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私の大叔父は、重慶爆撃から、真珠湾空襲、太平洋戦争初期にわたって活躍したゼロ戦パイロットでした。その後彼はラバウルに配属され、多くの愛する部下を失いました。
戦争中は様々な報道に取り上げられ英雄扱いされていましたが、終戦後は一転して国賊として家にも石が投げ込まれるような生活を送っていました。

私にとって、天皇陛下万歳とは、大叔父が戦争中に重慶爆撃出撃や航空母艦から出撃する際、あるいは帰還困難な任務に部下が出撃する際に行われる儀式です。

徴兵猶予が停止された際の、明治神宮外苑競技場で行われた学徒出陣壮行会で、「もとより生還を期せず」との学生の決意表明があり、東条英機首相の「諸君が悠久の大義に生きる、ただ一つの道なのであります」との訓示に続いて行われたのが、東条英機首相が先導した「天皇陛下万歳」でした。

沖縄・硫黄島・ガダルカナルを始めとする南洋諸島で、全滅を覚悟して敵陣に突撃する際、民間人が自決のために断崖から海に飛び込む際に叫んだのも、「天皇陛下万歳」でした。

私自身は少なくとも左翼思想とは程遠い人間と思っています。

それでも、私にとって「天皇陛下万歳」は、悲しみや苦しさといった言葉で表すことのできない、激しい悲痛な絶望の叫びでした。

ここ数日流れてくる、多くの日本人が喜々として、両手を掲げながら「天皇陛下万歳」を繰り返す映像は、私には衝撃でした。
少なくとも上にあげたような記憶のある私には「天皇陛下万歳」はおめでたい場にふさわしくは思えなかったのです。

みんなは、「天皇陛下万歳」にまつわる様々な痛切な苦痛の思い出を忘れてしまったのでしょうか?
そもそもそんなこと知らないのでしょうか?
あるいは、よくよく知った上で、天皇陛下即位儀式の一部として納得しているのでしょうか?

A 回答 (22件中1~10件)

みんなは、「天皇陛下万歳」にまつわる様々な痛切な苦痛の思い出を忘れてしまったのでしょうか?


そもそもそんなこと知らないのでしょうか?
あるいは、よくよく知った上で、天皇陛下即位儀式の一部として納得しているのでしょうか?
 ↑
ほとんどの人は、そんなことまで深く考えて
いません。

心情的に天皇に憧れている人が多いので、
おめでとう、末永くお達者で、の意味ぐらいしか
持っていませんよ。


米国なら米国万歳です。
星条旗ヨ永遠なれ、です。

日本は負けたので、そういう負の感情を持つ
人が多い、というだけです。

米国が負けていれば、星条旗を見る度に
複雑な心境になる米国人が多くなるでしょう。
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この回答へのお礼

本当にその通りですね。
私も何も考えなければ、もう少し楽なんでしょうね。

ちょっと様々に思い入れが大きすぎますね。
反省です。

お礼日時:2019/11/12 13:35

私は今の「天皇陛下万歳」は慣例と捉えてます。

ただ、私は皆さんとは受け止め方が違います。天皇も戦争被害者です。腹を立てずに最後まで読んでくださいね。当時の日本政府は、国民が抵抗しない為に天皇を神格化しました。つまり、当時の「天皇万歳」は神に命を捧げるということではなかったのでしょうか。天皇も人間です。心があります。自分の為に多くの命が失われていく。どんなに苦しかったでしょうか。戦後、マッカーサーと天皇が会見したのはご存じと思います。その時のことをマッカーサーは天皇の口から次のように述べられたと記しています。「私は国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なった全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねる為にお尋ねした。」と。天皇は日本を代表して死刑を覚悟していたのです。
そろそろ許してあげてもいいのではないでしょうか。あなたが天皇を嫌うのは自由です。ただ、その事に縛られているあなたの心が苦しくないですか。
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この回答へのお礼

