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ピアノの楽譜を見ていて(確か全音の楽譜だったと思います)、作曲家がショパン=リストとなっている曲が1曲あったように記憶しています。
その曲名は思い出せないのですが、その曲は偉大な作曲家であるフレデリック・ショパンとフランツ・リストの両名による合作なのでしょうか。まあ同世代の人間ですし交流もあったようですから合作の曲があってもおかしくないと思いますが。

そして合作だとしたら、その曲が生まれた経緯はわかりますでしょうか。20年ほど前に桑田佳祐とMr.Childrenによる合作の「奇跡の地球」という歌がありましたが、そのようなコラボレーションプロジェクトだったのではないかと思うのですが、どうでしょう。

A 回答 (2件)

今は洋楽では大人数の共作、共演、featureといったことが当たり前に多くなされています(そういう手段の普及度は日本とは比較にならないです)が、西洋クラシックの時代に人気作曲家が合作といったことは割と少ないと思いますよ。


まず自分の知る限りでは、この頃の作曲家は非常に作家性や自我の強い人達であり、今のロックバンドなんかと異なりピアノに向かって黙々と1人で創作することに慣れていて、共同で1つの作品を創作するなんてとても出来そうにないことと、宗教音楽の時代と異なり著作物の権利問題に既に厳しくなっていて、「共作」という権利問題の扱いがまだまだ成熟していなかったこと、等が挙げられると思います。実際、作家の間で使用許可を得たとか得ないとかパクっただとかの訴訟問題は当時からよく起こっていたようです。

ただ、作曲(ピアノ版や、ピアノ譜のスケッチ等)は1人の人が担い、後々編曲版を別の人が作るといったことは多かったようです。
実際、ドビュッシーは無名のサティを世に出す手助けをする為にジムノペディを管弦楽アレンジしていますし、ラヴェルはドビュッシーの管弦楽曲のピアノ版、もしくはピアノ曲の管弦楽版を編曲したりしています。言うまでもなくこれらは同時代を生きた作曲家達です。
上のように、既にある有名曲を後々別の有名作家が編曲するということは多いですが、人気作家で忙しかったドビュッシーは、管弦楽曲のスケッチを自ら作曲して、友人であり作曲家であったにカプレにおおまかな指示だけしてオーケストレーションを任せる等のことも度々しています。これは共作とは言えるかもしれませんが、どちらかというと「分業」もしくはカプレは「アシスタント」ですし、「作曲家」は完全にドビュッシーとなりますよね。

ということで、「ショパン=リスト」となっていたら、自分ならなんとなく「リストが後々編曲したのかな」と思います。詳しいことは知らないので憶測でそう思うってだけですけどね。参考までに。
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ショパンの「12の練習曲 作品10」は、リストに献呈されています。



また、巨匠的ピアニストであったリストは、演奏で取り上げるために、他人の曲を超絶技巧のピアノ曲に編曲しています。
ショパンの歌曲からも6曲をピアノ曲として編曲しており、「6つのポーランドの歌」というタイトルが付いています。
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/2381/
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