電子書籍の厳選無料作品が豊富!

時、場所、条件が違っていても、誰もが常に正しいこと、常に善いこと、常に美しいものと認めるものは存在するのか?

A 回答 (16件中11~16件)

【Q:真善美のみなもとは 同じひとつであるか?】


https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8923688.html
1. 真善美のみなもとは 同じひとつであるという仮説を述べます。

2. ふるくは哲学の相場としてそのように決まっていました。

3. まづすべては ひとが《生きる》ということに始まると言って
よいと思われます。

4. そこから 相対的な主観真実とそれを超える普遍真理の問題が
生まれ 主観真実には――ほかの人の主観真実とのカカハリにおいて
―― 問題がないかあるかという問題が生じます。いわゆる善および
負の善(つまり悪)という問題がからまって来る。



5. 真理は 善悪の彼岸に置かれているはずです。あらゆる人の主
観真実をすでに超えているはずです。ゆえに真理は 至高の善である
とも言われます。

6. では 美はそれらとどういう関係にあるか? どこに位置して
いるのか?

7. 善と悪という相対的な価値をあつかう主観真実をたずさえて生
きるとき――神ならぬ人間はそのようにしか生きることがかなわない
と思われるとき―― 広く善悪観をめぐる主観真実としての何をとう
とび 複数の《何》のあいだでいづれの真実に重きを置くか?・・・
ここが 美学の生じるところだと考えられます。

8. やむを得ず人びとの集まり(つまり家族という集まりから出発
して)や組織ないし社会にとっての状態や情況に従うようなかたちに
おいて いくぶん悪の要素をも採り入れるといったことが その人の
美学として選択されるかも分かりません。実際問題として余儀なくさ
れることがあるかと考えられます。




9. さて 生きることは そのこと自体に意味があるといういみで
《善》だと考えます。ふつうに《よい》ことであるでしょう。よりよ
く生きる以前の《生きる あるいは ともに生きる》にとうとぶべき
意味があり これを善と呼ぶこととします。

10. 何をしてどう生きるかというよりも 生きること自体に意義
を見出すとすれば おそらく確かに その善をひとつの基準として 
世の中には・またひとの思いや振る舞いには 善にかなうこととそう
ではないこととが見出されて来ます。

11. 掛け替えのない善と言ってよい存在そのものを抹殺すること
は 負の善です。善の損傷です。

12. あるいは むさぼらないことは 生きることにとってふさわ
しく善であり むさぼることはこの善に逆らうことであるゆえ 負の
善である。負の善は 善を傷つけることであり その結果は善(生き
ること)の部分的な欠けだということになります。

13. 《善の損傷あるいは欠如》 これを使い勝手がよいように
《悪》と名づけるわけです。

14. つまり 悪は どこかに悪なるものが存在していてそれが起
こるのではなく そうではなく善(存在ないし生きること)があって
それを損傷する行為として 起きるものである。




 

15. さて ひとの感性には 善も悪もありません。

16. 感性は 第一次的な知覚そのものを言います。

17. われわれは記憶という倉庫の中からあれこれの知識としてのモ
ノゴトを見つけ出して来て 為そうとする行為の選択肢を考えますが 
このときその選択肢の内容については むしろおのが心(つまり 精神
の秩序作用としての記憶)に逆らうことを思ったりそれをおこなおうと
したりする。このときには われらが心もしくは感覚は 困ります。動
揺を来たします。胸騒ぎが起き 顔が赤らみ 言葉もしどろもどろにな
ります。

18. これは 言わば《やましさ反応》です。これによって 第一次
的なかたちにおいて善かそうでなくなるところの悪かが決まると捉えま
す。つまり ワタシの主観真実としてです。

19. このヤマシサ反応としての感性を認識した上で言葉に表わし
(概念とするなら それなりの知性とし)その知性としての主観内容が 
ほかの人びとにとっても同じであると認められたときには 主観が共同
化したと考えられる。ワタシの主観真実に いくらかの普遍性があると
認められるという意味である。

20. この限りで 人間にとっての・共通の常識としての《善もしく
は悪》が いちおう 決まります。

21. 人間の知性が経験的にして相対的であるかぎりで この善悪観
も 相対的なものです。

22. しかも 基本的なかたちで一般に 《うそ・いつわりを言わな
い》が善であり(わが心にさからっていない であり)  《うそ・い
つわりを言う》が善の損傷(つまり悪)だというふうに おおよそ人類
のあいだで決まっています。






23. 話が長くなっていますが このとき《真理》は 人間の善悪観
が 普遍的なものであると言いたいために 無根拠なるものを根拠とし
て――つまり 公理としてのごとく――持ち出して来た想定としての基
準です。主観真実の相対性を超えるものとして想定している。

