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「冷静」や「理知的」なのと「暗い」「陰気」は、勿論、別物の筈ですよね。

しかし何故か、パソコンや機械や将棋、数学、文学に強い人をすぐ「暗い」とか謗ったり、

更に酷い時は、剣道や卓球等、特に落ち着きの要るスポーツをする人の事まで、やはり「暗い」と謗るような輩も、何かのドラマやバラエティでいましたが、
明らかに、冷静で理知的な人に対する妬みによる誹謗中傷としか思えないです。
皆さんは如何でしょうか?

しかも、単に暗くて陰湿なだけの人は逆に「賢い」「利口」とか褒められてるみたいでしたが、明らかな「アベコベ現象」でしたね。

皆さんはこのような事は見受けられたりしませんでしたか?

A 回答 (7件)

集中力の高い芸術家や文系、理系の人は笑顔が普通の人より少なくなる。


普通人はそれらの秀でた人に妬み心で「暗い」「陰気」「コミニケーション能力が無い」と
批判する。
自分より優れた人を妬み、劣る人をいじめる。 これが凡人の定め。
確かに一芸に秀でた人の中には社会常識に欠ける人がいる。
欠ける面があるから秀でる面がある。
完全な人間はいない。
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「Aでないからお前はBだ!」と安易な二元論で物事を決めつける人が増えているそうです。


実際にはそう単純ではなく「AでありB」「AでもBでもなくC」という状態もあります。

また確かに頭の良し悪しも偏見じみたイメージで決めつけられるのも多いですね。
(サッカーが好きだから子供じみてて頭が悪い、眼鏡をかけているから理屈屋でオタクっぽいなど。)
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すぐ「暗い」という想起を口にした人がいる。



その言葉の意味を、嫉妬、誹謗中傷としか思えない人がいる。

それが自分なのです、と言うのも、自分の思いをただ言っているのは同じでしょう。

他者の言葉はその他者が自分にとってどういう存在か。
それによって言葉の意味は変わることに気づかなくては。

真意は他者には分からない。
分かりたい相手か。
どうであっても構わない相手か。
先入観に気づかず、嫌っている相手か。
誰であっても、妬みとしか感じられないか。
など色々。
その場の人間関係の場面にもよるんです。

他者の言葉の意味や意図をネガティヴに受け取るお仲間という共通点の同族嫌悪かもしれないなあと一応は思ってみます、私なら。

気にする人と気にならない人がいて、いつも、同じ人に同じようなことを気にしているとしたら、相手より自分の癖を気にした方が妬み問題は必要ない事だと気づきます。

ただ自分の感じ方、それだけの事です。
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敢えて放っておくことで解ける魔法もある。


低いレベルで群れる事は努力を要しないので楽であるが、いつか気が付かねばならない時が来る。
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以前俺的ゲーム速報人を話題にしたときに


右腕がこあれそうになって危険だったから
もはや話題にもしたくないのです。
ジャ応援札国流派とか言ってる場合でもないと云う
毛tるゆを
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~~~~~~~~~

右側に俺的ゲーム穂区報パンツはこの位置なのですか。人が出てきましたよ。
なんだ全然通常営業しえてるでしょ。

煽られれるだけで場河馬k氏ですね。
買うらい画面で、白いマスクをして
白いマスクはガン江麺股間で

fx党支部だそうですよ。ぴ駆使部のパクリですかね。
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よくあることではないでしょうか。



長所と欠点も裏表で同じことの見方を変えただけ、のように言いますがやはり別物です。
優しさ=優柔不断のようによく言われますが、全く別物で同一視できるものではありません。
”天才と馬鹿は紙一重”なんて言葉も誤解されまくりです。
凡人にはどちらが言ってることも理解できないので同じように感じるだけで、実際には共通するところはありません。

そういったことが判別できない人が多い、ということなのかもしれません。
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Qいいことをおしえてやろう

最近、人に回答を求めるのではなく自分でやってみろと、ある人に言われたので、やってみる。

とはいっても自分の知らないことには答えられない。
答えられる質問にはどんどん答えてやる事に決めました。

こんな心構えでいいでしょうか?

