最速怪談選手権

特に何かの資料を見た訳ではないが、自分が見てきた限りでは孤独な人、一人でいる時間が長い人は笑う・笑顔を作るのが下手に思える。
いわゆる『笑い皺』ができるような笑顔、写真撮るで笑って…って時、大きな声を出しての笑いやパッと明るい笑顔。

それを大前提に理由を考えてみたら、
①人は誰かといないと本当に楽しくはならないのではないか?
②笑いや笑顔は誰かにアピールする。何かを伝える為の手段ではないか?

と思うのですが、ここまで読んで貴方ならどう考えますか?
『別に何も』や『どうでもいい』以外の意見が有れば教えて下さい。

何かテストみたいに笑顔を作ってもらう事で、その人がどれだけ良好な(自分にとって住み良い)人間関係を作る能力を持っているか計る事ができるのではないかと思うのですがいかがですか?

A 回答 (6件)

①人は誰かといないと本当に楽しくはならないのではないか?


  ↑
ハイ、これはほとんどの心理学者が
指摘していることです。
人は、一人では幸せになれません。
(エーリッヒフロム)



②笑いや笑顔は誰かにアピールする。何かを伝える為の手段ではないか?
  ↑
それだけではありません。
楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだ
と主張する学者もおります。
(ウィリアム・ジェームズ)
この説は現在では否定されていますが、
それでも笑えば楽しくなるのは確かです。



何かテストみたいに笑顔を作ってもらう事で、
その人がどれだけ良好な(自分にとって住み良い)人間関係を
作る能力を持っているか計る事ができるのではないかと
思うのですがいかがですか?
 ↑
良好な関係を創る能力の1つだ
ということは言えるでしょう。
素敵な笑顔という人は確かにおりますし、
その笑顔をみるだけで、この人はいい人だと
錯覚させることが可能です。
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①ならない


②一緒に楽しもうアピール

アンドロイドの究極の目標です。
研究、よろしくお願いします。
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お礼コメントへの返信です。


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>①の方を掘り下げまして
例えば楽器を嗜み曲を完璧に演奏できる様になった とかいう楽しさは音楽の本質的なものではなく、それをライブや演奏会で人前で演奏し感覚を共有する事こそが①にある『本当に楽しく(い)』のではないかと思うのですがいかがでしょうか
おそらくその時はもっと笑顔になるのかと思うのですが…
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これについては、「披露の為の練習」「練習の為の練習(練習自体が目的、または研究的なもの)」によります。
どこを本質とするかは結構人次第でして、「完璧な演奏」というのはそうそう到達できるものではありません。
なのでその練習、探求自体が目的の場合、第三者への共有はいらないのです。

もちろんそれで培った技術を披露の場へ使う事もできますが、スタート地点が同じでも目的地が2分する事は音楽に限らずよくある話です。
先ほど研究という言葉を使いましたが、研究職や技術職、または学芸員さんなどは「第三者への共有」が眼中にない事も普通に多いです…。笑

この場合、元の質問である①の誰かがその研究、調査対象だったりします。
つまり人間は自分以外不要なのです。
僕で言う練習のための練習はそれに当たります。
しかし、そこには自然と浮かぶ笑みはあっても共有、表現の為の笑みは生まれません…
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そうだね。

赤ちゃんはまず泣く。笑うのは母親を認識してからだ。つまり、誰かがいて笑うことは刷り込まれていると言えるだろう。
他国ではかなりの統計学で成立している字も性格を表すと言う。逆に字を変えると性格は変えられるらしい。笑顔は人を呼ぶ。作っていたとしてもそれが集まれば笑顔は維持しやすくなる。
「面白くねぇ」と夜中のコンビニ前で群れる子たちは、テレビでも「親は何も言わない(素晴らしい親です)」と笑顔では言わない。その顔は「だから俺たちここにいんだよ」って感じ。
笑顔でいなきゃいけないね。
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この回答へのお礼

笑うのは母親を認識してから
というのは初めて知りました。

お礼日時:2018/09/01 16:20

(理由は後述するとして)順序が逆になりますが、




イエスだと思います。
アピールし、共有する、コミュニケーション手段の一つであり、自己表現、自己発散の一つでもあると思います。

楽しさの質によります。
例えば僕は楽器を嗜みます。
1人でとことん練習し自分を追い込む楽しさというのは、第三者に伝えたり共有する楽しさとはベクトルが違います。
なので笑顔は要りません。
しかし、その音楽やパフォーマンスの中でも自己表現、自己発散の手段としては有効な場合もあります。

最後の行については、営業スマイルが得意な人もいるので難しいです。
笑顔が張り付いた人って実際いますから…。
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この回答へのお礼

①の方を掘り下げまして
例えば楽器を嗜み曲を完璧に演奏できる様になった とかいう楽しさは音楽の本質的なものではなく、それをライブや演奏会で人前で演奏し感覚を共有する事こそが①にある『本当に楽しく(い)』のではないかと思うのですがいかがでしょうか
おそらくその時はもっと笑顔になるのかと思うのですが…

お礼日時:2018/09/01 16:14

あまり関係ないと思います


笑顔って、意識的に「作る」ことが可能なので
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この回答へのお礼

なるほど、それは例えば良好な人間関係の中という環境にいなくても訓練によって上達する事もできるという事でしょうか

お礼日時:2018/09/01 16:04

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