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最近、肯定ペンギンの赤ちゃんと言うキャラクターがスマッシュヒットしています。
曰く、癒されるとか、救われるとか。

お昼寝したの?えらい!
ご飯食べたの?えらい!
出勤したの?はなまる!

こんな感じで、コウペンちゃんは些細な事でも肯定してくれます。
肯定されたい人が少なくないのでヒットしていると思うのですが、裏を見れば当然、いつも否定されている、否定していると思われます。
一体何が否定され、何を否定しているのでしょうか。
ざっくばらんでいいので考察などいただけると嬉しいです。

「肯定と否定と」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • 問いを書いてる内に問う事が二つに分岐してしまったため、前の問いを削除して問うことを一つにし、投稿し直しました。
    しかし前の問いを考えてくださっていたことありがたく思います。ゆっくり拝読させていただきますね。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/07/17 17:40
  • この質問には前身がありまして、数時間ほど掲載していました。今回の質問にはないことにも触れていたので補足します。
    それは、日本のカワイイ文化と世の中の背景との関係を問うた点でした。日本人は子供に甘いと聞いた事もあります。ただ幼児性を残したまま大人になった面があるとも見れます。これらのことについて、若干の考察などをいただきたいと言う主旨の質問でした。
    2番様の回答はそう言う前回質問に応えてくださったものです。

      補足日時:2017/07/17 18:18

  • タイのCM、ありました。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/07/18 00:13
  • 文字数足らず、ここでお礼させていただきます。
    はるばる遠くから、ご回答ありがとうございます。
    また、ご回答いただいた皆様にもここで改めてお礼申し上げます。ありがとうございます。
    この質問はいつ締め切るか決めておりません。またありましたら、どうぞお気軽にご回答よろしくお願いします。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/07/19 09:38

A 回答 (13件中11~13件)

日本は誉め育てを、あまりしないですからね。



長所を伸ばそうとしないで、短所を無くそう
とするのが日本の基本的スタンスです。

そういう日本では、誉められることはあまり
無いので、こういうのが流行るんでないですか。

ちなみに、教育経済学によると、誉め育ては
プライドばかり高くなり、効果が無いそうです。
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この回答へのお礼

ほー、そうなんですか。褒めて育てる方がいいと思ってたんですが、プライドばかり高くなるのでは困りものですね。
子育ての正解、あってないようなものでしょうか。その時その時の対応で、厳しくもし、優しくもし、と言うことなのでしょうね。
日本のスタンス、一長一短ですかね。

お礼日時:2017/07/17 18:50

問いが消されていたのですが、それについての回答です。



>日本人の、カワイイものをめぐる気質について、時代背景と共になにか簡単でもいいので考察や思うところをいたただけたらと思いました。【前の問いより】

可愛いっていうのは、美しいとは異なる美の範疇で、西欧の伝統の中だとなかったものです。未熟さ、幼児性、醜さと切り捨てられていたものの「良さ」を見直す動きであると言っても良いでしょう。また美しいものは崇高であったり、偉大であったりしたわけですが、そうした感覚の中には恐怖がどこかしら潜んでいたのでもあります。で、可愛いは恐怖の要素がない。ここは大きな違いだと思います。

西欧だと可愛いは、あくまで古典的な「美」があった上で、第二の選択肢として注目されているということだと思います。つまり伝統的な文化から脱落した人の受け皿になっているわけです。

しかし可愛いには、幼児的な要素はあると思います。この絵では「ちゃんと起きてえらい」などと褒めてくれるし、他のイラストもまた、出勤したことや1日終わったことを、褒めてくれるそうです。甘やかされている子供の世界に近いものを感じます。

さて、現代の日本という時代と絡めて思うことは三つです。

1.可愛いの流行は、大人の成熟した文化を目指す向上心がなくなり、子供のお遊戯の延長線上のまま大人になった者たちが多い、日本の閉塞した状況を示してもいるのではないか。

2.成熟した大人の文化に参入するには、資料を買い集めるお金や、知識を学ぶための時間が必要だから、そういう余力が現代人には無くなり、幼児性を一つの文化的様式とみなすに至ったのではないか。

3.仕事ではストレスばかりで会話がなく、あたり前の「肯定感」を得られなくなった。親のように自分を受け止めてくれる存在がいないと心のバランスが取れなくなった。可愛いとは幼児返りの願望ではないか。

私個人は可愛いを否定はしないけれども、やや物足りない感じはします。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

最近のカワイイ文化は、清少納言の言う、成熟した大人から見た可愛いもの、うつくしきものとは違う気がします。もちろん、枕草子に述べられているような感性は今も生きていると思いますが、コウペンちゃんを見て、癒される〜っていうのは分かります。かわいいですから。しかし、救われる・・・と言うのは、ちょっと貴方、大丈夫ですか、お疲れですか。となりますね。
追い詰められた感と言いますか、救いの次元が切羽詰まっている気がして。おっしゃる三つのうちでは三つ目に当たる事かなと思います。何故そうなるのか。端的に申しますと、自分を否定せざるを得ない生き方になっているからではないかと私は思ったんですね。みさんはどう思っているのか尋ねたくなり、肯定と否定に的を絞って再質問したのでした。

ところで、近所の川に鴨が営巣してまして、季節になると雛が数羽、親の後をついて泳いでいたりします。この風景に、ひと時の憩いを見て、救われた気がすると言うのなら、厳しくとも耐えていらしたのだなと、思わないでもないです。
コウペンちゃんは、ある人々に残る幼児性に強く訴えていて、幼児の、しかもごく初期にあやすような、そんな仕方で描かれているんですね。これがそこそこ人気な事に、一抹の不安がよぎるのでした。
私も全く大人らしい訳ではないですから、その一抹の不安が共感から来ているものである事が分かり、なんだか複雑な気持ちになっています。かわいらしさを否定はしないのですがね。
美しさとの違い、勉強になりました。美しさについては掘り下げると深そうですので今は保留としておきますね。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/07/17 18:46

「肯定ペンギンの赤ちゃんと言うキャラクター」


⇒そのようなものが流行しているのですか。

「一体何が否定され、何を否定しているのでしょうか」
⇒多分、人間社会がイモ洗い状態の過当競争になっているのでしょう。
過当競争とは、不必要な競争という意味です。
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この回答へのお礼

まあ、小さな流行ですが、世相を結構反映してるのでは?と思い登場してもらいました。ツイッターではコウペンちゃんが出ると一万近くいいね!を獲得したり、ラインスタンプも人気みたいです。

過当競争になると、なにか大事なものまで犠牲にされてしまうように思います。自分のしたいことだとか、自分の好きだったこと、或いは夢とか。目の前の競争に背いっぱいで、質を追求できませんね。
何故過当競争になるのか、考えてみようかな。
ありがとうございます。

お礼日時:2017/07/17 17:59

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