よく、『濃い』のことを『濃いい』と言うひとがいますが、間違っているのでは?

他にも、『濃いくして』ということもあります。

どうにも気持ち悪い言い回しに聞こえるのですが。

ご意見をお聞かせください。

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A 回答 (10件)

 guess_managerさん、こんにちは。



 「濃い」を「濃いい」とする言い方はおっしゃる通りに間違いです。同様に「濃いくして」という言い方も正しくはありません。ただし、「濃い」という表現を「強調するために」、例えば「コーヒーの濃いのが飲みたい」を「コーヒーの濃いいのが飲みたい」というような言い方をすることはありえます。この場合は、強調するために「い」の音が引っ張って発音されるのでそう聞こえるのです。

 「濃い」は形容詞ですが、その中でも「イ形容詞」と呼ばれるもので、名詞を修飾する時に「~い」の形になるものです(例:「濃いコーヒー」、「濃い色」)。

 また、「~いい」となる「イ形容詞」に「かわいい」などがありますが、この「かわいい」を否定形にすると「かわいいくない」ではなく「かわいくない」となって「い」が一つになってしまいます。「濃い」を否定形にすると「濃いくない」ではなく「濃くない」となって「い」が消えてしまいます。「イ形容詞」が「~く(濃く、かわいく)」の形になる際には2つのパターンがあって、最後が「い」一つで終わるものは「~く」となり、最後が「~いい」で終わるものは「~いく」となります。また、「美しい」も「~いい」となる「イ形容詞」の一種で、文字では「い」がひとつしかないように見えますが、「し」の中に「い」が隠れているのでそう見えるだけです。音にすれば[utsukushii]と「い[i]」が2つあることが分かると思います。
 
 ですから、「濃いくして」という言い方は間違いです。正しくは「濃くして」となります。

 では、失礼いたします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
強調するために「濃いい」となるとのご意見ですね。
「イ形容詞」についてのご参考意見もためになりました。

お礼日時:2001/07/05 16:10

東京の標準語が何もかも正しいということ自体街間違いです!



西日本の多くの地域で「濃いい」としているのに、
一部東京のみで使われている「濃い」を標準語にしたこと自体がおかしいのです!
方言を”間違い”だとする東京人の気が知れません。

「濃い」の他に「多い」も
「多いくして」「多いかった」と活用します。

「濃いなあ」の意味で使われる「い」抜き表現も
「こー」とはならず「こいー」と言いますよね?

「濃いい」を「濃ゆい」などと言うとるのも方言でしょう。
これは東国方言ではないでしょうか。
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わたしは九州の福岡出身で、故郷では周囲のほとんどが


「濃いい」と言ってるような気がします。
方言じゃないでしょうか。
(うちの辺では、ふざけて、じゃれる雰囲気を出したいとき以外、
「濃ゆい」とは言いませんね(^^))

「濃い・い」という形容詞(と感じている)ので、
「濃い・くする」「濃い・そう」「濃い・さ」のいずれにも
違和感ありません。
というか逆に、むかぁし、会話で
A:「これコソウだね」
B:「は?コソウ?」
A:「コイソウ」
B:「あぁ。そーだね」
な~んてことも何度かあったような....。
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確かに文法的に言えば間違いですが、何をもって言葉の間違いと言うか、という問題とも関連しますね。

長くなるので置いておいて。

現代だけでなく、古文においても軍記物などで「勇まし」を、語気を強めるために「勇ましし」と重ねている例もあります。

また、「かわいい」の連用形→「かわいく」につられて「濃い」→「濃いく」となっているかも。

・6の方もおっしゃってますが、「薄い」の語幹に接尾語がつくと「薄め」となりますが、「濃い」の語幹に接尾語を付けても、「濃め」とは言わず、「濃いめ」と言いますよね。古語でもシク活用形容詞の場合は語幹の用法で「シ」まで含まれます。

2字の形容詞に座りの悪さを感じるためかなとも思います。
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私は熊本の出身なんですが、


「こゆい」と言っていました。

むしろ、高校に入るまで「こゆい」が標準であると思っていたのですが、
本当は、「こい」ですよね。

九州地方の方言ではないかなぁと私は思っています。
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小さい子供は血が出た!のことを「血が」が出たというのもありますね。

(失礼!)

