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安楽死について皆さんの意見を伺いたいのですが、将来日本でも例えば80歳以上の人のみ、自分の意思で安楽死が行えるようになって欲しいと私は思っています。

80歳未満は対象外で、また家族であっても本人の意思に反する場合は無効となります。対象は「80歳以上で本人の意思のみ」です。

自分が歳をとり、健康面でも経済面でも一人で生きていくのが厳しい人は世の中にいくらでもいると思います。

自分がいつ死ぬか?が分からない以上、特に経済的なやりくりが難しいと思います。

これから独り身が増え、自分の面倒を見てくれる人がいないと、今は健康で問題なくとも年老いていくと不安が募ると思いますし、人によっては他人または家族であっても面倒を見てもらうことに抵抗がある人もいると思います。

スイスでは安楽死は合法で、自分の手で最後致死量の睡眠薬を点滴で流し込むそうです。

自分の意思で死ぬことができると分かっていれば、人生設計が立てやすく、むしろ安心して老後を迎えることができると思います。いつでも安楽死ができるから貯蓄の残金の心配をせず、やりたい事をやれると思います。

一番最悪なのは、お金も家族、友人もいない状況で体は弱り、しかし死ねずに一人で生きながらえることです。これは私個人の考えなので、それでも生きたい!と考える人を否定してるわけではありません。

私は上記の状況ならば死を選びたいです。

皆さんは安楽死についてどう思われますか?
上記の条件でのお考えをお聞かせ下さい。

A 回答 (5件)

安楽死には、その実行環境や方法をどうするのか、と言う課題もあります。


日本では、肉体的行動がとれない方に対して他人が延命処置を停止する、と言うイメージと思いますが、
海外では、毒薬の提供を受けて自らが飲む、という方法がありますが、これは「自殺」でしょう。
自ら命を絶ちたいのであれば、樹海探索が良いでしょう。結局は「自殺」の選択です。
「安楽死」とは、自ら自殺行動が肉体的ににも取れない方への他人の手助け、と言うことと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
スイスでの安楽死では、ベットに横になった状態で致死量の睡眠薬の入った点滴をされ、自分の手でレバーを開くことで点滴が体内に流れ込み、即意識を失うそうです。その後10分ぐらいで死に至るといった感じだったと思います。

これなら最後は自分の手で死ぬ事になりますので自殺ということになります。

私の考える安楽死はあくまで自分の意思と自らの手で行う事に限ると考えています。

よって例えば意識はあっても体が動かせない人は不可能です。

あと自殺はやはり怖いと思います。なるべく苦しまず眠るように死ねるのならそれが一番だと思います。また、安楽死は裁判所や医師により許可されたものとして、病院で医師の目の前で行うものとすれば、あとあと面倒も少ないと思います。

勝手に自殺するのはどんな死に方でも迷惑がかかると思いますので。

お礼日時:2017/10/15 19:14

ところがさぁ、癌の手術や検診に来る人・・・結構、80歳以降の方も多いのよね。


若い私らは、もういいじゃん!って思っても、本人は生きたかったりするのですよ。
質問者さんもまだ若いよね。
老化や病気による「本当の死」の足音を聞いた事も無いくらい。
よく「引き際が肝心」なんて言ったりもするけれど、実際、仕事でも何かのチャレンジでも見事にサッと引退するなり諦めるなり出来る人って・・・そうそう居なくないですか?
芸能界でも、もういい加減止めたら?っていいたくなるような落ち目なシンガーや芸人だって何だかんだと粘っている。
いざ実際に「その時」が来ると、人間って藁にしがみついても粘るんじゃないかな。私の祖父も最後まで死にたく無いって言ってたし。
だから安楽死・尊厳死が合法化されても・・・もしかしたらそれほど増えないかもしれませんよ。もちろん、それでも自分の最後を選択したいという堅い意思を持ち続けてらっしゃる方も居ると思いますが。

でも、どうなんでしょうかね。
今後、超高齢化社会を迎えた時に、年金・医療・介護をまかないきれなくなった政府がそのあたりから合法化するかも知れませんね。
今は慎重ですが、そういう余裕が無くなった場合は本人の意思関係無く生命維持装置を切られるかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
安楽死は自殺願望というのではなく、一つの選択肢としてあればよいと私は思っています。

私も全く死にたくはありませんし、もし健康的に生きられるのであればしたいとは思いません。

しかし、例えば自分が80歳をこえ、身寄りもなくお金もなく、楽しみもなく、老いに不安を感じながら生きている状況で、もし眠る様に痛み苦しみを感じずに死ねる手段があれば、いざという時はこれがある!と思え、心の余裕が生まれるのではないかと思います。

私の父はアパートで孤独死しましたので、何か自分の死について考える事が多々あり、安楽死について考えてみました。

自分で死を選ぶことができ、死に方も全く苦しまず眠る様に死ねるという条件であれば、希望者はそれなりにいるのではないか?と私は思います。

お礼日時:2017/10/16 00:20

うーん、難しい問いですね。



私、ざっくばらんにいうと、こう考えてるんですよ。
「自殺を考える人は、頭が若い人。生きたいと願う人は、精神が若い人」と。

頭が冴えてるからこそ、自殺という概念も「あり得る」って思えるんですよね。
もちろんこれは「希死念慮」とかのケースは別です。
言うなれば「自殺は理想」だったり、センチメンタリズムだったりするのだと思うのです。
もちろん、実行してしまえばそれはみな過去の話。
結果からすれば、どうであれ同じことです。

