『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

クラシック音楽は今でこそ厳かな音楽という感じで、ポップミュージックとは対極的な存在とし扱われることが多いですが、作曲された当時は今でいうポップミュージックのように広く人気のある音楽だったのではないでしょうか。

まあ、宗教音楽は違うとしても、それ以外のクラシックは全て当時のポピュラー音楽だったはずです。

バッハは宗教音楽を多く作曲しているから違うとしても、ベートーベンやショパンなんかは完全なポピュラー音楽だったのではないでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 演奏会には一般庶民も行けたのではないでしょうか。
    音楽家は当時もピンキリで、駆け出しの音楽家は庶民向けにリサイタルを開いて食いつないでいたはずです。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/03/11 16:30
  • 現代のポップ音楽は正装で行く必要はないですよね(チケットを買う必要はありますが)。クラシックも昔はそのようなものだったはずです。
    なぜなら、正装するということはその音楽に「権威」を認めているからそうするわけで、作曲した当初はその曲にもその作曲家にも「権威」がなかったからです。
    例えば、今のロックやヒップホップにはちゃんとした「権威」が生まれておらず、そのために正装して聴く人はほとんどいません。
    加えて、どのような未開部族でもその構成員の殆どが音楽を楽しむ習慣を持っているのに、近世ヨーロッパで一般大衆が音楽を楽しむ習慣がなかったとは考えられません。
    ヨーロッパの街中では今も音楽隊が楽曲を奏でているように、クラシックも昔は街中で誰もが聞けるものだったのではなかったでしょうか。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/03/12 14:13
  • >クラシック音楽を愛好した「富裕市民」は、かつての「王侯貴族」の趣味を味わうことに優越感を抱いていましたから、「権威」を大事にしていました。
    → 権威というのはある程度の時間とその分野における支配的地位が必要です。確かにベートーベンの生存時はバッハは権威だったでしょう。でも、その曲が生まれた当時はその作曲家も若く、権威が持てたはずはありません。

    例えば、お笑い芸人であるビートたけしは今でこそお笑い界の権威として振る舞っていますが、「コマネチ!」やっていた頃は権威でも全くありませんでした。クラシックは「古典音楽」という意味で、今はその通りですが、その曲が生まれた当時は「現代音楽」だったはずです。

    若い頃のベートーベンも数多い作曲家の1人に過ぎず、その後人気を博して後世までその曲が生き残ったからこそ、クラシックとして権威を得るようになったのだと思いますよ。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/03/12 20:58
  • 私もここまでにしますが、夏目漱石や森鴎外といった小説家も、小説を書いていた当時は今でいう村上春樹や山崎豊子のような人気小説家であった。能や歌舞伎も今のような敷居の高いものではなく、現代でいう舞台劇のようなものであった。このように今では古典とされる文学や芸能は全て、発生した当時は時代最先端であるが批判を受ける対象でした。

    ロックやジャズ、漫画などは「〇〇を聴くやつ(読むやつ)はろくでもない」などとさんざん言われていましたが、今では古典として権威を持ち始めています。ヒップホップもいずれそうなるでしょう。

    芸能や娯楽は全て例外なくそのようなルートをたどるか消えるかのどちらかであり、そのように考えるとクラシックも例外ではないはずです。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/03/13 07:34

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A 回答 (10件)

No.9です。

きりがないので最後にします。

>権威というのはある程度の時間とその分野における支配的地位が必要です。確かにベートーベンの生存時はバッハは権威だったでしょう。でも、その曲が生まれた当時はその作曲家も若く、権威が持てたはずはありません。

時間のことを言っているのではありません。「権威」になるのは「大衆」に認められることによってではなく、その時点における「権威」に認められることによってそうなるということです。

バッハは、約100年「忘れ去られ」ていました。それを復活させ、「音楽の父」としてドイツ音楽の権威づけの基礎にしたのは、メンデルスゾーンやその時代の「批評家」たちです。その辺のからくりは、No.6に挙げた 岡田 暁生著「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」(中公新書)に詳しいです。

クラシック音楽(特にドイツ音楽)がどのように成立したかは、こんな本も読んでみるとよいかもしれません。
ご紹介したような本もお読みなった上で、あとはご自分で考えていただければよいと思います。私の説明を押し付けるつもりはありませんので。

ハンスリック著「音楽美論」(原著は1854年)
https://www.amazon.co.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%B …

シューマン著「音楽と音楽家」(作曲家シューマン(1810~1856)の書いた音楽批評集)
https://www.amazon.co.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%8 …
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No.6です。

「補足」に書かれたことについて。

>現代のポップ音楽は正装で行く必要はないですよね(チケットを買う必要はありますが)。クラシックも昔はそのようなものだったはずです。
>なぜなら、正装するということはその音楽に「権威」を認めているからそうするわけで、作曲した当初はその曲にもその作曲家にも「権威」がなかったからです。

いいえ。クラシック音楽を愛好した「富裕市民」は、かつての「王侯貴族」の趣味を味わうことに優越感を抱いていましたから、「権威」を大事にしていました。
自分たちは「王侯貴族」のような「よい音楽を聞き分ける耳」を持っていなかったので、「批評家」「音楽評論家」という職業も生まれました。クラシック音楽は「権威そのもの」だったのです。だから「音楽の父バッハ」「楽聖ベートーヴェン」という権威を作り上げ、自分こそは「ベートーヴェンの後継者」と自認していました(ブラームス対ワーグナー、フランスにおける「ドイツに追いつき追い越せ」の「国民音楽協会」など)。

