
1. まづイエスは磔にされたまま 人間として去って行った。
2. その意味は もし《神の子なら そこから降りて来てみろ》とあざける
声を承けて神・キリストとして十字架から降りて来ていたなら それは神の力
による奇蹟であろう。だから そんなことは 人間には出来ないと人びとは思
ってしまう。
3. けれども人間としてだけではなく 神・キリストとして去った。その意
味は もし人間としてだけならば それは単なるひとりの殊勝なしかも目立ち
たがり屋の人間がやったことだ。で済んでしまう。
4. つまりその暗闇の中でかがやく光は ただ道徳や信念やあるいは科学と
しての光に終わってしまう。
5. あるいは ひとりの奇特なやからの一編のパーフォーマンス(芸術作品)
だと見なされて終わってしまう。
6. すなわち確かに闇を照らす理性の光あるいは感性の輝きとして世界を明
るくしたかも知れないが そこまでである。闇そのものを晴らすことは出来な
い。
7. われらが心の底なる深い闇そのものに光をあて照らしただけではなく
イエスはみづからがキリストなる神として われらが心の燈心に火をともすこ
とを成した。
7-1. われらは 心の闇を照らされただけではなく 心の燈心に火をつけ
られてしまった。
8. それは 人間――その愛・その科学のちから――によってできることで
はない。神・その霊のみがよく成し得る。と示した。
9. しかもこれらすべては 大ウソである。一編の虚構である。
9-1. そうでなければ いまではそこら中が火事である。
10. この虚構が 虚構ゆえにも 世界史上ただひとつの特異点であり核反
応である。
11. ペテロや弟子たちも イエスが去って行ったあと初めて それは キ
リスト・イエスだと分かった。
12. 生前には――イエスはみづからが神の子であると自称さえしていたが
―― ペテロらは 分からなかった。《虚構――イエスの大嘘――》を捉え得
なかった。
12-1. ▼ (出エジプト記 33:21-23) ~~~~
21: 更に、主は言われた。
「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。
あなたはその岩のそばに立ちなさい。
22: わが栄光が通り過ぎるとき、
わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、
わたしが通り過ぎるまで、
わたしの手であなたを覆う。
23: わたしが手を離すとき、
あなたはわたしの後ろを見るが、
わたしの顔は見えない。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ というふうに 生前のイエスについては 弟子たちの目は覆われており
イエスの正体が分からなかった。死後やっと キリストの背面を見ることが出
来た。《顔――真理そのもの――》は 見えない。
13. というふうに 言わば《ことばの民》にとっては ことば・ことば・
ことば・・・として歴史が推移すると捉えられているものと考えられます。
14. この虚構が なかなか 捨てがたいようだと思われ 受け容れられた
のでしょう。どこまで分かったのかを別としても。
15. ことばを《こと(事・言)の端》として捉える民にとっては このキ
リスト史観をどのようにあつかうのがよいか?
15-1. たぶん 辻褄は合っている。か。
15-2. 二千年ものあいだ 語られたコトバを追って 人びとの歴史がい
となまれたと言われても こたえようがない。か。
16. ユダヤから見て異邦人のあいだに このキリスト史観を共有する人間
はいるか?
17. 世界は このキリスト史観を受け容れただろうか?
18. ただしその実質的な内容は 人びとに元気をあたえること。人びとが
元気になること これだけである。
☆ イエスが出たというのは いかなるコトなんでしょう?
A 回答 (11件中1~10件)
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No.11
- 回答日時:
イエスが出た、ということはよくわかりませんが、12-1についてだけ。
礎が生きている間は人間扱いする必要がある。
死後はミケランジェロのピエタのあいまい版的扱いが望まれる。
イスラム教のシーア派とスンニ派の分岐点における
発想と同質の考え方だと思われます。
ご回答をありがとうございます。
★ 12-1について
礎が生きている間は人間扱いする必要がある。
☆ 《礎》とは:
▲ わが栄光が通り過ぎる
わたしが通り過ぎる
☆ というときの《わたし /わが栄光》のことでしょうか。
つまり この世で人間として現われている。人間だから《人間扱い》で
あると。
★ 死後はミケランジェロのピエタのあいまい版的扱いが望まれる。
☆ ううーん。むつかしいですね。ピエタは 文字表現ではないですね。
母マリアがむなしくなった身体をかかえている姿でしょうか。それの
《あいまい版》ですか。
むつかしい。
ちょっと違うという感じがするとしたら たとえばイエス・キリストは
――物語にしたがうなら―― 復活していますね。
あるいは 去って行ったら 父なる神とともに 聖霊なる神を送るとも
言っていました。
そのようなコトが ピエタ像に反映していないように思われますから。
★ イスラム教のシーア派とスンニ派の分岐点における
発想と同質の考え方だと思われます。
☆ ううーん。後継者にかんする問題ではなかったですか?
