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ショパンのプロフィールを読んでいたら、
「未発表作は全部捨ててくれという遺言は無視され、
友人たちによって未発表作も世に発表された」
というような記述がありました。
この部分について詳しいことが知りたいです。

これを悪く解釈すれば、ショパンの意志を無視して、
死んだあとに勝手に金儲けなどに利用した、ともとれますが、
友人たち、と書いてありますから、何か、ちゃんとした理由が
あって遺言を無視したのでしょうか。

変な表現になりますが、天国のショパンはこのことを感謝している
のでしょうか、恨んでいるのでしょうか。

A 回答 (6件)

嫌ですよねえ。

もし自分だったらと思うと。
あと一番気の毒なのは「幻想即興曲」かなぁ。
捨ててくれといっていたのですよね。
出来栄えがなっとくいかなかったのか
月光3楽章に似てるから(ベト)とか言われてますが

でも悪意ではないでしょう
すばらしい作品たちだから、世に出さなくてはと思ったのでは。

偉大なることを成し遂げると、何が嫌かというと
日記とか手紙とか…そんなのまでのちに公開されますからね
自分ならヤですねぇ。

でも後世それを受け取る立場としたら、よくぞ出してくれたと思いますが。

ショパンも、本当に世に出したくないならさっさと捨てるとか
病床からでも指示して目の前で破棄させればよかったんですよ。

あと、ある話によればショパンの死後
偽ものの遺作が出回ったそうなので
公式版をきちんと出すことにしたとかいう話があります。

死後は怒ることもできないのが死ですからね
死んだ後のことは生きてる人にしかどうしようもない。

ただもし天国なんてところがあって、もう長年そこで過ごしていたら
怒りもなにもないのでは
もっと広い心で世のピアノ愛好家に感動を与えているのなら
それもよしと思っているのでは。

自分で生前にさっさと処分しないぐらいには
作品への愛着はあったのでしょうし…。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。てっきり、友人たちが、
「待てよ?アイツは処分してくれと言っていたけど、
この未発表作を使えばすごい金儲けが出来るぞ…クックックッ」
と、悪い心で発表したのかな、と思っていたのでスッキリしました。

お礼日時:2017/05/10 10:15

>「未発表作は全部捨ててくれという遺言は無視され、


>友人たちによって未発表作も世に発表された」

これはどこに書いてありましたか?
内容があまりにも簡単すぎて、誤解を招く情報と思います。
ネット上の情報なら、あてにならないものが多いです。
聞きかじりの知識だけで書いているような印象がありますが。

こういうエピソードは、通俗的な好奇心を惹きやすく、
俗説となってひとり歩きする面が大きいです。
ショパンが、未完の原稿を破棄してほしいという遺志を、
ヴォイチェフ・グジマワという友人に書き送っていたことは知られており、
また、結果的に発表されたことも事実ですが、
その二つの事実だけで大きな誤解が広まっているようです。
海外のQ&Aサイト(たとえばドイツ)を見ていても、
遺作を出版した友人、ユリアン・フォンタナのことを、
「金儲けのためにショパンの遺志を無視したクズ」と中傷した書き込みが見られます。

ショパンは生前に作曲家として名声を得た人であり、
死後間もなくショパン協会のような組織もできています。
残された原稿は貴重な資料でもあります。
また、作曲家自身の気に入っていなかったからといって、
必ずしも出来の悪い作品とは限りらないというのも、ショパンに限らずしばしばあることです。
それから、作品の原稿やメモというのはどんどんたまっていくもので、
ショパン自身が、それまでの原稿の内容を全部覚えていたかどうかもわからないわけです。
このようなことを考えると、そう簡単に破棄というわけにはいかなかったでしょう。
それに、そもそも「破棄してほしい」という遺志は、
グジマワという友人個人にあてて書き送ったものであり、
時々見受けられる「死の床でそう言った」という情報は怪しく、
その遺志が当時どれだけの人たちに伝わり、認識されていたのかも不明です。

