アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

川島なお美さんは復帰を目指し抗がん剤を拒否と。重い副作用もあり得る抗がん剤。自分ならどう考えますか?
参考URL:川島さん死去 抗がん剤治療拒否
http://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertain …
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
gooニュース編集部から時事問題に関する質問をお届けします
http://news.goo.ne.jp/

A 回答 (12件中1~10件)

川島さんの場合は、正直なところ、抗癌剤さえ拒否し、癌の手術を5ヶ月遅らせたなんていうのは、実際、私はありえないと思いました。

「舞台で死ねれば本望」とかいっても、それは、命を粗末にしただけと私は思うのです。

他の方も書いていますが、だいたい、見つけた時点ですぐさま切除すれば、まだ救われる確率が高かったものを、あえて、半年近くも放置すれば、ステージにもよりますが、ステージが一つ上がるぐらい、延命率が20~30%減らす無謀です。今すくに手術できなくても、抗癌剤で癌の転移を遅らせるはずです。でも、5ヶ月というとこはないでしょう。

今、北斗晶さんの話も出ていますが、テレビの報道からすると、乳がんのステージIIb くらいだと思います。間違っいたら、ごめんなさい。その時点の手術でも、もう、たいへんなところだったように思います。一回目に手術成功しましたといったところでも、これから5年は、油断できないし大変なはずです。まだ、先はながいです。

私も、近藤誠氏の著書を読みましたが、かなり疑問に思いました。彼って、専門は何なの?と思いました。専門医でもないのに、なぜ、そんな勝手な話をするのかなって思いました。癌でも、いろいろありますから、彼の本を読んで勘違いする人もいるのではないか、と思いました。

それと、抗癌剤が苦しいといっても、その効果も様々なのですが、死ぬほどの苦しみではないはずです。あまり、テレビやマスコミで煽り立てるけれども、抗癌剤も日進月歩です。それでも、私は、髪の毛が抜けたら、死ぬほどというか、死にたくなってしまいますけれども。

自分の死を考えたら、やっぱり格好などつけずに、生きたいと願うのが、本音ではないのかなって思います。昔、遠藤周作さんの『死について考える』という本を読んだ時に、死を目前にしても、ジタバタするというのが、ふつうの人のあり方だと書いていたような気がします。

あれもしたい、これもしたいと、まだ、新しいことを知りたい。オリンピックを見てみたいとか。綺麗な音楽を聞きたいとか、テレビを見れば、どんどん新しい男優さんや女優さん、まだ、特別なオーラを放つ10代のタレントさんが俳優になった20年後・30年後を見てみたいとか、また、古いリバイバルで、ああ、あの人死んでしまったのですよね、とか思いながら、生きている自分を噛みしめるように、納得したりするわけです。

そして、どんなに死にたい気分になっても、私が意識があるなら、1日も長く生きたいですね。

私は、あの世には、財産も何も持っていけないけれども、よく理解できた本の内容は、あちらに持っていけるような気がしています。もし、余命1年でも、どれほどの本が読めるでしょうか。
    • good
    • 3

早かれ遅かれ人は死にます。



余命1年、、、と言われていたのなら、

わざわざ抗がん剤の苦しみを味わうより

私なら治療はしませんね。

抗がん剤の治療によって苦しみを味わって

そこで1、2年長生きしたからといってもね、、。

抗がん剤の治療を受けないで、抗がん剤の苦しみを味わうことが

ないのならそちらの方がいいと思います。

1、2年長生きしたからといって、、、。

何かいいことありますかね?
    • good
    • 0

私はガン患者で大きな手術を3度経験しています。


「抗がん剤」にも多くの種類があり、がんの種類により効果も違います。
胆管癌が怖いのは効果が期待できる抗がん剤が少ない事です。
なので副作用というリスクを考慮して使わなかったのでしょう。
ガンも抗がん剤の経験も無いのに、本屋ネットなどで得た知識だけで
抗がん剤の恐怖を語る方がいます。

近藤誠氏の著書なども大きな原因だと思います。
抗がん剤について間違っている認識の方が多く
抗がん剤を使わずに死を早めている方もいます。
    • good
    • 0

私は川島なお美さんの決断を否定も批判もしません。


ただ肯定もしません。
家族や支えてくれた人のために生きる努力をできる限り試みるという生き方を自分は選ぶと思います。

あえて言わせてもらえば半年も手術に踏み切らなかったこと、ここはもっと考えてほしかったと思います。
その間にかなり悪化したようですし、早期手術を決断すればもっと生きられた可能性はかなり高かったでしょう。