さて、薄味、薄口のように味、口に付ける時はどうするのでしょうか?(便乗)
「こあじ」「こくち」ではないですよね? 「こいあじ」「こいくち」となりそう
な気もします。「濃ゆあじ」とか「濃ゆくち」というのも聞いたことがあります。

この類推から良いような気も。
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昔、私の姪が未だ小さかった頃、「蚊」のことを「かが」って


言ってました。おとなが「あ、蚊が!」って言うもんだから、
「かが」って憶えちゃったらしくて、「かががいるよ」って
言うんですね。

# すんません、ぜんぜん回答じゃないですね
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「濃いい」に関しては、間違いというのではなく、単にそんな風に言っている人が話しやすいように語尾を延ばしてるのではないでしょうか。

「~したんです」と私たちは言いますが、本当は「~したのです」ですよね。言いやすく変更してるわけです。その人にとっては「濃いい」の方が言いやすいのでしょう。

「濃いくして」は本当に誤用です。もしくは高校生言葉のようにざと言っているかですね。
形容詞は言葉が変化していくと最後の「い」が消えます。たとえば「美しい」は「美しく」ですよね。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
言葉はいいやすく変化してゆく、という考えがあります。
アクセントも、浸透すればするほど平坦になっていくらしいですね。
例:渋谷、原宿、彼氏、クラブ・・・どれも元は「し」ぶや、は「ら」じゅく、「か」れし、「く」らぶですが平坦。
↑どれも若者の間で使われていますが。

お礼日時:2001/07/05 15:03

100%間違い…とも言い切れない部分があります。



九州方面の方言で「濃い」を「濃ゆい」と表現しますが、
これが結構他地域でも浸透しているようで、「濃いい」と
いうのはこの「濃ゆい」が変化したもの、と考えること
ができます。

例えば、標準語でも「言う」が表記上は「いう」、発音
上は「ゆう」となりますし、「校庭」も「こうてい」と
「こおてえ」…のように、表記と実際の発音の異なる例
は結構あります。

…でも、本音を言えばやっぱり違和感が(^^;)。
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この回答へのお礼

なるほど、『濃ゆい』は九州地方の方言でしたか。
ありがとうございます。

お礼日時:2001/07/05 14:58

『濃いい』『濃いくして』は間違いです。


「濃い」「濃くして」が正しいです。

辞書にも、そのような用法がありません。
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この回答へのお礼

辞書を見る限り、このような用法は載っていませんね。
俗語辞典には載ってるかな?
ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/05 14:55

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Qイ・サンについて教えてください。

イ・サンを6話から8話までNHKで見たのですが
ネタばれ全然OKですのでこれからどうなっていくのか教えてください。

今日はイ・サンを陥れようとしているのが王妃だと分かったのですが
これからこの対決はどうなっていくのですか?
あらすじを書いたものをネットで読んだのですが
一話一話のあらすじで回数も多いので途中で訳が分からなくなってしまいました。

多分最後には悪だくみはバレるとは思うのですが
王妃とフギョム、ファワンはどうなるんですか?

またソンヨンはイ・サンの側室になるとネットで書いてあったのですが
何話くらいから側室になって、何か活躍等していくのでしょうか?
イ・サンって正室もいるんですよね?

教えていただければと思います。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

フギョム、ファワンは最後でなくて
意外に早く退場します。というか、
「イ・サン」は非常にテンポが悪く、
しかもソンヨンとの関係もほとんど進まず
観る側が痺れを切らして退場したくなるかもしれません(笑)
ソンヨンが側室になるのは(62話)で
ほとんど亡くなる前(74話)ですから
恋愛話の方は期待しない方がいいです。
韓国でも「イ・サン」は視聴率悪かったようです。

Q菊池寛の『父帰る』の冒頭の母と賢一郎の会話がよくわかりません。

菊池寛の『父帰る』の冒頭の母と賢一郎の会話がよくわかりません。

賢一郎「おたあさん、おたねはどこへ行ったの」
母「仕立物を届けに行った。」
賢一郎「まだ仕立物をしとるの。もう人の家の仕事やこし、せんでもええのに。」
母「そうやけど嫁入りの時に、一枚でも余計ええ着物を持って行きたいのだろうわい。」

これはたねが自分の嫁入りのために、仕立てて貰いに行ったということでしょうか?
それとも、頼まれて仕立てたものを依頼主に届けに行ったということでしょうか?
帰って来たたねが「また次のものを頼まれたり、何かしとったもんやけに。」と言っているので、後者かなと思いつつも母の台詞に惑わされています。
また、賢一郎の「もう人の家の仕事やこし」という台詞の意味もわかりません。

どうか解説を宜しくお願い致します!

