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部活を辞めるのは逃げですか??


もし逃げだとしても、逃げちゃダメなんですか?

A 回答 (21件中1~10件)

辞めると言う事は、逃げると言う事ではなく、消えると言う事です。



意味が違うので気をつけないといけません。

”逃げる”が当てはまる場合は、

状況を理解して助けたり、

勘違いを正そうとして、止めてくれる人がいるはずです。

つまり、身体の危険が前提にあり、同朋とのやりとりがあります。

例えば、

「そっちじゃない。こっちにこい。急げ。」

「慌てるな、まだ、早い。しばらく様子を見ろ。」

立場が変わって、自分が助ける場合もあるでしょう。


ところが、辞めるという場合は、自ら同朋との縁を切るという行為です。

自分の意識は残りますが、同朋からは消えたように扱われます。

例えば(働いている人はどなたもご存知ですが)、

どんなに敬愛している上司や同僚でも、

その上司や同僚が辞めた場合は、記憶から消えて行きます。

半年もたつと、思い出すことが無駄に感じるようになります。


辞めた他の人を見てこれを経験をしますと、辞めるは逃げると違うと分かります。

卒業も同じでして、卒業をした瞬間から先生の記憶から消え始めます。

自分は覚えていてもです。

辞める理由がなんであろうと、”辞める”に該当する場合は、

相手の記憶から消えて行くという現象があるのです。

また、辞めた場合は、自分にとってのアンタッチャブルな領域ができてしまいます。

つまり、近づいてはいけないという制約が生まれます。

卒業をした学校には中々足を運べなくなるものです。

同様に、実家を出て一人暮らしをすると、中々足を運べなくなります。

こうした現象を引き起こすので、単なる逃げとは効果が違います。



部活や仕事では、逃げたくなる沢山のイベントや日時があるでしょう。

こういう場合、逃げようとして止められたり、助けられたり、

今回だけはと許されたり、逃げないで済むように特訓されたりします。

つまり”逃げる”とは、何度も繰り返されるものが対象に存在する言葉です。

過去を振り返って、対策を考えて、準備することが出来ます。

そして、これらを一人ではなく多くの人と相談し、役割分担ができます。


ですので、逃げてはいけないという言葉は、

パニックを起こしている人に対して使います。

「まずは落ち着いて。心が逃げてしまっては、判断が出来なくなるよ?」

と言う意味です。

車が猛スピードで突っ込んできたとします。

肉体が立ち向かってしまうと危ないですし、助からないでしょう。

しかし、心が逃げてしまうと(パニック)肉体を置き去りにしてしまいます。

肉体を逃がすためには、心が先に逃げてはいけませんよね。

心が逃げず、肉体を制御して安全を確保する。

これは、撤退とか避難と言います。

仲間が代わりに頑張ってくれる場合は、休息と言います。

予め定められている場合は、交代と言います。


「危険が近づいたときは、逃げるのが当然だろう?」

と言う論法は確かにあっています。

しかし、心が先に逃げている場合は、

・本当に危険なのか?

・逃げ切れるのか?

の二点で、判断が怪しいというわけです。

・逃げないでも済むのに、勘違いしているかもしれない。

・逃げると決めているのに、逃げる手段を講じるほど頭がまわらないかもしれない。

一人逃げ出したあと逃げ切れずに自滅。

これがあってはいけませんよね。

心が逃げる状態を、パニックとか現実逃避といいます。


では、

心が逃げてしまい、現実に逃走したときどうなるか?