わざわざの回答ありがとうございます。

そして私の書き方が稚拙であったため、大きな誤解を与えてしまったようで、大変申し訳なく思っています。

私は、昭和天皇も、そして今上天皇も全く嫌ってはいません。
そしてあなたのおっしゃる昭和天皇も戦争被害者であったという点にも全く同意します。
「そろそろ許してあげてもいい」どころか、生まれてこの方ただの一度も天皇陛下に非難の気持ちを持ったことはありません。

繰り返し書いているつもりですが、太平洋戦争を引き起こした根本の原因は国民の総意です。
そしてその総意に素直に従った日本陸軍です。

昭和天皇自身は平和主義者で、最初から最後まで戦争には反対しておられました。
繰り返しますが、昭和天皇も純粋に戦争被害者でした。

天皇の名前を利用したのは、戦争を遂行することを望んだ人たち、すなわち国民自身であり、マスコミであり、軍部でした。
「天皇陛下万歳」という掛け声は、天皇の意思とは無関係に様々な場面で使われました。
真珠湾を空襲しようと飛び立つ零戦隊を見送りながら、沈没する空母瑞鶴の傾いた甲板の上で、我が子を戦争に送り出す母親が、知覧の飛行場から特攻機が飛び立つ時そして敵艦に突入する時、玉砕覚悟の万歳突撃をする時、皆の叫びは「天皇陛下万歳」でした。

「天皇陛下万歳」を叫んでいた彼らのことを忘れて、いなかったことにすることができればきっと楽になるでしょう。
しかし、残念ながら今の私にはまだ無理なようです。
彼らが忘れられつつあるように見えることが、今の私にはとても大きな悲しみいです。

「天皇陛下万歳」を叫んでいた彼らに縛られている私の心は、ご指摘通り苦しみでいっぱいです。

また、あなたもご指摘の通り、昭和天皇ご自身にとって、ご自分の名前が使われて多くの方が犠牲になったことは非常な苦しみであったはずです。
天皇陛下に向かって「天皇陛下万歳」ということは、天皇陛下ご自身にとっても、その犠牲者のことを忘れるな、と言われていると感じておられる気がしてなりません。

お礼日時:2019/11/13 22:44

「天皇陛下万歳」と我が子を送り出した母親の苦痛を理解できない日本人が増えているとしたら私は悲しいです。

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この回答へのお礼

本当におっしゃる通りです!
それは、とても悲しいことです。

その母親(あるいは同じようなつらい思い出を持った人たち)が、天皇陛下即位を祝おうと、あの「天皇陛下万歳」の集団の中にいたとしたらどうなんだろうと思ったのが出発点でした。

お礼日時:2019/11/13 13:18

>みんなは、「天皇陛下万歳」にまつわる様々な痛切な苦痛の思い出を忘れてしまったのでしょうか?



国の一体化のために明治時代から天皇陛下を権威付けしていました。それ自体は悪いことじゃない。
それを過剰化し、利用した側、そういった手法の評価無しに脊髄反射になってしまうところが、駄目なのですね。パヨクは脊髄反射、戦前回帰派は同じ手法を使おうとしている。

権威付けは何だっていいんです。「鰯の頭万歳」で戦争に突き進むことだって理論上は不可能じゃない。それで負けると「鰯の頭は、悲惨極まりない。もう見たくない」になるわけで、傍からは滑稽に見えるけど、当人達は真剣だし真剣なトラウマを抱えてしまうことだってあるわけです。

>そもそもそんなこと知らないのでしょうか?

知っている人は知っているでしょうし、知らない人は知らないでしょう。知っている人だって脊髄反射として知っているだけなんでしょうね。

>あるいは、よくよく知った上で、天皇陛下即位儀式の一部として納得しているのでしょうか?

