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子どもがひねくれた性格になったのは親の責任なんですか?

A 回答 (26件中11~20件)

いや


自分自身の
甘えでしょう。
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負の連鎖かもしれませんね。


その親も充分な愛情をあまり注がれず、枯渇しながら大人になり親になったのかもしれません。

自分が貰えなかったものを自分の子供にどう与えたら良いのかわからない親もたくさん居るかもしれませんね。

ただ、いつまでも世を拗ねているのは、あまりにもったいないことだと。
やはり、ひねくれる、ひねくれないは、自分自身のせいだと思います。

自分が自覚し、このままではまずいと思ったら修正すればいいだけなのだと思いますよ。(^^)
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親のせいとばかりも言えません。


ハズレの担任に当たったりイジメに遭ったり病気になったり、とにかく世の中には様々な理不尽があります。
親のフォローだけでまかないきれるものでもありません。
さりとて、それ以外の立場から軌道修正してやれるかというとそれも難しいですし。
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●子どもがひねくれた性格になったのは親の責任なんですか?



 ↑その通りです。「ひねくれる」と性格は、もの事を真っ正面から捉えずに斜め横から捉えたり解釈したりする人のことになります。

この「ひねくれ」は、言葉の解釈を、言葉の意味の通りに正しく解釈してこなかった結果です。自分本位に解釈したりいい加減に解釈してきた結果です。

何故そう言うようになったかというと、ひねくれた解釈をした方が安心できるからです。この安心の方法を生育家庭、生育歴の中で子どもさんは自然と身につけられたのです。
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責任か?わかりませんが…


たくさんの愛情を注げば、
子は愛されてるコトを自覚して、
ひねくれるコトありません。
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「責任」というか 子供は親の悪い所からまず似るから そういう意味では「遺伝」と言うべきかと思う。


何がどう在ろうとも 自分たちの子供であれば 「責任」は確かにあるから ひっくるめて「責任」と言えなくもないが それには良いも悪いも関係ない。
「自分たちの子供なのだから 子供の成長は親の責任」というだけだ。

別にひねくれたって 悪くはない。
この世界は残酷で無慈悲で理不尽だから 生きていくには要領も必要で 素直で善人なら生き残れるほど 甘くはない。
その中ではひねくれた部分もまた 自分のためのツールでもある。

しかし 「斜めに見すぎて 大切なものを見失うな」という警告は 度々行うべきと思う。
それが悪いものなら斜めに躱すのも良いが 良いものまで躱しては意味がないからだ。
「みんな良いものだ」と全部を背負い込ませるのは短絡的で間違いとしても 「向かう姿勢」を間違えたと見たら 「それはお前として恥ずかしい行為だ」と 指摘すべきだろう。

なんて思う。
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ビデオで育つとそうなりますな

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ばかりではありません。

双方に責任はあります。鉢植えの木を育てても、まっすぐ育つ木もあれば、同じ位置でそのままにすると、曲がって、お日様の方角だけ育ちます。これは育てる人の責任です。
しかし、枝が多いのと少ないのでは、育つ木の責任です。

双方5分5分の責任ですが・・・・子どもが賢ければ、そうそう捻くれず、社会の全てを理解して受け入れます。そして、自身で解決していきますよ。頑張ってみれば・・・!!!
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だと思います。


だから悩んでいます。
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どのようなワルの性格になろうが


法的責任は未成年者のうちだけです。

成人後の性格が良かれ悪しかれ
どうなろうが、親が法的責任に問われることはない。
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