同じケースが生じたとき、逃げないで済む方法が思いつかなくなります。

印象ばかりが残り、情報としての事実やヒントが記憶に残らないんですね。


例えば、

東日本大震災は、それほど昔におきたものじゃありませんが、

被災地や当事者でなかった殆どの方は、記憶に残っていないんではないでしょうか。

当時の都内、関東近辺、日本中が異常な雰囲気に包まれていましたね。

「応援していた野球チームが負けそうなとき、感じる感覚。」

それが日本全体に生じていると感じました。

多くの人がまともに思考できていなかったと思います。

心が逃げてしまったんでしょう。

私には、そういう場合の対策があり、自分としての習慣がありました。

それはこうです。

「願わくば。もし生き残れるのなら。必ずこの状況の情報を残して伝えます。」

(残り少ないガソリンを使いながら)車で移動して、周辺の状況を見て回り、

日記に残しました。

一番興味があったのは、こんなとき、どこの地域に食料が残っているか?です。

それも何時までなのか? 

(これを実際に理由も含めて分かる人がいますでしょうか?)

日常が日常でなくなったとき、政府や周囲の人がどのように考えて行動するのか?

二度と得られない情報であると思いました。



この様な例を出したのは、同じ経験をしても、

情報として記憶に残り、次回がどうなるか見当がつく人と、

まったく見当がつかず、「頼むからこないで欲しい。」と平時に祈り続ける人に、

別れてしまうと言いたかったからです。


・経験が日常を脅かすほどの恐怖に変わるのか?

・経験が恐怖と思っていたものを和らげるのか?


同じイベント、同じ時間を過ごしても、本人のあり方で違うものになってしまいます。

肉体は同じく助かったり、滅んだりするでしょう。

もし、助かった場合、より安全に近づく人と、日常を失う人に分かれるのです。

”逃げる”というのは繰り返される事象に適用される言葉だからです。

心が逃げてしまうと、事件は永遠にその人の中で終わらず、追い続けるのです。



もし、”辞める”と言う行為に、”逃げた”と自分が認知するともっと危険です。

繰り返し辞めると成ります。

せめて”選びなおした”と自分に言い聞かせ、嘘じゃない事実を作ることです。




もし繰り返して、

新たに所属する場所から消え続けていたら、自分が誰にも認知されなく成ります。

これは困りますよね。

そのとき思いつくのが、やはり”逃げる”になります。

ここに至って、

「あれ、”逃げる”で良くならないぞ。悪くなる?ええええ」

とわかり、何とかしたいと言い出すものです。

困ったモノを解決する手段として何時も逃げていては、そうなりますよね。

別の手段をもっていないと、不自由になります。

同じように、戦い続けた人は、引くことを思いつきません。

また、我慢し続けた人は、我慢意外に思いつきません。

それまでの人生の対策の記憶が、それしかないからです。


心が逃げるということを許し続ければ、こういう事態を招きやすいんです。

そこで”諦める”という別の方法があります。

心とは幸せを満喫するため、感覚や状況を味わう舌みたいなものですから、

何かを解決することが出来ません。


そこで心が逃げたくなったときは、

「今回は捨てました。しかし、他に大丈夫そうな人がいます。

 その人には秘訣あるはずです。せめてそれを探り出してから、逃げたいと思います。

 可能な限りで良いので、それを私に教えてください。

 私の知性さん。」

と、一呼吸おいて、自分の知性に観察と報告を頼むことです。

パニックが収まりますし、その上で冷静な判断が出来ます。

「この経験を活かして誰かに伝えるために、今しばらく観察する」

と考えを変えることがコツです。


頭を働かせて観察する時間はまだあるのです。

残り時間をこれにあてることです。

これを、”諦める”といいます。


私が若いときに、同期が一斉に会社を辞めました。

止め切れませんでした。

親友もいました。

「もうこの会社はだめだ。今しか逃げるチャンスが無い。」

と彼は言っていました。

「俺もそう感じる。だけど、この後どうなるのか?

