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仏陀、菩薩になって地獄に落ちた人やまだ現世で生きている人を助ける事はできないのですか?

A 回答 (4件)

仏陀は、苦しんでいる人が自ずからの頭の中に苦しみの元を作り出している事が原因だと教えています。



ですのでその苦しみの元まで辿り着く事が出来るとするならその苦しみは解放されると説いています。

解放される事が出来ないとするなら、それはその人が『無明の故』と説いています。

また禅の師匠様に言わせるなら、悩みでも疑問だとしてもその疑問が湧き挙がるそこまで行くなら、その疑問とか悩みは解消すると云う様です。

人生とは何ぞや?とか、死にたくないとか、永遠の命が欲しいとかが悩みの種だとするなら、そう云った悩みとか願いを抱く時、その悩みとか願いの中にこそ、解決するカギが隠されているとしているようです。

従ってその答えは教えられるものでは無いとしています。それゆえに師匠様は『お前は何故にそう思うのか?』と聞き返すのみだそうです。

その答えは疑問が湧き挙がるその時、その答えが問いかけていると云っても良いようです。

答は問いを抱くその問いの中に隠されているという意味です。

ヒントを出すとするなら、永遠の命を欲する時既にその永遠なる者が、永遠を垣間見せているからだからです。頭の中に永遠が詰まっているからです。

人間の意識は、自我意識と『無意識』が交替制を取っています、普通ではそう云った事に気が付かないのですが、気が付く人が居ます。交替制が余りにも順調にいっている人を『健常者』と云っています。

心に違和感を感じて、落ち着かなくなった人を、神経質な人とか、敏感な人と云っているようです。漠然とした不安とか、何処から押し寄せているのか、訳の分からない不安を感じた場合では、自分の無意識からの信号を感じています。

高いとか低いとかの感情が湧き上がる場合も同じですが、こう云った湧き上がる感情に敏感に反応する場合に、不安症とか恐怖症とか神経症とかノイローゼと表現しています。

その理由は、自身に沸き上がる感情とか感覚、或いは行動でさえも違和感を抱いているからです、何故にそう云った事を感じているのかと云うなら、本人が敏感に自分を観察しているからです。

そう云う人の感じている事柄を症状と云っています。

本当にその原因が分からないでいる場合が『無明の故』という意味です。自分が自分に脅かされているという意味です。

漠然とした不安も、大変な恐怖感も、永遠の命も実は自分の頭の中で湧き上がらせられているからですが、その張本人が自身の『無意識の意識』です。

釈迦に言わせるなら『仏性』というものです。自分がもう一人の自分と出会うなら全ての疑問が氷解します。

従って釈迦の教えは、究極の心の癒しの心理学と云ったものの様です、死の恐怖におののいている人でさえも、自分の仏性に会うなら、死でさえも笑って受け入れるようになります。

旅立つ人が笑顔を湛えて、安らかに往く場合では、脳内での出会いが出来ている場合です。

その逆に死を恐れている場合では、仏の救いを『全身で拒んでいるからです。』仏の救いの手を払いのけている事が、苦しみやが恐怖感になっています。

感情を湧き上がらせている者が、仏性ですが、誰でもが持っている者です、科学的に証明するなら下記の通りです。

人間の脳の構造です。ウイキぺデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。”

この記事を補完するために実際に脳卒中になってしまって、右脳の自分と左脳の自分を体験して語っている、脳科学者の動画を張って置きます。





自分自身を知ると云う詳しい情報は今の時代では得る機会は無くなっている様にさえも見えます。

釈迦の弟子達の教団で、日本一を誇っている曹洞宗と云った団体がありますが、今では『自分自身を知る=見性体験=悟りを開く』という現象は無いとさえも云っている人達が、一つの勢力を持ち始めているようです。

自分が出来ないからと云って、道元さんも釈迦様も嘘を云っているという事は情けない事だと思います。

右脳と左脳が切り替わる刹那、雷が鳴るよりも短い瞬間と云っていますが、確かにお互いが出会う時があります。その感想は「今更お前は誰かと聞く必要さえも無かった。」と云われています。

この出会いに拠って、自分は何者か?或いは恐怖症等も瞬間的に分かったり、治る様になります。

つまり心の矛盾が解消する事を意味します。無明の闇が晴れると言ったら良いのかも知れません。
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全ての衆生を救う事は出来ません。



救われる人というのは、もともとそうした縁をもっているのです。

例えば、私があなたに『創価学会に入りなさい。必ず救われますよ。』といって、あなたは創価学会に入会できますか!?

現実問題として、仏・菩薩を語るならば、創価学会に入会しないと無理です。創価学会にしか『成仏の法』はございません。
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「仏(真理)は常に私たちの傍におり、私たちが気づくのを待っている」


法華経如来寿量品を簡単に言えばそういうことである。
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いや


最大の悪業をして地獄に落ちた「提婆」を救うといっています
又、「現世安穏」と言い、今生きている人を救うと言っています
 経典により「声聞・縁悟(学者や芸術家)は救われないと言ったり
7歳の子供でも悟りを開くと言ったりです
 我々は、何故かの深い意味を知らなくてはなりません
先ず、どの経典が最高なのか真実なのかを、見定める事が重要です。
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