Aベストアンサー

違うと思います。

どこかのカテゴリーで、回答に対するお礼コメントでやられて現在進行中の質問者のマネをして回答してみます。

Q:人に回答を求めるのではなく自分でやってみろ
A:初めての職場に行くと先輩が、「わからないことがあったら、なんでも聞ききなよ。」と言ってくれますが、それを信じて質問すると、「なんでもかんでも人に聞けばいいってもんじゃないだろ!!まずは自分で考えて、それでもわからなかったら質問するんだよ!!」と言われて、自分なりに「まあっ、いいか、これで」と思ってやってみると、「お前、なんてことしてくれたんだ。やるまえに、わからないことがあったらなんでも聞けと言っただろ。」と怒られてしまいます。

Q:自分の知らないことには答えられない
A:知っていることとは、しょせん知識でしかないのだから、インターネットでチョチョッと調べて、たぶんこれだな、と思った新しい知識で答えればいいんじゃない?

Q:答えられる質問にはどんどん答えてやる
A:たぶん、答えられる質問に対して答えるのではなく、自分が回答したいと思った質問に答えるのだと思います。

質問に答えたいものがあったときの心構えは、以下のようなことも必要だと思います。
・こいつ、ホントか?創作とかなりすましじゃないだろな?
・それとも、現実社会で誰も相手してくれないから、この虚構の世界で相手して欲しいのかな?
・いやいや、真剣に悩んで質問しているんだと思うけど、なんでこういう質問してるんだろ?

違うと思います。

どこかのカテゴリーで、回答に対するお礼コメントでやられて現在進行中の質問者のマネをして回答してみます。

Q:人に回答を求めるのではなく自分でやってみろ
A:初めての職場に行くと先輩が、「わからないことがあったら、なんでも聞ききなよ。」と言ってくれますが、それを信じて質問すると、「なんでもかんでも人に聞けばいいってもんじゃないだろ!!まずは自分で考えて、それでもわからなかったら質問するんだよ!!」と言われて、自分なりに「まあっ、いいか、これで」と思ってやって...続きを読む

Q身近な洗脳を見たことありますか?

洗脳というと、カルト新興宗教のイメージが、強いですが、
私は、身近に、あるいは社会でよく行われている気がします。
政府が国民を、メーカーが消費者を、経営者が従業員を、教師が生徒を、親が子供を、
洗脳していることは多々あると思います。意図的に、あるいは無意識に。
そのような事例を経験、あるいは目撃したことはありますか?

Aベストアンサー

「洗脳は身近なものである」という視点はとても良い事だと思います。

「それが普通、〇〇に決まってる」と口癖のように言う人がたまにいます。
しかし普通の定義は個人によって違いますし、決まってると言っても公的に法的に定められているものではない。
その人が勝手に思い込んでいるだけなんです。

特に世間など周囲の目を気にする我々日本人は、個が弱い為に自分の考えや価値観を社会常識と混同してしまう悪い癖があります。
物事を言っているのは自分ではなく世間なので、自分は発言の責任をとらなくていいから楽なんですね。

私たちは個人の発言を全体の発言のように感じてしまい日々それに踊らされているのです。

誰が言ったのかもわからない考えや価値観がふわふわとそこらに漂い、それを何の疑いもなく受け入れているのはとても恐ろしいと思います。

Q死後の世界

「自分が死んでも自分がそれまで生きてきた世界は存在しつづける。」
という科学的根拠が示せない理由および原因について。

a)理由
b)原因

それぞれを説明して下さい。




IOI
HXH
NSZ

Aベストアンサー

科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮説は、経験から得られた科学的な仮説ではありません。

たとえ世界が消滅する場合にも、その消滅速度が速かろうが遅かろうが連続的に消滅するというのが、貴方が生きていた経験から得られる科学的事実です。ですから、貴方が死んでも貴方がそれまで生きてきた世界はしばく存在しつづけるというのが科学から得られる結論です。

また、ある事象の時間的長さが長いか短いかは相対的な概念であり、何か基準になる時間の長さと比べて初めて意味のある概念です。たとえば、地球の公転数が1000回たった場合の時間、すなわち1千地球年は貴方の寿命からみて長いと思えるでしょう。それに比べて、原子内で励起原子が光を放出して基底状態に落ち着きまでの時間は10のマイナス8乗秒程度です。ですが、この時間で電子は原子核の周りを百万回ほど回っています。すなわち百万電子年経ったといえます。さて、この百万電子年というとてつもない回転の数と、1千地球年というたった千回の回転数と、どちらが長い間の出来事だったのでしょう。だから、たとえ貴方にとって瞬時になくなったように見えても、連続的に消滅する事象でも、別な基準から見るととてつもなく長い間にゆっくりと消滅している事象であるとも言えるのです。