分別が付く人はそう。
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#12です。

お礼ありがとうございます。

他国の事例を少し御紹介します。
たとえば、北朝鮮が金ファミリーに忠誠を誓うように国民に強制しているのはご存知だと思いますが、その分、北朝鮮は韓国よりも(経済的にはとても貧困ですが)強固な体制を維持することに成功しています。
 具体的な国家の象徴に忠誠を誓わせる、というのは近代的な個人主権社会(民主主義)が「国家」という枠組みを維持するのに必要な要素でもあるのです。

「近代的な個人主権社会が「国家」という枠組みを維持する」という点で、意外に強烈なことをやっているのがアメリカ合衆国で、かの国は小学校から「国家への忠誠」を教え込んでいます。具体的には、毎朝星条旗に向かって「忠誠の誓い」を唱和することで、私はこれを始めてみた時に日本の戦前の天皇への忠誠(朝礼で教育勅語を校長が読み、皇居に向かって礼拝:宮城遥拝したような儀式)を思い出し、なんて原始的なことをしているのだろう、と子供心に思ったものです。

参考 

私は父の転勤で一時期アメリカの学校に通っていましたが、この毎朝の「忠誠の誓い」には本当に困りました。なぜなら私は「日本人」で、アメリカに忠誠を誓う気なんてなかったからです。
 なので、一応オリンピックの時に各国国旗や国歌に敬意を表すために(なにせアメリカの公立学校にお世話になっているのですから)起立し、胸に手を当てるところまではやりましたが、唱和はしませんでした。

アメリカのように民主主義が発達している国ですら、このようなことをしないと「国民がひとつの方向を向いて国家を守ることをしない」というのは非常に驚きであったわけです。

他にもシンガポールに行くと「シンガポーリアンは1つの民族(実際は公用語が4つもある多民族国家)」という啓蒙CMを地下鉄の入り口で延々と流しているようなことをしています。

日本も明治維新後、藩への忠誠心から「国家の忠誠を誓う、国民国家を作る」大転換が必要で、そのために利用されたのが天皇であった、という言い方もできます。日本各地で宮城遥拝することで明治以降の子供たちは「日本国」という意識とそれを象徴する天皇という具体的なイメージをもつようになったわけです。

そういう点でみれば、イギリスやタイそれに日本のように「君主」という具体的なイメージを持てる国はある意味幸せなのかもしれない、と私は考えています。 

ただ、具体的な人物が「象徴」になる弊害もあって、先の大戦で敗戦した日本人は「国家戦争の敗北→天皇責任」という認識をもつに至るわけで、その結果戦後しばらくは学校に日の丸すら掲揚しないことも普通であったわけです。

それでも日本が戦後70年間、国民が日本国を敬愛し続け発展に努力したのは「日本人が日本以外知らない(外敵に支配されたことが無い)」という歴史的な理由があるからで、これが他の国であればバラバラになっていても不思議は無かっただろう、と私は考えています。

これが、#9に書いた「国民として国家運営する自覚と覚悟」の本質的な意味であり、「天皇万歳」は「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」も「忠誠の誓い:Pledge of Allegiance」も同じであり、そうしなければ国家そのものが維持できないという認識から、悲惨な万歳も喜びの万歳も評価すべきなのだろう、と私は考えます。
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この回答へのお礼

詳細かつ貴重な経験をご教示いただきありがとうございます。

現代の日本に直ちに導入することは困難でしょうし、また導入すること自体の価値も今の私にはよくわかりません。
なかなか難しい問題提起と思いました。
またゆっくりと考えて見ます。

