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なぜ安楽死はだめなのか?
生きているのが、辛いのだから安楽死を
選ぶことを認めてもいいと自分は思います
病気や経済的な理由や人間関係など、今の
世界は解決できない問題ばかり、解決したと
しても、つらい事は続く、それなら死んだ
ほうがましだと思ってもしょうがない事だと
思うし、無理に生きる必要などないと、自分は思うし、生きる価値観のない人生なら
迷惑をかけずに人生の幕を降ろすべきだと
思います、
自分も安楽死ができるなら、
すると思います、正直、今の人生に
疲れているのでね、赤の他人がいきようと
死のうと関係ないからね、世間は

A 回答 (12件中1~10件)

考え方はそれぞれで、駄目じゃない人も居る。


こちらは、そういう考え。
もし、寝たきりで意識不明が続いて、意識戻る見込みがないんなら、
周りは大変ですし、意識ないのに、ただ生かされるのは、どうなの?
と常々思うので、常にそういう時は、死にますと言っている。
そろそろ遺書として残そうかな?
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安部が許さないでしょう


支持率が下がるから
安倍政権はダメだよ
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安楽死した人から、安楽だったことを確認しないと、信用できません。


安楽死を苦辛死と言い換えても、同じ気持ちになるでしょうか。
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重度の認知症とか、重病で治る見込みもなく毎日痛みに苦しんでいるとか、そういう状態で死を待つばかりの場合は認めても良いと思います。



が、死にたい人全てを認めてしまったら、可能性があるのに簡単に死を選ぶ人、どうにもならなくなったら安楽死すればいいやと好き放題、怠けて生きる人、散々借金とかしてあの世に逃げる人なども出てくるでしょう。
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日本人は、安楽じゃ無いけど、いつでも死を選べますよ。

どうぞお気楽に、いつでも旅立って下さい。

ただ、意識のない人は別です。自分の判断かどうか確認が出来ないからです。
「元気な時に、こうなったら死にたいって言ってたんです。」と言っても、今、どう思っているか確認出来ないからです。

旅立つ時は、元気で自分で出来るうちですね。

うちの親戚で、散々みんなから借金して、サラ金に少し返して、自殺未遂して脳に障害が出て入院中で、十数年の奴がいます。

もう返済もしてくれないでしょう。

こんな奴が居るから、自殺は認められないのです。
せめて、ゾンビにして強制労働でも出来たら良いのですけどね。
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辛いことが客観的に証明できている場合は、今でも安楽死が認められていますよ。


あと条件が緩和されたとして、一番怖いのはルールを悪用して殺人が行われないかということです。
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安易な自殺は生命軽視ですので反対です



死を知る努力をしないで、無知無学で軽々に死を語る事は、
我見偏見邪見と言わざるをえません

宗教を信じなくても、科学の基本は信じると思います

科学では有る物は無にならないのです、変化するのです
生命は死んだら無くなる、と思うのは科学的にも間違いです
死んだら変化するのです
情報となって残るのです
情報があれば、再生します

太古の昔から、
生き物は、そうなりたい方向へ進化しました
人間の生命を自ら断つ事は、生命の否定です、
生死の法則に反する行為で、殺人罪と同じです
仏や神がいようが、いなかろうが
再び人間として生まれる事はない、と思うのが
考古学的に、科学的に、納得のいく事です

この世と言う舞台で
自分の役柄を放棄し、勝手に舞台から逃げ出す役者は
二度と舞台には登場しません

あり得ない生命の姿を少しでも学べば
生命がいとおしくなり、敬虔な気持ちになり
健康な人が安楽死を考える事などありません
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最近は、どうでもいいことで「死にたい」という人がいますね。


それがいいかどうかを論じるべきであって、それを安楽死と結びつけるのは愚の骨頂です。
安楽死したいということは、死に対して恐れている証拠です。
痛みや苦しみからの逃避ですからね。
生きている時の苦痛や苦悩から逃げているから、死ぬ時も苦痛や苦悩から逃げたい・・・だから安楽死というのは短絡的です。
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安楽死に必ず必要なのは、本人の意思です。

ほかの方が言われているように、本人に意識がない場合、どうしたらよいでしょうか。安楽死を法整備する場合、この判断基準を定めるのは、骨が折れそうです。

本人の意思確認がなく、同意書もなく、家族や周囲の人間が判断する、というケースは、多くの場合、その人たちが疲れてしまった、ということではないでしょうか。ただ、これについては、それ自体を否定できるものではないとは思います。家族や、周囲の人間にも、自分の思いや、人生があります。

本人の同意書等にもとづく、という限定的な安楽死の適用は考えられるかもしれませんが、本当に自分の意思で書いたものなのか、どの段階での意思決定なのか、気持ちは変わらないのか、今際の際になって、本人に聞いてみないとわかりません。リストカットによるためらい傷を、意気地なしというのは難しいと個人的には思っています。死の直前まで、やはり、迷います。

また、安楽死を実行する側のことも考える必要もあります。本人の望みである場合でも、医師やその他の人にとって、他人の生命を終わらせるということは大きなストレスになる可能性があります。刑務所での死刑執行も、執行官のだれが最終的に刑を執行したのかをあいまいにするシステムがあるようです。先に述べたように、死に直面した際の迷いをエイヤで他人に任せるという点で、本人にとって、安楽死は安楽かもしれません。しかし、他人への迷惑、という点で考えると、結果的には、迷いの苦しみを肩代わりしてもらう、という大きな負担を強いることになるかもしれません。

安楽死・尊厳死という『言葉』は、他人に対する最後の自己表現、わたしはここにいた、という周囲へのメッセージにはなるかもしれません。

しかし、目的が、本当にこの世から消えるということであれば、自らの意思で死を選ぶ、ということは、現在の法律でも特段、規制されていません。安楽な方法もネット上で拾えそうです。他人への迷惑についても、用意周到に準備すれば、最小限に抑えられると思われます。死んでしまえば、すべてが終わり、他人への迷惑を考える必要もありません。

質問者のかたが、迷惑をかけずに人生の幕を降ろしたいと考えていらっしゃるのは、生きているから、といえますし、実は、残された方への配慮を無意識にされている、優しい方とも思えます。

いろいろな経験の中で、『安楽死を望む方がたくさんいるんではないか、そんな生きづらい世の中はおかしいのではないか』という考えにたどり着かれたのであれば、そのようなデータを集める側に回り、世間に訴えていくということに生きがいを感じるやり方もあるかと思います。



ただ、たしかにつらい世の中ですね。
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セルフで安楽死するしかないと思います 合法的に誰かにやってもらうには法整備とか必要ですが大多数の人は別に安楽死なんかしたくないと思

ってるし安楽死したい人に興味もないし安楽死OKにして万が一間違いがあってもいけないのでダメなままでいいと思ってると思います
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