行方不明になった初日(土曜日)のテレビ報道。たしか、夜で暗くなったため捜索を一旦打ち切り、翌朝から再開する方針とのことだったと思います。
この時期、北海道は朝晩、まだまだ冷え込みますし、7歳という年齢を考えれば、こうした方針が当たり前であるかのような報道のされ方に、かなり奇異な印象を受けたものです。
そして、結局、1週間も放置されてしまう結果になったわけですが、生存した状態で見つかったのは、まったく偶然の結果としか言いようがないでしょう。
低体温症で亡くなっていてもやむを得ない、という安易な諦念が、捜索関係者の間で当然のごとく共有されていたような気がして無気味ささえ覚えます。
つまり、関連行政の姿勢は、人命軽視の典型として、厳しく処断されるべきではないか、と私は思うのですが、みなさんはいかがですか。
ボストンマラソンのテロで、犯人発見に貢献したとされる、熱線暗視装置は日本には無いのでしょうか。これを使って上空から捜索すれば、夜であろうと速やかに発見できたのではないか、という気もしますし、各方面から大量の人数を集めて大掛かりな人海作戦を取る事だってできないはずはなかったと思います。
7歳の子供を山林に数日間もの間、平気で放置する感覚。
ここに、政治の本質的歪みが生じてはいませんかね。
政治は結果的に有権者、つまり国民大多数の歪みに他なりません。
拝金主義の歪みと言っても良さそうですが、親も親でお礼を言っている場合じゃないでしょう。
なんで夜通し探してくれなかったのだ!
と、せっかくインタビューを受けたのですから、これぐらいは言うべきじゃなかったのか?
みなさんは、どのように考えますか。
No.15ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
>象徴的事例」として「特定の事例」を挙げたと受け止めていただければと思います。
「生命は大事にすべき」などと良く言われますが、それが、それこそ「きれいごと」になっているんじゃないの?
という提議。
わたしがこれをなんとなく「きれいごと」のように感じたのは、結局わたし(わたしたち)は、日々「見殺しにしている」という無力感を持つからです。あらゆる手段を尽くせば、手段を問わなければ、救えたはずのいのちの何十万分の一くらいしか実際には救えていないという事実を直視すべきではないのか?ということ。
救えたいのちの背後にどれだけの救えなかった命があったかをを想像することができるか?そんなことが(自分にとって)必要かなと思ったのです。無論このような考えを誰もが持つべきなどとは考えません。
>「救助活動をする」=「カネがかかる」わけですが、それは織り込み済みです。
であればこそ、『山林に迷い込み、低体温症での死亡も十分予測可能な7歳の子供』の救護にカネをかけるのは不合理なのか?
ということで、カネの使い方、つまり価値観を問うたつもりです。
そのことについては、この質問に触発されて、わたし自身問いを立てて考えているところです。
ご回答ありがとうございます。
>わたしがこれをなんとなく「きれいごと」のように感じたのは、結局わたし(わたしたち)は、日々「見殺しにしている」という無力感を持つからです。
:
はい、この価値観は、ある程度共有できると思います。
>そのことについては、この質問に触発されて、わたし自身問いを立てて考えているところです。
:
そうでしたか。
のちほどお邪魔させていただきます。
No.20
- 回答日時:
No.19です。
悠仁様が、行方不明になられる事は、まずないでしょうが、
あったとしたら、「日本国家」の威信に関わる問題ですよ。
天皇家と、我々下々とは違って当然です。
まず、これからの私達は、「親が責任を持つ」ということが大事です。
捜索隊は、我が子を「探して頂く」というお願いして捜索して頂く
とい立場になります。
探してくれて、、当然だ!!という態度は間違ってますね。
捜索隊に支払われる費用は、、親も出すでしょうが、
ほぼ、我々の税金ですから。
まったくもって、迷惑な親ですね。
が、発見された時、神妙に捜索隊に頭を下げてましたから、
お騒がせな親ですが、もう許してあげましょう。
ご回答ありがとうございます。
>悠仁様が、行方不明になられる事は、まずないでしょうが、
:
それは言えてますね。
>天皇家と、我々下々とは違って当然です。
:
たしかに。
もっとも大きな違いは彼らに自由は無い、という点でしょうかね。
天ちゃんなんか、いつも健気に振舞っておられると思います。
たまには、居酒屋で刺身をアテに熱燗をちびちび遣ったり、王将でビール飲みながら餃子を食ってみたい、などと考えることもあるのではないでしょうか。←無いっつうの!-_-;
たまにはパチンコなんかも遣ってみたいはず。←だから、そんなこと無いっつうの!-_-;;;
自由なら何でも万々歳ということにはなりませんけど。
>お騒がせな親ですが、もう許してあげましょう。
:
親には全く責任が無かったとわたしは思います。
行方不明になったのは、あくまで結果論。
カネを惜しんで、きちんと探せなかった捜索方針に問題がある。
こういうときのために税金を使うのが、健全な財政と思う次第です。
No.19
- 回答日時:
最初から、親が捜索隊に山の方(自衛隊の駐屯地)の方に、
「大和は怖がりだからそちらには行かない」と言ったそうですし、
大和くんの実際に着ていた服装とは全く違う服装を言って捜査を
混乱させた、、そうですね。
捜索隊も親の言葉を信じるしかなかったのでは?