23-1. じつは 実際に具体的には人間が人間どうしの間で当ては
めて使うことの出来ない物指しである。しかも 物指しとしては 想定
されている。

23-2. それでも想定しておくのは ただただ相対性なる経験世界
だけだと言ってしまい見てしまうなら 世の中は 押しなべてのっぺら
ぼうの世界にしかならないからである。顔がのっぺらぼうだというのは 
心において主観真実としての善や悪やを考える意味が無くなる。

23-3. 言いかえると 《相対性》ということは すでに《絶対》
なるナゾを想定したことをみづからの概念の内に含んでいる。つまりじ
つは 相対的な人間の真実は 絶対なる真理をみづからの内に想定済み
である。

24. そして話を端折るならば 《美を見る眼》は この真理をわざ
わざ人間の言葉にして表わそうとする神学にも似て・しかも言葉を通さ
ずに・つまりは感性をつうじて あたかも真理にかかわろうとする心の
(ということは身の神経細胞もがはたらいている)動きだと考えます。


25. 実際には 真理は 想定上のナゾですから 表象し得ません。
それでも《生きる》ことにおいて どことなく・そこはかとなく 人は
これを問い求めているのではないであろうか。

26. ひとの世界にウソ・イツハリがあるかぎり そしてカミという
言葉があるかぎり 生きることに善悪観は伴なわれざるを得ず その善
悪をめぐる人間の持つ理念や規範をも超えてなおうつくしきものを見た
いという美についての渇きは必然的なことだと見ます。しかも 自然な
ことであると。

27. けれども その美は ひとによって異なり千差万別ではないの
か? 一般理論などは考えられないのではないか?





28. それは 生きた過程としてのそれぞれの人の《善の損傷の具合
い》によって そのときその場で どういう美のかたち〔をとおしてナ
ゾの美ないし真理〕を求めているか これが違って来るという事態が考
えられます。

29. 審美眼は その人の生きた歴史によってあらたにいろんな風に
形作られ その人の美学もその過程にそってあらたに作られていくと見
ます。初めに想定されているところの真理ないしわが心にしたがう善
(善悪観)から離れることもあり得ると捉えるわけです。道草を食った
り脱線したり。

30. それは 侵して来たウソ・イツハリの性質や度合いによって変
わるのではないか? 早く言えば 破れかぶれの心の状態になったとき
には 毒を食らわば皿までという美学がつちかわれるはずです。




31. 一般的には かたちのととのったものを人はうつくしいと感じ 
このかたちをつうじて 心の内なる精神の秩序としての美ないし真理を
見ようとしているものと思われます。

32. そして 人がどう生きたかにおいて善の損傷のあり方(つまり 
どれだけ・どんな内容のウソ・イツハリを言ったか)が人それぞれでし
ょうから それらに応じてそのときその場では どういうかたちに美を
感じるか――それをつうじて善の損傷が癒やされるべきところの美を感
じるか―― これが千差万別になると思われます。

33. すなわち おのれの善――生きること――の傷つき方に応じて
人それぞれに 美と感じる対象が違って来る。同じ一人のひとでも 歳
とともに違って来る。

34. 早い話が かたちの整わない醜いものにも 美を感じ それと
して癒されるという時と場合があるかも知れません。

35. すなわち 真理と善(もしくは 善悪の彼岸としての非善・超
善)については 十人十色とは言わず おおかたの共通の内容が――想
定じょう――共有されます。けれども美は それこそ千差万別ではない
かという問いに対して答えようとして以上のように考えたものです。






36. 人はウソをつくからには一たん真理や善から離れた過程にあって 
善の損傷の具合いに応じて その傷がどう癒されるかという過程をあゆむ。
われに還り わたしがわたしであると成る。そのありさまは 人それぞれ
である。

37. そしてその違いは 言わば巡礼の旅路というべき人生をあゆむ人
間にとって そのときどきの巡礼の寺院としてのごとく 美の感覚に違い
が現われるというものだ。こう考えこう捉えるなら 美学にも十人十色の
差を許容しつつ しかもそれでも大きく広く 普遍性がある。

38. 真善美は 一体である。このように考えることが出来ると思いま
すが どうでしょう。
    • good
    • 1

(続き)事は、そもそもそれを感じる主体に委ねられるので、存在しないと断言できます。

    • good
    • 1

仏教では「無常」と言う考えがあります。

常なるものは無い、という考えです。大変重い言葉ですね。そして、とても考えさせられる言葉です。これに照らし合わせて言うまでもなく、正しさや善いこと、美しい
    • good
    • 1

究極の美。

ナレミポアラ。
常に善いこと。ナレミポアラをプレゼントすること。
常に正しいこと。ナレミポアラをこうして紹介すること。
    • good
    • 1

何でもいいなら、(本)ですね


『正しい 』読んで損はしない
『善い 』色々な思想、幅広い知識が得られる。
『美しい』 美しいく綴られた文書
    • good
    • 1

難しい質問ですね。急ぎで答えられるような問題ではないと思います。それと、あなたの見解をまず聞かせていただけると助かります。

    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す