科学的根拠は示せますよ。

科学が科学的である最も基本的な根拠は、それが思索に基づいて論じられているのでなくて、経験に基づいて世界を把握しているからです。そして経験によると、この世界は時空によって把握できる。さらに経験によると時空の一部を占めている存在にはその広がりに不連続なものは存在していない。一つ二つと数えられる粒子といえども、各粒子は連続場の衣をまとって、粒子の縁は連続的に空間に広がっています。だから、貴方が死んだからといって、その時に不連続的に世界がなくなるという仮...続きを読む

Q哲学って簡単に言うとなんですか?

哲学って簡単に言うとなんですか?

Aベストアンサー

人間とは何か、人間が考えるとは何か、という学問です。
例えば、アリの生態や行動を解析して、アリは何を考えて生きているのか、
をまとめれば、「アリの哲学」として出版できます。
犬や猫のほうが大衆受けするかもしれません。

Q「素直」とか「真面目」とか言われると、嬉しくもなく、それどころか寧ろ、人の事を馬鹿にするのもいい加減

「素直」とか「真面目」とか言われると、嬉しくもなく、それどころか寧ろ、人の事を馬鹿にするのもいい加減にしろ、と思います。

真面目ではあっても、内面は自分は素直ではないですし、真面目なのが損するなら、真面目とかやめてやるとか定期的に考えたりします。
また、下手に素直だといつかは不当に利用されたり扱き使われる場合もありそうなので。

皆さんは如何でしょうか?

Aベストアンサー

世の大半の人はいい加減ですから仕方ないです…。多数派なので、正しいと思って生きていられる恵まれた人々です。おかげさまで世は時代が下るにつれて悪くなるようにできあがっています。真面目な人が世を好転させようと努力のおかげで、まだ悪化の速度が緩められているのです。真面目な人は貴重です。これが一つの真理です。

このような質問が立ち上がるところを見ると、一見、品行方正な現代の若い世代も、けして昔よりよくなってはいないんですね。

身を守るために、真面目じゃないふりをしていてもいいですから、本気でそういうのに染まらないでください。大きな善を考えられないのは自己中と馬鹿です。世界は馬鹿を必要としていません。でも増えてしまうんです。

でも、地球も自然も宇宙も、当たり前の論理で成り立っています。どんなに高い知能を持った人も、一人では大した力を持ちません。少数がどんなにがんばっても、多数派が台無しにしているようでは、どういうことになるか。

Q神の存在証明について、詳しく教えて下さい 4種類の証明のうち、どれでも良いです

神の存在証明について、詳しく教えて下さい
4種類の証明のうち、どれでも良いです

Aベストアンサー

太古から人間は神の存在を想像していましたね。
これは、認識は出来ていないけれど存在するのではないかという意識はあった、という事です。

ダブルようですが人間は、神が物ならば認識できたはずなのに、それが出来ないばかりに想像でその存在を意識してきました。
神は精神だからでしょう。

一般に神と云えば善の象徴であり、悪と云えばサタンとなります。
でも、創造主とした場合の神は、単に善の象徴ではなくて宇宙そのものと云えます。そしてその宇宙=精神の中に善もあれば悪もある、と云う事になります。

そうです。創造主としての神は善も悪も孕んでいるのです。

人間の精神もそうですよね。
好ましい心の状態の時もあれば、好ましくない時もあります。
創造主と同じなんです。

そう思えば自身の心の存在こそが、神の存在を証明していることになるのです。

Q思考と言語

思考に言語を使うことのデメリットを挙げて下さい

Aベストアンサー

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を捉え、それに従ってそれなりに合理的に思索し合理的に振舞っています。それが空間的論理です。この場合、自分の置かれた環境や状況や事象を瞬時に全体として捉え、物事が収まるべきところに収まっているかどうかで、その全体の整合性を認識します。事実、絵画にも立派な論理があり、思索が表現されているのですが、それは決して、山が木立や東屋を導き、その木立が月を導き、、、というようには把握されず、そてぞれの各点が収まるよころに収まっているかどうかでその合理性の深みを理解しようとします。また、人間も多くの動物も言語以外に、ボディー・ラングエッジでも意思疎通をしていますが、これはどちらかというと空間的論理の把握と言えるでしょう。

