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雅経は秀句をこのまれしほどに、あるまじき事の少しはありけるにや。又同類を存ぜられずして、人の歌をおほく取りてよまれけるにや。
[雅経は秀句を好まれた余りに、ややもすると他人の和歌の表現を剽窃することがあったものか。また似た発想や表現の歌を避けることをお知りにならず、他人の和歌の句を制限より多く取って詠まれたのであろうか。]
(『正徹物語』小川剛生訳注 角川ソフィア文庫kindle版 位置No.474,3568)

電子書籍のページ数の表示が把握できないので、岩波文庫のページ数を記載しておきます。このあたりの事情に詳しい方からのご教示もお願ひします。
久松潜一編『中世歌論集』285ページ

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私は藤原雅経の歌が好きなのですが、パクリとして責められるやうな姿勢があるとは思へません。みなさんはどのやうにお考へですか。

A 回答 (1件)

同感です。



『新古今和歌集』当代歌人の作品には、雰囲気の似たものが数多くあります。批判しているのではなく、多くの歌人が共有

したからこそ、万葉調、古今調に肩を並べる新古今調が醸成されたのだと思います。

雅経だけが責められる言われは無いと思います。

なお、私が好きな雅経の歌は、下記の通りです。


きのふまでよそに忍びし下荻の末葉の露に秋風ぞ吹く

払ひかねさこそは露のしげからめ宿るか月の袖の狭きに

秋の色を払ひはててや久方の月の桂にこがらしの風

影とめし露の宿りを思ひ出でて霜にあととふ浅茅生の宿

はかなしやさても幾夜かゆく水に数かきわぶるをしのひとり寝

古里のけふの面影さそひ来と月にぞ契る佐夜の中山

白雲の幾重の峰を超えぬらむ馴れぬあらしに袖をまかせて

草枕結び定めむ方知らずならはぬ野辺の夢の通ひ路

見し人の面影とめよ清見潟袖にせきもる波の通ひ路

影宿す露のみしげくなりはてて草にやつるる古里の月

(角川ソフイア文庫『新古今和歌集』上・下より)
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この回答へのお礼

いつも歌と人への愛着を感じる御回答をありがたうございます。

>雅経だけが責められる言われは無いと思います。

本の補注にも実例が挙げられてゐるのですが、非難されるほどの内容には思へません。『正徹物語』の少しあとの箇所にも、雅経は『新古今和歌集』の撰者になるほどの人物ではない、などと記されてゐます。正徹は雅経と相性が悪いのでせうか。ちなみに定家「横雲の空」の歌につきましては、絶賛されてゐました。

>角川ソフイア文庫『新古今和歌集』上・下より

挙げていただいた歌の中では特に「夢の通ひ路」の恋歌が濃厚で気に入つてゐます。これなどもパクリかもしれませんけれど。挙げられてゐないものでは、春歌「白雲の絶えまに」が、色彩感が豊かで、春風まで美しく見えてきます。角川ソフィア文庫は電子書籍で購入すると定価の半額以下のものが多く、貧乏人の私には重宝します。正徹は雅経を、定家の半分以下とみなしてゐたのかもしれません。

お礼日時:2015/08/19 06:59

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