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なぜ日本人は人の目ばかり気にするんでしょうか

A 回答 (9件)

平等主義が行き過ぎて 個性が失われがちになり、人と違ったことには違和感を覚えるようになったからだと思います。

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この回答へのお礼

個性が失われる
なるほど……
ありがとうございます

お礼日時:2017/11/21 18:56

>日本人は人の目ばかり気にする


ですか?ちっとも知らなかったなぁ。
あんたの気のせいじゃないの
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この回答へのお礼

「あんた」っていう言葉遣い、治した方がいいですよ

お礼日時:2017/11/21 19:41

同じような回答よしますが、社会の問題ですね。

 今の日本は個性よりも実力を重視してるので、自然と周りの評価を気にするようになってしまったんです。
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この回答へのお礼

そうなんですね……
周りと少し違うと社会に出てもいじめがありますよね

お礼日時:2017/11/21 19:04

同じ日本人でも、海外育ちだと周りの目を気にしない人とかいますよ。

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この回答へのお礼

海外はコミニュケーション上手なのでそこで育ったからだと思います……
ありがとうございます。

お礼日時:2017/11/21 19:38

日本は「和を以て尊しとなす」なわけですよ。



これこそが横並び奨励なのです。

ひたすら皆と同じなら安泰ということです。

だから、人の目を気にして出る杭にならないようにするのです。

聖徳太子が諸悪の根源です。
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この回答へのお礼

なるほど
ありがとうございます

お礼日時:2017/11/21 19:40

自分が他の人にどう思われているかが、自我の成立、


安定に影響するからです。対人恐怖症と言ってもいいです
欧米人は神恐怖症で、神に自分がどう見えるかが問題で、
他人にどう思われても平気なんです。
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この回答へのお礼

欧米人は神から見ての自分はどうなのかを気にするんですね……

私達は、他の人にどう見られているかを気にしている。たしかに……

ありがとうございます

お礼日時:2017/11/21 19:43

社会の転換が期待できないこと、世界的に見て平等というか階級が無い社会だからです。



社会の転換というのは、たとえば近年でいえばソ連が無くなってロシアになったように「その国の政治体制・階級システムが大きく変わる」ということをいいます。

大きく変わることが期待できるなら「変わるように努力する」と言うことも含めて「他人と違う行動や価値観」を持っていてることはハイリスクですが、もし本当に変われば新しい社会システムに早く順応し、場合によって良い地位を占めることができるのでハイリターンを得ることができます。
 また、社会そのものも危機的な状況になったときに、そういう特殊な価値観を持っている人の行動によって救われることを期待しているので、そういう人たちを許容することになります。

元々「ヒーロー」というのはそういう「普段はあまり良い価値観とはいえないが、非常時にその価値観や行動が社会を救う人」のことをいうのです。欧米がヒーローを好むのは「たとえこの国の価値観がぐるっと変わっても、この国が他の国に占領されたり民族そのものが滅びるよりマシ」という危機管理の問題があるからです。

日本は違います。日本は極端に言えば建国以来ずっと同じ社会構造で来ている国です。もちろん平安貴族時代や武士時代などは有りましたが、それは「エリートになるためにどうしたらいいのか」と言うだけの話であって、実力があればいつの時代でもエリートになれるような階級制度がない国が日本だったのです。

しかし、逆をいえば「社会が大きく転換することは期待できない」国であるということです。ほとんどの人が「この国が革命のような大きな変化が起きるはずもないしましてや日本と言う国がなくなるはずがない」と思って暮らしています。だから「この社会の中で生きやすくするためには、目配り気配りが必要」ということにつながっていく、ということです。

帰国子女や海外育ちはそういう日本の社会構造を知りません。だから周りの目を気にしない人もたくさんいるのです。
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございます。

お礼日時:2017/11/21 19:45

気にしないよりは、気にしたほうが良いのですから、悪い方向で考えない方がいいですよ。



気遣いや思いやりとして使う分には良いことでしょう。

度を越すと、全体で萎縮しますので、そういう状況になったとき批判されます。


人と言うのは、

個人としての力が乏しい場合でも、

「一人前のことを言いたい」

という欲求があるものです。

そういうときに、「みんなのため」とか、「全体がどうこう・・・」、「普通は・・・」

等と虎の意をかるキツネ宜しく、偽善的なことをいいます。



これらが横行すると、全体で萎縮していくんでしょう。

しかし、力と言うのは相対的なものですから、弱いほうが多いんです。

それらが生じるのは仕方がありません。



さて、

こんな中でも潔く生きている人もいるはずです。

しかし、自分以外の他人についてそれほど良く知ろうとする人はいませんから、

(実は謙虚であり、努力家であると言う人も)