お礼日時:2019/11/13 13:12

まあ、確かに過去の記憶(歴史的な事実に対する知識)云々は別にして、「天野陛下万歳」には私も時代錯誤的な違和感を覚えました。

特に、日頃「昭和天皇には確かに戦争責任があった」と事あるごとにに話し、現天皇や上皇のことを馬鹿よばわりしている昭和3年生まれの私の父が、先日の令和天皇皇后によるパレードのテレビ放送を熱心にみていた(昭和30年代生まれの私は皇族に何の関心もないので全然意識の中になく、見てませんでした)には、少なからず驚きました。それまでも毎年の新年の皇居での祝賀式?に未だにあんなに大勢の人が、旗を振って天皇を讃えて?いるのに違和感を持っていたが。。。思えば、西洋の一神教的神を持たない日本に鎖国時代に流れついた外国人の数名がいずれも神を持たないにもかかわらず、寒村の末端に至るまで高い道徳心を持っていることに驚きを隠せない報告が数多く残されています。道徳心、いわゆる、「お天道様に恥ずかしくない」こと、この「お天道様」が明治維新による開国にあたって、具現化されたのが「天皇」なのかどうかは判然としませんが、いわゆる、西洋文明に対する、我が国に精神的支柱としての天皇に対して、一説には世界最古の歴史を誇る(流石に現代で「皇紀〇〇年」という人はいないと思いますが)大和民族としての民族的な思い入れがあるのかなと思ったりしています。個人的な感想を長々と失礼しました。
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>私にとって、天皇陛下万歳とは、大叔父が戦争中に重慶爆撃出撃や航空母艦から出撃する際、あるいは帰還困難な任務に部下が出撃する際に行われる儀式です。



質問者さんの大叔父上が戦時中は英雄で戦後は国賊とはどんな周囲の人間であったのか理解に苦しみますが
昭和天皇は終戦後の昭和21年の2月から全国巡幸を始められています。
当時の警備は今の様に物々しいものではなく、かつ戦後の混乱で武器もまだゴロゴロある時代でしたが
国民からもみくちゃ(もちろん歓迎され、一目見ようという国民の気持ちからです)にされることはあっても
石一つ投げられることはありませんでした。各地へは到着時間もきちっと伝えられており、もし銃で狙おうとするなら
これ以上の条件はなかったでしょう。でもそういうことも全くありませんでした。
そして訪問した各地で起きたのは「天皇陛下万歳」の怒涛の様な歓喜の叫びです。
その一例が下の動画の0:42頃からの万歳三唱です。



これら「天皇陛下万歳」は苦々しい思いから発せられたものでしょうか?
それとも強制されたものでしょうか?
私は国民の自然に湧き出る思いから発せられたものであると思います。
まだまだ衣食住に事欠き、配給だけでは餓死した時代でもこういう状態だったのです。

この時点でGHQは天皇に対し生殺与奪の権を持っていましたが、マッカーサーは本国に対し
天皇を生かしておくことは米軍20個師団を駐留させるのと同じ効果があると連絡しており
結果、アメリカは昭和天皇を失脚させたり殺すことはできませんでした。
巡幸前、GHQは身内が殺されたりひもじい思いをしている国民から怒りで暴力を振るわれるなど
天皇の権威はこれで失墜するだろうと思っていたにも関わらずです。

私は戦後生まれで、物心ついたときにはもう衣食住に事欠くことは無かったですが
学生時代、昭和天皇ご誕生日の祝賀に皇居に行き、初めてそのお姿を見た時、思わず「天皇陛下万歳」を叫んでいました。
これは私だけではありません。周りの多くの人々が、くばられた日の丸の小旗を打ち振り「天皇陛下万歳」を叫んでいました。
今回の式典で「天皇陛下万歳」を叫んだ多くの国民はおそらく私と同じ思いであったと思います。

この様に戦争に負けてなお、国民から敬愛される国の元首が他にいるでしょうか?
ヒトラー、ムッソリーニはもちろん、フランスの英雄ナポレオンも敗戦後は悲惨な運命をたどりました。

思うに、天皇は日本国憲法にあるように 日本国の象徴です。
私は天皇陛下を見るとき、天皇陛下個人のみならず、日本国を思います。
陛下が国民に微笑めば日本は平和であり国民は幸せです。そんな思いです。
天皇陛下万歳は陛下ずっとお元気での意味であるとともに、日本国・日本国民も常に栄えあれという意味です。
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この回答へのお礼