その点、音楽にある合理性は時系列としての合理性であり、言語による合理性の把握に親和性があります。ただし、音楽や言語やその一種である数学が時系列的であるとは言っても、決してその流れは一方的だけではありません。我々は、現在目の前にある音や単語ばかりでなく、その音や単語より以前に出た音や単語との関連、すなわち時間相関を思い描きながらその作品を観賞し、また、この先の未来に出てくるであろう音や単語を、過去の時間相関を参考にしながら予測して、ある意味時間を超えた同時発生的な把握でその作品を観賞しています。そしてこの時系列的な相関の距離が長いほど、我々は思考が深まったと考えているようです。

もちろん空間的論理の把握にも、空間における各点をバラバラに捉えているのではなくて、各点の間の空間的相関を認識し、その空間相関の距離が長いほど、その空間的論理の合理性に深みがあると考えているようです。

この時系列的思索と空間的思索の存在は古代から認識されており、例えばそれが仏教における顕教と密教の違いとして認識されております。すなわち、顕教の本質は、この世の真理なるものを文章に顕に書き下すことができる。すなわち、時系列的な論理だけで表現が可能であるという立場です。だから、先人たちの名著をとことん読んで咀嚼すれば、この世の真理が解るようになるという主張です。ところが、密教では、この世の真理なるものには言葉という時系列的な論理では表現しきれないものもある。そして、それを掌握するためには、それを掌握した師の唾を浴び、迫力やオーラを浴びなくてはならないという立場です。さらに密教では曼荼羅を重視しますが、これもこの世界を掌握するには時系列的な言語だけでは不完全で、絵画的空間的論理による認識も必要であるという主張です。私は物理学者ですが、自分の師と巡り会うまでは、物理学も顕教の世界だと思っておりました。しかし、その師の唾を浴びているうちに、物理学の多大な部分が密教の世界であることに気づかされました。

さらに、テレビドラマでもわかるように日本人の数倍もおしゃべりなアメリカ人の意思疎通の内の90%ほどが、言葉でなく、先ほど触れたボディー・ラングエッジによっている、という研究結果が出ているそうです。考えてみればそれは驚くことではありません。実際、人間が言葉を使い出す前の数百万年もの間、人間はボディー・ラングエッジだけで意思疎通をしてきたのですから。例えば、馬も集団生活をしており、馬の間のボディー・ラングエッジが高度に発達しています。私の住むテキサスで小さな牧場を持っているある日本女性がこの馬のボディー・ラングエッジの重要性に気づき、それを人間の母子間に取り入れて、頭でっかちでない自然な子育てに使う運動を起こし、そこで訓練を受けた多くの母親が育っています。

このように、我々が世界を認識するとき時系列的でなく、空間的な掌握法が圧倒的に巨大な領域を占めているのです。ところが、言葉だけで論じられている哲学を学んでいる連中では、時系列的な論理だけが合理的な論理であると誤解して、世界の圧倒的な部分を認識できなくなっているようです。これが思考に言語を使うことの最大の欠点でしょう。この連中はこの巨大な世界を認識できないので、ある意味可哀想な連中です。

我々が世界を認識しそれに合理的、あるいは論理的に意味づけをする方法には2種類あります。一つは時系列的論理であり、もう一つは空間的論理です。多くの方が論理的だと考えているのは時系列的な論理です。その典型が言語で表される論理です。すなわち、言葉は時系列として時間の経過とともに順番に出てくる。数学もそうです。AはBを導き、BはCを導き、、、という具合に。そして、そのような時系列で把握されたものだけが思考だと思っている。

ところが、私たちは(動物たちも)もう一つの世界の認識方で世界を...続きを読む

Q進化した動物や車や人間?淘汰・進化の原理は同じでは?

よく進化と言う言葉を乱発していると「進化と言うものは生物の遺伝による世代交代の・・・」

とお叱りを受けるが。しかし思うに生物の進化は次世代に少し違うタイプの性質や形質が現れて

それが環境に適していれば生き残り、生きる力がなければ死んでしまう。生き残った者が

適者生存で増えていく。例えばカエルでも色んな種がいる、タイプがあるのだ。

大雑把だが 新しい少し違うタイプが出るのは自動車も同じである。少し違う性質と形質?を持ち

環境である大衆、世界の大衆に選ばれた自動車が良く売れて沢山作られ残っていく事になる

環境から淘汰を受ける事になる。

この二つに共通する点は多くないか?

