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人間社会には「格差は悪いもの」という概念がありますが、そもそもなぜ格差があると悪いことなんでしょうか?

底辺層が衣食住を確保出来ない状態なら、格差是正によってそれを改善することが人道的であるとする論理は理解出来ます。

しかし近年の先進国に限った話で言うと、底辺層であっても衣食住の確保だけなら何も問題無い時代です。携帯1個あればエンターテイメントもいろいろ楽しめる時代です。


おそらく、40年前の庶民の生活水準より今の底辺層のほうが豊かな生活をしています。
当時はエアコンも無かったしシャワーも無かったし、冷凍食品も電子レンジも無かったから料理を作るのが当たり前だったし、子供はお下がりが当たり前だったし、携帯もネットも無かった時代。

今その生活水準で生活したら月7万ぐらいで生活出来ますよね。


ということは、今の年収400万円ぐらいの家庭の生活水準は40年後は「底辺」になるわけです。
100年後には年収2000万円ぐらいの生活水準が「底辺」になるわけです。


これらをふまえて、いわゆる「相対的貧困」による格差が悪いことである論理的な理由を教えてください。

A 回答 (25件中11~20件)

お礼をいただきまして、ありがとうございます。



>何らかの理由で生活保護を申請しなかったり、働けるのに働かないことを選択しているような人達です。
そういった人々を貧困層や底辺層と呼ぶのではないでしょうか?。質問者様の貧困層や底辺層というのは、具体的にどういった人々なのでしょうか?。


>生きていけないほどの貧困層が存在するわけではありません。
よく理解できないのですが、ホームレスのような生活困窮者でも防寒や衛生に配慮した宿泊所が利用でき、無料の温かい食事を得て、季節に適した衣服を着れる状態が「衣食住の確保だけなら何も問題無い」と思うのですが。
そして、先進国でも一部の国以外は衣食住の確保だけなら何の問題も無い状態になっていないのですが。
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この回答へのお礼

>そういった人々を貧困層や底辺層と呼ぶのではないでしょうか?

「働けない人」は貧困層ですが、「働かない人」は貧困層とは違うでしょう。
自分からその生活スタイルを選んでいる人。

都会の生活が嫌になって無人島生活し始めた人は「貧困層」とは呼ばれないはずです。


>ホームレスのような生活困窮者でも

日本のホームレスは生活保護を申請するか、働けば済む問題です。

生活保護というシステムは「働けない人」のためのものであって、「働かない人」のためのものではありません。

では私が「今日から働かないから防寒衛生に配慮した宿泊所を利用させて、無料の温かい食事と衣服を提供してくれ」と言ったら、それを国がしてくれるのが正しい社会なのでしょうか?

お礼日時:2018/02/08 18:09

格差というより自己責任論の誤りを正すこと。

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この回答へのお礼

自己責任論が誤りだとする論理が提示されていない。

お礼日時:2018/02/08 18:09

資本主義は競争を基本原理としています。

政治的には民主主義と結びついています。米国、欧州、日本などがその代表です。

競争しないことを基本原理とする社会主義・共産主義と対比されます。政治では独裁主義と結びついています。ロシア、中国などが代表です。

今のところ前者が優勢です。主に経済成長の競争の結果です。

さて資本主義の副作用として格差があると言われます。競争に勝った人が裕福になることを是とするからです。

競争の結果としてではない格差をどう考えるかが課題なのです:たとえば母子家庭の貧困や貧困家庭の子の学費の格差は競争の結果としてではない格差であって、資本主義社会といえども放置出来ない問題です。経済成長のためにも是正が必要です。
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この回答へのお礼

ロシア中国はむしろ日本より格差酷いですよね。
都市部と田舎での賃金格差はもの凄い金額になっています。

競争による経済成長という考え方は論理的で納得出来ます。
たしかに、同じぐらいのレベルで競争したほうが良い物が生まれやすいのは必然ですね。

お礼日時:2018/02/08 18:13

お礼をいただきまして、ありがとうございます。



>「生存する」というのは何よりも優先される生物的倫理です。
よく理解できないのですが、先進国における貧困層と貧困層以外の格差は「相対的貧困の格差」だから問題ないのでしょう。
だったら、「底辺層が衣食住を確保出来ない状態なら、格差是正によってそれを改善する」という前提条件は不要ではないでしょうか?。

日本でも、生活困窮者(貧困層)は餓死や凍死によって亡くなっています。しかし、そういった問題は相対的貧困の格差だから、改善すべきでない。という考えなのでしょう。
であれば、「衣食住を確保できない格差は、是正すべき」と考えは矛盾しているように思います。
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この回答へのお礼

>日本でも、生活困窮者(貧困層)は餓死や凍死によって亡くなっています。

それはマスコミが特殊なケースを断片的に報道しているだけで、生きていけないほどの貧困層が存在するわけではありません。
何らかの理由で生活保護を申請しなかったり、働けるのに働かないことを選択しているような人達です。