ううーん。分かりません。降参です。

No.10
- 回答日時:
あなたは仮説法だとかそういう言葉で逃げているだけ。
不倫とかいえば、そういうキャラじゃないとか、要はほかの話題にいきたいだけです。
つまり人は神でないとしながら、奇跡とかありえない話に聴くと興味がないで避けて通る。
ならば、何を聴きたいのですか。
要は聖書は嘘が多く書かれているわけでしょう。
イエスはマリアがヨセフ以外の男と交わって生まれ、それが奇跡というからくり不明の妖術で人々をひきつけ、民衆を扇動し、神の道を説いて、国を治める者にとって脅威となったので邪魔者として捕えて処刑される危惧が生じた。
処刑してみたら、死体が盗まれ、復活と称して生き返ったというあり得ない出来事が起きた。そこからキリストに影武者がいたという論理に行きついていくわけです。
この論理のどこに誤りがあるというのです。
それを素直に認めればいいでしょう。仮説法とはなんぞや。どんな説で説明づけたいのですか。
まあ、仮死状態だったので、治療で生き返ったとか、いろんな説明でもしないと権威づけが落ちますか。でも死んだことは確認され、一度は埋葬されたはずですよね。
ならば、影武者説の方が辻褄あうでしょう。
キリスト教がイカサマ宗教だといいたいならそれでいいでしょう。
その具体的にどこがイカサマかに行くと興味がないとか、そういうキャラじゃないとかいって話題を避けようとする。
それでは何を説きたいのか、何の目的で、このサイトを立ち上げたのか、目的不明ですな。
「人知を超えたナゾなる存在のことが 何らかのかたちで指し示され
たならばよしとするわけです。」
ここでいう何らかの形というのが今述べたイエス2人説でしょう。

No.9
- 回答日時:
★ 聖霊で身ごもるなどありません。
☆ ですから 経験合理性から見れば ウソであり ただし神論としては――神
を 人知を超えたところのナゾとして想定している上では――それとして哲学の
守備範囲でしょう。
意味が分からず。哲学とは何ぞや。
男女性交と処女懐胎を同時成立とかそれこそ論理のごまかしでしょう。
すなおに不倫を認めるべきです。
あるいはマリアには元彼がいて、子がすでに体内に宿っていたとかいう解釈もあるでしょう。いずれにしても別彼を想定すべきです。
復活を否定するなら偽物処刑を肯定すべき。
奇跡のからくりを持ち出せば、すぐに関心なしという。これが逃げです。
いうなれば、イエスの偽物がつかまり処刑されて墓が暴かれ、死体が盗まれ、本物が出てきて我は生き返ったと偽りを告げただけでしょう。
当然本物は死んでいませんよ。初めから偽物を処刑したわけですからね。
あなたの言う嘘や虚構は本来、そのような術をなす存在が神ということです。
それとも聖霊は、日本でいう「こうのとり」だとでも言いたいのですか。
復活とは「心の中に生きる」とでも言いたいわけ。それこそ逃げでしょう。(* ´艸`)クスクス
ご回答をありがとうございます。
☆☆ ですから 経験合理性から見れば ウソであり ただし神論としては――
神を 人知を超えたところのナゾとして想定している上では――それとして哲学
の守備範囲でしょう。
★ 意味が分からず。哲学とは何ぞや。
☆☆ (№8お礼欄) ~~~~~
ですから いちど死んだ者がふたたび生きるといったウソであっても そのウソ
をつうじて 人知を超えたナゾなる存在のことが 何らかのかたちで指し示され
たならばよしとするわけです。
これは 仮説法(アブダクション)という哲学の推論の手法です。
~~~~~~~
★ あるいはマリアには元彼がいて・・・
☆ そういうキャラとしては描かれていません。

No.8
- 回答日時:
あなたの言う嘘とか虚構とは具体的に何を指しているのですか。
復活も処女懐胎も不可能でしょう。聖霊で身ごもるなどありません。マリアにはヨセフ以外の男がいてそれと交わって子を宿したというほうが自然でしょう。
いうなれば、復活とか処女懐胎といううたい文句が作り話なわけです。あなたの言う虚構というのは復活や処女懐胎でしょう。何が必然性がないのですか。そういう考えに至ることが必然性ということですよ。
奇跡で病が治るというのは当然一服盛ったわけでしょう。それを見破ることが大切ですね。それでは奇跡にならぬのではなく、からくりが分からないことに意味があるのです。
ご回答をありがとうございます。
★ あなたの言う嘘とか虚構とは具体的に何を指しているのですか。
☆ 《人間が神である》こと。
★ 復活も処女懐胎も不可能でしょう。
☆ はい。
★ 聖霊で身ごもるなどありません。
☆ ですから 経験合理性から見れば ウソであり ただし神論としては――神
を 人知を超えたところのナゾとして想定している上では――それとして哲学の
守備範囲でしょう。
★ マリアにはヨセフ以外の男がいてそれと交わって子を宿したというほうが自
然でしょう。
☆ そういう人物としては マリアは描かれていません。
★ いうなれば、復活とか処女懐胎といううたい文句が作り話なわけです。