ご回答ありがとうございます。
そういう経緯もあったのですか。
ただ、補足にも書いたのですが、天皇家の御曹司などであれば、もっと真剣に、そして大人数で探したのでしょうね。
ここまでやったのだから見つからなくても仕方がないという諦念が、極めて安易に共有されていたような気がしてならないのです。
また、おそらくですが、これ(安易な諦念)はわたしたち一人ひとりの認識として定着してしまっているようにも感じます。検証してみたいと思い、質問させていただいた次第です。
No.18
- 回答日時:
ご回答、補足をありがとうございます。
>「あらゆる手段」を尽くさないのは人命よりも経済優先の風潮が蔓延していることに気づかないからではないか、いや、むしろ、気づいていながら、そのことを無視しようとしているのか。であるとすれば問題視すべきではないか、といったような問題提起をしたつもりだったのですが。
これに関しては、正に同じお礼文中でハコブルさんが指摘されている
>管理職が愚かなくせに管理しようとするあまりの誤謬が日本中に撒き散らされている、というのがおそらく実態でしょう。
これと、No.16のニャンポコリンさんのご指摘の「プロのレベルの低下」が今回の事態の問題点であろうと思われます。
国を挙げての「危機管理能力の劣化」に対し、それが「拝金主義の招いた事態」という結論付けに齟齬を感じるのです。
むしろ、<「あらゆる手段」を尽くしているかのように考えている。そうではないことに気付いていない。>その鈍感さこそが問題ではないかと思います。
ご回答ありがとうございます。
>国を挙げての「危機管理能力の劣化」に対し、それが「拝金主義の招いた事態」という結論付けに齟齬を感じるのです。
:
では、「劣化」がなぜ起こるのか?
複合要因でしょうが、たとえば、この場合でも、もっとも大きな要因となっているのは拝金主義ではないだろうか、というのが主張の骨子です。
さらに、なぜ、そこまで拝金主義に陥ってしまうのか、といえば、#6さんへの補足にも記しましたが、「(自らの生存に対する)怖れ」でしょう。
つまり、本能的要因に拠っているはずなので、一朝一夕には解決の難しい問題と思われます。
ここは極めて重要、且つ本質的な点なのですが、場を改めたほうが紛れが少ないと思うので、これ以上は申し上げません。
いずれにせよ、そこに
>齟齬を【感じる】
:
とすれば、これは見解の相違ということになるかも。
すこしだけ付け加えさせていただくなら、「危機管理すら、経済的理由で蔑ろにされても構わないといった(無意識的)価値観⇔拝金主義」といった構図ですかね。
無意識的である点が最大の問題である、ということも言えます。
>むしろ、<「あらゆる手段」を尽くしているかのように考えている。そうではないことに気付いていない。>その鈍感さこそが問題ではないかと思います。
:
人間は、基本的に納得しないことはやらない生き物だと思っています。たとえば、
>「あらゆる手段」を尽くしている
:
と本人に納得させているのは、「これ以上、カネを掛けるわけにもいかんだろうし・・・」という無意識であるように思うわけです。
少し違うかもしれませんが交通事故なども似た構造になっているでしょう。
これだけ大事故が繰り返され、2時間に一人の割合で死亡事故が発生しているのに、車の存在価値を否定する人は全くと言って良いほどいません。
なにより、社会経済が車なしには成立しないところまで来ていることを国中が認めているからでしょう。
わたしとしても別に車廃止論者ではありませんが、人命より経済という拝金主義にどっぷりと浸かっている現状を認識する必要はあるはずです。
このような視点を持ってこそ、安全面での充実が促進されるのだと思います。こうした認識がないと、保険金さえ払えば、それで済むぐらいに考える輩、そして風潮が増殖するだけの社会になってしまう。
鈍感とも、本質への無知とも言えるでしょう。
No.17
- 回答日時:
自分を棚に上げて。
この質問は特に「哲学」的な問いかけでは無いように思えます。つまりこの一つの事例がどのように「普遍性」を持ち、一般的に共有されうる問題として成り立つのかが見えてきません。
ハコブルさんは、あくまでもこの少年救助の方法の不手際を憤っておられるように受け取れます。
>7歳の子供を山林に数日間もの間、平気で放置する感覚。
という疑問と、以下につづく
>ここに、政治の本質的歪みが生じてはいませんかね。
政治は結果的に有権者、つまり国民大多数の歪みに他なりません。
拝金主義の歪みと言っても良さそうですが、
という、「政治の(拝金主義を主とする)ひずみに起因」、との文章のあいだに連続性が認められない。
東北や熊本の震災や福島の原発事故であるならともかく、関連する(陸自や道警)批判から一気に国の在り方に飛躍しているように見えます。
無論質問が必ずしも「哲学」(的)である必要はありませんし、わたし自身哲学ではない質問を発しています。けれども、どのような心理的過程が上記のような質問文を構成させたのかをお聞きしてよろしいでしょうか?