大衆の音楽は「民謡」でした。
クラシック音楽をこういった「大衆音楽」と結び付けようと、19世紀末には「国民学派」と呼ばれる動きが盛んになり、ロシア5人組やチェコ音楽のドヴォルザーク、北欧のグリーグやシベリウスなどが生まれましたが、これらも「アカデミックな権威」の中に「民謡などの大衆音楽の素材」を取り込む動きであって、大衆音楽そのものではありません。
20世紀になってから、バルトークやコダーイなどが民謡を採取したのもの、そういった動きの一つです。

大衆に近いものとして、もう一つ「軍楽隊」というものもありました。19世紀にトルコ軍などの影響で作られましたが、こちらはクラシックというよりは「ブラスバンド」です。
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「クラシック音楽の社会的立場」という意味では、およそその様な事だと思います。


しかし、真剣に「芸術」を鑑賞する、という意味合いでは、違うと思います。
現代よりも、昔の方が、真剣に「芸術」を鑑賞出来る機会に恵まれていた部分があるように思われます。
それは、ヨーロッパだけではなく、日本の「古典芸能」についても同様な事が言えると思います。
「歌舞伎」や「能」は、今日は非常に敷居が高いですが、江戸時代の人々には、鑑賞出来る機会がより多かった、と思います。
そう考えますと、「芸術」の鑑賞がより限定されているのは、むしろ今日の様な気がします。
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これは「大衆を対象とした音楽」として捉えるのか、「不特定多数(パトロン以外を含めたかという意味で)を対象とした音楽」として捉えるかで違ってきます。



ベートーベンのころには「不特定多数(パトロン以外を含めたかという意味で)を対象とした音楽」となっていたでしょう。
一方で大衆が成立し、皆が皆、広く音楽を聴くようになるのは近代音楽以降でしょうか。

近代音楽になってからは、映画音楽もありますし、ラグタイムのように人によってはジャズとの違いがわかりにくいクラシックもできています。
古くからのクラッシク音楽と別に大衆音楽との間にあるようなものもできてきました。
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No.4です。

「補足」に書かれたことについて。

>演奏会には一般庶民も行けたのではないでしょうか。

 「一般庶民」とは、せいぜい「小ブルジョア(プチ・ブル)」のことでしょうか? 現代社会の感覚でいう「一般庶民」というものは、19世紀には存在しなかったのです。

 今でも、オーケストラ演奏会にせよリサイタルにせよ、演奏者は「燕尾服」や「ドレス」といった、いわゆる「正装」です。
 当然、当時の観客も「正装」で出席しました。コンサート、リサイタル、オペラは、上流階級の社交場だったのです。
「正装」を持たない一般庶民が出るような場ではなかったのです。
 現代でも、コンサートにジーンズやTシャツだと白い目で見る観客は多いです。サンダル履きなど御法度です。
 正月にテレビ中継される「ニューイヤーコンサート」の観客の服装にも注目してみてください。

 ついでに、No.4に書いたように、20世紀前半に大衆音楽が登場した後は、いわゆるクラシック音楽は「現代音楽」「流行音楽」であることをやめ、「古典芸能保存」に徹するようになりました。同時代の「前衛音楽」が大衆に支持されなくなったことも要因ですが。
 それ以降のクラシック音楽は、映画音楽やテレビ・ラジオ番組の音楽として生き残っているという見方もあるようです。それが「大衆化した現代のクラシック音楽」でしょうか。

 こんな本が面白いので、興味があれば読んでみることをお勧めします。質問者さんの知りたいことが書かれていると思います。

↓ 岡田 暁生「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」(中公新書)
https://www.amazon.co.jp/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%9 …

ついでに、同じ著者のこんな本も、興味があれば。20世紀になって、オペラは「映画」にとってかわられた、ということも書かれています。

↓ 岡田 暁生「オペラの運命―十九世紀を魅了した「一夜の夢」」(中公新書)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%8 …
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ベートーベンやショパンの時代には、ラジオもテレビもレコードもなかったので、彼らが作り演奏した曲は「広く人気のある音楽」とはなり得ませんでした。

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「当時の流行音楽」という意味では、ほぼ「その通り」だと思います。



 ただし、#2さんが書かれているように、ヨーロッパは19世紀まで(あるいは20世紀初頭まで)は「階級社会」でしたから、「流行音楽」=「大衆音楽」ではありませんでした。「流行音楽」の主体は「中産階級」(いわゆる「ブルジョア」)であって、人口の多数を占める「農民」や「労働者」(いわゆる「プロレタリアート」)ではありませんでした。
 バッハも、「宗教音楽」ばかりでなく、いわゆる「世俗音楽」もたくさん作曲していますが、主な注文主は王侯貴族や富裕市民でした。
 ベートーヴェン以降、フランス革命の影響もあり、作曲家は「王侯貴族のお抱え下僕」の地位から「独立自営業」になったものの、主な注文主はやはり「貴族」「富裕市民」でした。ベートーヴェンやショパン、リストなどは、富裕市民の「サロン」で曲や演奏を披露していました。そこに「一般大衆」はいませんでした。
 ロンドンなどの大都市では、ザロモンなどの興業主が「フィルハーモニー協会」といった「音楽愛好家」の会員制コンサートを開くようになりましたが、この会員も富裕市民層でした。