遺作を出版したい、という話は、まずショパンの弟子で、
秘書のような役目もしていたジェーン・スターリングという女性と、
ショパンの姉ルトヴィカの間で相談されました。
ジェーン・スターリングはショパンに献身的で、
ショパンのコンサートや旅費、その他もろもろのことで、
惜しみなくかなりの費用を負担していただけでなく、
ショパン関係の資料や遺品を集めて、記念館としてショパンの母親に寄贈しているので、
金儲けの企みがあったとはとうてい考えられないでしょう。
(性格は平凡で退屈だったようですが。)

ジェーン・スターリング
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%B8%E3% …

ショパンの遺作を最初に出版したユリアン・フォンタナは、
特に親しかった友人の一人ですが、自身作曲家でもあり、
また、ショパンの生前からその作品の楽譜を出していた出版者でもありました。
ただ、現在ショパンの遺作として出版されている曲はかなりたくさんありますが、
そのすべてがフォンタナによって出版されたのではありません。
フォンタナは、ショパンの遺稿の中から、特に良いものを選んで校閲し、
それを出版するのに10年近くの歳月をかけています。
そしてそれを、「愛ゆえの仕事」と言って、報酬は受け取っていないので、
金儲けのため、という非難は当たりません。

ショパンが亡くなったのが1849年で、
最初の遺作集をフォンタナが出版したのが1855年です。
その前の1853年には、ショパンの母親と二人の姉妹の連名で、
遺作の発表をまかせるのに最もふさわしいとして、
その出版の許可を与える書簡がフォンタナ宛に出されています。
つまり、ショパンの遺族の希望でもあったということです。

ショパンの遺族からのフォンタナ宛の手紙(英訳)
http://www.julianfontana.com/biography/images/au …

フォンタナが1855年に出版したのは、
フォンタナによってつけられた作品番号で66~73までです。
1859年には、『17のポーランドの歌』という歌曲集を出しています。
歌曲の方は、若いころから折に触れてバラバラに書かれたもので、
2曲はショパンの生前に出版されていますので、
これは、未完の原稿というより、未出版のものをまとめたものといえます。
1855年の遺作集では、フォンタナはショパンの遺稿をそのまま印刷出版したのではなく、
補筆完成したうえで発表しています。
昨今の音楽界は「原典主義」の傾向が強く、他人による加筆を否定的に見る人が多いため、
フォンタナの加筆に対しても「改悪」という批判があるようですが、
これは、オリジナルを盲目的に信仰する偏った見方で、そのような非難は行き過ぎであると思います。
たとえばワルツ全集の楽譜を見ると、フォンタナの補筆版と、
ショパンの自筆原稿版の両方が載っていますが、
ショパンのオリジナルは、まだ粗削りのメモの状態で、
作品としては不十分なものです。
フォンタナは、ショパンの作品を生前から出版していたこともありますが、
自身作曲家でもあったことから、ショパンの作曲様式を知り尽くしていたようです。
遺作の出版に年月がかかっているのも、ショパンの様式を充分研究していたからと考えられ、
ショパン自身が仕上げたと思えるほどまでに、考え抜いて推敲しているように見えます。
作品そのものの質としては、ショパンが残した原稿より優れているところが多くあります。

この遺作集に収められている有名な『幻想即興曲』についても、いろいろな俗説が広まっています。
ショパンは、特にこの曲を名指しして廃棄してほしいとは言っていないようなのですが、そういう情報が結構あるようです。
生前に出版されなかった理由についても通俗的な解釈がいろいろあるようですが、
最新の研究では、単に作品の仕上がりに満足していなかっただけという理由のほかに、
実は、ショパンはこの作品を改訂してデスト男爵夫人という女性に贈っており、
楽譜が個人の所有になったために出版ができなくなった、という事情も指摘されています。
この、デスト夫人所有の改訂版『幻想即興曲』は、
フォンタナが遺作集を出版したときは把握されていなかったと思われます。
この版は、1960年になって、デスト夫人所有のアルバムがパリでオークションにかけられ、
ピアニストのルビンシュタインによって発見されました。
フォンタナの版と比較すると、こちらの方が完成版であることは明らかですが、
これが広く知られるようになったのは、比較的近年になってからです。
このような事情と、作品自体優れたものであることを考えると、
ショパンがこの作品を残すことを望まなかったという説はあまり信憑性がありません。