Aベストアンサー

現代調に直せば解かると思います。

原文:
賢一郎「おたあさん、おたねはどこへ行ったの」
母「仕立物を届けに行った。」
賢一郎「まだ仕立物をしとるの。もう人の家の仕事やこし、せんでもええのに。」
母「そうやけど嫁入りの時に、一枚でも余計ええ着物を持って行きたいのだろうわい。」

直した文:
賢一郎「お母さん、おたねはどこへ行ったの」
母「おたねは仕立物を届けに行った。」
賢一郎「まだ仕立物をしてるの。もう人の家の仕事なんだし、しなくてもいいのに。」
母「そうだけど嫁入りの時に、一枚でも余計に良い着物を持って行きたいんだろうさ。」

要は「おたね」が他人の着物を仕立てあげているんです。その出来上がった着物を頼まれた家に持って行った。着物を仕立てるのは頼んだ家の人間が自分でする仕事だべさ、もうしなくても良いのに、という賢一郎の台詞に対し母親の最後の台詞です。最後の台詞の主人公は仕立てを頼まれた家の嫁入り前の娘であり、「おたね」の仕立てが良く出来ている為に、嫁入り前に良い着物を1袖でも多く持っていきたいという先方の希望で仕立てているんです。もっと現代風にアレンジすると・・・



賢一郎「お母さん、おたね、どこへ行ったのさ」

母「おたねか?○○さんに頼まれた仕立物を届けに行ったよ」

賢一郎「まだ人の仕立物をしてんのかい。それは人の家のやる事なんだし、頼まれたからって、そんなにしなくてもいいのに」

母「そりゃそうだけどさ。○○さんとこの娘さんも嫁入りの時に、一枚でも余計に良い着物を持って行きたいんだろうさ」


と言う感じです。

現代調に直せば解かると思います。

原文:
賢一郎「おたあさん、おたねはどこへ行ったの」
母「仕立物を届けに行った。」
賢一郎「まだ仕立物をしとるの。もう人の家の仕事やこし、せんでもええのに。」
母「そうやけど嫁入りの時に、一枚でも余計ええ着物を持って行きたいのだろうわい。」

直した文:
賢一郎「お母さん、おたねはどこへ行ったの」
母「おたねは仕立物を届けに行った。」
賢一郎「まだ仕立物をしてるの。もう人の家の仕事なんだし、しなくてもいいのに。」
母「そうだけど嫁入りの時に、一枚で...続きを読む

Qイ・サンの声優さん

「イ・サン」で、セソンの声優をされている方が
「チャングム」で”ビルトゥ”役で声優をされていた
そうですが、俳優さんが思い出せません。
教えてください。

それにしても・・・
「イ・サン」イイですねぇ~。
挿入歌『約束』も大好きです。

Aベストアンサー

ごめんなさいっ! お名前間違えました
正しいのは ソ ボムシク さんでした
写真も見つけました!

参考URL:http://koreaenta.exblog.jp/2156764/

Q『は』と『わ』

「私は、」の「は」と「わに」の「わ」。両方「wa」と読みますよね?何故、「私は、」の「は」は「わ」じゃないのか分かる方、教えてください。読み方が同じなのに字が違うのは、意味があるんでしょうか。「~さんへ」の「へ」と「え」、「を」と「お」も同じく疑問です。何故使い分ける必要があるのか、発音が同じで問題が無いのだから、文字として理由があると思うのですが・・・。

Aベストアンサー

皆さんの言われるとおりですが、戦後の国語改革で、歴史的仮名遣いを廃したものの、「助詞」に関してはそのまま残したように認識しています、ただこれは「不徹底」というより、助詞と、名詞をはっきり分離できるという意味があったようです。英文などでは単語と単語の間にはスペースを置きますが、日本文や中国文ではそのようなスペースは存在しませんからある意味合理的です。

