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創価学会の池田大作会長のレイプ事件について質問です。

以下、転載。

公明党副代表の草川昭三(=創価学会)を追うとオウムの闇も見えてくる?”にも記したように、オウム教と創価学会の関係は深いようだ。
池田大作が北海道でレイプをした日付と松本サリン事件の日付が同じというのは、はたして偶然であるのかどうかとも思えてくる。

池田大作レイプ事件
平成8年2月、創価学会の元婦人部大幹部・信平信子さんは「三度にわたって池田大作に強姦された」と告発し、同年6月東京地方裁判所に損害賠償請求の訴えを起こした。

以下は被害者・信平さんの手記より──
* *
創価学会が、大沼国定公園(北海道)の中に、総面積2万坪という広大な敷地をもつ「大沼研修道場」を作ったのは、昭和46年のこと。
そして、池田大作がここに避暑に来るようになったのは、昭和48年6月からでした。
大沼研修道場の本館での池田の世話は、私が全部やることになっており、それが上からの指示でした。
本館の三階は桧風呂もある池田の専用施設で、関係者以外、たとえ大幹部であっても立ち入ることができません。昭和48年当時は、私以外、誰も三階に昇ることは許されていませんでした。

■1回目の暴行

池田が大沼に初めてやってきた日から三日目、6月27日の夜のことでした。
それから起こる恐怖と屈辱の体験など、察知する由もなく、私は、自分の仕事として、それまでどおり午後9時に、池田の布団を敷くため三階に上がっていきました。
すると、初日も二日目もその時間には部屋にいなかった池田が、寝室隣の執務室にいて、何か、書きものをしていたのです。ステテコとクレープのシャツ、という姿でした。
私は、「失礼します」といって中に入り、邪魔をしてはいけないという思いから、寝室と執務室の間のふすまを閉めようとしました。ところが、池田は、「そのままでいいよ」と言うのです。
私が、池田に背を向ける形でシーツを整えていた時です、池田は、前かがみになった私の背後から、いきなりのしかかってきたのです。アッという間のできごとでした。
池田は、私を押さえつけたまま、肩の方から手を伸ばし、私のブラウスのえりとスリップのひもを一緒に引っ張りました。
夏物の薄いブラウスですから、ひとたまりもありません。ボタンがバラバラとちぎれ落ちました。
スカートもビリビリに破られました。
池田は、「ハッ、ハッ」と荒い息を吐き掛けながら、「下着は一枚だね」 と言って、私の下着の中に手を入れてきました。
ものすごい力で押さえつけられた上に、恐怖で声も出せないでいる私に、池田は後ろからグッと突いてきたのです。あがき、もがいて、抵抗を続けていた私は、目の前が真っ暗になり、うつぶせになったまま、失神してしまいました。
どれほど時間が経ったでしょうか。気を失った時はうつぶせだったはずなのに、寒さを感じて気がついた時、私は、仰向けで布団の中に寝ていたのです。
私が這ってドアまで行こうとすると、池田はしつこく追いかけてきました。ドアに頭をぶつけ、心臓はドキドキして、ここで殺されるのではないかと、本当にそう思え、大変な恐怖でした。
ようやくドアを開けて、二階にかけ降りると、トイレに飛び込みました。激しい吐き気に襲われ、それはしばらく続きました。
そして、気持ちを鎮め、下腹あたりについている体液を何度も何度も拭きました。皮膚が赤くなっても、なお拭き続けました。


■「体臭のきつい池田」

昭和49年には、池田に呼ばれて二階に行くと、誰もいない部屋でいきなり抱きつかれ、顔を引き寄せて口を押し付けられました。また、「散策に行こう」と言われ、戸外なら大丈夫だろうと思ってついて行くと、本館の裏につれて行かれ、そこでも同じようなことをされたのです。
抵抗し、幸いにもそれ以上のことはありませんでしたが――。
その後も再三にわたって、同じようなことが繰り返されました。
ちなみに、池田は、体臭がものすごくきついのです。とくに夏場だったせいもあるかもしれませんが、ニンニクが腐ったような臭いとでもいうのでしょうか、それが身体中から発散されていて、たまらない感じでした。