 「プロレタリアート」中心の「大衆音楽=ポピュラー音楽」が発生・普及したのは、20世紀前半(第一次大戦後)のアメリカで、それがヨーロッパにも普及しました。いわゆる「ダンス音楽」「ジャズ」「大衆歌謡」「ミュージカル」といったものです。第一次大戦でドイツ帝国やオーストリア帝国などが、そして革命でロシア帝国が崩壊して、ヨーロッパが一斉に「共和国」になったこととも大きく影響しています。

 そういった社会的背景も考慮する必要があります。
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私もそう思います。


極端な言い方をすれば、現在、クラシック音楽といわれているものが昔から人気のある
ポピュラーミュージックといってもいいのではないでしょうか?

まあ、私の言葉ではなく、尊敬する高校時代の恩師の言葉なんですけどね。
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ベートーベンやショパンが生きた時代は、現代のように庶民が音楽を買うことができず、皇帝や上流階級が演奏家を雇うことができるだけでした。


したがって、シンフォニーなどの大編成の楽団が演奏する楽曲はすべからく上流階級のもです。

また庶民に家にはピアノはありませんし、庶民はピアノを弾くことなどできませんので、ピアノソナタといえどもやはり上流階級のサロンでプロの楽士が演奏しただけす。
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不健全な音楽だと言われていた時代もあります

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Q東京芸大音楽学部、桐朋学園大学のレベルは世界的に見るとどの程度でしょうか?

クラシック音楽演奏者の養成学校として有名なのはジュリアード音楽院、パリ国立高等音楽院、ウィーン国立音楽大学などが思い浮かびますが、それでは日本の東京芸大と桐朋のレベルについてはどれくらいになるでしょうか?この2校の卒業生は国際コンクールの入賞者を結構出しており、そこそこいくように思うのですが。

↓このランキングによると東京芸大は100位にも入っていないようですが、これは「舞台芸術」のランキングであり、今回の主旨(音楽)とは違います。
http://violinear.com/world-university-ranking-result/

Aベストアンサー

No.1の回答で充分と思って見ていましたが、どうも簡単にはいかなそうなので、少し詳しく解説します。
内外の音大の事情を直接知る者です。

大学というのは、それぞれ設置している専攻科目も違うので単純比較はできず、
ランキングはもともと無理で、意味もありません。

たとえばウィーン国立音楽大学は、「演劇・音楽大学」が正式名称です。
ヨーロッパでは、テレビドラマや映画よりも演劇の方が重要で、
ここの卒業生の多くが舞台俳優として活躍しています。
一方東京芸大には演劇科がく、音楽学部には日本の伝統音楽を専攻する邦楽科が、
美術学部には日本画科があります。
これらを専攻した人の活躍の場は主に日本に限られます。
この二つの例からだけでも比較するのが無理だということがわかります。

ネット上の情報を見るときは、注意しなければならないことがたくさんあります。
リンク先のホームページは、公的機関や研究団体のサイトではなく、個人が趣味で作成しているサイトです。
作成者のプロフィールには、楽器も弾けない、楽譜も読めない、とあります。
引用したランキングがどういうものかも調べていないようで、記事そのものの内容も誤解を招くものです。

このランキングを見ると、聞いたことのないインドネシアの大学が並んでいたりして、
不自然であることがすぐにわかります。
調べたところ、この企業のランキング調査の対象に音楽大学が含まれるようになったのは2016年。
リンク先のランキングはその年の結果で、まだデータが集まっていません。
今年のランキングを見ると、東京芸大ではなく東京大学が突然38位に入っており、
大阪大学が100位以内に入っています。
https://www.topuniversities.com/university-rankings/university-subject-rankings/2017/performing-arts

このランキングについてはドイツでも「お粗末なデータに基づいている」として、
「das ranking ist kranking」という見出しで批判が書かれているサイトがあります。
「kranking」はダジャレで、「krank」は「病気」の意味ですが、
ミュンヘン音楽大学やザルツブルク・モーツァルテウムがこんなに評価が低いわけがないと論評しています。
http://blogs.nmz.de/wm2014/2016/04/01/musikhochschulen-im-vergleich-das-ranking-ist-kranking/

このランキングの選考基準は、卒業生が舞台芸術の世界で活躍しているかどうかとは全く関係がなく、
判断の基準になる評価指標は、以下の項目と評価配分です。

各国学者のビア・レビュー 40%
雇用者の評価 10%
学生一人あたりの教員比率 20%
教員一人当たりの論文引用数 20%
外国人教員比率 5%
留学生比率 5%
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0#QS.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E5.AD.A6.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.82.AD.E3.83.B3.E3.82.B0