句読点も旧い漢文などでは存在せず、あったとしても句点だけとかで、今のように整備されたのは明治以降です。読点もあるにはあったが、実際は殆ど使われておらず、江戸時代の本を原書で読むには慣れが必要です。

使われる「カナ」も江戸期までは全くバラバラでした。今も蕎麦屋の暖簾に「楚者」の草書が使われたり、「多ん古」(=だんご)などの表記が残っています。当て字なんかもザラです。書き順もメチャクチャ。ですから、カナや書き順をガタガタ言い始めたのは明治以降なんです。

artist0さんやHead_Syndicateの言われるように、音韻が「p->f->h」と変化してきたのは有名な話です。「百」という漢字音も
・中国マンダリン:b
・中国呉方言:p(確か)
・韓国朝鮮:p
・日本:h(p)
と変化してますね。

実はzerounoさんの「先駆者」がいるのです。「かい人21面相」です。彼らの脅迫状には、関西弁が使われ、助詞には「わ」、「お」、「え」使っていました。ある意味で革命的な出来事です。(彼らによる犯罪の善悪は別ですよ!!)

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Q胃痛と胃もたれ・むかつき&背中の痛み

29才の女です。タイトルの通りですが。

胃痛と胃もたれ・むかつき&背中の痛みに1ヶ月半位悩まされています。
最初、みぞおち辺りが痛くてガスター10を1週間飲んで全く効かなかったので、それから通院はしてます。

名前は忘れちゃったんですが、胃潰瘍などに効く薬を2週間飲んでそれでも駄目で、血液検査・エコー検査(胃・十二指腸・すい臓・胆嚢?)すべてクリアで、胃カメラやって医者に「きれいですねー」って褒められるくらい問題なしで、次は来週MRIをやる予定です。
一応、次の検査までの過程で考えられる範囲の検査(胃炎・潰瘍・胆石・膵炎)は健康そのもの!といえるくらい問題なしで、正直戸惑ってます。
MRIはもちろん受けますが、結果が出なかったら自律神経とかの部類になっちゃうんでしょうか?
一応、背骨の歪みとかも調べてもらったのですが、これも問題なし・・・

大きい病院だと、どうしても流れ作業的なものもあるらしく、見落としがちな部分も多々あると聞いたので、こちらから積極的に原因究明の質問(提案?)をお医者さんにしていきたいと思うのですが、どんな可能性があるのか素人なのでわからず、どなたか助言くださる方がおられたら、と思ってます。

専門家、経験者、問わずアドバイス募集します。
よろしくお願いします。

あ、ちなみにこの時間いつも起きてるわけでなくGWなので昼寝が長すぎて起きてしまっただけで、普段は規則正しいほうです。食事にも気を使ってると思います。(多分)

29才の女です。タイトルの通りですが。

胃痛と胃もたれ・むかつき&背中の痛みに1ヶ月半位悩まされています。
最初、みぞおち辺りが痛くてガスター10を1週間飲んで全く効かなかったので、それから通院はしてます。

名前は忘れちゃったんですが、胃潰瘍などに効く薬を2週間飲んでそれでも駄目で、血液検査・エコー検査(胃・十二指腸・すい臓・胆嚢?)すべてクリアで、胃カメラやって医者に「きれいですねー」って褒められるくらい問題なしで、次は来週MRIをやる予定です。
一応、次の検査までの過程で考...続きを読む

Aベストアンサー

全ての精密検査で「異常なし」で、しかし、「自覚症状はある」ということでしたら、「ストレス性・精神性のもの」では、と思われます。

実は私も全く同様の経験をしたことがあります。
胃痛、吐き気など酷くて、御質問者様と同様の検査を全てしたのでうが、「異常なし」でした。
が、症状はありました。

結局、「これはストレス性・精神性のものなのだ」と解って、自己認識した時点で、「あるがまま」の姿勢で、ある意味「放置」しておいたところ、いつの間にか症状は消えていました。

ご質問者様は「漏れなく必要な精密検査をされている」ので、それで「全てクリア。異常なし」となったら・・・にも関わらず「症状」があったら・・・一度「心療内科」を受診なさってはいかがでしょうか?
そちらで今迄の経緯をお話になったら、解決方法があるかもしれません。