 組織が消滅して行く過程を、物語の想像じゃなくて、実際に見れるとしたら、

 そのチャンスを逃せないんだ。

 逃げ出す人が多いほど、最後まで見た人は減る。貴重な経験として誰かに語れる。

 そういう優位性は自分では作れないから、見てみたい。

 また、そうならず組織が回復した場合は、

 何がポイントで回復するのか、物語が想像で語る部分を実際に見れる。

 これも貴重な実体験として他人に語れる。

 これも中々体験できない。」

私はこの様に答えました。

その後実際に酷くなるのですが、会社は持ちこたえ回復しました。

そこには多くのノウハウがあり、知りたかったことが分かりました。

物語よりも鮮明に何が起きるかを、知ることができました。

想像だけでいきる人生の苦痛を回避したのです。

想像と経験の違いを人に教えられるほうが、気持ちは楽ですよね。


自分が正しいか悪いかに執着しても何も残りません。

しかし、知らないものは想像しかできないこと。これは確実なのです。

それが原因で後の人生を粗末に感じさせるということ。

できるだけ粘って観察することが大事なのです。



部活を継続した場合、

部活を辞めた場合、

どちらか一方しかレポートできません。

しかしどちらかを誰かが担うと、他の人の人生経験の補完に成ります。

「辛かったので辞めた。どこが悪い?」

「悪くないよ。で、辞めた後どうだったの? 続けた後どうだったかを僕が話すから教えて。」

自分をどちらにするか、決めることだけは出来ます。

以上、ご参考に成れば。
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何か他にやりたい事があるなら、犠牲にしてもいい!


しかし人間関係やレギュラーになれない、上手くなれない、努力するのが嫌、監督コーチが嫌い等は、辞める理由にはならない!これは逃げ!社会に出たらどうする!簡単に逃げるな!簡単に辞めるな!逃げる辞めるは、何時でもできる!
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全然 逃げではありません。

興味が無くなったものを 続ける必要ありますか?もっと有意義な時間を過ごしてくださいね。
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辞めるだけです。

「逃げ」でも何でもありません。
他にしたいことが見つかっても。
嫌な先輩がいても。
嫌な競技を振られても。

逃げではありません。辞めるだけです。

いやいやしてるより、さっさと辞めちゃいましょう。
理由を聞かれたら、「どこかで、だれかが、呼んでいるような気がしたから。」と言っておけばいいんです。

したい事をしてください。
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辞めずに続け、やり遂げたら恐らくそれなりの達成感が味わえると思います!



辞めて、なにか他のことをしてもまた違う経験ができて人として成長できるかもしれません!

どちらを選んでも、なにか得られることがありますし、どちらが正しいかは今わかることではないので決して逃げではないと思います。
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部活は娯楽です。


やっていて楽しくもない部活は意味がありません。
それに、逃げたと考えずに少し遠回りするというふうに考えた方が楽ですよ
↑私の実体験です
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ちょっと使い方は違うかもですけど、逃げるが勝ちって言葉もありますよね。



私は部活、やめる勇気がなくて続けました。自分に合わないとちゃんと見切りをつけて、やめられるのは勇気がいることだと思います。

ただその辞めることを、
逃げにするか前進にするかは自分次第なのではないですか?

なんのために辞めるんですか?
誰かに、なんでやめたの?と言われて、胸を張って答えられればいいと私は思います。
辞めて、なにをするのか。何をしたいのかが重要です。

逃げたとしても最終的に勝てればいいですよね!勝つために必要な選択ならダメなわけ
ないと思います!!
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そもそも逃げると言うのをどう考えるかによりますよ。


それは人それぞれです。
他の事で大きな結果を出し、グチグチ言うやつを黙らせる事だって出来るわけですからね。
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私は辞めるのは有りだと思います!理由は人それぞれ!逃げか逃げで無いか思うのも人それぞれ!何かしら思う事が有っての事でしょう!自分で

納得して出した結論なら逃げでは無いと思います!
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人それぞれ…


考え方1つで、逃げるにもなるし、自分を守るにもなりますよ。
ウチの息子は理不尽な部活を3年間やり続けました。
それが正解かは分からないけど、部活には未練はなくて競技が好きだからって単純な理由で続けたんです。これからは理不尽な場所では無い所でやる為に。
競技自体が苦痛なら自分に無理して続け無いで、自分に合うものを見つけた方が効率的ですよ^o^
自分の為の選択は逃げでは無いと思います。
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