つまり、この調査は完全に「学究的見地」から行われているもので、
卒業生が音楽の世界で活躍しているか、コンクールで入賞しているかは反映されていません。
上位にイギリスの大学が多いのは、イギリスの企業の調査による偏りのようにも思えますが、
同時にアメリカの大学がたくさんランクインしていることを考えると、
論文の査読と引用が評価指標の60%を占めることから、
英語圏の大学の評価が必然的に高くなるということでしょう。
東京大学がランクインしているのも、文学部や哲学科の学生や教員が、
芸術関係の論文を英語で書いているから、という可能性が考えられます。
音楽大学の場合は、卒業演奏や卒業作品であり、論文というのは、音楽学専攻をのぞけばほとんど問題になりません。
このようなランキングを発表している機関はほかにもありますが、方法は似た様なもので、
「舞台芸術」で検索しても、上のランキングとは全く異なり、
オーストラリアのシドニー大学が1位表示されたり、なぜか「工科大学」がランクインしたりしてします。
ドイツに優れた音楽大学がたくさんあるにもかかわらず上位に入っていないのも、上のような理由からでしょう。

では実際はどうかというと、ここにもやはり国ごとの学制、価値観、伝統、社会的評価の違いがあり、
単純に比較することは不可能です。

一般によく言われますが、日本の大学は入るのが難しく出るのが簡単、
欧米の大学は入るのは簡単だが出るのは難しい、ということがあります。
音楽大学も例外ではなく、東京芸大や桐朋学園の入試はレベルが非常に高いです。
ヨーロッパは、国と大学によって違うとは思いますが、日本ほどではなく、
入学後の学生全体の技術レベルという観点から言えば、
日本の音大生のレベルの方がむしろ高いかもしれません。
そして、芸大や桐朋で学んだだけでも、国際コンクールで入賞したり、
ヨーロッパの名門オーケストラに採用されるだけの力をつけられたりする可能性は十分にあります。
ヨーロッパの音楽関係者の間でもこれらの音大の名前はよく知られており、
「芸大ならば」、という信頼は持たれています。
しかしその一方、日本の音大生、音楽家は、技術はあるが音楽性がない、という批判は数十年前からあり、
この点はいまだに十分克服できているとは言えません。
たとえば、前々回のショパンコンクールでは、日本人参加者は一人も本選に進めませんでした。
コンクール後の審査員講評では、「日本の参加者は、楽譜通りに弾くだけでなく、もっと音楽を感じて弾かなければならない」
と指摘されました。前回のショパンコンクールでも受賞者は出ていません。

ヨーロッパの音大で、学内のクラス発表会などを聞くと、
技術的には荒削りでも、音楽的で、一人ひとりが個性的な演奏をのびのびとやっています。
このような日本の音大生、音楽家の欠点の原因の一つは、教え方にあります。
ヨーロッパの大学などでは、技術や音楽表現について、具体的かつ論理的に、
どうしたらよいか、なぜそうなるか、を明確に説明できる教師がたくさんいます。
日本の場合、やや曖昧な精神論で済ますきらいがあります。
教師と学生の関係も、日本では上下関係になる傾向が伝統的にあります。
ヨーロッパの学生は、たとえやっていることが間違っていても、
自分はこう考えたからこうした、という主張をし、教師と議論をします。
日本からの留学生に対する教師の印象も、先生に言われたことはきちんとやるが、
それ以上のことをやろうとしない、という評判を聞くことがあります。
こういった点は、大学のレベルの問題ではなく、民族性や気質の違いに起因するものでしょう。

コンクールでの業績も、必ずしも評価の指標にはなりません。
先ほど挙げたショパン・コンクールなどは、「ショパンの演奏はこうあるべき」という権威の認める演奏スタイルがあり、
それからはずれた個性的な演奏をすると、技術的、音楽的に優れていても落とされます。
そういうこともあって、現在ショパン・コンクールはヨーロッパの学生の間では人気がなく、参加者も減っています。
アジア人の入賞者が増えるのは、アジアの音大のレベルが上がったというより、
参加者の比率が変わったことに原因があります。
すべてのコンクールが不当な評価を下しているとは言えませんが、
審査員の中の特に力を持つ人が、自分の弟子を入れるためにほかの参加者を落とすとか、
審査員の息子が優勝したのが問題になり、次の回から、審査員の家族、親族は参加できないという規約に変更された例もあります。
コンクールの裏事情については、信用できる話からデマに到るまでいろいろあります。
ヨーロッパの若者には、当然、審査基準の不透明なコンクールよりも、
実力で地道にキャリアを積む方がよいと考える人が多くなります。
むしろそういうやり方が本来の行き方で、コンクールが盛んになるのは現代になってからですが、
そういう伝統が残っているヨーロッパと違い、日本などはやはり経歴や受賞歴が重視される傾向があるので、
どうしてもやらざるを得ないという事情はあります。

あとは、個々の音大の特徴や長所、短所があります。
ジュリアードなどのアメリカの音大も、どちらかというと技術は優秀ですが、
ヨーロッパの本格的で伝統的な演奏法とは少し異なる部分があると思います。
しかしその一方、ジュリアードなどは、かつて名教師と言われる人がいて、
そういう教師を求めてやって来る生徒がいました。
ヨーロッパの音大生にしても、一つの大学で学んだあと、特定の教師にさらに習いたいということで、
その教師が在籍する大学に移ってさらに研鑽をつむのはごく普通の道です。
芸大、桐朋の卒業生でも、海外で活躍しているような人は、
さらに欧米の音大で勉強をつづけた人が大部分と思います。