フォンタナ以外によってのちに出版されている「遺作」というのも結構ありますが、
これらは、ショパンの元に残っていた原稿ではないケースがほとんどだと思います。
出版社のコレクションに残っていたとか、若いころの作品が出てきたとか、
原稿はすでに失われ、別人の手による筆者譜として誰かのところに残っていたなどのケースです。

ショパンが感謝しているか恨んでいるかという話題にはあまり興味がないのですが、
フォンタナによって出された遺作は、すぐれた作品としてレパートリーに残っていますし、
先ほど書いたように、ショパン本人の手で完成されたものかと思うほど献身的に仕上げられているので、
ショパンがそれを見れば、その誠意は十分理解できるはずです。

ユリアン・フォンタナ
http://www.julianfontana.com/biography/biography …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
少し感情論に流れ、私の質問から脱線している部分も
見受けられますが、非常に参考になりました。

お礼日時:2017/05/11 21:45

No.2です。

「お礼」に書かれた

>質問文にある、「友人たちは善意だったのか悪意だったのか」
>の部分を分かる方が居れば回答をお待ちしております。

について。

当然、友人本人ではないので「本心」は分かりませんが、「悪意」であったはずはないと思います。生前の「友人」であった人が、勝手にショパンの遺志を踏みにじることはしないでしょう。当然、遺志を尊重すべきか、芸術的良心に従って人類の宝というべき「遺作」を保存すべきか、迷った上での決断だと思います。


蛇足ながら、似たような話に、マーラーの遺作「交響曲第10番」の補筆完成の物語があります。下記にあるように(昔は、もっと詳しく書かれていたような気がする・・)、マーラー生誕100周年の1960年に、イギリスのデリック・クックが完成版を作成しましたが(クック自身は、「完成版」とは呼ばずに、控えめに演奏可能な「実用版」と称した)、マーラー未亡人アルマは自分の許可を得ていないことから激怒して演奏と補筆を一切禁止します。しかし、アルマ自身、実際に音になった遺作(の録音)を耳にして感動し、補筆完成と演奏を許可し、積極的に協力しました。
このようにして、未完のマーラー「交響曲第10番」を、我々は実際の音として聞くことができるのです。音楽は、実際に音にして聞かれることで、初めてその意義を発揮するものですから。
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%9E%E3%83%BC%E …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。てっきり、友人たちが、
「待てよ?アイツは処分してくれと言っていたけど、
この未発表作を使えばすごい金儲けが出来るぞ…クックックッ」
と、悪い心で発表したのかな、と思っていたのでスッキリしました。

お礼日時:2017/05/10 10:14

No.2です。

ひとこと補足。

人間には、「個人」(プライベート)としての側面と、「公人」としての側面を持ちます。(通常の凡人の「公人」としての側面は、ほとんどないに等しいですが)
偉大な人ほど、「公人」としての側面が大きく、それをどのように扱うのかは難しいところです。

政治家や企業のトップなどは、そういうものです。「プライバシーに関わるので公表しない」と言える範囲がどこまでか、難しいところです。「公人」としての顔を使って私腹を肥やすこともあり得ます。(何とか小学校の名誉校長みたいな)
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当然、天国のショパンは怒るでしょうね。



でも、それによって、人類は貴重な文化遺産を手に入れ、後世の人間も末永くそれを味わうことができるようになりました。

天国のショパン本人は怒っていますが、無数の人類が喜んでいます。
軽々と、善悪や是非は議論できませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ただできれば、質問文にある、「友人たちは善意だったのか悪意だったのか」
の部分を分かる方が居れば回答をお待ちしております。

お礼日時:2017/05/10 00:36
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ただできれば、質問文にある、「友人たちは善意だったのか悪意だったのか」
の部分を分かる方が居れば回答をお待ちしております。

お礼日時:2017/05/10 00:36

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