電子書籍の厳選無料作品が豊富!

質問に対して・あるいは要するに互いによる問い求めの過程で
おまえのかあちゃん 出べそ! とだけしか言えないのは きちがいではないか?

いつからこういう人間が少なからずいることになったのだろう?

おのれの頭をカネと色とにしか使えないのだろうか?

質問者からの補足コメント

  • おぎないましょう。

    じつは昔にも 紋切型の《アラシ》と呼ばれる阿呆投稿は いくらでもというほど
    ありました。

    ただしそれらは 何度も同じ手で同じような文章だったとしても まだ どう言いま
    すか さっぱりしていた。ねちっこくなかった。

    このところ 板に就いた阿呆投稿が目につきます。

    そういう意味合いがあります。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/02 12:49
  • どう思う?

    No.2への補足をさらにおぎないます。

    昔のアラシ投稿が さっぱりしていたというのは その人たちが自分自身について
    おれは 阿呆だと自覚していたという意味です。

    最近の場合には そういう自覚が消えて それだけではなく おれは 学力があり
    利口で立派だと自称しています。

    こういう特徴もうかがえるのではないでしょうか。

      補足日時:2016/01/02 12:55
  • HAPPY

    ★(A№7) ~~~~~~~~~~
    都合が悪くなると無視。
    気分が悪いと捨て台詞。
    というのが bragellone さんのスタイルですよね。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~
    ☆ (あ) わたしはつねに受け身です。相手の動きや状態に合わせて――すでに議論は
    尽くされている段階では(または議論が始まる気配もない取っ掛かりの場合には)―― 
    ほとんど相手と同じ振る舞いをして応じます。
    (い) そして コーナーに追い詰めると もう放れます。選手である自分がタオルを投
    げ入れてやるかっこうです。
    (う) 特に負けず嫌いがひどい相手の場合にそうです。
    (え) 相手がこわれてしまったことがありました。そういういきさつを引きずる場合は 
    タオルの投げ入れは ドクター・ストップのようなものです。
    (お) そういった《都合のわるさ》であり《気分のわるさ》です。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/03 07:30
  • HAPPY

    ご回答をありがとうございます。

    いちど書いたお礼欄がすっかり削除されてしまった。《おまえはバカか》と書いたから
    だろうか。相手に気を使って同じように振る舞っているというところ。

    お礼欄は もう使えない。入力のあと投稿できない。ので 補足欄。二回。

    ★ 現実を観たらいい。 / まずは、認知され、ちゃんと認められること。
    ☆ その《現実》にいどんでいる。じつのところ。
    肩書きなし。ちょうちん持ちなし。中身で勝負。
    中身だけで勝負。
    日本人をためしている。
    お上のお墨付きでないものを 中身で判断して受け容れることができるかどうか。
    主体性を身に着けた人間が出るかどうか。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/03 13:43
  • HAPPY

    №11への補足欄のつづき。

    ★ 自分から質問しといて常に受け身はないだろ。
    ☆ それは 考えが浅い。
    設問するのは 不特定多数のひとを相手にしている。言わば受け身ではない能動の部分
    は 半減するんだ。

    質問を挙げることじたいは 積極的なはたらきかけである。しかも 投稿するひととの
    関係としては けっしてその設問だけで《受け身の姿勢が消えてなくなる》ことはない
    のだ。

    だから 寄せられた回答を受け取って そこから受け身で応答する。これが ふつうに
    自然のあり方。

    だけれども このわたしが 理由や根拠を示さずに結論をのべたことはなく その論証
    や例証はきちんと筋を踏んでやっている。そのやり取りの最後のところで手を緩めたの
    を見て 《都合が悪くなると無視。気分が悪いと捨て台詞。》と言ってこられた日にゃ
    あ おてんとさまが西からあがらああな。

      補足日時:2016/01/03 13:45
  • HAPPY

    意気消沈を食い止める必要があるとするなら BAをやらずばなるまい。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/04 12:34

A 回答 (12件中11~12件)

逆に問いますが、「いつからこういう人間が少なからずいることになったのだろう?」という問いは「向かいはそう言う人間がいなかった」という前提になってしまいます。


で、それはどのような根拠によりその前提を出したのでしょう?本当に1人もいなかったのか、その理由や根拠を言えるでしょうか?

生物は基本的に生存本能があります。それは人間も同じ。
自分が不利になる結果となる論は受け入れず、有利になる結果を求めるものです。
ですので、己の結論の理由は「我欲」という事も多分にあり、それは言うことにより自分に不利になる物ですので理由や根拠を言うことができないわけですよね。

問い求めの過程で「けっきよくそこまでなんでしょうね。あなたの心の推論は。」と話を切った段階で、あなたもそう言う人間だと証明したことになります。
この回答への補足あり
    • good
    • 5
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

《少なからずいることになった》の逆は 《少なくはいた》です。

その推量は この質疑応答の(とくに哲学カテにおける)場での投稿文章に見る傾向に
よっています。目分量であり わたしの主観です。

★ 〔生物は〕自分が不利になる結果となる論は受け入れず、有利になる結果を求める
ものです。
☆ ですからそれが 根拠や理由のない思惟や行動とそれらの結果だけを求めるのなら
ほかの生物と同じです。
ましてや おれはこうするのが好きだ だからそれだけをするし そのように言うのだ
と来た日には 阿呆の極みです。

だから 今回のご思考にかんしては まだなお心が欠けています。生物としての心まで
でしょ。

お礼日時:2016/01/02 12:46

いつの時代もいますよ、そんなもんは。


理屈の理非だけで世の中通らないのが実情ですし。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

おのれの結論の理由や根拠を言わないこと・言えないこと・つまり何もないことは 
★ 理屈の理非だけで世の中通らない
☆ という事情と同じですか。

けっきょくそこまでなんでしょうね。あなたのこころの推論は。

お礼日時:2016/01/02 11:11

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す


おすすめ情報