欧米の一流音大の学生でもダメな人はたくさんいますよ。
結局のところ、個々の学生が、何を学びたいのかという明確な目標意識を持ち、
それに一番適した大学や教師を選び、自分で道を選ぶものであって、
大学全体のレベルや名前による格の違いという話題は、通俗的なものになりがちです。

No.1の回答で充分と思って見ていましたが、どうも簡単にはいかなそうなので、少し詳しく解説します。
内外の音大の事情を直接知る者です。

大学というのは、それぞれ設置している専攻科目も違うので単純比較はできず、
ランキングはもともと無理で、意味もありません。

たとえばウィーン国立音楽大学は、「演劇・音楽大学」が正式名称です。
ヨーロッパでは、テレビドラマや映画よりも演劇の方が重要で、
ここの卒業生の多くが舞台俳優として活躍しています。
一方東京芸大には演劇科がく、音楽学部には日本の伝...続きを読む

Qアメリカ現代作曲家 ジョン・ケージの評価について

『4分33秒』で名を遺したケージですが、イマイチどう評価していいのかわからないので質問します。

氏の作品は「実験音楽」と言われていますが、実験とは何らかの検証の為のものであり、また音楽というよりは「音響」の方が合いそうです。

ケージ以前と以降とでは、パラダイムシフト的な大転換が起きたのでしょうか?

どう評価していいのかわからないし、この人の作品を聞くべきなのか判断に迷うので質問します。

(※意見表明のための質問ではございませんので、ご安心下さい。 )

Aベストアンサー

No.1&2です。
失礼しました。既に聞かれているのであれば、No.1,2の回答は無視してください。

>ケージは音楽史上のメルクマールにはなっても、作品は捨て置かれるのではないかと思っています。

そのようにご自分で判断されているのであれば、それでよいのではありませんか? 
「研究者が」「専門家筋が」「音楽界が」「世の中が」「大衆が」どのように評価するかは、それとは次元の異なることなのではないかと思います。これも意見表明に過ぎませんが。

Qフルスコアが無料で閲覧できるサイトは?

お世話様です。ベルリオーズのラコッツィ行進曲のフルスコアが無料で閲覧できるサイトは、ご存じありませんでしょうか?お分かりになる方ご教示ください。

Aベストアンサー

『ラコッツィ行進曲』と呼ばれるものは、原題を『ハンガリー行進曲』(Marche hongroise)といいます。
ハンガリー民謡の『ラコッツィ行進曲』を引用しているのでこのように呼ばれることが多いです。
(ほかに、リストの『ハンガリー狂詩曲』などでも同じ旋律が引用されています。)
ベルリオーズの『ハンガリー行進曲』は単独の曲ではなく、
ゲーテの『ファウスト』に基づく大規模な曲、『ファウストの劫罰』の中の1曲なので、
こちらの方の題名で検索しないと出てきません。
Petrucci(IMSLP)には、全曲のフルスコアと、『ハンガリー行進曲』のみのフルスコアが出ています。
『ハンガリー行進曲』のみのスコアが必要なら、
Full scoresの項目の下の方のSelectionsに、3つの異なる出版社の楽譜が出ています。
1番目のRichault社のものは古くて、スキャンも鮮明ではないので、
2番目のBreitkopf und Härtel社のものがよいでしょう。
3番目のHeugel社のものもよいですが、この『ファウストの劫罰』に含まれるほかの代表的な作品2曲も含まれています。

http://imslp.org/wiki/La_damnation_de_Faust,_H_111_(Berlioz,_Hector)

『ラコッツィ行進曲』と呼ばれるものは、原題を『ハンガリー行進曲』(Marche hongroise)といいます。
ハンガリー民謡の『ラコッツィ行進曲』を引用しているのでこのように呼ばれることが多いです。
(ほかに、リストの『ハンガリー狂詩曲』などでも同じ旋律が引用されています。)
ベルリオーズの『ハンガリー行進曲』は単独の曲ではなく、
ゲーテの『ファウスト』に基づく大規模な曲、『ファウストの劫罰』の中の1曲なので、
こちらの方の題名で検索しないと出てきません。
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Qクラシックのライブに行く時の服装

過去問を見ると、現代人がクラシックのコンサートに行く時の服装は概ね自由なようですが、大昔は貴族のものであり、平民には閉じられた世界だったようで、ドレスコードも決まりがあったみたいです。

近年の一般人が服装にこだわらないということは、それだけクラシックが俗化したということでしょうか?
一方、演奏者は今でも決められた服装ですが、もしカジュアルな服装でバラバラだったらどう思いますか?

