これ何て呼びますか

変化することをいとわず、柔軟に生き方を創造して行く事は、楽しい事だと思います。しかし、人生には必ず終わりがあって、そんな楽しい人生にも幕が引かれます。
ところが、ここで私は、人生と言う旅の終わり、即ち目的地は死ではなく、心から自分の人生に納得できた時ではないかと思うのです。それは、死よりも前に起こる事です。
創造的人生は、どの様になれば真に納得の行く人生となるのでしょうか。
どの様であれば、人生を全うしたと言えるでしょうか。

どうぞよろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • ご回答くださった皆様へ。
    お礼の順序、前後します。ご容赦下さいませ。

      補足日時:2015/11/17 17:30

A 回答 (18件中11~18件)

本人が納得しているかどうかは、知りえませんが、人生を全していない人を見たことがありませんね。

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この回答へのお礼

おお、これは新しい見解ですね。人生を全うしていない人を見たことがない。だだじゃさんから見れば、私も人生を全うできているのかな。寛容というか、実際的なご意見だと思いました。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/17 21:45

お礼ありがとうございます。



おっしゃる通りです。
終わりは次への始まり。
段階の一つとも言えましょう。

人は、何かの終わりに差し掛かると次が見えてくるように思います。


>子供の時にはどうしようもなかったことが、大人になると丸々解決されます。卒業するという形で。

もしそうであるならば、10年後・20年後は今のものが
解決されているかもしれませんね(^ ^)
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この回答へのお礼

わがままな自身を卒業して、世の真実の姿が見えるようになりたいです。いつの間にか身に付けた沢山の色眼鏡は、その人固有の世界の見方であり、意味のあるものだとある方から教わりました。真実を透徹する時に、現象としてどのようなことが起こるのか知りませんが、様々な物事の絡みが解けるのではないかと思っています。

お礼日時:2015/11/18 22:45

人生を否定して終わる。


これも「人間的な権利」と云えるかもしれない。

『人は喜びを共有することはたやすいが、苦を共有することは難しい』

私の本日の即席格言です。
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この回答へのお礼

見やすい苦は共感を呼ぶが、見難い苦は知るのが難しい。見難いものを見る人こそ見る目があると言われる。

いつも立ち寄ってくださりありがとう^_^

お礼日時:2015/11/17 17:44

>>変化することをいとわず、柔軟に生き方を創造して行く事は、楽しい事だと思います。


それらは全人類共通でしょうか。
>>しかし、人生には必ず終わりがあって、
誰が決めたのでしょうか。何故脳死という言葉と心肺停止という言葉があるのでしょうか。
>>そんな楽しい人生にも幕が引かれます。
楽しいことは永遠には続かない。天国などないと思うべき。
>>ところが、ここで私は、人生と言う旅の終わり、即ち目的地は死ではなく、心から自分の人生に納得できた時ではないかと思うのです。
ふむ。
>>それは、死よりも前に起こる事です。
目に見える死は死でなからず。
>>創造的人生は、どの様になれば真に納得の行く人生となるのでしょうか。
法律を守りその範囲で君が出来ること。すなわち納得のいく人生。
>>どの様であれば、人生を全うしたと言えるでしょうか。
無になったときかと思います。
宗教が言っているような無ではありません。何故葬儀があるのか。考えてみてください。

>>どうぞよろしくお願いします。
どうぞよろしくお願いします。
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この回答へのお礼

創造的な人生は個人的であって、全人類共通ではありません。
人生に終わりがあるのは自然の摂理です。

目に見える死は死ではない、これは、何か大切なものを見失ったとか、そう言う事でしょうか?

出来ない事はできないですね。

無になった時、それは、誰かの思い出になった時、でしょうか?

少し難しい回答でした。

お礼日時:2015/11/17 17:37

当人が納得できれば、何でもいいように思います。



私なら、目的地とは目的地に着くことがゴールではなく
目的地でどう生き続けるかで、味わい続ける進行形のものです。

一つだけ言えるのは、人によって違うものは
その人が自身を知ることで手に入ると言うこと。

たとえカテゴリでは纏められたとしても
サラリーマンはサラリーマンだとしても
農業は農業だとしても、その人の持つものは
唯一無二であり、唯一無二の体験と道でできていると思います。

その中でどうやるかは、その人次第なのですから。
創造と歓喜に終わり無し。
超える山は、何処までも続きますから。

人間の唯一の苦痛は、登らないことです。
登らなければ、達成も無いので歓喜も手に入れられ無い。

人が登る姿を見て、ネガティヴを張り巡らせるか
ただ不平・不満を口に出して、止まり続ける。

この前、ちょうどテレビで見ました。
「努力する者は希望を語り、怠ける者は不満を語る」

創造って、そんなものかもしれませね。


調べると井上靖氏だと出るのですが、私が見たのは
おそらく海外ドラマ。
私には、誰だか不明です。
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この回答へのお礼

ふむふむ、ゴールは進行系ですか。私もそう思う事があります。結婚が始まりであるように、何かを達成する事は始まりであると言うのは納得行きます。人生における一つのステージを終えるということは、新たな自身を発見した時に起こるもの、その様に思いました。
子供の時にはどうしようもなかったことが、大人になると丸々解決されます。卒業するという形で。
大人になってからも、卒業ということは起こり得ますね。

お礼日時:2015/11/17 18:28

たぶん・・・


生あるうちに"途中"で可能な納得、などしてはいけない。
その程度の納得は「人生の目的地」としては志として(結果としてではなく)ピンからキリまで有ることになってしまう。
生き切るとは"し尽す"と云う事。と思った。
そう受け止めると、これはgood!

ただ"創造的人生"の目的地が死では無い、と云う事は明らか。
とは言っても"創造的人生"とはどういうことを"想像"しているのか。

想像を膨らませれば、人それぞれの本能的な消費的願望を乗り越えて、理性的な生産的願望に即して生き切る、と云う事かと思えた。

そのような生き方は結果を出せなくても死ぬ前にやり切ったと思える筈。
そう思えば、そのどちらにも共通しているのは「やり切る」と云う事。

個性とは多様であるから、それぞれが生を生き切って、そして活かす事ができれば地球上の生命は生き生きと輝やく。

☆ 宇宙から見た日本列島の輝きを見よ!
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この回答へのお礼

なかなかテンション高いですね(^-^)
おっしゃるところ、多く共感出来ました。

お礼日時:2015/11/17 17:46

自分を生かす可能性をやり果たし、


人に尽くすべき能力をやり尽くし、
全てを果たしてその果てに野たれ死ぬこと。
それは死の以前には無い。
「創造的な人生と旅の終わり」の回答画像2
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この回答へのお礼

完全燃焼ということですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/17 17:38

言わずもがなそれは人それぞれの死生観の問題であり、


正解も妥当解も公式もあないでしょう、
又それをそうだと証明するすべもないでしょう。

仏門にでも出家して修行を重ね個人的な悟りを開けば
ご自身なりのそれなりの納得を得られるのかも知れません
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この回答へのお礼

確かに各人の死生観によりますね。
きょろまつさん的にはどうですか?
もし宜しければお願いいたします。

悟りは私にとって一つの大きなテーマですが、まだ未熟なのでそこから語ることは難しいです。

お礼日時:2015/11/17 17:42

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