■「池田の下半身」

 二回目に私が池田から犯されたのは、昭和58年8月19日のことでした。
 早朝、私はいつもどおりに一人で、大沼研修道場の敷地内にあるプレハブ建ての喫茶「ロアール」の掃除をしていま した。
 大沼の夏は、もやが深く立ち込め、数メートル先も見えなくなります。
 入口を背にして、テーブルを拭いていた私に、いきなり池田が後ろから抱きついてきました。
 池田は、毛むくじゃらの腕で私をはがいじめにし、脚をかけて、私を押し倒しました。
 倒れる瞬間、私はテーブルで左脇のあたりを強く打ちました。また、ブラウスはボロボロに破かれ、スカートも靴下も無理やり外(はず)されてしまいました。
 のしかかってきた池田を押し退けようとするのですが、脚も腰もオモリを付けたように重く、はねのけることなど、とてもできないのです。
 池田は、まるで、狙った獲物に向かって一直線に進む、ケダモノそのものでした。
 目的を果たし終えた池田は、外に人の気配を感じたらしく(結局、外には誰もいなかったのですが)、力をゆるめ、私はようやく解放されました。
 このとき、一瞬ではありましたが、私は初めて池田の裸の下半身を見ました。池田の下半身は異常に毛深く、まるで黒いパンツでもはいているかのようでした。
 トレーナーのズボンをずり上げながら逃げる体制の池田は、私の方を振り向き、
「二号さんの顔を見にきたんだよ」
 と、下品に顔を崩して笑いました。その笑いは、本当にこの世のものとも思えない不気味さでした。


■最後は平成3年

 大沼研修道場で三回目に私が池田から暴行を受けたのは、平成3年8月17日の早朝でした。
 朝7時半頃、食料の補充をするために、私は、研修道場の敷地の中を歩いていました。
 その朝も、大沼研修道場は深い霧に包まれていました。
 敷地の路上を歩いていた私に、突然、池田が左後方から飛びついてきたのです。私は引き倒され、後ろからすごい力で抑え込まれてしまいました。
 逃げよう、逃げようとするのですが、全体重でのしかかられた上に、押さえ込まれ、地面には掴まるところもなくて、どうすることもできません。声を出そうにも、「アー」とか「ウー」としか出ないのです。
 池田は荒々しく私の衣服をはぎ取り、前の時と同じように「ハッ、ハッ」と息を荒げて、私を犯したのです。衣服はボロボロになりました。
 とにかく、その間も逃げることしか考えなかった私は、無我夢中で池田の手を引っかいたり、かみつき、池田の力が一瞬、ゆるんだすきに、私はようやく身体を引き離すことができました。
 池田は、また、あの不気味な笑いを見せ、霧の中を逃げていきました。

以来、このできごとを誰れに話すこともできず、どれだけ思い悩み続けてきたことか――。

ようやく私は、意を決して、池田の責任を問うために、池田が私にした行為を提訴いたしました。

 池田を法廷に引っ張り出すことが、池田大作という人間の真の姿を、だまされている学会員の皆さん、国民の皆さんに知っていただくことにもつながる、と思っています。
 最後に、池田の習性・性癖を垣い間見た私としては、全国に、私のような被害者が、まだいるはずだ、と思います。その方達が、真の勇気を持ってくださるよう、期待しております。


http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/754.html

告訴期間の時効成立により却下されましたが、この事件は事実ですか?

A 回答 (1件)

事実です。



ネットではこれだけの犯罪がヒットするのに対して、新聞やテレビで報道されない不自然さも創価学会が世間で批判され続ける理由の一つであると感じます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

創価学会の事件がまったくといっていいほど報道されないマスコミに危機感を覚えます。

創価学会の施策「総体革命」(国の要所に信者を送り込んで支配してしまう計画のこと)の結果なのでしょうか。
創価幹部がこのようなことを言っていました。
「マスコミ、警察、教育機関を押さえてしまえば、日本を支配したに等しい」

お礼日時:2018/05/02 01:59

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