クラシックのライブコンサートに行くたび腑に落ちないので、お聞きします。

Aベストアンサー

誤解です。
今で言うクラシック音楽が上流階級のパトロンによって成り立っていた時代があり、「平民に閉じられた」のではなくそもそも接する機会が無いし興味も無かったと考えた方がいいです。

ドレスコードというのはまさしく慣習とか格式のことであり、そもそも宗教音楽から上流階級向け「大衆音楽」となったばかりの時代にそんなものはまだ確立していません。当時は、上流階級の人達が好きにお出かけにふさわしいオシャレをしていただけ。
それが「ドレスコード」等という「形式」になったのはむしろ近代で、このドレスコードも軽装だったものがランクが上げしてフォーマルになったりと時代によって次第に緩くなっていく性質があります。

あと、当時の大衆音楽と言いましたが、今の格式や伝統を重んじる上流階級と、成り上がりの商人や領主しかいなかった当時の上流階級ではかなり意味は変わると思います。当時の音楽というのはまさしく成り上がり向けの馬鹿騒ぎしたり暇つぶししたりするような「大衆音楽」であり、当然ながら今のクラシックの扱いのように「格式」といった意図はありませんでした。格式なんてのは長い時間で出来ていくもので、最初から存在するものではないのです。

「現代人がクラシックのコンサートに行く時の服装は概ね自由」というのも、正しくはありません。そのコンサートの趣旨(格式)によっても異なり、厳格なドレスコードがある公演もあります。ファミリーコンサートや屋外コンサートのように一流の楽団であっても演奏者がカジュアルである場合もあります。また、日本のように「自由とは言ってもジーンズとまでいくとちょっと」程度の意識の国もあれば、アメリカのように平気でジーンズにTシャツで行く国もあります。ヨーロッパなんかは国や時間帯によって正装する人が多ったりしてやはりそれらよりはうるさいようです。

「クラシックが俗化した」のではなく、クラシックは元々が「世俗的な文化」だったのです。形式にうるさくなっているのはむしろ近代です。前の方が「大昔」と言っていますが、それ近代以降の話です。クラシックが大衆音楽の中心だった時代ではないです。

誤解です。
今で言うクラシック音楽が上流階級のパトロンによって成り立っていた時代があり、「平民に閉じられた」のではなくそもそも接する機会が無いし興味も無かったと考えた方がいいです。

ドレスコードというのはまさしく慣習とか格式のことであり、そもそも宗教音楽から上流階級向け「大衆音楽」となったばかりの時代にそんなものはまだ確立していません。当時は、上流階級の人達が好きにお出かけにふさわしいオシャレをしていただけ。
それが「ドレスコード」等という「形式」になったのはむしろ近代で、...続きを読む

QBach の曲について

サテライト ラジオを聴いていて 「いい曲だなぁ。」と思い、曲名を見たら Well- tempered Clavier by J.S.Bach と出ていました。 調べてみたら BWV 846~893. is collection of two series of Pleludos and Fugues in all 24 major and minor keys, composed for solo keyboards by J.S. Bach. と、書いてあります。

日本語では、なんと呼ばれていますか。

Aベストアンサー

日本語では、#1さんのとおり通称「平均律クラヴィーア曲集」と呼ばれます。

第1集が24曲、第2集曲も24曲で構成されます。おのおの、1オクターブを構成する「12の音」(ド、ド♯、レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ソ♯、ラ、ラ♯(=シ♭)、シ」を基準とした「長調」と「短調」の「合計24の調」を1曲ずつ含みます。

当時、「調」によって「その調の音階」の調律が異なっていましたが(純正率)、これを「ほどよく調律」(Well- tempered)することで、「合計24の調」が自由に演奏できることになったことから作られました。
各々の調の「1曲」は、前半の「前奏曲(Prelude)」と後半の「フーガ(Fugue)」のセットでできています。

この「ほどよい調律」は、現代では「平均律」として完成されていますが、バッハの当時は数学的な「平均律」ではなく、「古典調律」と呼ばれる調律だったと考えられています。それを、和訳の通称として「平均律クラヴィーア曲集」と呼んでいます。その意味では正確な訳ではありません。
興味があれば、「純正率」(和音が美しく響く、周波数比が整数)、「平均律」(オクターブを数学的に均等に12分割)などについての説明を参照ください。「耳で聞く音の調和」と「物理的な音程」の「微妙な差」に関するちょっと奥の深い話です。
「平均律」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%BE%8B
「純正率」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%AD%A3%E5%BE%8B
「古典調律」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E8%AA%BF%E5%BE%8B
http://gthmhk.webcrow.jp/agordo.html

なお、このバッハの曲にならって、ショパンやラフマニノフ、ショスタコーヴィチなどは、「24曲」の「前奏曲集」ですべての調を網羅するものを作っています。

日本語では、#1さんのとおり通称「平均律クラヴィーア曲集」と呼ばれます。

第1集が24曲、第2集曲も24曲で構成されます。おのおの、1オクターブを構成する「12の音」(ド、ド♯、レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ソ♯、ラ、ラ♯(=シ♭)、シ」を基準とした「長調」と「短調」の「合計24の調」を1曲ずつ含みます。

当時、「調」によって「その調の音階」の調律が異なっていましたが(純正率)、これを「ほどよく調律」(Well- tempered)することで、「合計24の調」が自由に演奏できることになったことから作ら...続きを読む

Qショパンの「黒鍵のエチュード」の最後のオクターブを急速に弾いているピアニストについて。

ショパンの「黒鍵のエチュード」の最後のオクターブ(楽譜)を物凄く速く弾いているピアニストについて教えて下さい。

Aベストアンサー

これで三度目なので、よほど知りたいのかな?
ショパン自身が指定した曲のテンポというのがありますし、
最後のこの部分だけをいかに早く弾けるかを目標にするわけではないので、
音楽的な意味から言っても上限があります。
また、速度だけでなく音量も要求されるので、
技術的な観点から言っても限度があります。

