プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

"自信を持つ"ことと、"謙虚になる"ことについて


ここ何年かモヤモヤしていることを書きます。
自信を持つことは大切です。とてもわかります。
しかし僕は、"自信を持つ"ことで、
本来自分が見直さなければいけないこと、
反省しなければいけないこと、
それらを顧みることがおざなりになってしまう
のではないかと思うのです。
例えば、

A君は数学に自信があります。
しかしある模試でわからない問題が出ました。
その模試のあとA君は、「あれは問題が悪い」
と、その範囲の勉強はしませんでした。

これが本来"自信のある人"だと思うのです。

その範囲の勉強をしてしまうと、
"自信である数学に欠落している部分があった"
ことを認めてしまい、
少なくとも"数学に自信がある"とは言えない
と思うのです(客観的に見て)

また、"謙虚になる"のは、
自分の何か、(前述の例と統一して数学とします)
に、自信が無いからだと思うのです。
もしくは、自信を押し殺している。

例をあげます

A君は数学に自信がありますが、
謙虚なので、それを出しません。押し殺しています。
数学の模試でわからない問題がでました、
「その範囲をカバーできなかった自分のせいだ」
と、家に帰りすぐにその範囲の勉強に着手しました。

どう考えても"謙虚である"方が合理的です。

しかし、謙虚でいよう、謙虚でいよう、
そう意識して生活していると
だんだん自分に自信がなくなっていくのです

同じように、俺は誰よりも賢い、スポーツができる、
カッコイイ、才能がある……と、
自信に満ち溢れていると、

だんだんと傲慢になっていきます。

僕は勉強には、多少の自信がありますが、
部活は、全くです、なんならコンプレックスです。

部活のとき、「自信もってけよ!」
「そこでチキるなよ!!」と言われます

わかった、やったるわ。と、
自分を信じて自分のプレイをした、
そしてミスをした
すると、周りの人は
「なんでそこでそうする?笑」「他にあるだろ」
と言います

そりゃ当たり前です。ミスってるんですから。

僕は、
他の人に文句を言われないようなプレイをすること
それが目的となっているのです。
そんなの自信がつくわけないですよね笑
でもこれに関しては、練習しろで片付けられますね笑

とにかく何が言いたいのかと言うと、
"自信を持つ(傲慢になる)"
"謙虚になる(自信をなくす)"
(僕の中では完全に相反しています。)
どっちが、生きる上で大切なのか
ということです。

これはあくまで、ぼくの疑問です、
当たり前ですが、正解なんてありません笑
みなさんの意見を聞いたら、考え方が変わるかな
そう思って質問しました。
めちゃくちゃ長文になりましたが、
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます
皆様の意見を待ってます。

A 回答 (7件)

頭のほうからちょっと見ていこう。



・「自信がある」の例。
これはいわゆる「うぬぼれ」です。
自信過剰というやつです。
自信を持つのは良いことだけど、過ぎた自信は自惚れだということ。

・「謙虚」の例。
これは謙虚というものじゃなくて「自分に自信がない」ということ。
謙虚というものは、自分に相応の能力がある「自覚がありながら」あえてそれをしないこと。
その理由は様々あるけど、自分を前面に出しすぎてしまうことで、周囲に迷惑がかかるとか、もしくは自分にとっての不利益(傲慢さなど)が生じることを恐れてのこと。

発想というか、捉え方が真逆になってるんです。
マイナスのバイアスに、なおもマイナスを足していく感じ。
だから空回りになってしまってるんですよ。

ただし、あなた自身が言っているように「自分の立地点」というのは、誰しもあるものなんですよね。
あなたにはあなたの感性があり、捉え方もある。
それをすぐに「ひっくり返せ!」といっても、そんなのは出来るわけもないですよね。

すぐに理解できなくていいので、自分で疑問に思ったことは聞いてみてください。
混乱はするとは思いますけど、少しずつ心に「染みるように」分かればいいと思います。
本当は相手ももっと、あなたのことを知るべきなのだと思います。
しかしそれもなかなかに難しい話なので…それを期待するくらいであるならば、自分が理解を進めていくほうが積極的というものだと思います。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

なるほど…。ありがとうございます。
ここ最近、練習に熱を入れていて、
自分のプレーに微々たるものではありますが、自信がもてるようになってきました。ついこの間の話なのですが、練習中に自分がミスをしてしまいました。咄嗟に「今のは俺が悪かった、ごめん。」と謝罪すると、いつもは少し冷やかしてくる友達が「しゃーないしゃーない惜しかったぞ」と、
慰めの言葉をかけてくれました。
"(中身のない)自信"
"謙虚さ"この2つの違いを
身にしみて実感したような気がしました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2019/02/06 18:27

私は「自信なんてなくても生きていけるという自信」は持っています。

自信かどうかは解りませんが、何があろうとも、自分だけは自分を見捨てないという信念もあります。誰も自分以上に自分のことに一生懸命になってくれないし、助けてはくれません。殆どの人は自信というよりも「過信」な場合が多いように思います。自分よりも優れた人に会ったら、つまんない自信なんて、あっけなく崩れ去ります。卑屈にならないで生きていければいいのではないでしょうか?とも思います。謙虚さは、他人を尊重する気持ちをベースに持っていれば自然に謙虚な姿勢でいられるのではないかな?
    • good
    • 0

自信と謙虚さは矛盾しません。


むしろ謙虚さの無い自信は表面だけのものでしかなく、簡単に崩れてしまうような脆いものです。

ある事柄に対し本当に自信があるのなら、仮に何か誤りを犯したとしても謙虚にそれを認めることができます。
多少誤りがあったところで、自分がその事柄に対し優れた見識や技術を持っているという事実は揺らがないからです。
そして謙虚に誤りを認めることで更に見識が豊かになり、ますます自信を増していくことができます。

謙虚さを欠く場合だと、本当は自信が無いから誤りを指摘されると根っこが揺らいで過剰反応してしまうのです。

質問者様の立場から見ると。
自信を持って傲慢になったり、自信喪失して謙虚さ(むしろ卑屈さ)だけが残ったり。
色んな技術を習得する過程ではよくあることです。
ですが、諦めずに研鑽を重ねればいずれ謙虚さを伴った自信を持つことができるようになります。

自分の「可能性」に自信を持ち、「謙虚」な態度で研鑽を積むことが大切です。
    • good
    • 2

謙虚になるのは大事だけど、暴慢も謙虚になりすぎてダメになるのも、どっちにしても自信のなさの表れです。

    • good
    • 1

自慢話をせず、他者を批評しなければ問題なし。

    • good
    • 1

自分はやればできるって思うことが自信だと思ってます。

    • good
    • 1

先ずは、主様の誤解を解きましょう。


本来自信を持つ事 と 謙虚である事 は
相反しません。
あ人間はね面で出来ているのでは無く、例えるなら球体です。
色々な面がまグラデーションで連続していると考えると
イメージしやすいですかね。

そして、謙虚とは 出来る事を自慢しない
知らない事や出来ない事がある時は 素直にそれと
意思表示をし、素直に教えを乞う姿勢を持つ言葉です。

自信とはお自らを信じると書きます。
自らを信じているよ とは
人に吹聴しなくても自信は持てるのです。

試合の話しをしていましたね、自分に自信を持ってプレーした
そしてミスをした。だから主様
話しをしないで内にこもられましたが、謙虚な人は
では、どうすれば良かったのかを人に問うのです。
そして教わるのです
言葉で論じるものでは無く、内面にその強さを持てば良いのではないですか?
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!