大勢に紛れ込んでしまうと、偽善者の濡れ衣を着せられることがあります。


特に嫉妬で苦しみ、他人を差別してストレスを逃がしている人は、

その「潔い生き方」に嫉妬をして、イチャモンをつけようとするものでしょう。

こういう人は、いずれ消耗して消えてしまうんですが、

元気なうちは沢山の人にストレスを与えることが出来、侮れません。

しかも、後から後から後継者が誕生します。


これとまともに対峙するのは本当の間抜けです。

君子危うきに近寄らず。

不安定なものには、力よらないほうが得策でしょう。

この場合の不安定さは、

「自分の生き方や地位について納得しておらず、

 心の整理がついていない不安定な人達。」

となります。

つまり大衆ですね。

こういうものには近寄らないほうが良いと言う知恵です。


本来は争そって淘汰をしてしまえば簡単なんですが、

日本は島国であり、人的資源に限りがあったんですね。

争えば、取り戻すほうが大変だった。

何とか収めて協力体制を作ったほうが生き残りやすかったんでしょう。


ですので、社会の調和を保つためには、

弱者を積極的に淘汰していく、公正競争を促進するスタイル。

もしくは、

弱者も生き残らせて大衆化を仕方無しとし、

大衆の嫉妬が大波となって沸き起こるタイミングで、

支配層がガス抜きをしたり、退避するようことで調和を保つスタイル。

の二つの道があるということです。


では淘汰を選ぶとどうなるか?

例えば、

学校でも激しい競争がある進学校では、人目を気にする雰囲気は無いはずです。

スポーツでも文科系の祭典でも、

激しい競争があり、白黒がつく世界ではそうなります。



逆に後者を選んだ場合はどうなるか?

歴史から見ても(江戸時代はとくに)差別的なカーストが作られてしまいます。

弱いものには生贄を与えて、支配層へのストレスを逃がすわけです。

(イギリスも島国ですから、同じようなことをしています。)

生贄として選ばれている人は、大衆が怖いでしょう。

同じように支配層も怖いでしょう。


ですので、

競争と淘汰を選ばなかった社会では、人の目つきに注意をして、

避難するタイミングをはかるのがとても大事だと言う事です。


これからいえることは、

競争を避けても生き残れてしまう社会では、

不全がおきる(人目を気にして萎縮する)ということです。

小人閑居して不全を為すですね。



競争によってのみ富が得られる社会ですと、

人目を気にするより、自分の力やライバルの力を気にする様になります。

フリーランサーは人目を気にせず、社畜は人目を気にするとなります。


ご質問の命題を言い換えますと、

「どうして日本は、

 競争を避けた人が甘やかされるんでしょうか?」

と言う意味に近いです。



答えとして、

「他人に対しての思いやりをもてば、嫉妬や差別の気持ちを抑えられるし、問題ありません。

 日本はそうしてきました。

 現実としてみなが得をしているのだから良い社会ではないですか?」

と、私は思いますよ。


とはいえ、

「競争もするし、思いやりもある。

 人目を気にするが、個人としての力もある。

 情に厚いが、自分の生き残りに関してはドライに行動できる。」

と言うほうが、安全マージンが高いでしょう。


どれかを選ぶのではなく、全てを手に入れるようにし、

誰かの欠点で悩むくらいなら自分を強化するほうがいいですよ。

ましてや、質問者さんが日本人全体について悩む必要も無いでしょう。


誰かを批判すると、自分にとって都合が悪い結果になることもあります。

人目を気にして生きて行くのが息苦しいので、

それを批判したら、

みなが牙をむき出して競争と淘汰をし始め、

自分は真っ先に淘汰されてしまった・・・・。

「人目を気にしている時代のほうが楽だった。」

となることもあるはず。




以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

なるほど
ありがとうございます

お礼日時:2017/11/21 20:33

叩き合いの精神が生んだ、負の産物です。



ちょっと目立ったりとか、
ちょっとした落ち度でも異常に責め立てたり、
もっと言うと、その人の全人格までも、
否定するような物言いがよくありますよね。

やっぱり人として、
人格を否定されるのはこの上ない苦痛です。
それを避けるためには、
周りの目を気にするのが自然な流れでしょう。

なぜこの異常なまでの叩き合いになるか
というと、皆さんもおっしゃってるように、
同調圧力とか、横並び主義とかの話になると思いますが・・・

他人の良いところは素直に認めたり、
少しくらいの欠点は許容したりといった、
心の余裕がもう少しあってもいいと思うんですけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/11/21 23:17

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