あとは私の様にしてしまうか。
(ただ、これは「全ての検査をして異常なし」という「お墨付きをもらった」から出来ることで、そうで無い場合は絶対してはいけないことですが。)

御質問者様の「性格」とかにも関わって来るので、「絶対」ということはあり得ませんが、一度、軽い気持ちで「心療内科」を受診なされることは「損」にはならないと思います。


以上、私の経験も踏まえて書かせて頂きました。
何かのお役に立てれば幸いです。

全ての精密検査で「異常なし」で、しかし、「自覚症状はある」ということでしたら、「ストレス性・精神性のもの」では、と思われます。

実は私も全く同様の経験をしたことがあります。
胃痛、吐き気など酷くて、御質問者様と同様の検査を全てしたのでうが、「異常なし」でした。
が、症状はありました。

結局、「これはストレス性・精神性のものなのだ」と解って、自己認識した時点で、「あるがまま」の姿勢で、ある意味「放置」しておいたところ、いつの間にか症状は消えていました。

ご質問者様は「...続きを読む

Q東西線『葛西駅』の『葛』の漢字について

入力をしていて、どうしても変換ができなかったので教えて下さい。

私の記憶では、『葛西(かさい)』の『葛(か)』の部分は
『草かんむり』の下に『にちへん』そしてその下に『つつみがまえ』
そのの中には、うまく説明できないのですが、『はこがまえ』の
上が無いものの中に『にんべん』と記憶しているのですが、
どう変換しても『つつみがまえ』の中には『ヒへん』のものに
なってしまいます。(『匂』っていうような字ですね。)

駅名のプレートなどは、たいてい私の変換したい字になっています。
旧漢字か何かなのでしょうか?
それとも普通に変換して『葛』でも特に間違いではないのですか?

実はお客様の名前入力をしていて困ってしまっています(^-^;
何か良い方法がありましたら、是非ともお願いします。
(説明解りづらくてすみません。。。)

Aベストアンサー

質問の形態は違うのですが先日も同じ文字の質問があり、私も解答を書きましたが他の方の意見も興味があり拝見している所です。

この[葛]の字は特に辞典類とワープロ文字変換が違うので困った問題ですね・・・両方出てくれば問題ないはずですが。。。

http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=283022

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=283022

Qイ.ボミは納税の大半を母国で行っていると聞きました!女子ゴルフの徴税制度はどんなシステムですか?

イ.ボミは納税の大半を母国で行っていると聞きました!女子ゴルフの徴税制度はどんなシステムですか?

Aベストアンサー

ゴルフに徴税システムがあるわけでなく、所得税の法律に従いますね。
イ・ボミの情報は公開されていないので知りませんが、

非居住者に対する課税の仕組み。
https://www.nta.go.jp/taxanswer/gensen/2872.htm

プロゴルファーの源泉徴収。
https://www.nta.go.jp/shiraberu/ippanjoho/pamph/gensen/aramashi2006/mokuji/05/01.htm

なので、かりに、非居住者で、恒久的施設がない・・・なら、源泉徴収のみで課税関係が完結する源泉分離課税方式とあるので、
賞金金額に応じて、10~20%で日本は完結。それ以外は、韓国の法律で決まります。

ただし、李知姫も申告漏れを指摘されているので、居住者となると、少し話は変わりますね。
http://www.sankei.com/west/news/151209/wst1512090045-n1.html

Q松尾芭蕉の『野ざらし紀行』『奥の細道』について。

野ざらしを心に風のしむ身かな
 芭蕉の『野ざらし紀行』の冒頭にこの句が置かれています。この句は、無常の身だからいつ旅の途中で死ぬかもしれないという気持ちを詠んだものといわれています。この旅は、「野ざらしを心に」した旅でもあり、「死にもせぬ旅」ともいえて、「死」の観点の上に立っての「旅」であると考えることができます。それには、母の死を体験した芭蕉に「死」が一段と迫りくるものとして意識されていたのではないかと思いました。つまり、芭蕉のいう無常の根本には死があり、「死」の観念がはかない多くの美的世界を発見したと思いました。
そして、そのことは『奥の細道』中にもいえて、冒頭部分に、
 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり、舟の上に生涯を浮かべ馬の口をとらへて老をむかふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。
 明らかに、「無常」のことを述べ表していると思いました。
上記に挙げたことは、私の考えですが間違いですか?
芭蕉は、多くの旅で、姿ある風景ではなく、何を見てきたのですか?
 歌の伝統、伝統の文学の心を、風景に投影したのですか?
教えてください。
とても分かりにくくなってしまいすみません。