☆ ですから 神を想定したその前提では ひととおりの推論としておこなわれ
るわけです。
★ あなたの言う虚構というのは復活や処女懐胎でしょう。
☆ ですから いちど死んだ者がふたたび生きるといったウソであっても その
ウソをつうじて 人知を超えたナゾなる存在のことが 何らかのかたちで指し示
されたならばよしとするわけです。
これは 仮説法(アブダクション)という哲学の推論の手法です。
★ 何が必然性がないのですか。そういう考えに至ることが必然性ということで
すよ。
☆ いいえ。どうして《そういう考えに到るのか》を説得するのが 必然性です。
★ 奇跡で病が治るというのは当然一服盛ったわけでしょう。それを見破ること
が大切ですね。それでは奇跡にならぬのではなく、からくりが分からないことに
意味があるのです。
☆ 関心がありません。

No.7
- 回答日時:
イエスは神の子とあって、マリアとヨセフの子ではないことになっています。
ヨセフとは別にマリアには男がいて、その男とマリアが交わって生まれたのがイエスということになる。
男が聖書では神という言葉で表現されている。
処女懐胎など作り話。ありえず、マリアが不倫していたかどうかは別として、
マリアにはヨセフに以外の影の男がいたということです。
あなたが聖書を語るなら、これに関心を持たねば無意味。
まあ、聖書はイエス本人が書いたものではなく、弟子が信者集めのために様々に奇跡じみた文句を並べた陰謀の書というべきか。
ご回答をありがとうございます。
★ イエスは神の子とあって、マリアとヨセフの子ではないことになって
います。
☆ そのとおりです。わたしの場合は 仮説をかかげています。
ヨセフとマリアとの――性交による――子であり そのように人間である
と同時に――同時にです―― マリアが聖霊によって身ごもったという説
です。
明らかに聖書の記事には――文字にかんしては――さからっています。
★ ヨセフとは別にマリアには男がいて、その男とマリアが交わって生ま
れたのがイエスということになる。
☆ 可能性がありますが どういう必然性になりますか?
★ 男が聖書では神という言葉で表現されている。
☆ 聖霊ですから 人間ではないですね。ふつうの解釈では。
★ 処女懐胎など作り話。ありえず、
☆ かんたんに言えば 男女間の性交と処女懐胎とが同時に成立している
と見ます。
むろん 経験合理性から飛躍した見方ですが。
★ マリアが不倫していたかどうかは別として、マリアにはヨセフに以外
の影の男がいたということです。
☆ それは 記事のニュアンスにそぐわないように思います。
★ あなたが聖書を語るなら、これに関心を持たねば無意味。
☆ 必然性についての説明が欲しいです。
★ まあ、聖書はイエス本人が書いたものではなく、弟子が信者集めのた
めに様々に奇跡じみた文句を並べた陰謀の書というべきか。
☆ ちょっと違うと思います。
イエスの生前には イエスが逮捕されたとき ペテロを初めとして弟子た
ちはみな逃げてしまい けっきょくイエスを裏切っています。
それでも 磔刑による死のあとよく考えてみると――つまり生前のイエス
の語った話を総合して捉えてみると―― どうもイエスは たとえ大嘘と
言える虚構としてであれ みづからを神の子であり神でもあると言ってい
たことにおいて まさにそのとおりの人であったとさとったわけです。
これは (12-1)の聖句をとおして説明されているようです。
奇蹟の記事については たとえば病いが直ったことはすなおによろこび受
け容れつつ 奇蹟の不思議そのものについては関心がありません。

No.5
- 回答日時:
イエスはマリアがヨセフとは別の神と名乗る男と交わって、生まれた子ということになりましょう。
マリアが不倫したかは意見が分かれるかもしれぬが。神を名乗る男が何者かは明らかにされていませんが、秘密の存在というべきでしょう。
そしてイエスには偽物というか替え玉がいて、イスカリオテのユダがその偽物を捕らえさせて、十字架の磔刑にかけ、偽物の処刑後に本物が墓を暴いて、死体を掘り出して隠し、
ですたちの前で復活の芝居を演じて別れ、オリーブ山で昇天したと見せかけて何処かへ姿を消したと考えれば、新約聖書の謎も説明がつくと思う。
おそらくガブリエルの天使なども神の部下というか使い、そして正体は人というべきかな。
イエスとかモーゼとかおよそ聖書に出てくる聖人と呼ばれる人々の見せる奇跡の多くは手品であると考えたい。聖書が書かれた当時は科学が今ほど進んでいなかったので、説明できないものの多くを奇跡という言葉で逃げてしまったことになる。
まあそういう考え方は反宗教的かもしれぬが、科学的に見ればそういう見方のほうがいいと考えたい。
ご回答をありがとうございます。
★ イエスはマリアがヨセフとは別の神と名乗る男と交わって、生まれた
子ということになりましょう。
☆ なぜ? 《別の神と名乗る男》とは ヨセフの場合とどう違うでしょ
う?
