プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

人格者になりたい と思っているうちは人格者になれない と言われました。

確かに生まれつき(?)人格者と呼ばれるに相応しいような方もいらっしゃいます。ですが、後天的にそのような人格になった方は「人格者になりたい」とまでは思っていなくとも「優しくなりたい」などと思ううちにそうなった方も多いのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

思いやりのある人になりたいです。なりたい と思うな、気づいたらそういう人になっていた という人でないと無理だ というのは本当でしょうか。

A 回答 (9件)

それはね


人格者という完成形は存在しないからなのですよ。
それにまず気付かないと。
もし完璧な人格者なんてものがあったらプログラミングで複製できそうで嬉しいんですけど(笑)
未完成だから周りに柔軟に気を使える。未完成を自覚しているから謙虚さがあり紳士でいられる。
自分の弱さを知らない人が他人に優しくできる訳がない
    • good
    • 1

かのマザーテレサは言っています。



「私は、あなたの世話をし、出来ればもう一人世話をするだけです。」

人格者と呼ばれる人の行動原理は、実は単純なものなんだと思います。でもそこに欲とか余計なモノは無く、自分のやるべきことを無心にやって生きている。たまたまスポットが当たって人格者と呼ばれる人がいるだけで、人知れずそうゆう生き方をしてる人は沢山いると思います。
    • good
    • 2

皆さんおっしゃる通り、人格者と言われるのは結果であって、なろうと思ってなるものではなさそうですね。

でも人格者と思える人がいたら、その人の影響を受けることで近付けるのかもしれません。

障害者用車椅子の制作販売事業をしている友人がいるのですが、彼は重度の知的・身体障害を持った子供を持っており、それがキッカケでその仕事をはじめたそうです。過去には相当の苦しみがあったろうし将来の不安もあるだろうに、そんな影は露ほども見せません。いつもニコニコ、「人間生きてるだけでめっけもん」と言ってます。障害児を持った親や兄弟へのセミナーなども主催していて、私が「そうゆう一見儲けにつながらない事が、あとでビジネスの結果に繋がるんだね」と言ったら、「いや〜、一人でも多くの人に体に合った車椅子を届けられたらいいんだよ〜」と言われて、「ああ彼はビジネスだなんて考えてないんだ、俺はダメだ、彼に何も敵わないし真似もできない。」と思いました。そんな彼だけど、人格者ってかんじではなく、下ネタも言うし自分の好きなこともやってるし、決して無理はしておらず、家族との時間を大事にして、自分らしく生きています。

人は苦難にあったときに、どう自分の人生に向き合うかで、人格者になったりダメになったり別れるんでしょうね。苦難なんてわざわざ受けたくないけれど、そうゆう尊敬できる人を見習い影響を受けていれば、苦難にあったときにきちんと向き合って生きることができ、人格者になれるでしょうね。
    • good
    • 2

「人格者になりたい」は目標ではなく生きた結果です。


普通は医者や看護師になって困っている人を助けたいと目標を立てて生きる人。
スポーツで指導者になり若い世代を育てたいと思ってパワハラになる人は人格者ではありません。
いろいろな目標を持って頑張った結果、人から内面性を評価されること。
人格者はたくさんいます。有名になっていないだけ。
表彰される人ばかりが人格者ではない。その辺のじいさんばあさんにも人格者はたくさんいる。
「思いやりのある人」になりたい?
目標ではなくて結果です。思っているだけでは成果は得られない。
行動しなければ成果は出ない。
まずは行動すること。他人に優しく信頼される行動をすれば人格者になれる。
でもだれも「人格者ですね」とは言わない。心で感じるもの。他人に求めるものではないですよ。
    • good
    • 2

いろんなことをやってきた結果が周りから評価されて、その評価のひとつがいわゆる人格者ということなので、自ら人格者になりたいという感覚はちょっと違うような気がします。


ただ人格者と言っても、一体何が人格なのか、どういう状態になったら人格者なのか・・・その説明は難しいと思います。
    • good
    • 1

追記ですが、


人格者になりたい、優しくなりたい、
とあなたが思っているということは、
少なくとも、自分が人格的に不完全で、優しさが欠けている、という事を自覚しているという事なので、
とても謙虚で素晴らしいと思います、人格者でもなく優しくもないくせに自分がそうだと勘違いして偉そうにしている人よりは。
謙虚さから、成長が始まると思いますので、貴方はもう既に良いスタートを切っていると思いますよ。後は、良い人を見よう見まねして行きましょうね。
    • good
    • 1

>後天的にそのような人格になった方は「人格者になりたい」とまでは思っていなくとも「優しくなりたい」などと思ううちにそうなった方も多いのではないかと思うのですが、どうでしょうか。



後天的に優しくなるには、後天的に、他者からたくさん優しさを受けることによって、自分からも自然と優しさを生成できるようになるのだと思います。人は、受けたものしか、人に与えることができないから。知っていること、経験したことしか、人に与えることができないから。つまり、一度も人に優しくされたことがない人は、自分から人に優しくできないし、そもそも「優しさの意味」すらも知らないし、「優しさが何なのか」すらも、わかりませんから。

>思いやりのある人になりたいです。なりたい と思うな、気づいたらそういう人になっていた という人でないと無理だ というのは本当でしょうか。

上記のように、思いやり深い人、優しい人と付き合って行くうちに、自然と影響を受けて、自然と優しさを体得できるようになります。朱に交われば赤くなる、と言われるように。だから私達は、誰と付き合うか、取捨選択することが重要なのです。付き合う相手には、良くも悪くも影響を受けますから。

>人格者になりたい と思っているうちは人格者になれない と言われました。

確かに、意図的に人格者や優しい人間を装っても、それは本物とは言えないと思います。自然に、無意識に、優しく思いやり深くなれるのが、本物だと思います。本当の人格者や、本当の優しい人は、自分が人格者だとか優しい人間だなんて、ちっとも意識していないものですから。自然にしているだけですから。
    • good
    • 1

その心意気は本当に素晴らしいと思います!しかし最近、神の言葉が書かれてあるという「聖書」を読んで、アダムとイブがリンゴを食べてしまってから人間は全員が罪人となってしまい、またそれに伴い「死」までが入り込んでしまったと知りました。

何か少し残念な話ですみません。なので、優しくできる人は優しくした方がいいし、病気などで人に優しくしたくてもできない人はそれでいいんだと思うようになりました。心の中は神様がいつもみているそうで、キリストを信じた上で良いことをすると、本当に素晴らしい人生が送れるそうです。
ちなみに私は教会にも行ったことがない者です。
    • good
    • 1

そんなに人格者になりたいですか?


人間誰しも長所短所があるんですからね!
多少は欠点があった方が人間らしいと思いますよ。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!