野ざらしを心に風のしむ身かな
 芭蕉の『野ざらし紀行』の冒頭にこの句が置かれています。この句は、無常の身だからいつ旅の途中で死ぬかもしれないという気持ちを詠んだものといわれています。この旅は、「野ざらしを心に」した旅でもあり、「死にもせぬ旅」ともいえて、「死」の観点の上に立っての「旅」であると考えることができます。それには、母の死を体験した芭蕉に「死」が一段と迫りくるものとして意識されていたのではないかと思いました。つまり、芭蕉のいう無常の根本には死があり、「死」の観念が...続きを読む

Aベストアンサー

>上記に挙げたことは、私の考えですが間違いですか?
 間違いかどうか、というご質問ですと難しいところです。
 理由は簡単なことで、「正解」というものが存在し得ないためです。

 文学研究では「正解」はありえません。
 「限りなく真実に近いと確信できる答え」を探すのがやっとです。古典研究であれば作者はもう居ませんし、仮に「こう書いたつもり」という記録が見つかったとしても、作者の中にある無意識がこの文章を書かせた、という論は成り立ちます。
 要は、どこまでも「こうなんじゃないか」の連続、積み重ねがあるだけで、真実も正解もあろうはずがないのです。

 ということで間違いかどうかは言えません。
 しかし、私個人の見解としては、芭蕉の文に「無常観」が見られる、という意見には概ね賛成です。

>芭蕉は、多くの旅で、姿ある風景ではなく、何を見てきたのですか?
>歌の伝統、伝統の文学の心を、風景に投影したのですか?
 まず「歌の伝統、伝統の文学の心」とは一体何を想定してお話されているのでしょうか?
 芭蕉が何を見てきたか、という問いに答えられるのは芭蕉だけです。
 従って次の問いに答えられるのも芭蕉だけです。

 この問いに関する「限りなく真実に近いと確信できる答え」を探すためには相当な研究を重ねる必要性があります。それこそ先行研究が山のようにある分野ですので、まずはそこの読み込みからになります。本文研究も相当必要です。
 ぶっちゃけた話、大学の卒論クラス、もしくはそれ以上の問いになりますので、答えるとしても全角800文字の制限がある中では不可能といわざるを得ません。
 ですので、こればっかりはご自分で研究して、「答え」を見つけるよりほかないと思われます。

 そこまで深刻ではない、というのであれば、お近くの図書館で松尾芭蕉と無常観に関する本をお探しになられるとよろしいのではと思います。


 最後になりますが、私は、芭蕉は旅の中で風景を見て、その中から何かを感じ取って作品を書いたのではないかと思います。
 その感性は無論彼の人生観やその形成に関わった書物の影響の下に存在しているでしょう。彼が尊敬する人物の中に西行法師が挙げられることからも、無常観というものは常に彼の中にあったものとは思います。
 しかし、これが正解ではありませんので、あしからず。

>上記に挙げたことは、私の考えですが間違いですか?
 間違いかどうか、というご質問ですと難しいところです。
 理由は簡単なことで、「正解」というものが存在し得ないためです。

 文学研究では「正解」はありえません。
 「限りなく真実に近いと確信できる答え」を探すのがやっとです。古典研究であれば作者はもう居ませんし、仮に「こう書いたつもり」という記録が見つかったとしても、作者の中にある無意識がこの文章を書かせた、という論は成り立ちます。
 要は、どこまでも「こうなんじゃない...続きを読む

QHでイくコツ

10代女性です。
恋人とのHでイけません。
彼はイかせようとしてすごく頑張ってくれてるし、
私もキモチイイんですけど、
どうしてもイく前に疲れてしまいます。

自慰ではクリトリスを重点的に触ってて、
彼もそれを知った上でそこへの愛撫でイかせようとしてくれています…
私はキモチイイし、彼のことは大好きだからいいんですけど、
彼が「ヘタでごめんよ~」なんて言って凹んでるのを見ると
何とかしてイってみたいなって思うんです。

私にできることってありますか?

