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古代、大陸から日本に渡ってきた渡来人は、日本海を何日がかりで航海したのでしょう?

A 回答 (6件)

海が穏やかで天気が良い日が続き、潮の満ち引きが航海に最適な状態の日で、対馬・壱岐などの島伝いに日中に航海して、最低三日はかかると思います。


そして、使った船は、現代で言うところの和船、櫓漕ぎ船ですね。

これについては一度調べたことがあります。
ウィキで日本史上の古代を調べてみると3世紀から7世紀ごろのようですので、弥生時代末期からの渡来人と航海方法について、確かな歴史的事実をもとに想像力を駆使した結果は以下のとおりです。

・渡来人のスタートは、古代中国の戦乱期に朝鮮半島に逃れて土着した人々が、さらに朝鮮半島の戦禍を逃れて未開の日本に土着した人々だと思います。また、百済や高句麗が滅亡したころ、大挙して渡来していると思います。以後は和寇により散発的に奴隷などでつれてこられた人も少なくないと思います。

・古代中国から東シナ海経由で直接日本へ航海するのは、意図せずたどり着いたり漂着のケースだと思います。
根拠は、中国で外洋航海できる造船技術と航海技術が発達したのは13世紀以降だということと、朝鮮半島を経由しなくなった遣唐使船の成功率から簡単にわかります。なお、日本が外洋航海可能な技術を獲得するのは明治以降です。

・遺跡として残っている古代の壁画は、事実なのか想像上の絵なのか判別しにくいと思います。これについては、日光東照宮に描かれているゾウがヒントになります。
そういう意味で、古代の壁画に描かれた船を再現して航海実験してみた意義はあると思いますが、工学系の者から言うとバカなことを、西洋かぶれもいい加減にしたら・・・となります。古代の大規模な造船技術や航海技術は西洋で発展していますが、この時代の古代中国では不要な技術だったはずです。
なお、何らかの理由で人が住まなくなった場所がその後の天変地異で土中に埋もれてしまった場合や元々人が住んでいない場所が遺跡となり、人が住み続けている場所は変化し続けてしまうので遺跡にはなりません。

最後に、日本国誕生以前の歴史については、みんな好き勝手言い放題ですので、私も自説で回答しましたが、歴史家とは全く異なる工学系のプロセスと思考方法ですので、冒頭の回答で間違いないと確信しています。
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さーて 失敗した人も大勢いたと思いますよ。

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対馬・壱岐のルートだと、1回の渡海に1日。

朝に出航して日が暮れるまでには着けるって感じのようです(実験船では結果的に辿り着けなかったようですが)。
3日連続の渡海は無理でしょうから、休み2日毎で渡って7日、悪天候だとその日数分延びる、というところでしょうか。

沖縄方面からの島伝いだと、何日かかったのでしょうね。
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1日。

博多と釜山は200キロほどしか離れていない。
途中に壱岐・対馬があるので(それぞれ50キロ)一気に九州まで渡航する必要ないし。
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昔は繋がっていたので

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その頃は日本海には厚い氷ができていたので歩いて渡ってきました。

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