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まったくの空想ですとおことわりした上での問いです。
 空想でも何がしかの哲学的意義があると判断されたなら ご見解をお聞かせ下さい。

 たとえば 自由から逃避するホモ・サピエンスから 自由を享受するホモ・何と言
えばよいでしょうか あたらしいヒト・ヒトになるという見通しです。
 
 現代においてヒトビトは すでに自由を社会生活上かなりの度合いにおいて勝ち得
ていると思われるのにこの自由を持て余しこれをむしろ嫌い要らないと言い出しこの
自由から逃避する。
 責任を取るのを嫌い わるいのは我れに非ずと 相手やほかの者に責任を負わせよ
うとする。

 ところが あたらしい人間は それはわたしが間違いました わたしに責任があり
ますと言う。そうするとほかの者たちが いえ わたくしにも責任の一端があります
とか これこれの点ではわたしにも落ち度がありました 責任の一端を負いますとか
言い出す。――自由を享受しているからである。

 突然変異によってかどのようにしてか分かりませんが 人間(現実)が――前史か
ら後史へ――変わる のではないか?
 どうでしょう?

 付録:
 (あ) なにごともそのモノ(コト)自身の内に潜む契機をすべて 必要なまでに
はオモテに出してその――想像裡においてであってもよいかたちで――必然性として
のみづからの展開を終えるまではその前史を終わらない。か?

 (い) どのようにして 前史を終わらせるか。
 これは 基本的に《何もしない――何もしないたたかい――》が答えだと考えるこ
とが出来るかも知れない。
 基本的に いまの前史の過程をそのまま進む。前史の過程に棹さして歩む。これが
前史を――もしそういう自然史過程および人為的・文化的過程としての人類史である
とすれば――終わりにみちびくのだと。
 
 (う) これは 同じく基本的に《ひとり》としての人について当てはまると見ら
れるかも知れない。
 その人それぞれに持ち合わせている前史の要素 これをひととおりその人の思う存
分展開させるということをとおして もしそうだとすれば前史が終わるのだと。
 
 (え) 言いかえるとこの個人史というのは 個人対個人の関係ないしシガラミの
ような関係史としての展開となるのかも知れない。
 うまく行けば その十全な展開が ただ互いのあいだの想像上のたたかいを対話と
いうかたちにおいて成し終えることで果たされるかとさえ見られます。あるいは ヒ
ラメキによって一瞬にして わだかまりは解け 互いの和解にみちびかれることがあ
るのであろうか。

A 回答 (3件)

お礼ありがとうございます。


空想ですので、少々勝手なことを申し上げます。

(1) 世間では「輪廻転生」と言いますが、同じDNAではなく
前世と来世があるということをわたしは信じています。
その理由は、

・私は実は仏教が身近にある環境で生まれ育っています。
・だから、今更来世がないとなると、戸惑ってしまうのです。
・生まれついての差異は、前世がなければ説明はできないと考えます。
・人は皆、無意識で「永遠」を感じていると思います。でなければ、もっと
もっと勝手な生き方をするだろうと思います。

(2) ブラジュ先生が、「前世、来世」を否定される理由は、どういったところなの
でしょうか?

(3) 哲学の方法も満足に知らない私ですが、純然たる論理的証明は、やはり無理の
ようですが、例えば、医薬品はその効果を論理的に証明できますが、昔ながら
の健康法は理由が証明できなくても、効果が間違いなくあるというものがある
そうで、そのような証明のされ方になるのだろうと思います。
あとは、信ずる、ということで、これって先生の仰る「非思考」になりません
か?

(4) 「真理」というものは「法則」であると思います。ですから、キリストの説いた
ものも、釈尊が説いたものも、カントが説いたものも、理論物理学が説いたもの
も、すべてその「法則」の「解釈」ということになると思います。
そして、それがどのような価値をもたらすかで、「高低浅深」の評価をされる。
そういう形が望ましいと考えています。

(5) 「真理」の最高の「解釈」である哲学が、「ヒラメキ」つまり人間の潜在能力
を引き出す、具体的トレーニング方法を発見したら‥‥
想像すると楽しくなってきます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 (し) ★(1) 生まれついての差異――☆ これについては 先祖や先人の
人たちが自由意志によってそれぞれ生きたその意志の用い方が世代を超えて受け継
がれて来ているからだと見ます。

 (す) 遺伝もありましょうしいわゆる環境としての影響もあるのだと捉えます。

 (せ) 自由意志を発揮するとき その心――意志じしんのことですが――に逆
らうときには ヤマシサ反応が起きます。この反応を無視して行動するという自由
度をもひとは持ちます。

 (そ) これは一般に良し悪しつまり善悪の問題だと見られています。言いかえ
ると 自然本性としての樅の木本体に自分勝手なカザリをつけるようになることだ
と考えられます。

 (た) カザリの問題・カザリどうしのマジハリ(影響関係)の問題として代々
人びとの自然本性にも何がしかの個性となるような特徴をそれぞれ受け継いでいる
ものと考えられるのではないでしょうか。

 (ち) この状態でも ★(1) 「永遠」を感じている――☆ ということは
あり得ると見ます。前世がなくてもです。

 (つ) 来世は この現在時の問題です。永遠の現在という《わたし》のあり方
そのものとしてです。空想としては そこでおのれの前史と後史とがつながります。

 (て) さらにそこにおいて言わば《ひとり満ち足りている》ようになれば す
でに真理のもとにあるのだと思います。

 (と) 人類の歴史や宇宙のすべてについてたとえ知らなくても だいじょうぶ
なのだと見ます。

 (な) 言いかえると 因果関係や社会の力学の起きているそのありさまについ
ては しかるべき時には必要なだけ情報を得ることが出来て知恵もおのづからのよ
うにあたえられるものと考えます。そういう境地にあるならです。