自らそういった選択をすることは格差による死ではないので別問題です。
金持ちだってホームレス生活して凍死することは出来ますから。

お礼日時:2018/02/07 02:06

生きるだけの絶対的貧困を先進国の社会で実感できないから生きていればOKという論理は適用できないと思います。

悟りを開いた宗教家とか仙人レベルの隔世した世界にいれば別ですが・・・

昔の王様や貴族の様に城壁と武力で守られた社会なら仕方ないと諦めますが、民主主義で平等な社会格差が実感できると閉塞感生まれます。
経済的原理から考えて資本から得られる利潤が労働から得られる利潤より多いから格差の固定化が生まれます。
また今の先進国は教育によって高度な技術の習得が必要とされています。
なので貧困層は高等教育が受けられないので貧困の固定化が生まれ閉塞感が生まれ社会が不安定化します。
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この回答へのお礼

いや、悟りとかじゃなく論理的に考えたらそれが当たり前だと思うんですよ。

だって、そうじゃないと貧困のアフリカで
「ギリギリ食べていくだけは出来る人」は相対的裕福層ということになり
誰も助ける必要は無いってことになるじゃないですか。

地球規模で考えるなら日本そのものが裕福層であり、日本人で貧困なんて一人もいないということになりますし。

地域で考えても、地球全体で考えても日本の貧困層を絶対的貧困以外で捉えるのは論理的じゃないんですよ。
日本は高等教育を誰でも受けられてますし、底辺大学なんか行っても何も得られるものは無いですよ?

お礼日時:2018/02/07 02:02

「相対的貧困の格差が問題ない」というなら、「底辺層が衣食住を確保出来ない状態なら、格差是正によってそれを改善することが人道的である」という条件も不要なのでは?。



それこそ、日本国内の低所得と高所得の相対的貧困を考えれば問題でしょうけれど、世界規模で考えたら未だに北朝鮮のように人肉が市場に並ぶ場所もあれば、スーダンのように未就学児が奴隷(売春用も含め)として売り買いされている国もありますし、シリアのように化学兵器による虐殺が行なわれている場所もあります。だから、別に殺されたり、著しい障害を負ったり、家族や自分が奴隷として売買されたり、といった状況に比較したら、衣食住に事欠く状態は豊かと言えるでしょう。

更に40年や100年で比較するなら、餓死や病死、捕食動物による死亡、といった危険性があったルネサンス以前に比べたら、北朝鮮を含めて全人類が置かれている状況は遥かに豊かと言えます。このルネサンス以前すらも、エスキモーがアメリカ大陸に渡った氷河期時代に比べたら・・・。
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この回答へのお礼

「生存する」というのは何よりも優先される生物的倫理です。人間が存在しなければ倫理も存在しなくなるので、人間の倫理としてそこだけは共通認識だと言えると思います。
そしてそれを保証するための衣食住という意味です。
裸でも生活出来る気候の地域なら食だけでも問題無いです。

奴隷や売春は文化の問題なので、それを一概に悪とは言えないと思います。

お礼日時:2018/02/06 03:01

悪くはない。


悪い時もある。
どんな時なのか知る為の、新しい指標(データ)が相対的貧困。
まだ経験(データ)不足で、学問的には何とも言えない。

貧困という言葉が、誤解(誤用、嘘)を生みだしている。
相対的バカなら、誤解を生むからやめよう、となる。
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「相対的貧困」と一言で言っても、それそのものが悪とも言い切れません。




経済が発展する段階では、格差は必然です。

全ての相対的貧困が悪いのではありません。バランスの悪い相対性貧困が「悪」なのです。
例えば、中間層が少ない状態で、極少数の富裕層と、圧倒的多数の貧困層という相関性貧困は「悪い」です。

この場合は、社会の産業そのものが衰退します。

富裕層は、実務はやりません。貧困層は格差が固定化され、高度な技術を身に着けるほどの学がありません。中間層の技術者がそれらの産業を支えますが、相対性貧困のバランスが崩壊すると、それら中間層が定年退職をするにつれて技術者が減り続け、産業の空洞化が始まります。それを放置し続けると、社会全体の産業が消失します。


産業が消失すれば、経済も拡大しなくなります。
それを放置し続ければ発展途上国のようになります。

細かい数値は分りませんが、富裕層と貧困層が少なく、中間層が多いと言う状態が、良い相対性貧困です。
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「格差は悪いもの」とは限りませんよ。

自由競争の社会では、出来る者・優れた者がその能力を発揮し社会・経済・技術を引っ張って行く(だから発展する)ので、出来る者と出来ない者があって、そこに格差が生じるのは(ある意味で)健全です。
ただ、極端に格差が出過ぎて、それが社会・経済に大きな悪さを及ぼしはじめたり、発展の足を引っ張るようになるのはよろしくありません。
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いろいろ論点がありますが、まずは格差の問題。