ご回答ありがとうございます。
>この質問は特に「哲学」的な問いかけでは無いように思えます。つまりこの一つの事例がどのように「普遍性」を持ち、一般的に共有されうる問題として成り立つのかが見えてきません。
:
そうですか。#15で、おっしゃったところの、
>わたしがこれをなんとなく「きれいごと」のように感じたのは、結局わたし(わたしたち)は、日々「見殺しにしている」という無力感を持つからです。あらゆる手段を尽くせば、手段を問わなければ、救えたはずのいのちの何十万分の一くらいしか実際には救えていないという事実を直視すべきではないのか?ということ。
:
というご見解と軌を一にしていると思うのですが、質問文では、そこまで提示されていないだろう、ということになりますかねえ。
「あらゆる手段」を尽くさないのは人命よりも経済優先の風潮が蔓延していることに気づかないからではないか、いや、むしろ、気づいていながら、そのことを無視しようとしているのか。であるとすれば問題視すべきではないか、といったような問題提起をしたつもりだったのですが。
いずれにせよ、そうしたご感想だとすれば、文章のみで会話することの難しさを感じると同時に、当方の力量不足を認めなければならないようです。
>東北や熊本の震災や福島の原発事故であるならともかく、関連する(陸自や道警)批判から一気に国の在り方に飛躍しているように見えます。
:
役人の発想というのは、おそらく国も自治体も大差ないんじゃないでしょうか。
現場の方々は努力されていると思いますが、いわゆる管理職が愚かなくせに管理しようとするあまりの誤謬が日本中に撒き散らされている、というのがおそらく実態でしょう。
No.16
- 回答日時:
今回のhakobuluさんの主張には、めずらしく共感できなかったので、
言いたいことを言っただけみたいになってしまいました。
私は、この事件での国の対応は全く問題ないと思います。
これから、大規模な自然災害が予想される日本において、「一人」に
かけられるカネには、残念ながら限度があるでしょう。
正直言いますと、私もいや、多くの人がそう思ったと思いますが、何
日か発見されない時点で「もうだめだろう」と思いましたよ。
しかし、大問題があると私は思います。
捜索する側の仕事の「レベル」です。
あの建物に、いると言うことが全くの想定外であったということが、
「プロ」「専門家」として稚拙ではなかったかということです。
だから仰るように、「もうだめだ」という前提での捜索が、何日か続
いていたのだろうと思いますが、これは罰する根拠のない問題です。
法で罰することのできない大問題は、いくつもあると思います。
「プロのレベルの低下」これは社会の主要なところに顕著に現れてい
ると思います。
ご回答ありがとうございます。
>「一人」にかけられるカネには、残念ながら限度があるでしょう。
:
おっしゃるとおりです。最終的にはパイの分け合いにならざるを得ないわけですし、その意味で救援が必要なすべての人に対して無条件にカネ・モノを投入することが不可能なのは論理的帰結であり、これを否定する人がいるとすれば、口先だけの綺麗ごとを言っているか、無知な方と言わざるを得ない。
ただ、逆に、一律にあまりカネ・モノを掛けるべきではない、と考えてしまうのも違うと思うのです。
たとえば、今回の捜索にしても「それなりにやったのだから」という言い訳が通用してしまっているのではないでしょうか。
しかし、その条件によって、つまり、「どんな状況にある一人なのか」という木目細かな判断が重要ではないか、と思うわけです。
なかなか難しいかもしれませんが、個人的には「緊急性」を最優先すべきと考えています。そして、これは「生存の可能性が高いこと」が(暗黙の)大前提です。むろん、可能性が高いか低いかは事案ごとの判断になるでしょう。
今回は、まだ生存の可能性の高かった当日中に(しかも、生存の可能性が一気に低くなる夜に向けて)捜索を中断してしまったという点が、わたしにはどうしても納得できないのです。
いずれにせよ、「(まだ)生存の可能性が高く、且つ、緊急性を要することが明白である事案」には、相当のカネ・モノを投入すべきだという考え。
「それなりにやったのだから」などというおためごかしの論理を通用させるべきではありません。