Aベストアンサー

多分、羞恥心とかでちょっと緊張してるんではないでしょうか。
井上陽水の唄「傘がない」に♪「行かなくちゃー、行かなくちゃー」ってありますが、
彼もあなたもそのことに一生懸命で、お互い「いかなかったら、どうしよう」なんて心配してるのだと思います。交尾は生殖活動ですが、エンジョイするものでもありますから、もっとリラックスして、気軽に構えたほうがいいのではないでしょうか。あと色色な「やり方」とかあるそうですので、そんなのもいたずら半分に試みてはいかがでしょうか。

Q中村春雨『無花果』の結末(三浦綾子『塩狩峠』)

中村春雨(吉蔵)のキリスト教小説『無花果』の結末に関する質問です。
学生の時分にこの小説が授業で取り上げられたことがありました。
三浦綾子の長編『塩狩峠』にも登場する作品です。
ところがこの『無花果』の結末、授業で学んだものと『塩狩峠』に書かれているものとでは著しく異なっているのです。


●授業での結末(授業バージョン)
主人公の牧師鳩宮が紆余曲折の末、家族に温かく迎えられて幸福の涙を流す場面で終わりです(七十五章)。

●『塩狩峠』での結末(塩狩峠バージョン)
授業での結末の続きが書かれています。
主人公が苦悩の末に家出し、汽車にはねられて死ぬところで終わります。


私は実際に読んでおりませんが、
この『塩狩峠』に書かれているエピソードがあるかないかによって、
『無花果』の読後感は180度変わってくると思います。

「授業バージョン」は物語の御都合主義的な欠陥が際立つ結末となっています。
授業でも「入信→救済」という単純な図式が指摘されていました。
つまりキリスト教の宣伝小説のような印象を受けるのです。

一方「塩狩峠バージョン」はいわばバッドエンドです。
『塩狩峠』の主人公信夫もこの結末に考え込んでいます。
「せっかく鳩宮家に平和が戻って来たというのに、どうしてこんな結末になってしまったのだろう」と。
しかしこの結末に考え込んだ信夫は以前にもましてキリスト教に強く関心をもつようになります。


当時この点について授業の担当教員に質問したところ、
「おそらく三浦綾子の記憶違い」とのことでした。
しかしこれほど重大な部分について記憶違いが起るだろうかと私は疑問に思うのです。
たとえば中村春雨が結末に手を加えるなどして、異なるバージョンが存在することになったということもありえます。
『無花果』を読めばすぐに疑問が解決するのでしょうが、
たいへんに古い作品のため容易に読むことができない状況です。


『無花果』の結末についての真相をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示のほどよろしくお願いいたします。

中村春雨(吉蔵)のキリスト教小説『無花果』の結末に関する質問です。
学生の時分にこの小説が授業で取り上げられたことがありました。
三浦綾子の長編『塩狩峠』にも登場する作品です。
ところがこの『無花果』の結末、授業で学んだものと『塩狩峠』に書かれているものとでは著しく異なっているのです。


●授業での結末(授業バージョン)
主人公の牧師鳩宮が紆余曲折の末、家族に温かく迎えられて幸福の涙を流す場面で終わりです(七十五章)。

●『塩狩峠』での結末(塩狩峠バージョン)
授業での...続きを読む

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 「yahoo!オークション」の、
  オークション > 本、雑誌 > 文学、小説 > 小説一般 > 日本人作家 > 複数作家
に、
  ◆現代日本文学全集【歴史・家庭小説集】改造社◆昭和3年◆
というのが出品されています。
-------------------------------
当時全集ブームにのって、大ベストセラーとなった改造社の現代日本文学全集です。
天の部分が金色になっており豪華に作られております。
大変古いものですので入手困難な貴重なものだと思います。

由井正雪 塚原渋柿園
元禄女 村上浪六
無花果 中村春雨
小松嶋 村井弦齋

経年によるヤケ、シミ、折れ、角に傷み、汚れ、函破れあります。
ご了承いただける方のご入札お待ちしております。
-------------------------------
との説明があります。写真を見ると全集の中の「第34集」のようです。
 現在の価格は700円、あと4日です。


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