンが卵焼きわけてくれた
くらいでしょうか。
「おめ、工学部の学生さんだろ。ならば監督さんだ。ま、そんときゃよろしく」
(実際は訛っていてほとんど聞き取れないのですが)

たしかに。いろんなものを分かち合う空気ってどの辺で消えてしまったのでしょう。
「僕ら」とか「俺たち」「若者たち」という言い方は今の世代はあまりしませんね。

>貧乏学生の私にはなかな出来ない。
70年代は親も子供もまだまだ豊かでなかったですから。そうですよね。

>ジーンズにコットンのシャツ姿で、女の子の前でも別に恥ずかしくない、とまぁこの風潮に
助けられました。
このスタイルは、そのまま体格の良さと顔立ちのよさが目立ちます。目鼻立ちがくっきりして
いて脚の長い体型向きかもしれませんよね。
キャンパスの中でこざっぱりした格好している方が少なくて、先ほどの俺たちの旅でも真崎・守
の漫画(ジロがいく以前)でも主人公はシャツにジーンズだったかもしれません。

>ヒッピー文化はいろいろな意味で有難かったですね。

気楽な服飾文化についてはアメリカ西海岸はその流れがそのまま日常化した感じですよね。
ビジネスでもスーツ着てネクタイしているのはニューヨークかシカゴあたりまで。
サンフランシスコでもシアトルでもポートランドでもヒッピーの文化が色濃く残っているように
感じます。

>そのファッションなるものを拡大解釈してしまいます。
ありがとうございます。洋服屋の話をしていてもつまんなくなりそうで、さすが
sqさん私の意のあるところを汲んで下さり助かります。

男も女もお洒落の目的は「モテるため」です。その辺をLEONの岸田一郎は上手くとらえて
オジサンに雑誌を売りました。
曰くモテるオヤジは○○上手。
このには○○は、「着こなし」でも「コーディネート」でもなんでもいい、日頃オジサンが
恥ずかしくて口にできない言葉をいれると見事に、大人の欲望を煽るフレーズになるから
不思議です。

>良い曲を音響効果よく聴きたければ、ジャズ喫茶とか名曲喫茶とか。ところがここが音楽
限定じゃない。

ジャズ喫茶でナンパなんかできないだろう
という人は、この言葉に耳を傾けてほしいえす。当時のいい女はみなジャズもクラッシックも
音楽喫茶で聴いていた事実を忘れてますね。
私も美術部の女の先輩に無伴奏というバロック喫茶に連れていってもらいました。
彼女はそこでバイトをしていたんですが、そうあの小池真理子の「無伴奏」の舞台になった
バロック喫茶です。

>私に言わせるとジャズ喫茶も学生集会も皆ナンパになっちゃいます。
今気が付きましたが、sqさんは、女性を引き寄せる魅力をお持ちなんですね。
たぶんというか普通にモテたのではなかろうかと拝察します。

女性に不慣れな若者はお洒落という「プロテクター」をつけないとカウンター
パンチをくらいそうだと思っていました。防御でなく攻撃の技が大事だと
わかるのは実戦の経験を積んでからです。そうなるとデートのお洒落は防具で
なく相手へのサービス。このへんはもうsqさんには釈迦に説法ですね。

しばし連帯の70年代の思い出にひたりました。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/25 16:41

#4です。



「頭はモッズ」・・・訂正します。「頭はアフロ」でした。まあ要するに「モジャモジャ」。よく学校が受け入れたと思っています。
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この回答へのお礼

ご訂正いたみいります。

おそらくは、当時泳げたいやきくんで子門正人が人気でしたから学校側は子供ウケを狙ったのかと
拝察いたします。
http://i.ytimg.com/vi/UFJp8fLQM4c/hqdefault.jpg

お礼日時:2015/01/25 09:59

だいたい、質問者さんと同世代だと思います。



私は、ベルボトムではなく、「ブーツカット」のジーンズに、上野の田中商会で購入したミリタリージャケットで、「俺達の旅」風のファッションでした。

私の姉はモロにヒッピー風で、頭はモッズ、服はサイケで、小学校の教育実習に行ってました。

この回答への補足

俺たちの空でなく旅ですね。空だと同期の桜になっちゃうwすみません

補足日時:2015/01/25 13:52
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この回答へのお礼

santana-3さん こんにちは

いつもながら、簡潔で当意即妙なご回答。敬服いたします。
ジーンズがブーツカットというのがお洒落ですね。
当時、アメリカンカジュアルなんて地方までは浸透していなくて
カラージーンズなんて奇妙なものを私は平気で穿いていましたっけ。

「俺たちの空」
は私の学生時代と完全に重なります。私の彼女は中村雅俊の同郷で
大変なファンでした。私は上背がないのでミリタリーは鬼門。
映画スケアクローをみてアルパチーノの着ていた海軍のCPOシャツを
探して上着代わりにしていました。

お姉さまはたしかにあの時代、それで教育実習でいっても誰も文句を
いわない空気でしたね。
街を歩けばフィンガーファイブのステージ衣装みたいな恰好した人が
たくさんいました。いやリアルなイメージが浮かびなつかしいです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/25 09:54

アイビーですね。

還暦を過ぎたジイさんになった今でもアイビーの傾向の服が好きです。
http://www.apalog.com/street_research/archive/1963
http://item.rakuten.co.jp/abesuit/c/0000000291/

最近の若い人のヒップホップな恰好 嫌いですね。
最悪なパターンは
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%9B%BD%E6%A …

部屋の中で帽子をかぶり続けるだらしない人もいやですね。
(これは私は若いころに厳然としつけられました。)

若いころは今の若い者は・・・と言われたのですが、今は言う立場?
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この回答へのお礼

>アイビーですね。還暦を過ぎたジイさんになった今でもアイビーの傾向の服が好きです。

私もいまでもアイビー傾向の好きで、BEAMS lightsとかトゥモローランドの服やボックスシルエットの服をみつけると嬉しくなります。
しかし実際に20歳前後でしっかりアイビールックを着た人って、実は東京周辺のいいとこの坊ちゃんだったりしますよね。VANショップとか一応全国にひろがってはいましたが当時の僕らにとってはアイビーアイテムは垂涎の的でした。
私をはじめ1950年代生まれは書籍や雑誌によって啓蒙された世代だと思うのですよね。
メンズクラブは読んでなくても、くろすとしゆき氏のトラッド入門本は目を通したなんていう人が結構いたりします。石津謙介という一人の「洋服屋」がデザイナー以上に大きな影響を残しました。男が服を語ることは「恥ずかしいこと」だったのが、石津謙介がなんの臆面もなく(まぁ商売だから当然のことだけど)男のお洒落を語るのは新鮮でした。

米国のキャンパスルックという味付けが、親の躾というトラウマとうまく融和していつのまにかアメリカのライフスタイルへの憧れとかさなっていったのかもしれませんね。
同じ仲間がいてうれしくてつい長話になりました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/25 00:17

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