>何日か発見されない時点で「もうだめだろう」と思いましたよ。
:
はい、わたしもそうです。
ただ、「もうだめだろう」と思ったのは「何日か発見されない時点」ですよね。
そして、「行方不明になった当日の時点」では、「まだ大丈夫だろう」という感覚だったろうと思います。
あるいは、#14さんもおっしゃるように、叱られるのを怖れてどこかに(安全な状態で)隠れていると考えていた。
ところが、こうした判断は、「翌日になれば必ず見つかる」という条件が必須の上ではじめて成立可能なもののはずです。
しかし、実際は違ったように、これは、極めて根拠の薄い判断であった。
根拠の薄い判断の背景にあったのは、拝金主義に端を発する、理不尽な論理であるように思えてならないわけです。
No.14
- 回答日時:
生存者を救出するのか、遺体を回収するのか。
ミッションが曖昧なのが宜しくないのだろうと思う。日航機が御巣鷹山に墜落した事故の際にも、翌日になって行ってみてようやく、夜明けまでは生存者が複数いたのになー、ということが分かったが後の祭り。「どうせ駄目だろうから、今回は遺体回収ミッション」と誰も命じてはいないからこそ、捜索隊の各自が勝手にそう思っちゃうんだろう。そして、そう思ってしまえば下草をむやみにかき回すばかりで日が暮れれば撤収するに違いない。ところで今度の話については、漏れ聞く情報だけから判断するに、これは置き去りを切っ掛けにした家出かも。もし自分なら「絶対帰りたくない、見つかってたまるか」と思うだろうな。もしかすると、ただの迷子ではなく逃走ではなかろうかと気づいた、隠れた名探偵が居たのかも知れない。
ご回答ありがとうございます。
>「、翌日になって行ってみてようやく、夜明けまでは生存者が複数いたのになー、ということが分かったが後の祭り。
:
今回も同様のケースにならなかったという保証はありませんしね。
御巣鷹山のときは、たしか新聞記者が捜索隊に先行する形で山深く分け入ったと聞いていますが、それぐらいの熱意で捜索していたら、助かった人は増えていたことでしょう。
>もし自分なら「絶対帰りたくない、見つかってたまるか」と思うだろうな。
:
自衛隊員に発見されたとき、嬉しさより、「叱られる・・」と感じた可能性もあるように思えました。
>もしかすると、ただの迷子ではなく逃走ではなかろうかと気づいた、隠れた名探偵が居たのかも知れない。
:
そういう意味ではタカをくくっていた部分もあるのかもしれません。しかし、場所が場所ですからね、逃走途中でへばってしまう確率が高い点は動かせないはずで・・。
No.13
- 回答日時:
再び。
>つまり、関連行政の姿勢は、人命軽視の典型として、厳しく処断されるべきではないか、
これはこの特定の事件(?)の捜査方法(方針)への疑問及び人命軽視についての告発でしょうか?
或いはこの事柄に象徴される人命全般を軽視するという風潮に対しての憤りでしょうか?
>低体温症での死亡も十分予測可能な中、7歳の子供を山林に数日間もの間、放置しても仕方ないとする感覚。また、それを当然のごとく報じるメディアの感覚。
どうもこの「特定の事例」に関しての憤りのように感じます。
で、あれば、個人的にはこの質問は、なんとはなし「きれいごと」のように聞こえてしまうのです。
ご回答ありがとうございます。
>どうもこの「特定の事例」に関しての憤りのように感じます。
:
そうでしたか。
「象徴的事例」として「特定の事例」を挙げたと受け止めていただければと思います。
「生命は大事にすべき」などと良く言われますが、それが、それこそ「きれいごと」になっているんじゃないの?
という提議。
むろん、ご指摘いただいたように、「救助活動をする」=「カネがかかる」わけですが、それは織り込み済みです。
であればこそ、『山林に迷い込み、低体温症での死亡も十分予測可能な7歳の子供』の救護にカネをかけるのは不合理なのか?
ということで、カネの使い方、つまり価値観を問うたつもりです。
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などの根本的要因は、おそらく「(自らの生存に対する)怖れ」なのだと思ってはいます。
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