どちらもけっきょく人間でしょう? 《神と名乗る》かどうかは 何の違
いにもなりません。
★ 神を名乗る男が何者かは明らかにされていませんが、秘密の存在とい
うべきでしょう。
☆ 同じ人間であるのに どうして別の男を持ち出すことがあるのか?
★ そしてイエスには偽物というか替え玉がいて、イスカリオテのユダが
その偽物を捕らえさせて、十字架の磔刑にかけ、偽物の処刑後に本物が墓
を暴いて、死体を掘り出して隠し、ですたちの前で復活の芝居を演じて別
れ、オリーブ山で昇天したと見せかけて何処かへ姿を消したと考えれば、
新約聖書の謎も説明がつくと思う。
☆ 磔の意味 あるいは復活の意味 これが泡となって消えていきます。
★ イエスとかモーゼとかおよそ聖書に出てくる聖人と呼ばれる人々の見
せる奇跡の多くは手品であると考えたい。
☆ 奇蹟については どうでもよいと考えています。
敢えて言えば 病いがいやされたなら よかったと思われます。
★ 聖書が書かれた当時は科学が今ほど進んでいなかったので、説明でき
ないものの多くを奇跡という言葉で逃げてしまったことになる。
☆ 奇蹟がほんとうかどうか これには関心がありません。
★ まあそういう考え方は反宗教的かもしれぬが、科学的に見ればそうい
う見方のほうがいいと考えたい。
☆ 同じコメントになります。

No.3
- 回答日時:
まず「十字架」という翻訳自体が間違っている可能性があります。
現代の多くの聖書で「十字架」と訳されているギリシャ語スタウロスは、古代ギリシャ語において、単にまっすぐな杭、棒杭を意味しました。
またイエスの処刑に使われた刑具を表す言葉クシュロンは、すぐに使えるように切ってある木、薪、材木、木片、丸木、梁材、支柱棍棒、棒、犯罪者が付けられる杭、生きた木の場合は立ち木、を表したそうです。
キリスト教世界の十字架の歴史的起源を探ると、その始まりが、キリスト教時代以前の異教に端を発すると書いてありました。─ブリタニカ百科事典1946年版 第6巻753ページ。
またイエスが出たことについては、聖書中のダニエル書あたりをヒントに、メシア誕生までの計算ができます。予定通り、ということだと思ってます。
bragelloneさんの文体は私には読みにくく、またとても長く感じるので、最初と最後だけ回答させてもらいます。
ご回答をありがとうございます。
★ まず「十字架」という翻訳自体が間違っている可能性があります。
☆ その説は聞いています。ただし ローマ帝国での極刑として十字架刑
があったとも言います。そのつてで 用いていると言えるような気がしま
す。
★ またイエスが出たことについては、聖書中のダニエル書あたりをヒン
トに、メシア誕生までの計算ができます。予定通り、ということだと思っ
てます。
☆ この説は 残念ながらよく分かりません。どんな内容なんでしょうか?
No.2
- 回答日時:
ことばとは、神のデザイン=約束=プロビデンス=理性や数値によって引かれた設計図=コンセプト=欧米人のスクリプト原本=聖書=神の奸計
、神の動態設計=歴史と考えてよいですよね?そうなんですけれど どうなんですかね。
ご回答をありがとうございます。
つまり わたしの感覚では――なおまだ仕残しているのを棚に上げて
言うのですが――:
○ ことば と 神の人へのハタラキカケ とのさらに具体的な関係
は いかに?
☆ という課題のもとにあるかと思うからです。
わたしは ここでは 《ウソ・虚構》という切り口でせまっています
が まだまだいろんなアプローチが考えられるかも分かりません。
そういった展望を持ちます。
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