自分の人生や命を自分で納得するように終えるのは生きる目標そのものでしょう。
一方今まで支えてくれた人たちがお別れや恩返しもできないまま突然いなくなられるということにも気を配ってほしかったと思います。
    • good
    • 0

余命一年・・・医者は冷酷な宣告しますから。


もう少し、患者の気持ちを考えればいいのに、残酷。

川島さんは自己決定して逝ったので、覚悟のうえとは言え立派だと思います。
抗がん剤の副作用は、かなり厳しいし、打って延命したとしても
余命一年という状況では、苦しみ抜いて終焉を迎えることも
あり得るでしょう。
別の治療法を選択しても、いずれ命は長らえなかったかも・・。

自分に当てはめるとなると、その時にならないとわかりません。
抗がん剤ばかりの病院は、まず行かないでしょうね。
    • good
    • 1

抗癌剤治療経験ありの癌患者経験者です。



#6さんも仰る通り、川島さんは余命1年の宣告を受けていたそうですね。
彼女にすれば、抗癌剤で延命処置をするよりも
治療せずにその余命で自分の仕事を全うすることを選んだのでしょう。
患者さんがそれを望んだのですから、医師や周囲が止める権利は無いでしょう。
これは抗癌剤の副作用云々の問題ではないと思います。

私はまだ余命宣告とかも無かったので
生き延びるために抗癌剤治療を選びました。しかも二度。
最後の治療が終わってから今年で6年目となりますが、今こうやって生きています。
治療は確かに辛かったし、二度も脱毛がありましたからそれが嫌でしたけど(当方女性なので)
やって良かったと思っています。

ただ、余命宣告されたら抗癌剤治療を選ぶかどうかは微妙です。
治療を受けても社会復帰が出来るまでになるという確率がとても低いのならば
川島さんと同じ選択をするのではないでしょうか。
    • good
    • 0

余命1年と宣告されていたそうです。


抗がん剤で延命しても寛解は厳しいのでは?
それなら抗がん剤で副作用に苦しむより舞台に立つ選択をされたのでは?
もし私も同じ状況・立場なら同じく抗がん剤は拒否します。
    • good
    • 0

抗がん剤治療を選択するか否かは、その時の病状によります。



治療実績が確かな抗がん剤で、使用することで「ガン細胞消滅」「延命」「症状緩和」といった高い治療効果が見込めるなら、たとえ一時的にきつい副作用を我慢しても使いたいと思います。

反対に、すい臓がんや川島さんが罹られた胆管がんのように、現在の医療では治療法が確立していないガンだったり、末期まで発見が遅れたようなガンの場合は、手術や抗がん剤治療で体力を失うリスクを負わず、QOL重視の治療法を選択するかもしれません。

いずれの場合にせよ、主治医に納得いくまで相談し、自分でも十分情報収集した上で、家族にもしっかり相談して決めようと思います。

がんの治療法は日進月歩ですので、従来の抗がん剤のマイナスイメージに固執するのではなく、臨機応変に対応したいと思っています。

話が逸れますが、川島さんが受けられていたという「邪気をはらう」といった治療法は、出来れば最後まで頼りたくないです。

実際に自分が「余命わずか」という状況になったら、祈祷にさえ頼りたくなるのかもしれませんが、医学的エビデンスの無い民間療法にはなるべくお金を使わないようにしたいです。
    • good
    • 2

本音は抗がん剤治療は受けたくありませんが、家族がどう思うかですよね。


死ぬのは私なんですけど、死後家族の人生は続きます。
あの時●●だったら~と後悔するのが目に見えているのに、果たして自分の希望だけで決めて良いものなのでしょうか。
    • good
    • 0

一部の癌組織に対して、抗がん剤(猛毒)を点滴で体内全体に入れたらどういう事になるか。


髪の毛は抜け落ち、食道の粘膜はただれて水を飲んでもしみる。
抗がん剤を拒否したのは正しい選択でした。
抗がん剤は効果がない事は、厚生労働省も一部認めています。
自分は、健康診断、癌検診など受けない方が健康で長生きできると確信しています。
巨大化している、病院、製薬会社、特に厚生労働省の陰謀に騙されないで。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!