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最近、圏央道が延長されたり、東京上野間の鉄道が開通してますが、あれは何十年も前から建設案があって地域説明があって、いざ道路や鉄道を通すときには、多額のお金を国が出して、建物を壊していると考えていいんですか?圏央道や外環道のまだつながってない建設予定地にはぎっしりと建物がありますが、あれも全員納得してどいてくれるもんなんでしょうか?基礎的な疑問なんですが、成田空港だけはなぜ強行して整備できないんですか?

A 回答 (1件)

道路や空港などの整備には、長い時間がかかります。

まず都市計画という形で、事業計画を作り、予算を取り、測量をしてその場所に関わる建物などに「都市計画該当区域」のお知らせをします。もちろん、住民説明会なども行っていきます。

この、都市計画区域にはいると、建物を新規に建てることができなくなり、改修も制限されるようになります。つまり今住んでいる人が居なくなるとか建物が老朽化して壊す時期になれば、いずれ空き地になっていく、というわけです。
ただ、それでは20年どころか40年ぐらいかかってしまうこともあるため、実際には用地買収を行って立ち退きをしてもらい、どうしてもイヤだ、という人には強制土地収用法で、強制的に立ち退いてもらうこともあります。ただ、当然評判は悪いので、なるべく協力的に出て行ってもらうことを優先しています。

都市計画でもかなり古くからあるものと、圏央道などのように比較的新しいものがあります。圏央道は1987年に事業計画が策定され、20年近くたった現在かなりの部分が開通していますが、都心の環状四号線(通称:外苑西通り)は戦前の1939年に東京市が事業計画を作りましたが、いまだに完成の目処がたっておらず、最近一部の拡張工事が完了しただけです。また最近虎ノ門の下にトンネルを掘ったのは環状2号線という事業計画路線で、これは戦後すぐに計画が立てられたのに70年近くかかって一部が完成しただけです。

ですので、都心などは非常に壊しにくく、その分道路などが通るのに時間もお金もかかっています。

このような状態は、実をいうと戦後に始まったものではなく、明治期にはその兆候が現れています。たとえば、新橋-横浜間の最初の鉄道は、用地買収が儘ならず、結局海岸を埋め立てて線路を引いた場所が存在しますし、戦後とはいえ首都高は用地買収をなるべく少なくする為に川の上や川を堰きとめて道路にしています。そうでないと、東京オリンピックに間に合わなかった、といわれています。

成田空港については、少し特殊な事情があります。元々、成田空港の土地には、御料牧場があり、その土地を使って周囲の畑と一緒に空港を作る予定だったのです。都内と違って、家なんてほとんどありません。
しかし、その油断が大きな反対運動を呼び、そこに安保闘争が終了した過激派が加わって、過激な反対運動にまで発展したのです。そのため、いまだに完全な形ではできていません。
(それでも空港が出来て30年以上がたち、空港依存型の経済が出来上がっているため、最近はすこしずづ進展しています)
この成田空港が特殊だったのは、強制的に土地を収用するための土地収用委員会が途中でなくなってしまったことです。土地収用委員会とは個人の財産と公共の利益を客観的に評価して、土地の立ち退きや賠償額を決める委員会なのですが、その委員長が過激派に襲われたのです。
この事件の後、委員を務める人がいなくなったため、成田は土地収用ができなくなり、最近まで第2滑走路が建設できなかったのです。
(実際には、成田だけでなく千葉県全体の土地収用ができなくなったため、空港鉄道など多くの事業がストップしまいした)

逆に圏央道などは1988年に事業計画が策定されて、現在ではほぼ8割ぐらい完成しています。ひとつは都市部ではないところに道路を作ったこと、モーターリゼーションが発達して道路の重要性が認知されたこと、トンネルなど大深度利用が地権者の同意を必要としなくなったこと、そしてバブル崩壊後土地の値段が下がっていることです。

これにより、たとえば大江戸線や最近開通した首都高中央環状品川線なども、土地収用をなるべく少なくすることで、早期に開通することができました。

壊された家の持ち主は、近くに引っ越すことになりますが、お店をやっていると保障なども大変なようです。
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この回答へのお礼

とても勉強になりました!ありがとうございました。

お礼日時:2015/03/17 18:29

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