 (に) あとは少々屁理屈を言います。《真理》は 知られたならそれは 人間
の解釈でありせいぜいその《わたし》の真実です。

 (ぬ) つまり《法則》は一般に知られたものです。経験事象〔に対応するその
認識〕として知られたものです。

 (ね) 真理がイコール法則であるというのは 人間がそう判定したという話に
なります。真理は非知ならば経験世界が始まってからの法則だけではないと思いま
す。宇宙の始まりの前についても真理が支配するはずですから。

お礼日時:2015/11/24 06:19

人生体験から言えば、何をもってしても人間は変わらない、


いや、良くならない。私も大多数の人同様に、ひとまずこの
ように結論を出さざるを得ません。

しかし‥‥

私の空想では、人間が「自由を享受できる、新しい人間」に
変わるためにはーー

哲学的に、人間の命が永遠であるこどうかが明かされること
が一つ。
ブラジュ先生が否定されている「輪廻転生」があるかどうか
です。

二つ目には人生における因果律が、明かされること。つまり
「運命」のシステムが明かされること。

三つ目には、先生の仰る「ヒラメキ」を容易にさせるトレー
ニング方を開発すること。

つまり、哲学によって「永遠」「因果応報」が証明され、ま
た「心」が解明されることによって、その超効果的訓練方法
が出来上がった場合ということです。

少なくともこの三つを解明した「哲学」を多くの人々が自主
的に「信仰」するようになれば、変わりがたい人間の心が変
わってくるだろうと思います。
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この回答へのお礼

ううーん。まづは ご回答をありがとうございます。

 ふうーむ。
 (お) 《輪廻》というのは よく分かりません。
 サンサーラは 《流れること》だそうで 人生には流転することがあると
でも言っているのでしょうか。

 (か) 《転生》が付くと これはもうあり得ない生まれ変わりという架
空の話です。同じDNAの人間はいないのですから。

 (き) そのとき通念としてはさらに《因果応報》の説が添えられていま
す。
 これは 微妙だと言えばそうなのですが 基本的に哲学としては 無理な
話だと見ています。

 (く) 仮りにものごとの科学的な因果律のことではなく そうではなく 
人間の良し悪しを交じえた倫理的な《むくい》の問題だとしたら 人間には
それを知ることは無理です。原因結果の経験的な過程についてそれぞれの
《わたし》が 善悪を判定することになるからです。

 (け) もっとも 《真理》とわれとの関係として人間の持ち得る知恵や
さとりがあるとすれば それは 《真理がすべてにおいてすべてであること》
となります。つまりは この世界のすべての因果関係を知っているというこ
とになります。それなら 《因果応報》という見方が成り立っているかも分
かりません。要するにわれわれが神のごとき知恵を得られたらという意味で
す。

 (こ) そうして 《永遠・真理の知恵》は すでに――前史における人
間に関する限りで―― 分かっています。それは《非知》であるゆえにそれ
を受け容れた《非思考の庭》にあって あたかも向き合っている あるいは
接しているといったところだと考えられます。《非知》であることがミソで
す。

 (さ) 《空想》の話ですので イザヤ書の《あたらしい天とあたらしい
地》のことなどを出そうと思いましたが 取りあえずは控えます。
 取りあえず 自分自身の《前世》というものは無いと思います。

お礼日時:2015/11/23 22:44

インタムライズムとかいって国家を否定しようとするあたり


bragelloneさんは基本的に左翼的な人なのだろうか
と思いつつ、村などというものに理想を求めようとするのは右っぽい気もする。
正直、村議会なんかレベルが低いと思うのだが。

どこかの新聞も「庶民感情」などとか書いていたのが印象的なのだが
市民ではなく、庶民などと牧歌的に表現するのは右っぽい感じがする。

理性よりも感情みたいな。


なにより現実を変えるとか人間とか、マルクス主義っぽい印象がある。


~~~~~~~~~~~~

第11テーゼ[編集]
哲学者たちは、世界を様々に解釈してきただけである。肝心なのは、それを変革することである。

フォイエルバッハに関するテーゼ
https://ja.wikipedia.org/wiki/フォイエルバッハに関するテーゼ
~~~~~~~~~~~~~


それはともかく、

《何もしない――何もしないたたかい――》

無為とか只管打坐のような印象がある。

曹洞宗の学者から攻撃されているから私は、道元にはなるべく言及したくないけれど
bragelloneさんは正法眼蔵も引用していたから禅とかの影響もあるのだろう。
最近私は真言宗の坊主からも揶揄されていることがわかったけど真言宗の坊主のほうは実務的で
あまり思想的にどうこう言いたくなるようなものがない。


今日は勤労感謝の日らしいけれど

何もしないたたかい

サボタージュによるストライキ

と思ってしまった。

働かざるもの食うべからず!

パウロの労働倫理に逆らって善悪の彼岸に到達する必要があるでしょうね。

国民の三大義務。

国家にも逆らうのか。

無職はそれだけで反社会的存在なのか。

善良な人間は自責の念によって死んでいく。
恥でも罪でもいいが、自分を責めてニルヴァーナに到達して死んでいくのか。

まあ、自殺しなくても餓死するか税金払えなくて犯罪者になって処刑されるか。



宗教は自分が悪いという。世の中が悪いとはあまりいわない。
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