家でもその国その国で違うがその国に流行った(適した)タイプの家が多く作られ

そうでない家はある程度淘汰を受けその国様式でそれでもさまざまな種類の家が残って来た。

このような淘汰と環境適応、種の繁栄のパターンは様々な物に言えていて

人間にも言える。人間の心にも言えるのである。

聖書にも ”マタイ7:17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

と言うように淘汰の原則が載っています。

本だってそうです。流行り廃りはありますが良書は読み継がれて来ました。芥川とか漱石とか

ドストエフスキーとかトルストイとか良さそうな書は沢山作られまた淘汰される書もあって

興亡を繰り返します。

生物、人工物、人間、物質にも言える。

人間なら精神的な流行り廃りがあるから「ナウい」とか「おやじギャグ」は淘汰され

「やばい」とか「ダンス歌手グループ」が増えたり。理屈っぽいのが淘汰されつつあり

資格の知識が進化している。書き切れないので大雑把だが あなたの頃の中でも

色んな心が生まれ環境に適し、廃れていく心もあるだろう。

日本語も流行り廃り進化した言葉もある。

これら皆 スタンダードがあって新しいタイプが出て、淘汰・進化して適者が存在して行くのではないだろうか?

進化した軽自動車、進化した住宅、進化した情報、進化する心、進化した人間精神と言う言葉も

けしておかしくはないのではないだろうか?

物質も含めてこの世のものは太陽の光を受けて絶えず進化しているのではないだろうか?

その様な生物学と違う分野の「進化」と言う言葉も解禁して良いのではないだろうか?

原理は同じなのだから。

よく進化と言う言葉を乱発していると「進化と言うものは生物の遺伝による世代交代の・・・」

とお叱りを受けるが。しかし思うに生物の進化は次世代に少し違うタイプの性質や形質が現れて

それが環境に適していれば生き残り、生きる力がなければ死んでしまう。生き残った者が

適者生存で増えていく。例えばカエルでも色んな種がいる、タイプがあるのだ。

大雑把だが 新しい少し違うタイプが出るのは自動車も同じである。少し違う性質と形質?を持ち

環境である大衆、世界の大衆に選ばれた自動車が...続きを読む

Aベストアンサー

英語の辞書で「evolution」を牽いたら「1 the scientific idea that plants and animals develop and change gradually over a long period of time 2 the gradual change and development of an adea,situation,or object」とありました。 で「develop」を牽いたら「1 GROW : to grow or change into something bigger,stronger,or more advanced, or to make someone or something do this 2 NEW IDEA/PRODUCT:(略) 3 FEELING:(略) 4 SKILL/ABILITY:(略) 5 DISEASE:(略) 6 FAULT/PROBLEM:(略) 7 PROBLEM/DIFFICULTY:(略) 8 IDEA/ARGUMENT:(略) 9 LAND:(略) 10 PHOTOGRAPHY:(略)」とありました。 英和辞典で「evolution」を牽いても、段々に変化するのだとevolutionで、時間的な長短は問題ではないようです。

加藤弘之は、1900年4月に「道徳法律進化の理」で、天賦人権論を社会進化という視点で攻撃しています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/757879
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no96_01.pdf

「evolution」を「進化」と訳した日本人は加藤弘之だと言われているらしいですが、その加藤が、すでに社会や制度、思想?に対しても「進化」という語を使っているようなので、機械や仕組み・システムにも、技術や手段・手法についても、進化という語は使われておかしくないし、明治以降の広告においても盛んに使われていたと思います。
現在でも、「進化した○○」のようなコピーは盛んに使われています。
http://shiozawa.net/shinkakeizaigaku/shinkasuru_hyogenshu.html

生物学と違う分野でも「進化」と言う言葉は昔から使われていたし、中断されることもなかったと思います。

英語の辞書で「evolution」を牽いたら「1 the scientific idea that plants and animals develop and change gradually over a long period of time 2 the gradual change and development of an adea,situation,or object」とありました。 で「develop」を牽いたら「1 GROW : to grow or change into something bigger,stronger,or more advanced, or to make someone or something do this 2 NEW IDEA/PRODUCT:(略) 3 FEELING:(略) 4 SKILL/ABILITY:(略) 5 DISEASE:(略) 6 FAULT/PROBLEM:(略) 7 PROBLEM/DIFFICU...続きを読む

Q努力は報われるというのが実感しにくい原因は「時間」の存在ですか?

