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《神が消えた》〔とあとからでも分かる〕のは 何と言っても ナザレの人間でイエスという男が 自分は神の子であり その父なる神と同等であると言い出したときからでしょう。


 (1)
 イエスというふつうの人間がキリストという神の子でありみづからも神であるという大いなる虚構を語った。このときから 神は――実質的に言えば その神という言葉をいちいち知ったり表現に使ったりすることが――要らなくなった。

 (神を知れと言っておしえることがなくなるというのは へブル書8章に 旧約のエレミヤ書31:31以降のくだりを引いて述べられています。契約があたらしくされるというところです)。


 非経験の場として想定されうる神が――それは とうぜん相対的な経験世界や人間とは絶対的に隔たりを持つというにもかかわらず―― 〔神が〕経験事象としての人間という存在でもあると語られた。とにかく虚構としてでもそして遺された弟子たちの語る物語としてでも 自己表現された。ここから 神は要らなくなりました。

 当然のごとく その《神が消えた》ということは 時間差をもって歴史の中で現実において 実現して行きます。

 (たぶん このことが分かっているのは現在でも 何人もいないかも知れません)。




 (2)
 ニーチェが死んだと言ってころした神は 人間が思考や想像によってこしらえた観念の神です。人間の願いのような心情としての神であり せいぜいが信念として――信念は実際に働くことはあり得ますから――持たれた観念や理念としての神です。

 いかんせん人間の思考は 移ろいゆかざるを得ません。つまり観念の神は 人間がこしらえた時から模造品であり わざわざ人がころさなくてもすでに死んでいます。




 (3)
 《神が消えた》と言っても 神がもはや存在しないと考えられるようになったというのは 誤解でしょうね。

 神が存在するということの証明は人間に出来ないのと同じように 存在しないということも証明できません。

 《非経験の場》は 誰にでも――その想定のかぎり――現実です。逃れられません。

 非経験の場が 神のことです。有るか無いかは 分かりません。分かるか分からないかが人間には分からないナゾです。人間があるかぎり宇宙が存続するかぎり このナゾは変わらざる命題です。

 むろんその曲解として《神はいないと考えられるようになる》ことはあり得ます。まぼろしです。


 

 以上の命題について当否を問います。自由なご見解をお寄せください。

A 回答 (12件中11~12件)

「(善ってことはないでしょうね」←いいえ 善で合ってます・・・



元々 サタンは天使長・・神が創造したものは 全て善から出来ています・・・

イエスがサタンに仕えたのなら イエスとサタンと 共に復帰すれば良いだけ・・・

勿論 人類も同じ・・・堕落したのなら 元に戻れば良いだけ・・・

これが 神の考え方・・・

と言うか 宇宙とはそういう風に 神は 創造してるのです・・・





(ID変えたがNo1です)
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この回答へのお礼

★ 堕落したのなら 元に戻れば良いだけ・・・
 ☆ ですから 《元に戻る》前には サタンに仕えるのは 善ではないでしょう。


 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/03/08 13:49

んっ!?「神が消えた」!?



聖書の その部分って 単に親心なんだけど・・・・

自己責任に任してるだけ・・・イエスが どちらに転んでも良い様に(神の想いに答えるも善  サタンに仕えるも善って事)
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 ★ サタンに仕えるも善
 ☆ たぶん それは自由ですが 善ってことはないでしょうね。

お礼日時:2015/03/08 12:03

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