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本場の欧米で教会に行かれた人、もしくはキリスト教を学問として勉強した人に聞きます。客観的に見てキリスト教や聖書、そこで働く人たちについてどう思いますか?信じておられる方でなく、出来るだけ冷静に見られる方に聞きます。キリスト教や教会についての実態について、いい面も悪い面も含めて知ってる人、しゃべってもいい人いませんか?

A 回答 (10件)

部外者の立場で見ていて、教会建築や音楽は素晴らしいですし、まったく勧誘の下心なしに、いろいろ参加をさせてくれますし、人々のマナーもとても好もしいですし、私が個人的に関わってきた範囲では、至って好感があります。



でも、信者として育てられた人たちの中に、罪の意識を植えつけられて、仏教に憧れるという人が多いようですね。教え自体によるところが大きいのだと思いますけど、事実を知った人たちはキリスト教が一番、残虐だと彼ら自身が思っているのですよね。これが決定打になって信じる気が失せてしまうのでしょうね。(つまり、現実を知ってる人はキリスト教に限らず宗教というものを信じない方向性があるように思いますが…)

キリストはシッダールタなどとともに賢人だったろうと思っています。しかし、宗教となると…人が集まるところ、とかく問題なしには済まないですね。とくに、昔は未知のものが今よりずっと多かったわけですから。

たまたま最近、読んでいたんですが、1906年に書かれた小説(ヘッセ『車輪の下』〔ドイツ〕)でもすでに、牧師は聖書には間違いや嘘があると言うことになっていて、庶民に敬虔な信者を貫こうとしている人が根強くいるという風に描かれています。

こういう背景がもうとっくの昔からあるわけで、教会関係者はもちろん組織存続のために在り方を見直して、求められる存在になろうと努力をしてきているのでしょう。
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宗教は信じる人を幸せに、疑う人を不幸せにし、



哲学は疑う人を幸せにし、信じる人を不幸にする。
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聖書は、何度も読みましたが、人が作り出した ただの物語 ですね。


著者が多くにわたっていますので、矛盾点もありますしね。

信じる人は信じてもいいのでは、それで心が安らぐのなら。
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米国在住です。



日本では福音派と呼ばれている、南部洗礼派に属しています。夫の家族が代々その宗派の教会に葬られていますから、それをご縁と考え、私もそれに従いました。

良い面は、困ったことが起きたとき、ほかの信者さんから、物質的・精神的両方のサポートを得られることです。そして、本当に尊敬できるご家族に会えます。子育て中は、特に、日曜学校や教会活動を通して、同じ考え方の家族と連帯しながら、キャンプやフェスティバルなど、個人では到底不可能なイベントに、自分もボランティアをしながら、参加できます。自分の寄付が、子供たちの教育に役立っているのが、実感できます。

悪い面としては、教会内部で、信者さん同士、”誰が一番良い信者か”と言う、ほんのりとした、権力争いのようなものもあったようですが、私は、そういうのは、興味がないので、ご遠慮していました。

うちの教会は、高学歴の人が多かったので、リベラルでした。貧富の差を無視して、みな平等意識です。風通しの良い場所でしたが、そうでない、いざこざの多い教会もあると思います。

歴史の古い、カトリックについては、日曜日の礼拝にも違いが見られますし、とにかく、組織自体が巨大です。にっちもさっちもいかない感が、あふれ出ています。時代に適応するように、核になるバチカン内部から変えてゆかなくてはならないでしょうが、あまりにも美しい場所なので、現実離れしている感があります。小さな変革にも、相当の抵抗があるものと考えられます。教会内の競争を勝ち抜いてきた、エリート中のエリートの皆さんなのです。

聖書については、旧約聖書は、一応何度か通して読みましたが、うちの教会では、旧約は大きな陰であり、新約で現れたイエス・キリストが光である。彼の言葉が一番大切であり、膨大な歴史や、弟子たちの布教の模様は、二千年前の彼の出現を預言するための前置き、あるいは、付け足しである、というふうに理解しています。イエスの言葉は、普遍的であり、人生どう生きていったらよいか、の指標になります。(パウロの手紙群は、例外的に重要視されています。)

罪を犯してしまったときに、自分の、その罪のために、神の子であるイエスが磔にかけられた。自分が罪をおかす度に、イエスは自分の中で、再び、殺されている、という認識が大切になります。
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キリスト教も2000年も続き世の人によい影響を与えてきました。



でも、イエスは神の教えを告げるために来たわけですが、ユダヤの人は、かれを十字架に架けました。 そのため、カルマともいいますが、国を失い、奴隷になったり、世界をさまよいました。 
仏教では、釈迦がマヤ夫人のワキから生まれたという神話があるように、イエスが処女マリアから生まれたなどといっています。

事実は、大工ヨセフと若いマリアの子として、兄弟も二人いる家庭に生まれたのでのです。
それが、イエスの存在を否定するものではありません。

キリスト教では心の中まで裁かれます。 自分の罪深さを知っていることは救われる近道です。

イエスが人類の罪をつぐなうために十字架にかかったと教えてますが、そんなのうそです。

ユダヤの人が誤って、彼を殺しただけですね。それの罰があたったのです。イエスの復活は、200年後ぐらいで、いまのカナダの地に再誕するでしょう。
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佐藤優(同志社大神学部卒)


が言ってましたけど
神学者って案外、無神論者が多いんだそう
聖書をつきつめて読んでいくと
そうなっちゃうことがあるみたい

私が読んだ本にも
神を信じないクリスチャンという神学者がいましたよ

カトリックの司教さんが書いておられましたが
教皇ヨハネパウロ二世は
バチカンでいじめにあったそうで…
それもあからさまないじめではなく
表向きは従ってるけど、というような…
中世?の教皇の日記にも
周りにいじめられたという記述があるようですけど
ヨハネパウロ二世は、ポーランド人で
イタリア人ってプライド高いから…

でも、その中で、自分の信じることをなさったヨハネパウロ二世は
私は尊敬してますけども

クリスチャンではないけど
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いただけません。


毎週、教会に通っています。
今82歳で、お向かいも近いと思いますが、必ず、天国に、行けるかどうかは、まず、絶望的です。
イエスキリストを人類の救い主と信じ、そのイエスが、私達の罪の贖いの為に、自ら、十字架に掛られ、世界の人々を救って下さった。
その事実を堅く信じています。
しかし、それだけでは、天国に入れません。
天国に入るには、
わたしは、あまりにも罪を犯しすぎました。
イエスキリストを信じている側から、またまた、罪を犯してしまいます。
仏教でいう、煩悩でしょうか。
もう老齢者ですが、若い女の子が、電車で前に座った時、思わず、前かがみになり、パンツが見えないか、と、思ってしまいます。
これでは、天国に入れる筈は、有りません。
聖書には、「色情を持って女をみると、その人は、罪を犯している」と、
書かれています。
私は、キリストの衣を、かむった偽善者である事を今、告白します。
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私は、小児洗礼を受けたクリスチャンです。


意識の無い時に洗礼を受けても、後々、自身で信仰告白をしないと、聖杯とキリストの身体であるパンを
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キリスト教は信仰。


キリスト教会はビジネス。

これをきちんと区別しながらもう一度高校の世界史を学べば、オーケー。
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話そうと思ったら、最低50時間は必要。

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