人生では時間が有限だから、努力は報われるというのが実感しにくいのではと、ふと思いました。
それとも他の理由があるのでしょうか。


大体、高校・大学入試、就職、友達作り、結婚、出世など時間が限られているので何かしらを諦めなければならないのでしょうか。
私の場合は趣味が向いていないというようなことを人から言われましたが、何年も努力して勉強して人並近くに上達しました。これは、趣味だから期限がありませんでした。仕事であれば何年も人を待たせることは出来ません。

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努力が結実していないのだと思う
時間も必要だが方法論が大切

かりそめ天国 剣道が強くなりたい 2018‎年‎11‎月‎8‎日、‏‎0:20OA
チャンカワイを見ると努力を結実させる糸口はあるかも

Q絶対善はあるのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を優先すること」と言われても何か分からないでしょう。ですから分かり易く言えば愛や思いやりや慈悲心などですと説明しています。これはキリストが説いた愛です、孔子が説いた仁、つまり思いやりです、そして釈迦が説いた慈悲の心です。そしてこれらに内包、共通しているのが「私より公を優先する心、行為」です。

「私より公を優先する」とは分かり易く言えば「私欲という自分の思いを少し抑えて公の為とみんなで考え行うこと」です。自分の私欲の心を少し抑えて、一人一人がみんなの為と考えることです。これは民主主義を示しています。そして「みんなの為」と考えるということは皆さん一人一人がリーダー、その群れのトップの立場に立って考えると言うことです。それは強い責任感をもって考えると言うことです。そのような心を一人一人みんながもって、みんなで考えれば最も正しい答えに辿り着ける確率が高くなるよ、ということです。これ以上に優れた方法が何かありますか? これが私の言う絶対善なのです。

その群れ社会にとって絶対的に正しいことは社会の安寧秩序であり、そのために最も優れた方法が「私より公を優先する事、つまり愛や思いやりや慈悲心」なのです。もちろんこれは最高の方法を示しているので一般的にはなかなかできないことです。しかしそれを目指す事こそが最もより良い社会が創れるのだ、と言う事なのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を...続きを読む

Aベストアンサー

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式組の人がいっぱいいます。そうした方々は、言葉の使用法の形式の方に興味が優先してしまい、たとへそこで使われている言葉が不完全でもそこで言っていることの内容や実態をなんとか理解しようという方向に興味を向けない傾向にあります。

「あんたの言いたことはなんとなく判るんだが、そのような言葉の用法はその内容と矛盾しており、間違っている」

などと言って、言葉の使い方が間違っているから、あなたの言う内容も間違いだ、などと考えてしまう人もいくらでもいます。だから、芯木さんが言いたいことの本質を論じようとするのではなくて、絶対の意味などの言葉の使い方がこだわった回答が多くなっているのです。

そのような人たちは、左を指差しながら、「右、右」と言っている人の心を察することができず、その間違いを言いつのる傾向があります。この場合、常識的に見て、指を差している方向をその発信者が言いたいのは明らかですのに。

物事を論じるためには、その内容も、その言葉の使い方も、両方とも重要です。しかし、その両方を同時に論じることにどれだけの生産性があるか、自明ではありません。大論文でもない限り、それを意識せずに両方とも同時に論じてしまうと誤解を招き、混乱さえ起こしかねません。ですから、何かを論じる場合には、内容か、形式か、そのどちらにより重点を置いているのか、文面から明確にわかるように書いておく方が、生産的な議論のやり取りができます。

ここでの主題は「公に対する奉仕」なのだと思いますが、例えば、「公」という言葉一つとっても、人によってその意味がだいぶ違い、芯木さんが言いたい意味では受け取ってくれない場合が散見されます。いわんや、「絶対」などという、一神教の影響を受けた西洋文化大好連中が好んで使う言葉は、哲学好みの人たちには刺激的すぎて芯木さんの言いたい内容よりも、その刺激的な言葉に拘ってしまう人がいくらでもいます。

出来るだけ刺激的な言葉を避けてご自分で言いたいことを表現することを工夫すると、芯木さんのご主張に賛同する方も増えるのではないでしょうか。また、どうしても「絶対」と言う言葉を使いたいならば、論述を始める前に、ここでのこの言葉は、、、、を意味するものとして特殊な使い方をしている、などと一言を入れておくと、読者もそのつもりで読んでくださると思います。

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式...続きを読む


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