プロが教えるわが家の防犯対策術!

学生の頃に習ったものなんですが…

以下、覚えている内容です。
・戦で浜辺へたどり着き、馬に乗ったまま転げ落ちる
・美少年に遭遇し、年齢が息子と同じくらいであったため、首はとらなかった

どなたかご存知の方いらっしゃいませんか?

A 回答 (4件)

平家物語ではありませんか?

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平家物語の「一ノ谷の戦い」で熊谷直実と平敦盛の一騎打ちの話でしょう


下記ページで確認してください

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7 …
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原文は、平家物語巻第九敦盛だが、中学二年の授業では、敦盛の最期となっているそうです。


写真は、神戸市須磨区須磨寺

さるほどに一谷の軍敗れにしかば武蔵国の住人熊谷次郎直実 「平家の君達助け舟に乗らんとて汀の方へや落ち行き給ふらん。あつぱれよき大将軍に組まばや」と思ひ渚を指して歩まする処にここに鶴縫うたる直垂に萌黄匂の鎧着て鍬形打つたる甲の緒を締め金作の太刀を帯き二十四差いたる切斑の矢負ひ滋籐の弓持ち連銭葦毛なる馬に金覆輪の鞍置いて乗つたる武者一騎沖なる舟を目にかけ海へさつとうち入れ五六段ばかり泳がせける。
熊谷「あれはいかによき大将軍とこそ見参らせ候へ。正なうも敵に後ろを見せ給ふものかな `返させ給へ返させ給へ」と扇を挙げて招きければ招かれて取つて返し渚に打ち上がらんとし給ふ処に波打際にて押し並びむずと組んでどうと落ち取つて押さへて首を馘かんとて内甲を押し仰けて見たりければ年の齢十六七ばかりなるが薄仮粧して鉄漿黒なり `我が子の小次郎が齢ほどにて容顔まことに美麗なりければ何処に刀を立つべしとも覚えず。

後に聞けば修理大夫経盛の子息大夫敦盛とて生年十七にぞ成られける。それよりしてこそ熊谷が発心の心は出来にけれ。件の笛は祖父忠盛笛の上手にて鳥羽院より下し賜はられたりしを敦盛の器量たるによつてこの笛をぞ持たれたりける。名をば「小枝」とぞ申しける。「狂言綺語の理」と云ひながらつひに讃仏乗の因となるこそ哀れなれ。
「古文だと思うんですけど…題名?を知りたい」の回答画像3
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下に書かれているとおり「敦盛」ですが、「泣く泣く首をぞかいてんげる」と書いてあったんではありませんか。

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