長文の回答ありがとうございます。

「天皇陛下万歳」にまつわる痛切な苦痛の思い出は知らないということですね。
昭和世代の方でもそういう方もおられるんですね。
了解しました。

お礼日時:2019/11/13 13:03

他の人も書いていますが、


>「天皇陛下万歳」にまつわる様々な痛切な苦痛の思い出を忘れてしまったのでしょうか?
主観にすぎず説得力がありません。

現に私は、それにまつわる痛苦な思いをしたことがありません。
人づてに聞いたことはありますが、それをもって自分の思い出とすることはできません。
なので忘れるも何も、最初からそのようなものがありません。
「忘れたの」と聞かれても返答のしようがありません。

石を投げられて悔しかったのはあなたの大叔父であって、他の人すべてではないでしょう。
「いや、俺にとって天皇は最高の君子だ」という人もたくさんいます。
最後の海軍大将井上成美は、敗戦後責任を取るため隠棲してしまいましたが、昭和天皇に対しては「名君ですよ、あの人は」と述べています。

天皇陛下万歳にまつわる感情も、同じことです。

鈴木首相は、終戦の日に家に火を付けられ、消防活動もしてもらえなかったため焼け出され、その後も右翼の襲撃を避けて、1年近く知人の家を逃げ回りました。
戦争が終わってもなお、戦争続行を叫ぶ国民は多かったということです。

国民全員が「痛苦な思いをした」といえますか?


とはいえ、私は最近の日本人マンセーやそれが高じての天皇崇拝には嫌気がさしています。
承諾もなく他人の土地を踏みにじって何が「日本人は素晴らしい」か、と思っています。
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この回答へのお礼

「天皇陛下万歳」について、痛切な思いを感じているのは、現在は少数派であるというご指摘と思いました。

そういうことなんでしょうね。
平成天皇即位の際の天皇陛下万歳に比べて、今回ははるかに大々的でしたものね。

昭和50年頃までは、心安らかに「天皇陛下万歳」ができるのがむしろ少数派だったように思います。
まさに、昭和は遠くなりにけり、ですね。

お礼日時:2019/11/12 21:43

そういう苦痛の思い出を過去のものとして次世代までに忘れましょうというのが、戦後レジームからの脱却だったのだと思います。

もう手遅れと諦めています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

単にそう言うことなのかもしれませんね。

お礼日時:2019/11/12 20:43

自分も戦後生まれだから、戦中の人に気持ちは理解出来ない所もあるけど。



戦争中は、お国の為天皇陛下の為に命を捧げるのが名誉だった様です、民間人でも敵に捕まるのは日本人の恥と教えられていた様で、それで死を選んだようです。

空母「瑞鶴」の沈没前に撮られた写真がありますが、傾いた甲板の上で多勢の搭乗員が「天皇陛下万歳」と両手を上げているシーンが写っていました。

早く退艦すればいいものを、苦楽を共にした空母と少しでも一緒に居たかったのでしょう、画像を見た時、歳のせいか涙が出ました。

この様に当時は、国の為陛下の為に命を捧げるのは、おめでたい事だったので「天皇陛下万歳」と叫んだのではないかと思います。

なので戦後生まれの我々には理解出来ない所もありますが、決して悲しみや苦しみを背負った言葉では無く、日本人としての尊厳を表した言葉ではないかと思います。

それとお名前は存じませんが、あなたの大叔父さんは今でも英雄ですので安心して下さい。
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この回答へのお礼

やさしいお言葉ありがとうございます。

「瑞鶴」沈没前の写真、私も見たことがあります。
私も不覚にも涙した記憶があります。

きっと、彼らは鴻毛より軽い我が命が名誉の戦死を遂げたことをめでたく感じたでしょう。
そして、令和の現在、私たちの幸福な社会を見ると、自分たちの命は役に立ったと、まためでたく感じてくれるでしょう。

大叔父は、しばらくラバウルで部隊編成業務をやっていたため、多くの部下を死地に送る命令を出し、「天皇陛下万歳」と共に送りました。
戦後は、死に損なったとの思いで生きていたように思います。
きっと、今は会いたかった若き友たちと共に天で平和に暮らしていると信じたく思います。

お礼日時:2019/11/12 17:23

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