生を希求する人は、精神的にまだ健全さがある、ということです。
私の経験からすると、例え90代になったとしても、比較的ストレスフリーな環境の方は「痛い、苦しい」と口にはするけど「もういいや、死にたい」って言わないんです。
まだまだ元気でいるというし、どうやったら治るのかね、この膝は?なんて聞いてきます。
精神が肉体を凌駕してるのです。
だから「自殺」というのは考えられないんですね。

先に言ったように「結果(自殺すれば)同じこと」です。
そして、もしそれが合法化されれば、今までにはなかった「思惑」が、当人以外にも働きかけてきます。
ある種のバイアスが生まれるのです。
私はそれが一番怖いのです。

高齢者は、とても気分的に移ろい易い存在です。
アップダウンがすごく激しいのです。
そしてその原因の多くを占めているのが「家庭環境」です。
合法化してしまうと、それは社会の中で即ち「正義」になります。
そうなると、ほかの家族から見た高齢者が「邪魔者」になりやすくなってしまいますし、また「誘導しやすい地盤」が出来てしまう、ということにもなりますね?。
家族愛、というのを、私は絶対だとは全然思っていないのですが…家族という「閉じた環境」は、信頼というものも強まる一方で、同時に誰か一人を「孤立化」させてしまうことも容易にできるのです。

激しく上下し続ける精神を持った高齢者が、家族の中で「つまはじき」になってしまえば、もう逃げ場はない。
それを誘導する可能性があるであろう「法律」というものを、私は認めてはいけないと思うのです。
自分で自分の生命を絶つことは、あくまでも「自分の勝手」であり「わがまま」でなければいけない。
もちろん、重病の末期時に「もういいです」と医師に伝えて、自死を選ぶことはまた別の話ですね。

私の見解では、やはり一人暮らしの高齢者の増加に対しての策としては、言葉は悪いですが「現代版姥捨て山」が良いと思っています。
出来ることを最後までやる、そのための集団生活、施設の運営ということですね。
もしくはもう、当人の勝手、というか…見に来たら死んでた、というか、そういうのが良いですね。

うん…経済的なところから、老いの問題は見ないほうがいいと思うんですね?。
その分確かに国家予算は要るし、税金も使わなければいけないけど…これはあくまでも「いっとき」のことです。
長い目で見て、超高齢化社会は続くことはありません。
これからも無いと思います。
ここが「踏ん張りどころ」だと思うし、未来には恐らくは無い状況だと思うのです。
なので「法定化はしないほうがいいかな?」という意見になりますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

安楽死はあくまで選択肢の一つとしてあるというだけで、それを選ぶかどうかは本人の意思によるものとすれば、するしないは特に問題ではないと私は思っています。

世の中、死ぬことよりも辛い事はあると思います。自殺を選ぶ人の心境は分かりませんが、自ら死を選ぶ人は余程の絶望と恐怖と死ぬ為の勇気があると思います。

自分がもし年老いて、身寄りもお金も生きる楽しみもなく、自立した生活すらだんだん出来ない状況で、それでも生きたい!と思えるかどうかは分かりませんが、いつでも眠る様に痛み苦しみを感じずに死ねる!と思えれば、多少は不安感も少なくなるではないかと思います。

ゴールのない道を歩き続けるのは精神的にも辛いと思います。自分の意思でゴールできる選択が可能であれば、もう少し歩こう!と思えるのではないかと思えます。

そのための安楽死です。

お礼日時:2017/10/16 00:28

死も、ある程度、 自由に選択できるといいですね。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
無神論者の人にとって死はそれほど深い意味はないと思います。選択権があるだけでもある意味安心感があると思います。貯蓄を気にせずやりたい事がやれますし、人の世話になることに強い抵抗がある人にとっては、人としての尊厳も守れますし。

お礼日時:2017/10/15 18:34

なんか勘違いされていますが年齢や経済的理由ではスイスは安楽死なんて認めていませんよ。

それと一緒にされてはスイスも迷惑かとおもいます。残念ながら自殺に関しては違法性はないので勝手にすればよいのではと思いますよ。私は健康である限り行きたいし、そのための努力を欠かさないことが生き方と思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
誰も死にたいから安楽死を望んでいるのではなく、自分が80歳をこえ、仮に90、100歳と生きた場合、ずっと健康ではいられるはずもなく、仮に独身で友人もいず、貯蓄、年金での暮らしが厳しい状況で、安楽死という選択肢があると心に余裕ができるという意味です。自殺は人に迷惑がかかりますし、何より怖いです。正式に病院で眠るように死ねのと勝手に自殺するのでは全く異なります。
あもスイスでは安楽死は合法です。外国人であっても正式な手続きを踏めば行えます。

お礼日時:2017/10/15 18:23

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