基本的に、曲の終盤に一気にテンポを速めて劇的に終わらせようという解釈と、
逆に、曲の終わりに少しゆったりさせて、大きさを出そうという解釈の二通りが可能です。
早めるという解釈のピアニストの演奏なら、テンポにそれほど大きな差は出ないと思いますよ。

早く弾くピアニストの場合、最初のオクターブの打鍵から、
最後のオクターブの打鍵の瞬間までにかかる時間はわずか1.2秒ほどです。
ここまでの単位になると、耳で聞いただけでどちらが早いかを聞き分けるのは無理でしょう。
ちょっと面倒くさかったですが、早く弾いていそうなピアニストの演奏から、
この部分だけを切り出してタイムを測ったところ、以下のような結果でした。

まず、全曲録音をしていて、全体的にテンポが速いことで知られているアンドレイ・ガブリロフの場合、
最初のオクターブの打鍵から最後のオクターブの打鍵の瞬間までのタイムは約1.17秒。

https://www.youtube.com/watch?v=j9298NtCVX8

サンソン・フランソワというピアニストは、曲全体はゆったりしたテンポですが、
この部分だけは早くて、ガブリロフと同じくらい。

https://www.youtube.com/watch?v=ZkO8rFqj5e0

ホロヴィッツとラン・ランを測ってみると、約1.24秒。

https://www.youtube.com/watch?v=UtbF78NApmQ

https://www.youtube.com/watch?v=WK0Ml2BiOAE

しかし、1.17秒とか1.24秒とか書きましたが、正確にタイミングを見て切り出すのは難しく、
これは誤差の範囲内ですので、上の4人は同じ(約1.2秒)と判断してかまわないと思います。
さらに下の4人も、最初の1音、2音だけ少し長めに弾く表現を加えているので、
全体のタイムは1.5秒前後になるものの、それ以降の速さは上の4人と変わらないので、
やはり同じくらい早く弾けていると言ってかまわないでしょう。

ポリーニ
https://www.youtube.com/watch?v=ve5tfzJINaY

プレトニョフ
https://www.youtube.com/watch?v=YkyFkGL70GE

ツィマーマン
https://www.youtube.com/watch?v=h5jHxXMcnPU

ペライア
https://www.youtube.com/watch?v=_CeyQMFETCI

これらの演奏を比較して、どちらが早いかというのはあまり意味がないと思うのですが・・・

なお、前の2回の質問への回答を見合わせたのには理由があります。
この部分を早く弾くにはどうしたらよいのかということだったのですが、
「この点に気を付ければ早く弾ける」というような、特効薬的な「コツ」があるわけではなく、
言葉で説明するのは困難だからです。
ピアノを弾くのに必要なあらゆる動作の基本が身についていることと、
それらを効率的に組み合わせられることが大前提です。
学習者がよくやるまちがいは、手の幅をオクターブにカッチリ固定してしまって、
腕に力を入れてひっぱたくというやり方で、これでは早く弾けない。
指だけの上下の動き、手首から先の「振り」、肘からの動き、肩からの動き、
こういったものをすべてうまく組み合わせて、余計な力を入れずに打鍵できなければなりません。
指使いは、「1+5」と「1+4」を適度に混ぜていかなければならないし、
跳躍の幅の違い(2度と3度)によっても動きが変わります。
打鍵の瞬間も、上から手を落とすような感覚のタッチと、逆に突き放すようなタッチを使い分けます。
余計な力を入れないためには、椅子の高さや、腹筋で状態が支えられているかどうかなど、
ピアノに向かって座る際の姿勢も問題になります。
つまり、0.1秒というごく短い間隔で連続するこれらのオクターブは、
その一つ一つで微妙に打鍵の方法(タッチや動きの組み合わせ方、力の出し入れ)が違ってくるわけですが、
これを全部言葉で説明するのはとうてい無理ですし、
説明したとしても、それを頭で考えてできるというようなものではないです。
一定期間直接指導するのでなければ伝えることができないもので、
中途半端な説明で誤解が生じるとまずいので、回答は控えたいという判断です。

これで三度目なので、よほど知りたいのかな?
ショパン自身が指定した曲のテンポというのがありますし、
最後のこの部分だけをいかに早く弾けるかを目標にするわけではないので、
音楽的な意味から言っても上限があります。
また、速度だけでなく音量も要求されるので、
技術的な観点から言っても限度があります。

基本的に、曲の終盤に一気にテンポを速めて劇的に終わらせようという解釈と、
逆に、曲の終わりに少しゆったりさせて、大きさを出そうという解釈の二通りが可能です。
早めるという解釈のピアニスト...続きを読む

Qこのメロディのクラシックを探しています

曲名を知ってる方いませんか?
10年前に同級生が弾いてて曲のなんとなくのメロディラインしかわかりません。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

アルベニス作曲 アストゥーリアス(スペイン組曲~第5曲)
https://www.youtube.com/watch?v=aTFdrLCXqmE

Qクラシック作曲家の作品の引用について

クラシック作曲家は他の作曲家、たとえばブルックナーが3番の交響曲でワーグナーを引用したり、またジョン・アダムズが『Absolute Jest』という作品でベートーヴェンの交響曲第7番を引用しています。
ショスタコーヴィチは15番の交響曲で、ロッシーニやワーグナーを引用する一方、自作品を引用したりもしているわけですが、

