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ある小中学生の団体のスタッフです。
5年生の子が場面緘黙です。
・学校には行っていない
・ここでは友達と楽しく過ごしている。そして、笑う時はアハハハ、とはっきり声を出して笑っている
・スタッフとも、つつき合いをしたり、楽しくのびのびしている。
・家では話すらしい

スタッフも他の子ども達も、話してくれたらいいなと願いはありますが、
声出しの「促し」は全くしていません。「今は話さない子なんだ」とシンプルに受け止めています。

本題の質問です。
・場面緘黙の当事者だった方、話しをし始めたとき、何かきっかけはありましたか?
それをまねしようというのではなく、あくまでも参考に、お聞きしたいのです。

A 回答 (2件)

わたしは人前に立つとまったく話せませんでした。

今になれば場面寡黙だったのかなー?とおもいます。
声を出したいのに出せない。分かってるのに答えられない。ってことが小学生の間ずっと続きました。
中学に上がってからすこしずつではあるけど、はなせるようになりましたよ。
自分の中での葛藤がすごかったですけど。勇気ですかね、、、。はっきりとしたきっかけはわからないです。

ただ、小学生のときは、なぜ普段は話ができるのに発表は出来ないの!?と先生にしかられ。答えられないと1時間中立たされたり、つらかったです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
色々なタイプがあるようですね。
外でも、話せる場面と話せない場面があるのですね。
立たされっぱなし、、、お辛かったのですね。

お名前から勝手にシニア以降(同年代??)の方かな?と推察…違ったらすみません。
あの頃は、緘黙についてあまり研究もされていなかったり教師もどんなものか無知だったり…
数年前に出会った子は、話始めると話せるのですが、最初の一言が出るのに何分もかかり、
最近それも緘黙の1つらしいと知りました。
ありがとうございました。

お礼日時:2018/11/06 19:22

私も場面寡黙かどうかはわかりませんが、発達障害で手をあげて話せませんでした。


私は、間違ったり、人から指摘されるのが嫌、話せなく話さなければいけなくなると顔が赤くなり、意識するともっと赤面し、そんな私も恥ずかしいと思うようになり、話せませんでした。
きっかけは、間違ってもいい、笑われよう(バカにされるのではなく、一緒に愛想笑いのように笑う)ようになり、そんな自分でもいい、と思えた時に少しづつ度胸がつき、赤面も無くなっていったようなきがします。後は、そんな自分が嫌だ話せるようにもっとなりたいと思い、少しづつ色んな場数をふむようにしました。
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この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。

意識すればさらに、というのがやはりあるのですね。
間違ってもいい、と思えるようになったのですね、すごいですね。
間違ってもいいんですよね、本当は、人間社会は。
一歩踏み出されて、進んでこられたのですね。自分の力で。
ありがとうございました。

お礼日時:2018/11/12 17:32

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