A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
イラクはイランと同じくシーア派ムスリムが大多数を占める国です。
シーアかスンナか、という境界線は異教徒が傍目で見て判断するには実に難しいものではありますが、大雑把に言ってイラクはシーア派が2/3、スンナが1/3、その隙間にクリスチャンやヒンドゥー、ヤズィードが居るという構図です。
では、同じくシーアが大多数を占めるイランと何故仲が悪いのかという疑問も湧くとは思いますが、答えだけ言ってしまうと、ペルシア人とアラブ人の人種間戦争が根にあるとだけ理解してもらえれば結構です。
サッダームは分類だけで言えばスンナでした。しかしながら彼の優れた点は、シーア対スンナという派閥主義に転嫁することなく、大多数であるシーアの暴走を防ぎ、少数派であるスンナの急進派を抑え、その他の宗教にも迫害が及ぶことがないよう、世俗主義を背景に平等を保証した点にあります。独裁者ではありましたが、それ故に自身の出自であるスンナも含め、更に少数派も含めて庇護した訳です。
サッダーム亡き後は、各派を抑えるものがいなくなったので、簡単に言えばシーア派の台頭です。シーア派はイランに接近しつつ民族的感情も腹に含んだ複雑なものになっています。スンナは文字通り少数派になっていますが、それが感情的に許せないようです。一部は過激に原理主義化し、AQIに合流、更にはISの元になりました。クリスチャンやヒンドゥーは迫害、追い出され、ヤズィードに至ってはISにより虐殺、奴隷化されるという状態にまで至りました。完全に分裂状態、過去の政権主体が反政府テロ組織、外患そのものに変質したのです。
国としての一体感、愛国心などというのは多民族国家、多宗教国家では醸造しにくいもので、独裁者による強制で維持しているのですが、その箍が外れたというのが今のイラクの状況です。復興以前の治安不良に至ってしまったのです。
No.2
- 回答日時:
フセイン政権はバアス党の政権でした。
バアス党は汎アラブ主義を標榜していて、イスラム教の各宗派(スンニ派やシーア派など)とは距離を置いていました。
バアス党はほかにも共産主義的だったり民主主義的だったりする側面があり、宗教勢力と対立することもあったのです。
イラクは王政が倒れた後、バアス党の支配下に長い間おかれ、そのために各宗派や民族主義者たちを抑え込んでイラクと言う国家を成立させていたのです。日本はこういう宗派対立(同じ宗教でも違う宗派による対立、例えば高野山対VS比叡山のような対立)はすでにないので、非常に分かりにくいのですが、アラブやアフリカなどの途上国は部族ごとがひとつの小国家(藩みたいな感じ)で国内に存在しており、かなり強力に押さえつける政府が無いとすぐにバラバラになってしまうのです。
そして、アメリカがフセイン政権を倒すと、各宗派やクルド人などの民族派がそれぞれの政治的立場を主張するようになり、フセイン政権終了と共にバアス党も勢力をうしなってしまったため、イラク国内の収拾がつかなくなってしまいました。
特にスンニ派はサウジアラビアに同胞が多く、シーア派はイランに宗教的な拠点があるために、イラクを新サウジアラビア派にするか、それとも親イラン派にするかなど大きな政治的課題をかかえてしまったのです。
このような政治的内乱状態をアメリカが収拾できるわけがなく、さらに悪いことにこの間隙をついてISISが台頭してきました。クルド人はクルド人自治区の独立を要求し事実上の自治(中央政府のコントロールが効かない地域)だったのでISISに対抗しようとしてもイラク国内がまとまらず、後手後手になってしまったのです。
今はISISの勢力もかなり小さくなったようですが、となると結局また宗派対立部族対立が再燃して、収集がつかない状況に戻ったということです。
ちなみにですが、カンボジアも内戦後、各地の部族が対立して国家政府を作る作業が難航したのですが、亡命していた旧国王であるシアヌーク殿下が国王として復帰する案があり「殿下に対してなら忠誠を誓い、国家再興に協力する」という約束を各部族が申し出たため、再度「王国」として国家が成立することになったのです。
イラクにはそういう強力な指導力をもった指導者が今は居ないので、このような動乱はもう少し続くでしょう。
No.1
- 回答日時:
以外に思われるかもしれませんがフセイン政権は西洋諸国が言うところの「民主的政権」である一面がありました。
女性の権利の拡張や海外との交流など。
実際のところ西側諸国の援助があって成り立った側面が大きいといわれています。
当然それまでの宗教的少数派や原理主義派閥などはフセイン政権によって抑圧されていたわけですが、フセイン政権が
失脚したことによって、それらが覇権争いの為に表に出てきたわけです。
各派閥が権力を手に入れるために内戦を行っている状態で「復興」するのは難しい…というわけです。
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