一般的には、人道的な問題が世界では示されますね。
全員同じ種類の種族なのに、共食いや奪い合いをするのは、「野蛮」と言われます。何も考えず、獣同様、欲しいものは、相手が死のうとイヤな思いをしようと、「取る」「奪う」と言うことですね。
いわば、原始人の世界です。


一方で、人間社会はどうやってここまで爆発的に発展してきたのか。
農業でしたよね。日本では稲作です。社会の授業、覚えているでしょうか?
これが、社会の形成に大きな一役を買いました。

稲作を一人でやるのは大変です。
それよりも、「まとめた」方が遙かに効率が良いですよね。
一人で皮から溝を掘って、水田に水を入れるより、水源を整備して、みんなでまとめて大きな水路から各田んぼに水を流す。

農業で、人間の共同生活のコミュニティが、家族親族間から、一気に村、街に広がっていったわけです。

みんなで作業を分担し始めるとなると、「協力関係」が必要になってきます。

・殺し合いをして人手を減らさないようにしよう。
・他人のモノを盗んでケンカになり、農作業が遅れることの無いようにしよう。

最初はこんな決まり事が出来ていったのでしょうね。

一人だけ共同作業で得た農作物を取り、弱いヤツは死ぬに任せる。
これでは、「農業社会の存続」は長く続きません。

最初はそんな、力が強いヤツが独り占めする、こともあったでしょうが、人間は学習する生き物ですからね。
余りやり過ぎると不味いという話になります。
次の年から農業が難しくなっていきますからね。


これが、格差がマズイ理由ですね。
やがて、宗教や言い伝え、民族の掟など、そういう「失敗を二度と起こさないため」のルールが整備されていきます。

その段階で、「同じ人間同士は、共食いや殺し合いをするのは、不快だ」という、倫理観が整備されていったのでしょう。

そもそも、元々人間という種類の動物は、「共食い」を嫌がるように、進化の過程でDNA等に刻み込まれていたとは思いますが・・・
農業以前の狩りも、共同で大きな敵を倒していたと言われていますからね。



と、格差がマズイ理由はそもそもこんな感じでしょう。



後は、いずれは底辺が底上げされるという話ですか。
これは余り現実的ではありませんね。現在「実質賃金が上がらない、むしろ下がり続けている」と言う話を聞きませんか?

お金の単位がいくら上がろうとも、結局全世界一億人存在すれば、一億人が作る(採る、捕る)だけの生産品しか作れません。

機械化して、農作物がわっさわっさ自動でどんどんわき上がるような機械でも生まれない限りはね。
そういう、とってもとっても余りすぎるほどの食料が出来る機械が出来れば、話は変わるでしょうけど。今の社会にそんなモノは在りません。

農地は、煙害で潰れたり、海の魚は捕りすぎて、どんどん減っているとか言われます。
まあ、捕ってますけど(苦笑)

とにかく、有る一定の限界を超えて、魔法のように食物がわっさわっさ出てくる状態ではありませんよね。
先進国では余りまくっていますが、飢餓で死ぬ国もありますね。


世界の話をしたのは、日本がかつてどんどん経済成長してきたことに、世界が絡んでいるからなんです。
世界に先んじて、日本は便利グッズをどんどん開発しました。猿まねでも、世界トップの品質で便利グッズを作りました。

それが世界で大ヒットしました。
日本は、「一時的に」もうかったんですよ。
便利グッズを売りまくった日本に、世界のお金が流れ込んだんです。

そして、その流れ込んだお金を原資に、さらに便利グッズに磨きをかけ、さらに大ヒットさせ、さらに世界中から日本にお金が流れ込みます。

大人気だったんですよ。
ですから、下層もどんどん底上げされていたんです。



ですが・・・・・・・
この先経済成長期のように、日本のあらゆるグッズが世界中で大人気になれるでしょうか?
大人気になれたとしても、世界の人口は無限ではありません。
いつの日か、それ以上底上げされない日が来ます。
それが、世の条理というモノです。

しかも、今の日本は下り坂ですから、その前提は少し無理がありますね。


一人だけ勝っても、結局「消費者」つまり「無数の人間たち」が格差で死んでいけば、生産品も出来なくなるし、売り上げもどんどん下がっていきます。


最初の話に戻りますよね。
極端な平均化は、ソ連や中国の失敗で無理だと分かった。
極端な競争社会では、協力体制が難しくなる。

もし世界を裏で牛耳る裏の大物がいたとしたら、世界をある程度のところでバランスさせることを考えるでしょうね。

「死なせないように出来る限り多数の人間が、元気いっぱいどんどんモノを作る。」


そのバランスが崩れたら、北斗の拳のような激しい競争社会になるか、経済がどんどん先細る家畜社会になるか・・・
裏の大物も、生産が滞れば、献上品が減れば、余りうれしくありません。

良いところでバランスして、人間どもがどんどん生産、発展してくれたほうが、裏の大物もどんどん贅沢が出来るというのですからね。



格差、つまり、前述したバランスが悪い状態は、人間社会の発展に余り良い影響がない。
だから「格差が強まりすぎることは良いことではない」ワケです。
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