他作曲家を引用する場合と、自作品を引用する場合の違いについて教えて下さい。

Aベストアンサー

No.2です。「引用」と「パクリ(盗作・盗用)」は別物でしょう。
引用は、あくまで他の作品を意図的に使うわけで、いちいち許可を得ることはしないのが普通だと思います。

 ルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」(1969)の第3部は、マーラーはじめドビュッシーやラヴェル、R.シュトラウスなどを引用した「コラージュ」という手法で作られています。いくつ分かるかな・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=9YU-V2C4ryU

 ショスタコーヴィチは引用の天才で、交響曲第15番に限らず他人の作品、自分の作品を自由に引用して使っていますね。
・ピアノ協奏曲第1番の冒頭は、ベートーヴェンのピアノソナタ「熱情」の引用。「リスペクト」ととるべきか「パロディ」と考えるか。
・有名な交響曲第5番の第1楽章第2主題は、提示部では短調なので気づきませんが、再現部で長調になるとビゼー「カルメン」のハバネラの合唱にカルメンが乗せて歌うオブリガートの引用であることが分かります。
・いろいろな曲への自分のイニシャル(D-Es(=S)-C-H」の引用。スターリン死亡直後の交響曲第10番や弦楽四重奏曲第8番など。
・交響曲第11番「1905年」に、たくさんの革命歌を引用。体制へのすり寄りか、革命の原点へのオマージュか。(ショスタコーヴィチ自身は父親も含めて革命に共感していた)
・弦楽四重奏曲第14番は、弦楽四重奏曲を初演してきたベートーヴェン弦楽四重奏団の創設以来のチェロ奏者「セルゲイ・シリンスキー」に献呈され、自作のオペラ「マクベス夫人」からのカテリーナが愛人セリョージャを歌うアリアがチェロに引用されます。「セルゲイ」の愛称が「セリョージャ」なので。
・最後の作品となったヴィオラソナタには、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」が引用されます。

 バルトークは、亡命先のアメリカで死の病の中で作った「管弦楽のための協奏曲」で、第3楽章「悲歌」に自作のオペラ「青髭公の城」から「涙の湖」の主題を引用するとともに、第4楽章「中断された間奏曲」に、直前にアメリカ初演されたショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」第1楽章の主題(侵攻の主題、これもレハール「メリー・ウィドウ」の引用)を嘲笑するように引用しています。体制を鼓舞するショスタコーヴィチを揶揄していると言われていますが、むしろこの曲のアメリカ初演権を争ったトスカニーニ、ストコフスキー、クーセヴィツキーやセンセーショナルに取り扱ったアメリカ音楽界を揶揄したのでしょう。

 思いつくだけで、いろいろな引用がありますな。

No.2です。「引用」と「パクリ(盗作・盗用)」は別物でしょう。
引用は、あくまで他の作品を意図的に使うわけで、いちいち許可を得ることはしないのが普通だと思います。

 ルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」(1969)の第3部は、マーラーはじめドビュッシーやラヴェル、R.シュトラウスなどを引用した「コラージュ」という手法で作られています。いくつ分かるかな・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=9YU-V2C4ryU

 ショスタコーヴィチは引用の天才で、交響曲第15番に限らず他人の作品、自分の作品を...続きを読む

Qショパンの曲が聴きたいのですが、クラシックのCDを手にするのが初めてです。 (この曲が聴きたい!とい

ショパンの曲が聴きたいのですが、クラシックのCDを手にするのが初めてです。
(この曲が聴きたい!というのはなく、とにかくショパンの曲が聴きたいのです。)

CDショップには、様々なショパンのCDが並んでいて、
一体どれを選んだら良いだろうかと悩んでいます。

そこで質問なのですが、
おすすめのショパンのCDを教えて頂ければ幸いです。

よろしくお願いします!

ちなみにジャズアレンジなどなど。
変わり種も大歓迎です!

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私がおすすめするショパンのCDは、クラウディオ・アラウ演奏のものです。

http://www.universal-music.co.jp/claudio-arrau/

全30タイトルのうち、ショパンのものは7タイトルですが、どれか選ぶとすれば、映画「愛情物語」や、浅田真央さんのテーマとしておなじみの曲が収録されている「夜想曲集」、「華麗なる大円舞曲」「子犬のワルツ」「別れ」など、おなじみの曲が多く収録されている「ワルツ全集」などがよいと思います。

「夜想曲集」収録曲
http://www.universal-music.co.jp/claudio-arrau/products/uccd-4860/

「ワルツ全集」収録曲
http://www.universal-music.co.jp/claudio-arrau/products/uccd-4861/

Qこのピアノ曲のタイトルを教えてください

この映画の予告編で流れているピアノ曲のタイトルを教えてください。
宜しくお願いします。

『At the terrace テラスにて』
https://youtu.be/a5BGOgGfGuc

Aベストアンサー

1. ショパン バラード第2番ヘ長調作品38
https://www.youtube.com/watch?v=MsoUIBcl7iw

2. スカルラッティ ソナタ変イ長調K.127
https://www.youtube.com/watch?v=5yvWCIvWxqk


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